六、千人の刺客

 臨安の宮廷で度宗たくそうは病の床についていた。胡妃を尼寺に追いやってから二年たっている。

 度宗は悔いていた。賈似道に恫喝され胡妃を追放したが、いなくなってはじめてその存在の大きさに気づいたのである。気鬱がたまり病の床に臥すと、胡妃への想いはいや増した。

「胡妃を戻す」

 度宗は賈似道には告げず、ひそかに詔勅を発し、胡妃を迎える使者を妙浄庵におくった。

 尼寺に胡妃はいなかった。度宗は意地になった。尚書令(秘書長)張欽に命じ、胡妃のゆくえを探索させた。訴人があり、南雄珠璣巷に隠れていることが、度宗に告げられた。

「かならず胡妃をとり戻せ。珠璣巷を襲って加担した住民をみな殺しにせよ」

 張欽ひきいる千人の討伐隊が編成され、珠璣巷にむかった。戦時下である。軍隊の出動を疑問に思うものはいなかった。

 この消息が賈似道の耳に達したころ、討伐隊はすでに臨安をあとにしていた。

皇上おかみがご自身でなされたよしにございます」

 注進におよんだ度宗の近臣は、賈似道の顔色を不安げにうかがった。

「いらざることをなされる」

 賈似道はすでに度宗を見限っていた。

「この始末、お願いできようか」

 嶺南羅浮山から戻った一真に頭を下げた。

「討伐隊の千人を闇に葬るか」

「さよう。宋にも元に劣らぬ殺戮軍団のあることを知らしめてくれる。豊穣の珠璣巷を無人の珠璣巷と化し、豊穣と殺伐の双方を見せてやり、どちらに価値があるかをフビライに教えてやりたい」


 千人の討伐隊は目立たぬよう小部隊に分かれ、船で南下してきたが、陸路大余県境で集合した。襲撃の目的地まで、残すところ三日の行程である。いくさじたくで士気を高め、大庾嶺だいゆれい越えに臨んだ。しかしその意気込みは梅関の関所で頓挫した。南雄の官兵による執拗な検問で足止めを食わされたのである。

 張欽はひっしに抗弁したが通じなかった。言語が違ったのである。

 広府語つまり白話バイホワといういまの広東語だと、中原や江南のことばとは明らかに異なる。まったくといっていいほど通じないのである。

 日中いっぱい余計な時間をかけようやく梅関を通過した討伐隊は、深更、暗闇のなかを休まず珠璣巷に向かった。携行した糧食は尽きていた。山の麓に千人を収容できる旅宿はなかった。ともあれ村に近づいて、腹だけは満たしておきたい。

 羅浮山の道士が隠れるでもなく、なかば堂々とあとについていた。道々その数はさらに増し、数十人となって討伐隊を牽制した。

「道士がなにゆえわれらを追うか」

 張欽は背後に気をとられながらも、さきを急いだ。道士のうしろに近在の土豪の群れがついていることには気づいていない。

 その数日まえから羅貴は奔走していた。牛田坊の五十八ヶ村を駆け巡り、緊急の南遷移住を説得し続けていたのである。討伐隊の照準は珠璣里九十七戸に向けられているが、被害がその他の村におよぶ恐れがある。

 南雄の知州(知事)は事前に討伐隊から通告を受けていた。

「珠璣巷に謀反の動きあり、中央政庁直属の討伐隊を派遣し、誅滅する。知州の官兵はいっさい手出しをしてはならぬ」

 という屈辱的な通告である。珠璣巷は明らかに珠璣里全体をさしている。

 知州はこれを無視して、関の警護に通常の数倍の官兵を出動させた。故意に検問に手間ひまをかけ討伐隊を足止めした。その間に村人を無事に逃散させよう、との時間稼ぎが目的である。

 移民の中継地南雄の存在価値は、南遷者の平穏な受け入れと安全な送り出しにある。多くの人々の生命と財産、それにくわえて先進的な農耕技術と豊かな中原文化を珠江三角州に移管する、この伝統を保持することが中央政庁の意向より優先した。知州はとうぜんのように、羅貴の奔走をあと押しした。


 羅貴の出自は、王侯でもなければ将相でもない。富商豪紳ともいいがたい。現に貢士あがりの一介の武人にすぎない。ただ仁義を旨とする志が珠璣里の人々の危難にさいし、身を挺して立ち上がらせている。衆をまとめて南遷を領導するのは、頼まれ仕事ではない。

 もともと羅氏は、宋初、武器を捨てて致仕し、南雄珠璣巷に隠棲した開国の功臣、節度使羅彦環らげんかんを祖先にもつ。のち七代を経て南宋の代に、羅氏の後裔は吏部尚書を拝命する。その前後にあたる紹興元年(一一三一年)に、羅貴は珠璣里九十七家三十七姓をひきつれ南遷している。総勢千余名の大集団である。羅貴一家だけでも男女合わせ十九人いる。咸淳八年(一二七二年)の胡妃事件は、その百四十一年後である。明らかに羅貴は、同名異人が複数存在した。大事に臨み、英名を踏襲したものとみてよい。

