七、臨安無血開城

 襄陽陥落の翌年、一二七四年六月、世祖フビライから全幅の信頼を置かれていた左丞相バヤン(伯顔)が南宋征討軍司令官に任命され、江南めざして総攻撃を開始した。

 バヤンは二十万の大軍で、東西両道から侵攻した。東軍は陸路揚州をめざし、西軍はバヤンみずからひきいて漢水を下った。

 そして十二月、鄂州を攻略、念願の長江進出をついに実現したのである。

 

 その五ヶ月前の七月、度宗が死去している。

「よもやおぬしが手を下したわけではなかろうな」

 一真が軽い口調で揶揄した。生前、賈似道との間で確執があったことを知っている。

「なに、それほどの価値はない。ただの憤死だ」

 賈似道も軽くかわした。十年帝位にあったが、傀儡としてしか見てこなかった。それが、最後に賈似道にたてついた。思いかえしても不快感が甦る。

「胡妃が、討伐隊の派遣にこだわり、張欽に確認していたらしい。『珠璣巷の居民をみな殺しにせよ』と指示したのが度宗だったと知って、涙を流して憤ったと聞いている」

「それでこそ、度宗からひき離し、珠璣巷へ逃した甲斐がある」

「胡妃とおぬしは、いったいどういう関わりだ」

「胡妃の父胡顕祖はわしの母の従弟いとこだ。その遠縁の娘を、わしの政略で度宗に嫁がせたが、かわいそうなことをした。度宗があれほどのうつけとは思わなんだ。いずれ宋が滅びれば、宗家の一族として元に拉致される。まだ若い。やり直せるものなら、別の道を歩ませてやりたいと母から口説かれ、胡顕祖の同意も得たうえで尼寺に移した。胡昱も度宗の子と知れればただでは済むまい。結果としては珠璣巷へ逃して、間違っていなかった。こののち、たとえモンゴルの世になっても、ぶじ嶺南で生き続けてもらいたい」

 その母胡氏の死で、賈似道は喪に服している。

「で、おぬしは今回の一件、どう方をつけるつもりだ」

「宋朝は滅んでも、宋の民は残る。元軍にみな殺しになぞされてたまるか。われらの力を見せつけ、元への警告に使う。宋にも蒙古に劣らぬ強暴な男のいることを知らしめたい。『珠璣巷を血で洗い流せ』と示唆した張本人はこの賈似道だったと、わしを悪者に仕立て上げてくれ。謀反をたくらんだ珠璣巷いや牛田坊五十八ヶ村三万の住民がひと晩でみな殺しに遭い、無人の里になったと、虚実とりまぜ、思いきり吹聴してもらいたい。できればだれぞ名のある元の将軍に破壊の跡を見せておくとよい。悪名はすべて、わしがかぶる」

 それきり賈似道は口をつぐみ、ときを惜しむかのように書画の目利きに没頭した。

 ふと目をあげたとき、一真の姿はもう室内にはなかった。


 この年、日本は鎌倉幕府執権北条時宗の文永十一年にあたる。

 十月、元国の日本遠征軍が高麗の合浦がっぽ(いまの馬山浦)を進発している。文永の役、第一次元寇である。半年ほどの突貫工事で建造された戦船が大小九百艘、総勢二万六千の軍兵が対馬、壱岐を犯し、玄界灘に侵攻した。

 弘安の役、第二次元寇はその七年後、南宋の亡命政権が壊滅する翌々年である。元に降った范文虎が江南の軍兵十万、三千五百艘の軍船をひきいて参戦している。高麗軍と合わせ四千四百艘、十四万の大軍となる。

 両次の元寇とも「神風」の天佑を得て、日本ジパングはかろうじて元の凌辱から逃れている。

 見方を変えていえば、日本の海人はモンゴル海軍の人狩りを免れ、海洋国家として南洋へ雄飛する機会を棒に振った。代わって日本各地で割拠する水軍がみずから選んだ道は、東アジアの海陸を理不尽に踏みにじる、「倭寇」という名の偽倭人海賊集団の手下の道であった。


