第3話
魔女との邂逅を経て翌朝。巧実はいつも通りの時間に目を覚ました。
ベッドの上でぼやっとしながら右手を天井に向けて伸ばす。そして何度か握っては開いてを繰り返し、ぼそっと呟く。
「やわらかかったな」
偶然にラインの胸を揉んでしまったが、その感触が今でもしっかりと手に残っていた。一目見ただけでなかなかのボリュームであることは分かっていたが、実際に触った時の印象は想像以上の感触となって帰ってきていた。
今まで恋人もおらず、もちろん誰かのモノを揉んだことも無かった巧実には、色々と衝撃的だった。
ラインの前だけは平然を装っていたが、その内心はずっとドキドキしっぱなしだったのだ。そしてラインが帰り部屋が静かになると、余計にその感触を思い出してドキドキしてしまっていた。その結果寝るのが遅くなってしまったのは言うまでもない。
「ああ、眠ぃ……」
しかし、いくら遅く寝たからといって簡単に生活習慣が変えられるはずも無く、巧実は仕方なく学校の準備を始めた。
巧実の通う日宮高等学校は公立の進学校だ。成績は中の上。有名大学への進学率も毎年何人か出ているそこそこに有名な学校だ。地元で日宮の学生だと言えば、まあまあ頭がいいことになる。
そんな進学校であっても、学生の気質は変わらない。
朝から部活に勤しむもの。朝を嫌い、遅刻ギリギリに教室に駆け込んでくる者。朝からしっかりと予習をしている者。その隣で誰かの宿題を写している者。適度に賑わいを見せるのが、朝のホームルーム前の教室だ。
しかし、今日巧実が教室にやってくると、その雰囲気が違っていた。
巧実が教室の入口から室内を見ていると、巧実に気付いた友人が話しかけてくる。
「おう、おはようさん」
挨拶をしてきたのは上代裕也。巧実の友人だ。知り合ったのは高校に入ってからだが、今は一番仲がいい友人である。巧実の勉強に時々付き合っているため、成績もまずまずの生徒だ。ルックスも良く、中学生のころは良く告白されたと自慢していた。しかし、高校に入ってからはすぐに彼女を作り、今はその彼女のおかげで告白は無くなっている。
挨拶をしながら巧実が自分の席に向かうと、裕也もついてきた。荷物を置いたところで、裕也に賑やかな理由を尋ねる。
「おはよう。今日はなんか賑やかだな」
「なんでも、この学校に留学生が来るらしいぜ。姉妹校からの頼みなんだと」
「留学生」
その言葉に、巧実は思うところがあった。それは昨日のラインの言葉。明日から楽しみにしていろと言っていたと言うことは、すでに何か仕掛けがされていたと言うことだ。
つまり、その留学生は十中八九ラインの差し金になっている。そこまで読んで、巧実は尋ねる。
「このクラスに来るのか」
「察しが良いな」
「まあな」
ここまで予想できる要素が揃っていては、外す方が難しい。それにこのクラスの盛り上がりは、ここまでの道で通って来た、他の教室よりはるかに大きかった。
「しかも日直が職員室でその子の事を見たらしいんだけどよ。めっちゃ可愛い子だったみたいだぜ」
「なるほど。容姿まで判明してれば、そりゃ騒がしくもなるわな」
男子に比べて、女子の盛り上がりがイマイチなのも、それならばうなずける。
「なんだ、反応が鈍いな」
巧実のパッとしない反応に、裕也が不満の声を上げる。裕也の予想では、他のクラスメイトと同じようにもっと盛り上がると思っていたのだ。
しかし、実際の巧実はそれほど盛り上がることも無く、留学生が自分たちのクラスに来ることも簡単に予想してしまった。
「まあ、お前の後ろに危険なオーラを感じていれば、嫌でも落ち着く」
「へ?」
まったく気が付いていない裕也に対して、巧実はそろそろ話してやろうと後ろを振り返るように促した。
それに従って裕也が後ろを向くと、そこには涙目の少女が一人。ふるふると小さく震えながら裕也を見上げていた。
小柄な体型は小動物を思わせ、そのピンクの髪が可愛らしさを演出する。
その少女は裕也をまっすぐに見ながら、涙目で訴えた。
「裕也君……私の事捨てるの?」
「はい!?」
その言葉に驚く裕也。少女はその裕也をよそに、ネガティブなマシンガントークを始める。
