第10話

 翌日。巧実が目覚めると布団の中だった。

 起き上らずに、そのまま殴られた頬を触る。痛みは完全に引いており、なんともなっていない。もしかしたらラインが何か魔法を使ったのかもしれないと思いながら、ゆっくりと体を起こす。


「う、うぅぅん……」


 それと同時に、巧実の腰付近から、唸るような声が聞こえた。


「寒い」

「ああ、悪い」


 その言葉に反射的に布団を掛け直す。するとその少女アーチは再び気持ちよさそうに眠り始めた。


「って!?」


 ガバッと布団を跳ね上げ、ベッドから飛び降りる。その衝撃でアーチも目を覚ました。


「うぅぅん。もう、何よ、いきなり」

「お前! なんでこんなところに!? てかその恰好!?」

「ふふ、それはこの後のお楽しみ。それより布団返してよ。寒いじゃない」


 飛び降りた際に、布団はベッドの横に落ちてしまっている。アーチはベッドの上からそれを手探りで探し自分の体に引き寄せる。そのアーチが纏っているのは、下着のみだった。しかもブラは付けていない。


「また明日って、このことだったのか……」

「ふふ、ラインよりいい身体つきしてるでしょ?」


 上半身を起こし、しなを作って流し目を巧実に送るアーチ。その胸は確かにラインより大きい。

 布団一枚で隠されているその胸に、ゴクリの生唾を飲み込む巧実は、何とか動揺を落ちつけようと必死だった。

 心のなかで素数を数え、羊を数え、天井のシミを数える。しかしアーチはそんな巧実の心情などお構いなしに、ベッドから這いずるように降りて巧実に近づいてくる。

 巧実は尻もちをついたまま後ずさるが、すぐに追いつかれ上に乗られた。

 そのまま馬乗りの状態になり、巧実を見下ろす。その際も、布団にギリギリ隠された胸がタユンと揺れ巧実の欲望を刺激した。


「フフ、大分興奮しているみたいね」


 巧実の様子を見て、アーチは嬉しそうに笑う。そしてゆっくりと腹の上に乗った腰をゆすった。


「お、お前、何のつもりだ」


 巧実の言葉にアーチが目を丸くする。そして巧実の頬に手を伸ばし、心外とばかりにむっすりと頬を膨らませた。


「そんなの簡単よ。いつもお姉さまがお世話になってるから、そのお・れ・い」

「お礼って……」

「ふふ、想像出来てるくせに」


 若干頬をそめたアーチの唇が巧実に近づく。逃げたくても、巧実の体には力が入らなかった。


「ま、まて。ラインの部屋は俺の部屋の目の前なんだぞ」

「大丈夫よ。ちゃんと動けないようにしておいたから」

「なっ!? 無事なのか!?」


 動けないという言葉を聞いて、巧実の顔が青ざめる。


「もちろん無事よ。一応は姉妹だしね。ぐっすり眠ってたから、布団の上からロープで縛っておいたの。簡単には抜けられないわよ」


 ついでに落書きしておいたわと茶目っ気たっぷりに話すアーチは、姉にいたずらをして喜ぶ妹そのものだった。


「そうは問屋が降ろさないわよ!」


 再び唇を近づけてきたところで、部屋の扉が勢いよく開け放たれた。

 そちらを見れば、そこには額に肉と書かれたラインが仁王立ちしている。


「アーチ! よくもやってくれたわね!」

「もう出てきたの!? ぐるぐる巻きにしておいたのに!」

「あの程度で私を止められるとは思わないことね! 私は杖なしでもあれを抜ける程度の魔法ぐらいは使えるわ!」

「相変わらず魔法だけは得意なようね」

「だけは余計よ! だけは! それより巧実を離しなさい!」


 ラインはアーチに杖を向けて、巧実から離れるように促す。しかし逆にアーチは巧実に抱き着いた


「あら、私の試験対象者よ。スキンシップは重要じゃない?」


 抱き着かれたことで、布団一枚隔てて感じるアーチの胸が、巧実の胸元に感触を伝えてくる。巧実はそれに意識を引っ張られそうになりながら、必死に抗っていた。そんな巧実にラインは容赦なく罵声を浴びせてくる。


「巧実もいい加減アーチから離れなさいよ! いつまで抱かれてるつもりよ!」

「体が動かないんだよ! 何か魔法でも掛けられてるんじゃないか?」

「あら、よく分かったわね。私が触れている限り、あなたは体を自由に動かせないの。そしてこうやって」


 アーチが目を閉じて何か念じるように「うむむ」と唸る。すると巧実の腕が自分の意思に反して勝手に動き出した。その腕はまっすぐに伸び、布団の上からアーチの胸を鷲掴みにした。