 その第一次元寇の時期、賈似道は喪に服している。度宗の逝去いらい母の死が重なり、府邸の門を閉じ、引きこもったまま動かなかったのである。皇帝と宰相不在のまま、南宋は年を越した。翌年初、恭帝が立った。五歳の幼帝である。祖母の謝太后が摂政となった。

 いやも応もない。賈似道がかつがれ、国軍総司令官として救国の難事にあたることになる。

「武張ったことはわしの任ではない、というてもせんないか」

 久々に外へでた賈似道は、各地から選りすぐった精兵十三万を集め、艦隊を組んで長江をさかのぼった。一族をひきつれている。もはや都へ戻る気はない。

 半閑亭に収蔵する書画は、一真に託した。

「後世に残してもらいたい。毀損や散逸を免れるためなら、元にひきわたしてもよい」

 一真は賈似道の身を危ぶんだ。書画とともに元に帰順せぬかと勧めた。

「かつてわしは襄陽を見捨てた。つぎはわしが見捨てられる番だ。南宋の命運がつきた以上、わしの役目は終わった。わしが延命したところで、絵にはなるまい。臨安の最後は見たくない」

 賈似道の面体から生への執着が消えていた。


 賈似道は、建康(南京)の南約百キロにある蕪湖ぶこで艦隊をとどめ、范文虎ともども駐守した。淮西長官夏貴が駆けつけた。かねての手筈どおり、元に使臣を派遣し、和議を請うた。フビライと談合した十六年まえの古証文を、引っ張り出したのである。

 バヤンはあっさりと拒否し、無条件降伏か総玉砕か、ふたつにひとつの選択を迫った。返事を引き伸ばすうちに元軍の総攻撃がはじまった。賈似道は七万の兵をくりだし、正面から受けてたった。蕪湖の西南約七十キロ、安慶との中間あたりに位置する丁家洲で両軍は激突した。ガス抜きの思惑がある。バヤンの憤怒を臨安まで残存させてはならない。

 勢いが違う。強靭な元軍をまえに宋軍はすくみあがり、なすすべなく敗退し四散した。范文虎が投降した。元軍は意気揚々、建康に入城した。

 宋都臨安は、建康の東南二百五十キロさきにある。勝敗はすでに決したに等しい。敗報を受けた臨安で、高官の逃亡が相次いだ。朝廷はひっそりと静まりかえっていた。

 賈似道は兵を引いた揚州で敗戦の罪を問われ、すべての職務を解任された。ここぞとばかり、反対派が賈似道の非をあげつらい、極刑に処すべしと主張した。いわく、

「鄂州の攻防戦において、理宗に諮らず独断で講和し、大勝利と偽って奏上した。その講和を隠蔽するために、交渉の再開を促す郝経を拘留し、発言を封じた。私邸で公務を行うなど朝廷を侮り、公私を混同した。賄賂を事とし、政治を堕落させた。云々――」

 しかし賈似道は、「三朝の老臣を殺してはならぬ」という謝太后のひとことで死を免れ、一族ごと広東循州(いまの河源市竜川県)へ流罪となる。そしてその配流の途中、福建漳州しょうしゅうの木綿庵で護送官鄭虎臣に殺害される。私怨によるものといわれている。

 いまその地に「宋の鄭虎臣ここに賈似道を誅す」との石碑が残っている。明代に建てられたものである。賈似道、享年六十三。


 一二七六年一月、元の本軍をひきいたバヤンは、臨安にせまった。

 対する南宋は、陳宜中ちんぎちゅうが軍総司令官となり、宰相となる。かつて流罪の身を賈似道に赦された学生六君子のひとりだが、青さがいまだに抜けない口説の徒である。

 文天祥、張世傑など憂国の志士が馳せ参じ、遷都・抗戦を叫ぶなか、あくまで和議に固執する陳宜中は、講和の使者として文天祥を元軍の本営に派遣した。

 降伏を前提として、「伝国の璽」はすでにバヤンのもとに渡されてある。

 しかし、バヤンは一顧だにせず、

「おれが南宋の止めを刺してくれる」

 首都を攻略し、南宋を覆滅するつもりでいる。

 一方の文天祥は、江西の知事をなげうって勤皇の義軍をたちあげ、救国一途に推参した硬骨漢である。堂々と胸を張って皇帝の助命と、首都の攻略を留まるようバヤンに嘆願した。敵陣で、いささかも臆することなく理路整然と説く文天祥をみて、バヤンは共感した。