「だって、朝から他の女の子の事ばかり気にして……そうだよね。私みたいに小っちゃい子じゃ愛想尽かしちゃうよね。うん、分かってたんだ。裕也君が私なんかと付き合ってくれるなんて、本当はおかしな事なんだって。ヒック……きっと遊び半分でいつかは捨てられちゃうんだってことぐらいは、私もちゃんと予想出来てたよ。グスッ……だから辛くないからね。大丈夫だから言って。私の事なんかもう要らないって!」
「ちょっと待って彩音! 俺一度もそんなこと思ったことないから! 常に彩音が一番だから!」
「そっか……まだ私は裕也君の一番でいられるんだ。でも一番がいるってことは二番や三番もいるってことなんだよね。当然だと思うよ? だって裕也君格好いいし、器量も良いし、スポーツも出来るし、勉強も得意だもんね。二番目三番目がいたっておかしいことないよね。分かってるよ。でも怖いな。私って裕也君とは正反対で、勉強は苦手だし、運動もほとんどできないし、どんくさいし、きっとすぐに裕也君も飽きちゃうよね。何も言わないで裕也君、分かってたことだから大丈夫」
「違うから! 俺にとって彩音は一番で、二番も三番もいないから! 彩音が俺のオンリーワンだから!」
突然教室の後ろで始まった壮大な告白劇に、クラスメイトの視線が集まる。しかし、その視線は「なんだまたか」と言った者が大半だ。たまたま廊下を通り過ぎようとしていた他のクラスの生徒が何事かと見守る程度である。
何せ、裕也とこの少女、野乃風彩音の告白劇は今日に始まったことではない。
一週間に一度。早い時には三日に一度のペースで同じことを繰り返していたりする。
理由は簡単で、彩音がネガティブすぎるのと、裕也のラフさである。裕也は誰にでも優しく楽しげに接するため、彩音のネガティブな発想が爆発。勝手に最悪のシナリオを書きあげ、自分を振ってくれと迫ってくるのだ。そのたびに裕也は「お前が一番だ」や「俺がお前を必要としているんだ」など、聞いている側が赤面しそうな告白をしているのだが、彩音のネガティブ思考は一向に収まる気配を知らない。
さすがに一か月もすれば「またあいつらか」とクラスメイトも理解してなじんでしまった。そして最後は――
「お願い! 今だけは一人にさせて!」
「待って彩音! 俺の話を聞いて!」
彩音の泣きダッシュと、それを追って廊下を走っていく裕也でクラスの平穏は戻ってくるのだ。
そんなことをしているうちに予鈴が鳴り、担任がクラスに入ってくる。
「ほら、お前ら席に着け。あいつらはさっき出てったし、しばらくは戻ってこないか……あいつらももう少し落ち着いて付き合ってくれれば、こっちも文句は無いんだけどな」
いつの間にか慣れてしまった担任も、ホームルーム中に彩音たちが戻ってくるのを諦めていた。そして教師からの連絡を任されるのは、二人の共通の友人である巧実だった。
「じゃあホームルームを始める。日直頼むぞ」
「キリーツ。おはようございます」『おはっざまーす』
なんとも気の抜けた挨拶で、ホームルームは始まった。
そして特に重要なのか、重要じゃないのかよく分からない連絡を聞き、近くなってきた中間テストに対するありがたい心構えがもたらされた所で、とうとう我慢の限界に来た生徒が声を上げた。
「先生! そんな役に立たない心構えより、目先の少女が見たいです!」
「お前……面と向かって役に立たないって……」
色々と真面目に話していた担任が、目に見えてショックを受ける。教師歴二十年弱になるベテランだが、意外と撃たれ弱いのだ。
そして、生徒の熱意にはあっけなく負ける。
「はぁ……しょうがないか。留学生だもんな。じゃあ入ってきて」
「失礼します」
鈴のように鳴る声がして、扉が開かれた。そして全員の視線がそこに集中する。
針山のごとく突き刺さる視線の中、その生徒は入って来た。
緩くウェーブのかかった髪は、紅茶色。学校のミニスカートから伸びる眩しい足には、昨日見た太ももがあった。
視線を気にするそぶりも無く、悠然と入ってくる姿に、クラスメイトの全員が息を飲む。
留学生は、巧実の予想通りにラインだった。