「あんっ。巧実さんったら大胆ね。お姉さまの目の前なのに」

「お前がやってるんだろうが!」


 ラインよりもボリュームのある掴み心地に驚きつつ、必死に抵抗を試みる。しかし、体は言うことを聞かず、胸を掴んだままだ。


「巧実のスケベ! 昨日あれだけ私の胸をもんだのに!」

「ラインも分かれ、バカ!」


 完全に無実なのに怒りを向けられ、巧実は悲鳴を上げた。


「あら、巧実さんって意外と手が早いのね。もしかしてもうしちゃったりしてるの?」

「そんな訳ないでしょうが!」


 とうとうラインの怒りが爆発し、その杖の先が光った。すると、部屋の中に風が吹き荒れ、アーチを纏っていた布団がめくれる。

 揉ませても見せる気はないのか、アーチはその魔法に驚きながらもしっかりと布団を押さえ、大切な部分だけはしっかりと隠し巧実から距離を取った。

 その隙にラインは、巧実に駆け寄りかけられていた魔法を解く。すると途端に巧実の体に自由が戻ってきた。


「助かった……」

「巧実がうっかりしてるのが悪いんでしょうが」

「お前だって眠ってる間に縛られてた癖に。鏡見てみろよ」


 近くにあった姿鏡を指差し、ラインに自分の額を見るように促す。それに従いラインが顔を鏡に向けて、茹蛸のように顔を真っ赤にした。


「アーチ! 今日と言う今日は許さないわよ!」

「フフフ、今日はそろそろお暇するわね」


 ラインがアーチに杖を向ける。しかし、その杖から魔法が発動する前にアーチはベランダから飛び出し、ラインと同じように箒に乗って逃げて行ってしまった。ちゃっかり布団も持ってかれたままだ。


「ああ! もう! また逃がした!」

「なんだ、いたずら良くされるのか?」

「ええ、寝てる時とかよくいたずらされたわ。まさかここに来てまでされるとは思わなかったけど!」


 プリプリと怒りを露わにしながら、魔法で額の肉を消す。油性で書かれていたその文字は、まるで浮き上がるようにはがれ、空気中に霧散してなくなってしまった。


「お前ら意外と仲いいんじゃないのか?」


 先ほどの騒動を見ていると、中のいい姉妹がじゃれ合っているようにしか見えない。しかしラインは首を横に振る。


「今日のは、本当にただの挨拶でしょうね。巧実の布団に入ってくるなんて、何するつもりだったのか……」

「ナニだったりな」


 巧実の発言に、ラインが頭を叩いて、朝の騒動はひと段落ということになった。


   ◇


 学校へ来た巧実とラインは、早速由美に詰め寄られた。


「ラインさん、お願い。昨日の妹さんのことを!」


 由美の姿は、昨日三つ編みを解いた時の姿だった。解かれた綺麗な髪が肩に掛かり、メガネは無くなっている。大きくくりっとした瞳が、ラインを真剣に見つめていた。その瞳の真剣さに、ラインはウッと引き下がる。


「しょ、紹介するのはいいけど、今あの子と連絡取る手段ってないから、いつ会えるかは私にも分からないわよ?」


 まさか、今朝家に訪れていたとは言えない。そんなことを言えば、今の由美なら巧実の家に泊まると言いかねない状態だったからだ。


「そうなんだ……」


 由美は、ラインの言葉を聞いて目に見えて落胆する。そしてとぼとぼと自分の席へと戻っていく。その後ろ姿を他の生徒たちも見ているが、みんな一様に驚いていた。当然だろう、昨日の帰りまでさえない委員長キャラだった由美が、今日突然髪型を変えメガネを外し、クラスの中でも上位に匹敵する可愛さを持って現れたのだ。驚かない方が、無理がある。そんな中、クラスメイトの会話がラインたちに聞こえてきた。


「なんか委員長かわいくね?」

「だよな。あんな可愛かったっけ?」

「分からない。正直来たとき誰かと思ったもん」


 口々に話すが、その全てが校則を破らない範囲で、劇的に可愛くなった委員長を賞賛するものだった。


「俺コクってみようかな?」


 そんな誰かの一言が、クラス中のフリー男子に火をつけた。


「おい、抜け駆けする気かよ」

「俺が先だろ?」

「いや俺が」


 そんな発言が飛び交う中、当の委員長はどこ吹く風で机に肘を突き窓から空を眺めている。そして時々小さくため息を付いていた。

 その様子を見て、巧実の元にやってきた裕也が尋ねる。


「昨日ラインさんと三人で帰ってたよな? その時なんかあったのか?」

「あ、ああ」

「今の委員長なら、だれでも落とせるだろうな。正直俺も――」


 そう言ったところで、裕也が素早く振り返る。そこには裕也の制服の裾を掴みながら、涙目で振るえる彩音の姿があった。

 そしてそれを見たクラスメイト達が、「ああ、これは始まるな」と覚悟する。


「裕也君。委員長に告白するの? そうだよね。今の委員長すごく可愛いもんね。それに面倒見も良いし、成績もいいし、私なんかが勝ってる所なんて、何もないもんね。うん、わかって――」

