第5話
トントンと、リズム良くまな板を叩く音がする。鍋からは出汁の良い匂いがしていた。
朝食を準備する巧実は、制服の上からエプロンをかけた姿だ。これが女子高生のエプロン姿ならば感動も禁じ得ないが、野郎のエプロン姿だと途端に感動はマイナスに振り切れる。
そんなことを思いながら、巧実は起きてきたラインに声を掛けた。
「ふわ~、おはよう巧実」
「おう、おはよう」
巧実が振り返れば、そこにはすでに日宮高校の制服に着替えたラインがいた。日宮高校の制服はブレザータイプのものだ。色は濃い緑色になっており、落ち着いた雰囲気を醸し出している。その緑と、ラインの紅茶色の髪と良くマッチしていた。
そのラインは、クンクンと鼻を鳴らして笑顔になる。
「良い匂いね」
「すぐ出来るから、もう少し待っててくれ」
「手伝うわよ。何かやることある?」
「じゃあ、そっちのテーブル準備しといて。テーブルマットはそこの棚の中な」
ラインは指示通りに、巧実が指差した棚に向かうと、扉を開けて尋ねる。
「お父さんの分はいるの? 姿が見えないけど」
巧実の父の姿はリビングにも洗面所にもいなかった。それどころか、巧実以外の気配がこの家からしないため、ラインは尋ねたのだ。
「いらない。なんか結局、昨日から帰って来てないみたいだしな」
「あら、そうなの? 警察官も大変ね」
「この辺りじゃ凶悪事件なんてめったに起きないし、それほどでも無いみたいだけどな。まあ、強盗とかは時々起きるから、それに引っ張り出されてるんだろ」
「ふーん、まあ了解。じゃあ二人分だけ用意しとくわよ」
テキパキと二人で朝食の準備をする。そしてものの数分で食卓に料理が並んだ。
ご飯と味噌汁。玉子焼きに焼き魚と定番和食の朝食だ。
「ずいぶん張り切ったわね」
並ぶ料理を見て、ラインは驚いたように目を見開く。男の料理でここまでの物が出て来ることなど予想していなかったのだ。せいぜいが、匂いから味噌汁とご飯ぐらいだと予想していたのだ。
その言葉を受けて、巧実は心外だとばかりに眉を顰める。
「これぐらい普通に作る。何年作ってると思ってるんだよ」
「ふーん、これが普通なんだ。なら二週間は毎朝楽しめそうね」
「たまには手伝えよ。居候」
「あら、私は留学生よ?」
「バカ言え、試験の為に押し掛けてきてるだけのくせに。むしろ家に泊まること自体異常だろ。魔女なら裏からこっそりやれよ」
味噌汁を啜りながら、御椀の影からジトッとラインを睨む。
「魔女も進化してるのよ。それに魔女だからって常に裏からやる訳じゃないわよ。必要なときには表にも出て来るわ。ほら、どこぞの魔法少女みたいにね」
器用に箸を使って魚をつつくラインは、器用に小骨を取り除いていく。
「子供向けアニメかよ」
「ヒーローって物語的には最高でしょ」
小骨を取り除いた焼き魚を一口でほおばり満足そうに頬を緩ませるライン。
「ヒーローの新境地になれるな。魔法痴女ライン。大きい子供たちに大人気のタイトルになるぞ」
「ちょっ!? だから私は痴女じゃないって言ってるでしょ!」
巧実は一気に残った味噌汁を飲み干し、片づけ始める。
「ほら、そろそろ行かないと遅刻になるぞ、居候」
「あ! ちょっと待ちなさいよ!」
ラインも残った味噌汁を飲み干すと、巧実の後に続き台所へと食器を持って行った。
◇
巧実は学校まで、毎日徒歩で通っている。距離的には歩いて十五分ほどと、自転車を使っても問題なさそうな距離だが、自転車を使うには学校の登録が必要と言うことで、それを面倒くさがり歩きにしているのだ。
そのため今日は、ラインと二人で通学路を歩くことになった。
通学路は同じ学校の生徒や、サラリーマンの姿がちらほらと見える。電車通学の生徒は、学校の最寄駅が学校から五分以内の場所にあるため、学生の姿はまだ少ない。
しかしその少ない学生たちの視線は、噂の留学生へと注がれていた。その視線に、居心地の悪さを感じる巧実は、肩をブルッと震わせる。