 さらにのちのことだが明代にいたり、羅氏は功により錦衣衛きんいえいの要職を世襲したと『羅氏族譜』に記されている。ちなみに錦衣衛とは明代の禁衛軍のひとつで、いわば秘密の武装公安警察である。武技の家門の伝統はひそかに承継されていたのである。


 珠璣里で黄貯萬の屋敷のはす向かいに曹家の邸宅がある。曹家は三国時代に司馬懿しばいが魏国を簒奪したのち、逃れて南遷した曹操の後裔である。一族あげて、いまだに刀槍の鍛錬を欠かしたことがないという武人の血脈を保持している。貯萬は討伐隊の肉迫していることを告げ、助力を請うた。曹家の長老は、知勇兼備の自慢の息子曹汝端そうじょたんに命じ、協力を約した。

「義によって助太刀いたす」

 仔細を聞いているわけではない。しかし黄貯萬一行のなかに準平をみとめた汝端は、なんの疑念も持たなかった。ふたりは武挙の受験仲間だった。


 南雄に南遷した氏族のうち代表的なものに三氏ある。珠璣里の羅氏、大塘平林の孔氏、烏逕うけい山下の葉氏である。

 孔氏は山東曲阜の孔子の後裔で、平林村に孔林書院を創設し、子弟に儒学教育を施した。少なからぬ人材が科挙に挑み、多数の合格者を輩出した。教育事業の創始者といっていい。

 烏逕の葉氏の祖先は浙江出身の葉浚ようしゅんで、唐末に厓州がいしゅう都督をつとめた。三子あり烏逕入植後、長子は荒地を開墾し農業の振興につくし、次子は南雄の地勢をみて物流に着目し交易で成功、末子は五代十国の南漢政府(首都広州)に出仕し、千夫長(千人隊長)となって境域を保全し民を守護した。代々それぞれの事業を継承し、子孫は繁栄した。


 羅貴はこの両家に危難を訴え、援護を求めた。両家とも討伐隊の直接目標からは外れているが、縁あって南雄に南遷した氏族同士である。快く協力要請に応じた。

 武器は用いずとも、智謀をもって援護はできる。討伐隊を足止めし、士気をくじくだけでも、所期の目的は達成できるのである。

 孔氏は、「朋あり遠方より来たる。また楽しからずや」と自前の故事をひきだし、討伐隊をいくつかに分けて饗応接待を引き受けた。戦をまえにしての戦闘集団である。食事だけで済むはずがない。酒が入り、酌する女が呼ばれた。酔えば時間は延びるし、座も乱れる。文官にいいようにあごで使われる日ごろの鬱憤ばらしにはじまり、蒙古の脅威、国家の行く末、わが身の振り方、はては討伐隊の意義にまではなしはふくらんだ。葉氏は家業の範囲が広い。士気のくじけた隊員に、部隊を離脱して家業にくわわらぬかと耳打ちした。

「胡妃さまの救出はよしとして、村人のみな殺しは乱暴ではないか」

「わしらは国を守る戦だとばかりおもっていた。武器をもたぬ村人あいてにどう闘う」

「蒙古が都城を襲っても、抵抗せねばみな殺しにはあわないと聞いている。だとすれば、わしらは蒙古のうえをゆく悪辣な所業をなすことになる。のちのち、とがを受けぬ保証はあるか」

「この近在はひなびた蛮地とはいえ、中原のおもむきがある。なにより食い物がうまい。いずれ一族をひきつれて南遷しても、じゅうぶん暮らしてゆけるのではないか。さすれば、のちに怨まれぬよう、手加減しておくにこしたことはない」

 飲み明かした翌払暁、腰を上げるものはなくそのまま寝につき、夕方近くになってようやく三々五々、部隊は集結した。すでに脱落者が出はじめていた。


 一方、黄貯萬らは密議をこらし、南遷の作業を進めていた。胡妃母子と殺戮対象となっている珠璣里の居民を助け、一気に村を離脱するのである。一村九十七戸の居民五百人と牛田坊五十八村のうち南遷を希望する五百人、あわせて約千人が移動する。

 南雄を東西につらぬく湞水の支流が牛田坊を潤している。沙水である。ここから湞水を経れば、南に流れる北江につながる。知州が南雄中に呼びかけて集めた小船と、竹で組んだ急ごしらえの筏を川べりに浮かべ、いくつもの渡し場から家財道具を積み込み、人が乗り込む。そしてぶつからぬよう竹竿を使い一艘ずつ方向を定め、漕ぎ出すのである。

