第1話

 振り下ろされたステッキは、見事に巧実の頭を直撃し、綺麗なたんこぶを作り出していた。


「痛ぇ……」

「ふん! 自業自得でしょ。いきなり女の子のスカートを覗くとか、何考えてるのよ」

「いきなりスカートの中見せてきた痴女に言われたくはない!」


 巧実からすれば、突然現れてスカートの中を見せてきた不審者だ。むしろ今まで大声をあげなかったことを褒めてもらいたいほどである。

 しかし少女にはその物言いが気にくわなかったのか、顔を真っ赤にして怒りを露わにする。


「ちっ、痴女ですって!?」

「どう見てもそうだろ。そんな魔女のコスプレなんかして夜中にベランダに現れるとか、変質者も真っ青だぞ」

「コスプレなんかと一緒にしないで! これは私の正装よ!」

「そんな肩も足も出した格好のどこが正装だよ……ん?」


 呆れるようにつぶやいたところで、巧実の表情が急に鋭くなる。その変化に少女が焦ったように声を上げた。


「な、なによ。そんなにじろじろ見て」

「しっ、ちょっと待て」


 人差し指を自分の口の前にだし、“静かに”のジェスチャーをして、少女の声をいったん止める。そして巧実は耳に意識を集中させた。少女もそれを見て、同じように耳に意識を持って行く。

 トントントン

 少女の耳にもリズムのいい音が聞こえてきた。それは巧実の背後、部屋の外から聞こえてくる。


「おい、隠れろ。親父が来る」

「え? お、お父さん!? なら挨拶しないと」

「バカ言うな。つかお前は俺のなんなんだよ……そもそもこんな時間に女連れ込んでるなんて勘違いされてみろ。面倒なことになるのは目に見えてる」


 いつもは優しいが、厳しいところはしっかりと厳しいのが巧実の父だ。零時を回ったこの時間に、女性しかも巧実と同い年ぐらいの少女を部屋に招いていると知れば、確実に雷が落ちるだろう。しかも、怪しげなコスプレまでさせてるとなれば、何をされるか分かったものではなかった。


「むっ! それもそうね」


 少女はその可能性を指摘され、すんなりと納得する。まるで巧実の父のことを知っているかのような納得ぶりに巧実は疑問を持つが、今はそれを問い詰めている時間はない。


「分かったわ。私はいったん隠れるわね」


 そう言うと少女は、そのままベランダの手すりから飛び降りた。それも外側に。


「え? おい!」


 とっさにベランダから下を覗けば、少女はベランダに手を掛けてぶら下がっていた。


「これでバレないでしょ。巧実は早くお父さん何とかしてきて」

「大丈夫なのか?」


 主に筋力的な心配で、巧実は問いかける。


「これぐらい、なんでも、無いわよ。いいから、早く、して、よ」


 少女はそう言うが、微妙に腕が振るえているし、声も途切れ途切れだ。


「あー、分かった。急ぐから頑張ってくれ」


 それだけ言って、ベランダから部屋に戻る。それと同時に、部屋の扉がノックされた。


「おい、巧実。今の声なんだ?」


 巧実の返事を待たずして、扉が開かれる。そこにいたのは、巧実と同じぐらいの背丈をした四十代のおじさん。巧実の父、しげる


「さあ? 窓開けてたから外の声が入って来たんじゃない?」

「それにしちゃぁやけに大きかった気がするけどな」

「ンな事しらんし。てか親父は、俺が誰か連れ込んでるとでも思ってるわけ?」

「そうだったら面白いとは思うけどな」

「その面白いは、一方的に親父だけが楽しむもんだろ」


 父親の笑い声に、巧実はげっそりとする。


「そりゃ、勉強も出来て、生活態度も優良な息子が、こんな時間に女なんか連れ込んで悲鳴あげさせてりゃぁ、思いっきり指導できるからな」

「親父の指導はマジでごめんだ。あれは指導のレベル超えてる」


 茂の職業は、警察官だ。そのため、犯罪行為には非常に厳しく、体罰もかなり痛い物が来る。そのくせ跡は全く残らないような絶妙な力をかけて来るから救いがない。

 しかも、それを楽しんでいる節がある。巧実のちょっとしたS心も父親からの遺伝だ。

 おかげで巧実は、幼いころから優等生として生活してきた。成績でトップこそ取れないものの、確実に上位付近にはおり、生活態度は夜更かしをしても寝坊はしない。忘れ物もほぼ無いなど、あと少しで怒られるけど、そこまでは行っていないギリギリのラインを確実に付いてくる。