「じろじろ見られるのは、あまりいい気分じゃないな」
「そうかしら? 私は良い気分よ、注目されるのって。だって私が美少女だって周りが大声で言ってるような物じゃない」
「それに付き合わされる俺の身にもなれ。嫉妬の視線が痛い痛い。それになんか、勘ぐるような視線も飛んでくるしな」
クラスメイトには、ラインがしっかりと説明をしたため納得されているが、噂には確証もなく、確実な情報も無い。そのため背びれ尾ひれがついてどのようになっているか分からない状況だ。そんな状況で来る嫉妬の視線。それに巧実は頭を抱えたくなった。
しかしラインは、そんな巧実の状態など気にせずにこやかだ。
「私の作戦が順調な証拠よね。安心しなさい。近いうちにこの変な視線は無くなるわ」
「何でそんなことが言えるんだよ?」
「そりゃ、巧実に恋愛物語を紡がせるからね」
そう言った時、突然後ろから声がかけられた。
「お、おはよう長瀬君。カティナリオさん」
二人が振り返れば、そこには髪を三つ編みにしたメガネの少女が立っていた。それは紛れもなく昨日ラインが話していた人物。
「おはよう委員長」「おはよう水瀬さん」
昨日言われた人物のいきなりの登場に驚きながらも、巧実は何とか平静を装って挨拶を返す。それに続いてラインはどこか得意げな表情で挨拶した。
「珍しいな。委員長が俺に声掛けるなんて」
「そ、それはカティナリオさんも一緒だったから」
頬を赤らめた水瀬は、ちらちらと巧実の顔を見ながら小さい声で言う。
それを巧実は、委員長の責任と取った。
「それもそっか。さすが委員長だな」
「私なら大丈夫よ。巧実君も、巧実君のお父さんもとっても優しい人で、楽しく過ごさせてもらってるわ」
「そっか、安心した。長瀬君って同じクラスになったのに、あんまり話したことが無かったから」
「そう言えばそうだな」
巧実が記憶をたどってみても、委員長の水瀬とは連絡事項以外で話した記憶はほとんどない。
「てか、その言い方だと俺が危険人物みたいに聞こえるぞ?」
「そ、そそそんなことないよ!」
巧実の言葉に、水瀬があわあわと両手を振って必死に否定する。それを見て長瀬はプッと吹き出した。
「ハハ、悪い。冗談冗談」
「長瀬君酷いよ……」
「そうね、巧実って鬼畜だものね」
ラインがにやにやしながら水瀬の意見に同意する。
「おいライン、それはいったいどういう意味だ?」
「あら? 言ってほしいの? ベランダの事とか」
その単語に今度は巧実が慌てふためく。ベランダの事と言えば、ぶら下げたまま放置したことだし、その後は何となくで揉んでしまっている。どちらもラインが自称魔女の痴女だと判断したからやったことで、それを知らない水瀬が聞けば、確実に巧実の評価は地に落ちることになる。巧実は冷や汗を流した。
「滅相もございません。そうですね私は鬼畜ですね」
半ば投げやりに言葉を吐く巧実。それを見て水瀬がくすくすと笑った。
「長瀬さんとカティナリオさん、ずいぶん仲がよくなったんですね。昨日の帰り際は苗字で呼び合ってたのに」
「ああ、二週間とはいえ一緒に暮らすしな」
「そうね。いつまでも他人行儀じゃ暮らしづらいもの。それに美味しいご飯も作って貰っちゃったしね」
「そう言えば長瀬君の家って……」
そこで水瀬は言葉を詰まらせる。言っていいことかどうか判断に迷ったのだ。それを感じて巧実は自分から話した。
「おう、母親はいないからな。俺が料理作ってるんだよ」
「見た目に寄らずかなり美味しいわよ。今度食べてみない?」
「ライン……俺はお前の料理人かなんかか?」
「違うの?」
「違うわ!」
平然と返してきたラインに突っ込みを入れながら、巧実たちは学校へと到着した。
昇降口から教室へ向かおうとしたところで、水瀬が足を止める。
「じゃあ私、職員室に寄っていくから」