 ――これは、男だ。

「人材は殺さず、厚遇して招聘せよ」

 日ごろ、フビライから言い付かっている。ただでさえモンゴルは人が少ない。それを補うには、「夷をもって夷を制す」ほかない。敵味方にこだわらず、逸材ならば登用せよと、いわれている。

「宋が滅びるには、理由がある。上下を問わず腐敗堕落した官吏の無責任で横着な態度には、われらもあきれ果てる。どうじゃ、元について、腐れ切った世の中を変えてはみぬか」

 ハガンは文天祥を陣内にとどめ、逆に投降を勧めた。

 しかし、「国亡与亡」を信条とする文天祥の決意を代えることはできなかった。

「国亡ぶればともに亡ぶ。わたしのことなぞかまわないで下され。都城は無条件で引き渡す。願わくは報復の虐殺など、わたしいちにんにお止めいただきたい」


 臨安入城をまえにして思案をめぐらすバヤンに、フビライから詔書がとどいた。

「あえて息の根を止めずともよい。南宋の自壊を待て。太祖チンギス・ハーンのご遺訓にもある。殺戮を戒めよ。さきごろ亡くなった劉秉忠がいまわのことばを残している。臨安は無血で接収せよ。平和裏に宋から元への政権移管を達成するのだ。漢土の富を絶やしてはならない」


 同じ年、元軍は臨安に入城した。抗戦派は度宗の幼い遺児兄弟を伴い、すでに脱出しており、一戦も交えずに元軍は平穏のうちに都城を接収した。元の本隊は城外にとどめ、最少部隊だけの入城だったから、臨安の市民は政権の交代を知らなかった。街の賑わいはつねとかわらず、賭博場の喧騒も衰えていない。ただし西湖の花舫に灯は点らなかった。

 南宋の三宮は、ひっそりと燕京(北京)へ護送された。幼帝恭宗、皇太后(度宗皇后)、太皇太后(理宗皇后)の三宮である。投降した夏貴が随行した。大宋国は実質的に滅亡した。


 首都を脱出した亡命政権は度宗の残りふたりの遺児、趙昰ちょうぜ趙昞ちょうへい(丙の上に日)を擁し、二百五十キロ南の温州、ついで西南に二百五十キロ先の福州、さらに西南に百五十キロいった泉州へと海岸線に沿って、元軍に追われるつど、転々と南下した。文天祥も帰順拒否のまま捕らわれたが、燕京へ護送される途中の鎮江で脱出し、温州で亡命政権に合流した。

 離散するものがあれば、新たに加盟するものもある。大宋の血族を戴いた遺臣とその家族・郎党二十万人は、艦船をつらねてあてどのない流浪の旅を強いられていた。

福州で恭宗の兄、十歳になる庶出の趙昰が即位した。端宗である。生母の楊氏が摂政となり、右丞相に文天祥、左丞相に陳宜中が任命され、張世傑、陸秀夫らが政権を支えた。


 文天祥と張世傑、陸秀夫の三名を合わせ、亡宋の三傑という。同じ要職にあっても陳宜中は含まない。国家存亡の大事にさいし、傑出した覚悟の有無が、人望の多寡を左右するのであろう。失地の回復に賭ける張世傑と陸秀夫は、いまだ旗色を鮮明にしない地方豪族や帰郷した高官に一縷いちるの望みをかけ、各地に使者を派遣し、積極的軍事支援を働きかけている。