「彩音。屋上行こう」


 裕也は暴走し始める彩音の肩を抱いて教室を出て行く。

 何をする気なのか巧実は少し気になったが、どうせいつもの告白劇を繰り返すだけだろうと、意識を委員長に戻す。


「さて、どうしたもんかね」

「正直困ったわね。アーチは神出鬼没だし、会えてもまともに話し合ってる余裕は無いかもしれないわ」

「そうなんだよな。どうにか二人を引き合わせれば、ラインの行動も楽になるかもしれないんだけどな」

「どういうこと?」


 巧実の何気ない発現に、ラインが首を傾げる。


「由美がアーチを追いかけ始めれば、ラインに構ってられる時間が少なくなるんじゃないかと思ってな」

「ああ、そう言うこと。でも無理じゃない? 一般人が魔女を追いかけられるとは思えないし」


 追いかけられたら適当に視界から外れて、飛んでしまうなりどこかに隠れてしまうなりすれば、簡単に一般人など撒けてしまうのが魔女だ。それは一般人がいかに優秀で、魔女がいかに落ちこぼれであってもそれだけの実力差がある。

 それほどまでに魔女と一般人の間には明確な力の差があった。

 それを理解しているからこそ、ラインは由美がアーチを追いかけるのは不可能だと考えていた。


「そうか。でもアーチは魔法が苦手なんだろ? それなら魔法を使わせる前に捕まえれば」

「その苦手な魔法に今朝何もできなかった巧実が言う?」

「そうでした」


 ジト目でにらみつけられ、肩を窄めた。


   ◇


 授業が終わり放課後になると、由美はダッシュで日誌を提出し、すぐに帰って行ってしまった。声を掛けようか迷っていた巧実も、他の男たちも全員がそのタイミングを逃すことになってしまう。

 巧実はどうせまた明日会えるだろうと考えて、深く考えずそのままラインと下校することにする。


「それで、ラインはどうするか方針決まったのか?」


 聞くのはラインの魔女テストのことだ。由美の暴走で今までの計画が無に戻ってしまった以上、新しい計画を考えないといけない。


「正直あんまりいい案は出てないわ。また巧実のことが気になってる女子を探すにしても、今の私やもう見つけるのは難しいのよね。あの時は私が波紋になって他の子たちを刺激したから分かったけど、もうみんな慣れてきちゃってるし」

「そうだな。いっそのこと恋愛物から離れたらどうだ? 俺としては成績が上がっても幸せになれるぞ?」

「嫌よ。私は恋愛物で物語を紡ぐって決めてるもの!」

「そうか。まあ、俺は何もできないが、頑張ってくれ」

「ええ、もちろん!」


 ラインは自分の頬をパンパンと叩いて気合いを入れ直す。


「今日中には計画を決めて、明日からまた動き出すわよ!」


 町を歩きながら腕を振り上げるライン。そのラインが見た光景は、落下してくる鉢植えだった。それはまっすぐに巧実の頭上に向かっていた。


「巧実!」


 とっさにラインが巧実を突き飛ばす。突然の出来事に巧実は驚きながら路上に倒れ込む。そしてその直後に巧実のいた場所に鉢植えが落下し砕け散った。

 それを見て、目を丸くする巧実。


「な、なんだ!? 攻撃か!?」

「何の攻撃よ! って言いたいところだけどこれは……」


 ラインが頭上を見上げる。そこには高層マンションがあるが、パッと見ではどこの階から落ちてきたのか分からない。

 それ以上に、ラインは巧実の頭上ピンポイントに落ちてきたことが気になっていた。


「ちょっとどいて」


 落ちてきた鉢植えを観察する巧実をどかして、割れた鉢植えに手を向ける。

 そして集中して何かを探る。


「やっぱり魔法がかけられた痕跡があるわね……」

「魔法!? じゃあまさか!?」

「アーチね……何を考えているの?」


 下手すれば試験対象者が死にかねない危険な魔法に、アーチの思惑が分からず、ラインは唇を噛んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る