「なんだ? 先生に何か頼まれたのか? 何なら手伝うけど?」
「ううん。昨日渡すはずだったプリントを渡すの忘れちゃってて、ちょっと渡してくるだけだから、長瀬君とカティナリオさんは先に行ってて」
「了解」
水瀬の言葉を受け、巧実は廊下を進もうとする。そこにラインが待ったをかけた。
「水瀬さん。いえ、由美ちゃん。私のことはラインって呼んで。せっかくお近づきになれたんだし、私も由美ちゃんって呼ばせてもらうから」
「良いの? じゃあラインさん長瀬君また後で」
「ええ」
由美が教室とは反対側へ歩いて行くのを見送って、巧実とラインは教室に向かう。
そして教室に入れば、クラスメイトの視線が一気に集まる。それは八割ラインで、残りの二割が巧実にだった。
ラインがその場で女子たちに囲まれるのをしり目に、巧実は巻き込まれる前にさっさと自分の席に向かう。
荷物を置けば、すぐに裕也が話しかけてきた。彩音はまだ来ていないようだ。
「なあ、昨日はどうだったよ?」
「どうって何が?」
「カティナリオさんと二人っきりだったんだろ?」
裕也の発言は、なぜかクラス全員がタイミングよく静まった時と重なった。そのため全員がその言葉を聞き取ってしまった。そして全員の視線がラインか巧実どちらかに向かう。その中で巧実は驚いた表情で裕也に詰め寄った。
「おい! 何でそのこと知ってる!? 親父の呼び出しは緊急だったはずだぞ!?」
「昨日夜中に、やけにサイレンが五月蠅くて目が冷めちまったんだよ。んで、ついでにコンビニに行ったら、その途中でパトカーが何台も停まってんの。なんでも暴漢が出たらしくてさ。んで、そこに巧実の親父さんがいたんだよ」
裕也の説明で、巧実とラインが夜に二人でいたことが確実なものとなった。
「カティナリオさん本当!? もしかして長瀬君に何かされちゃった!?」
女子生徒が冗談のように言ったその問いに、ラインは困ったように頬を赤らめて顔を伏せた。それが何を意味するのか。巧実ならばすぐに分かっただろう。これが巧実の周りを騒がしくするための演技だと。しかし他のクラスメイトはそんなこと分からない。だからこう考えた。
言えないことをされてしまったのではないかと。
実際にはそんなことが無いのはクラスメイトも分かっている。しかしここは無駄に体力の余っている高校生が集う場。与えられたイベントを逃すものはいなかった。
「長瀬君!」
「俺は何もやってないぞ!」
「じゃああのカティナリオさんのあの表情はなんなのよ!」
「どう見ても演技だろ!」
「留学してきたばかりのカティナリオさんが、そんな定番の日本文化に染まってるわけないじゃない!」
「……そ、それはお前」
実はラインが魔女で、自分の周りを騒がせるためにやったなど言えない。そんなこと言っても、誰も聞く耳を持たないのは分かり切っている。
「言葉に詰まるってことはやっぱり!」
女子たちの目に狂気が宿る。そして男子たちの目にも嫉妬と憤怒が。
「長瀬を捕まえろ! 何やったか詳しく聞き出すんだ!」
「長瀬君を捕まえるわよ! 去勢してやりましょう!」
男子も女子も巧実に迫る中、巧実は助けを求めるように教室を見回す。そこで視線にはいってきたのは、楽しそうな表情のライン。
「これがお前の望んだ物語か!」
ラインに向かってそう叫びながら、巧実は迫る女子たちの間を強引に突破。そのまま教室から逃げて行く。そしてそれを追う数名の男子と女子。
残った生徒たちは、楽しそうに巧実たちが走って行った廊下を見ている。
「長瀬君ってあんなキャラだったっけ?」
「もっとまじめな、勉強一筋の人だと思ってた」
「だよね」
からかわれ、必死になって逃げて行った巧実の感想を女子たちが漏らす。それを聞いてラインは順調に計画が進んでいることを確信した。
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