 おかげで通知表が五段階評価ですべて四になるなど、手放しでは褒められない程度に優秀な人間が出来上がっていた。


「まあ、巧実が何かやった訳じゃなさそうだな」


 父親は、巧実の片づけられた部屋を見回してそうつぶやくと、邪魔したなと言って部屋から出て行った。

 その足音が階段を下りていくのを確認した巧実は、再びベランダへと出る。そして外側に向けて声を掛けた。


「おい、もういいぞ」

「そ、そう」


 少女はそう言うが、一向に上がってくる気配が無い。その様子に巧実は首を傾げる。


「どうした、上ってこないのか?」

「上がるわよ。ええ、上がりますとも」


 しかし今度も言葉だけだ。そこで巧実は一つの可能性に気付き、ベランダの外側を覗き込む。そこには今までとは別の意味で顔を真っ赤にした少女がいた。


「お前――もしかして自力で上がれないのか?」

「そ、そんな訳ないじゃない!」


 少女は言うが、額には大粒の汗が浮かんでいる。腕の震えも、最初よりはっきりしてきていた。指先もゆっくりとだがズレてきている。もちろん外れる方へと。そしてなにより、声が裏返っていた。

 見れば明らかに落ちそうなのだ。しかし少女の、大丈夫だと言う言葉に巧実は従った。


「そうか、なら俺はお茶でも持ってくるから、それまでに中に入っててくれ」

「え? ちょ、ちょっと待ってよ!」


 ベランダから部屋に戻ろうとすると、少女が焦ったように声を上げる。


「どうした?」

「え、あの、えっと……」

「ん?」


 にやにやとした笑みを浮かべながら、少女を見下ろし首を傾げる。


「た、……けて」


 少女は、先ほどとはまた別の意味で顔を赤くしながら、小さくつぶやいた。しかし、その声は小さすぎるため、巧実の耳には届かない。巧実自身は何を言っているのか想像が付いているが、あえて分からないフリをしている。


「ん? なに? 聞こえない」

「う、うぅぅ……助けて」


 まだ声は小さなものだ。

 なので巧実は耳に手を当てて、さらに聞こえないアピールをする。

 その動きを見て、意を決したのか、それとも腕が限界に来たのか、少女は目をギュッとつむり、叫ぶように声を上げる。


「た、助けてください!」

「くふふ、仕方がないなぁ。けどそんな大声出すとまた親父が来るぞ」

「くぅぅぅううう……」


 やれやれと首を振りながら、巧実は少女の腕に手を伸ばす。

少女は巧実の顔を見ながら、悔しそうに歯を食いしばっていた。目尻には汗以外の輝く粒も見える。


「ほれ、一気に引き上げるぞ」


 グッと力を込めて、両手で一気に少女の体を引き上げる。しかし、ことのほか力が強すぎた。いや、どちらかと言えば、少女が軽すぎた。


「うぉ!?」

「きゃっ」


 少女は可愛い悲鳴をあげながら、巧実の腕の中に飛び込んできた。それを巧実は何とかキャッチする。しかし勢いに負け、二人はそのまま重なるように倒れ込む。


「痛っつ……」

「いたた……ひうっ!」


 頭に痛みを感じながら、そこを触ろうと手を動かした時、少女から変な声が出た。

 その声に反応して目を開けば、巧実の手は少女を抱くように背中に回され、そのまま胸の位置に到達していた。


「ああ、すまん」


 口では謝りながらも、胸に当てられている手を軽く握る。


「ひぁんっ! ちょっと! なんで謝りながら揉むのよ!」

「そこに胸があったから」

「何そのアルピニストな言い訳! 理由になってないわよ!」

「はいはい、とっとと起きてね」

「ちょっ! 人の胸触っておいてそれだけ!?」

「ん? 気持ちよかったとでもいえばいいのか?」

「いい訳ないでしょうが!」


 少女は声を荒げるが、巧実はそれを華麗にスルーし、少女の下から這い出て立ち上がる。そしてそのまま少女に手を伸ばした。


「ほれ、はよ立ち上がれ。暖かくはなってきたとけど、夜はまだ少し冷えるぞ」

「ベランダにぶら下げたまま、放置しようとした人のセリフじゃないでしょそれ!」


 そう言いながらも、少女は巧実の手を取り立ち上がる。


「気にすんな。それが俺だからな」

「はぁ……調べは付いてたけど、難儀しそうね……」


 少女はため息を一つ付いて、巧実と共に部屋の中へと入るのだった。


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