「みなさん初めまして。ライン・リーズ・カティナリオと申します」
ラインはすらすらと黒板に自らの名前をカタカナで書き、綺麗なお辞儀と共に自己紹介をする。
「イギリスの姉妹校から留学してきました。日本語は得意ですので、怖がらずに話かけていただけると嬉しいです。二週間と短い期間ではありますが、よろしくお願いします」
完璧な自己紹介に、教室中から拍手が上がる。どこからともなく口笛や、ブブゼラも聞こえてきた。
「おい、今ブブゼラ鳴らした奴誰だよ!」
「きっとアプリ消し忘れてたんだろ。いいじゃねぇか」
その言葉に、笑いが起こり、和やかな雰囲気の中ラインの自己紹介が終了するかのように思われた。しかし、現実は甘くない。ラインの仕掛けはすでに始まっていたのだ。
「あー。カティナリオさんは長瀬の家に泊まることになっている。長瀬はしっかり面倒を見るんだぞ」
『…………はぁっ!?』
束の間の空白、そしてその後驚きの声はクラス全員が発したものだ。もちろんその中には巧実も含まれている。
このクラスで長瀬の苗字を持っている者は、巧実以外にはいない。つまり、留学生のホームステイ先は巧実の家で確定ということになる。
「なんで長瀬が驚いてんだよ!」
「そうだ! てか何で女子の留学先が男子生徒の家なんですか!」
「お前いったいなにした!」
等々、大量の苦情が一斉に巧実のもとに押し寄せた。しかし、それを言いたいのは巧実も同じである。
驚いた表情のままラインを見れば、ラインも巧実の方を見てにっこりと笑っている。
それを見て巧実は確信した。
これは面倒事以外の何物でもないと。
◇
「おい長瀬、どこ行くんだよ」
「親父に確認取る」
ホームルームが終わると、巧実は誰かから掛けられた問いに簡潔に応え、教室を飛び出していく。他の生徒たちは、ラインの元に行くか、それとも巧実に詰め寄るか迷った挙句、巧実を逃がしてしまったために、ラインの周囲に集まった。
「カティナリオさんはイギリス出身なんだよね!」
「ええ、そうよ」
最初にラインに質問を投げかけたのは、周囲の生徒の予想通り、クラスのムードメーカー的存在の下山美由紀だ。
美由紀の問いかけに、ラインはにっこりとほほ笑みながら慣れた様子で返す。
「やっぱりイギリスって紳士な人が多いの?」
「そうね。日本と比べると、エスコートが上手い感じはするわね。けど、紳士ばっかりとも言い切れないわ。下心満載で近づいてくる人もたまにはいるし」
「やっぱりそういう人もいるんだ」
「日本の女性は簡単になびくと思われてるからね、気を付けないと危ないわよ」
「それ以前にパスポート手に入れなきゃいけないけどね」
その質問を皮切りに、次々とラインに関する質問が投げられる。
それに無難な答えを返しながら、ラインは次の作戦をゆっくりと仕掛けていく。
「それにしても、なんでカティナリオさんのステイ先が長瀬の家なんだ?」
男子生徒の素朴な疑問。それは速攻で教室から出て行き、忘れかけていた問題を全員にもい出させた。
「そうだよ! カティナリオさんって長瀬と知り合いなのか?」
「いえ、長瀬くんとは今日が初対面よ。けど、長瀬くんのお父様と少し面識があるの。と言っても、私じゃなくて私のお父さんがだけど」
「それで長瀬の家に?」
「そうなの。急な留学の話だったのに、快く受け入れてくれたのよ」
「そうだったんだ。長瀬の親父さんって警察だったよな? イギリスとなんか関係あったっけ?」
生徒たちの間で、長瀬の父が警察なのは割と有名な話だ。小学生のころは交通指導なんかで学校に来ていることもあったし、たまにテレビに映ることもある。市の柔道大会などでは毎年優勝しているからだ。
「さあ、私もそこまで詳しくは分からないわ。父の付添いという形で知り合っただけだから」
「そっか。まあ、その辺り詳しくは長瀬から聞けばいいしな」
「その長瀬はどこ行ったのよ?」
美由紀が教室を見回すが、いまだ巧実は戻ってきていなかった。
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