 元軍の本陣でつぶさに敵の実力をみてきた文天祥は、もはや論ずることをやめ、私軍をひきいてゲリラ活動に専念した。モンゴル軍といっても戦闘員のほとんどは、同じ漢人である。敵の陣中に、身内の姿を見出す場合も珍しくない。優勢なうちは、見逃すこともあったが、劣勢ないまはかえって投降を説得される始末である。

 いずれにしせよ四の五のいってみても、奪われた土地は返らない。力で取り返すより仕方ない。大部隊同士の激突は、亡命政権には望めない。ならば、少数精鋭の不意打ち作戦―ゲリラ戦がうってつけである。文天祥は江西吉安の出自だったから、省を接する福建や広東には土地勘がある。土地に不慣れなモンゴル指揮官の部隊を狙い、縦横無尽に翻弄した。

「文天祥という将軍はえらい。いつモンゴルが攻めてくるかと、怯えていたから、戦勝のはなしを聞くだに、溜飲が下がるおもいだ」

 福州のいちでは、人が集まると、豪快に敵に立ち向かう文天祥の話題でもちきりである。

 しかし、文天祥の遊撃隊をもってしても、モンゴル軍の南下を止めることはできない。


 ひとり蚊帳の外の陳宜中も、負けてはいられない。

 泉州に密偵を送り、蒲寿庚ほじゅこうの動静を探らせた。泉州には趙氏をなのる宗室の縁戚が多く居住していたので、情報の入手は容易である。問題はいかにしてかれを説得するかにかかっている。

 当時、泉州は広州とならぶ、屈指の外国貿易港だった。西方からの帆船が、南洋経由でひっきりなしに来航し、交易の上がりで泉州の港は栄華をきわめていた。

 大食アラビア人を祖先に持つ蒲寿庚は、南宋の提挙市舶使(貿易管理長官)として三十年来、この港を仕切ってきた。自らも遠洋航海の船舶を数多く所有、大勢の配下を使って貿易に従事し、大邸宅で王侯なみの生活を楽しんでいる。

 生前の賈似道とは「つうかあ」の仲で、道楽宰相に多大な賄賂を惜しまず貢いでいたから、南宋の命運についても耳打ちされ、取るべき道を示唆されていた。

「本気で蒙古が攻め寄せれば、もはや宋朝は立ち行かぬ。無理に抵抗しても、悲惨な結果を生むだけだ。しかしフビライなら信頼して漢土を任せられる。のう蒲寿庚よ、おぬしは大食人だ。宋に義理立てすることはない。天下無敵の騎馬軍団に加え、フビライが切実に求めているのは水軍だ。自在に海上を疾駆できる交易艦隊をこそ、フビライは求めている。大食人なら色目人として重用される。操船技術があり、交易に長けた専門家を帆船付きで渡せば、蒙古は四海を制覇できる。おぬしが先頭に立って、国際交易を差配してみてはどうか」


 フビライは南宋を制覇したのち、南海諸国をも視野に入れ、すでに西方で自立しているイル・ハーン国などにつなぐ、海陸あわせた大モンゴル交易圏を構想している。

 ただし南海諸国については、あくまでも交易が目的であり、軍事支配は求めない。妥当な関税で自由な交易が保証される、安全な開港に合意をしてくれれば足りる。

 すでに南海各地には使節団を派遣し、平和的交渉の緒についている。ちなみにいくつかの南海諸国について、当時の地名を列挙してみたい。政争に利用され、軍事活動を余儀なくされた地域もあるが、いずれも交易目的の寄港地として記憶されている。

 安南(アンナン=北ベトナム)・占城(チャンパ=ベトナム中部)・真臘(シンロウ=カンボジア)・暹羅(センラ=シャム)・蒲甘(ビルマ)・渤泥(文莱=ブルネイ)・爪哇(ジャワ)・三佛斉(パレンバン=インドネシア)・天竺(インド)・・・。


 二年前の日本攻略の真意が海人狩りにあったとすれば、賈似道の説は納得できる。

 陳宜中の使者が面会を求めてきたが、蒲寿庚は無視した。

 バヤンの使者が来たと執事が告げたとき、蒲寿庚は腰を浮かせ、元の使者を招き入れた。




 







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