 沈みゆく太陽が西山に真紅の後光を放つころ、沙水の渡し場から船筏が姿を消した。黎明からのごった返しが嘘のような静けさである。南遷する居民はすべて水面を下っていた。


 沙水の川べりに胡妃が残った。

 特殊指令を受けた討伐隊の存在をはじめて知り、舟を引き返したのである。

「わたくしひとりのために、村人を巻き添えにしてはならない」

 討伐隊は胡妃の奪還が任務である。黄貯萬や羅貴を謀反人と名指し捕縛しようとしている。討伐の対象者はこれに止まらない。「事情を知る珠璣巷の居民をみな殺しにせよ」との非情な特命であり、「珠璣巷を血で洗い流せ」と下知されているという。知州の使者からその指令を聞いた胡妃は、驚きと怒りで心の震えを禁じえなかった。

皇上うえさまにもうしあげたきことがございます。お伝え願います」

 珠璣巷に戻り牌楼のまえで、討伐隊を統率する尚書令張欽の到達を待ったのである。黄貯萬と羅貴が胡妃の左右を守り、黄準平と曹汝端以下腕に覚えの若武者らが背後を固めた。胡妃に付き従っている小梅をくわえても、総勢二十人に満たない人数である。羅浮山の道士は珠璣巷と珠璣里の要所に陣取り、村の危難に備えている。

 張欽が側近の十人をひきつれ牌楼に歩み寄った。

「胡妃さま、お迎えにあがりました。陛下がお帰りを待ちかねておいでです」

 相手を小人数とあなどり挨拶もそこそこに、いきなり胡妃の腕をとろうとした。

 胡妃はきっとして、これをはねのけた。

「尼となり、いちどは仏門に入った身なれば、ふたたび皇上にはお会いできませぬ。しかしおそれながら、皇上にはひとこともうしあげたきことがございます。珠璣巷の居民をみな殺しにせよとは、皇上のおことばでございますか。それとも宰相賈似道のことばですか」

 張欽をにらみつけ、真偽を糾したのである。

「陛下おんみずからお命じになったことです。陛下はいたくお怒りであらせられます」

「お近くにあって、なにゆえそなたらはお諌めせぬか。衆生の命をなんとお思いか」

 賈似道のことばであってほしかった。胡妃の目から涙がひとすじ頬を伝って流れた。

「皇上にはひとを慈しむお心がありませぬか。ひとの道を外して、なんで天下が保てましょうや。あまたの民草に慕われてこそ、一天万乗の天子さまではございませぬか」

 そのまま宮中にいれば、これほど憤ることも悲しむこともなかったであろう。人間じんかんに出てはじめて人の情けを知り、愛憎を素直に表現できるようになったのである。

「皇上は人の命をもてあそぶ鬼畜とおなりか。それに仕えるそなたらは地獄の羅刹らせつか」

 悪しざまなことばが胡妃の口をついてでた。じぶんでも驚くほど、思いがけなかった。胡妃はいま度宗とまったく反対の側に立っているじぶんに気づいていた。

 度宗と過ごした臨安の宮廷は豪華に見えて、じつは幻の楼閣にすぎなかった。安全であっても自由のない小さな鳥かごに似ている。人は愛玩動物ではない。じぶんの意思で自由に行動すべきである。出家した尼寺では、まだ度宗の庇護下にあった。南遷した珠璣巷で、はからずもかけがえのない自由の存在を知らされた。むろん代償は小さくない。

 胡妃はじぶんから度宗と別れたわけではない。出家も還俗もじぶんの意思ではない。しかしいまここにあえて立つじぶんは、紛れもなくじぶんの意思でここに立っている。

 度宗との縁をじぶんで切って、はじめて手にした自由である。迷いはあるが、すでに命を懸けている。高ぶる胡妃の感情をよそに、張欽は威丈高に決めつけた。

「いまのおことばは陛下にたいし不敬である。おそれながらご謀反の動かぬ証拠とみた。他の謀反人ともども捕縛してつれ帰り、陛下のお裁きを受けていただく」

 このひとことで胡妃の迷いは吹っ切れた。晴ればれとした顔つきで断言した。

「皇上にお伝えください。胡菊珍は皇上と決別し、自由に生きてみせましょう」


 千人を欠いたとはいえ、圧倒的多数の討伐隊の面々が、十重二十重に珠璣巷を取り囲んでいる。薄暮がしだいに闇を濃くし、手にした松明に火がともされた。

「歯向かうものは容赦するな。かかれっ」

 張欽は大声で号令した。捕縛するのは胡妃と首謀者数名にかぎられる。大多数の居民は、すべてこの場で斬り捨てる。既定方針に変更はない。討伐隊は抜き身の刀をさげて、民家に殺到した。しかしいずれも、もぬけの殻である。

「いないぞ」

「隠れ家を捜せ」

「隣の村に逃げ込んだかも知れぬ。周りをあたれ」

 居民の大多数は農民である。多少の抵抗はあろうかと身構えていた討伐隊も、やや気落ちして間延びした声だけを張り合った。羅浮山の道士は火付けや打ち壊しなどの狼藉から民家を保護するため村の要所に張り込んでいる。直接の戦闘にはくわわっていない。

 突然、断末魔の叫びがあがり、怒号が沸き起こった。討伐隊が敵を見つけ、実力行使におよんだらしい。暗闇のなかで金属音が響き渡り、火花が飛び交った。

 やがてその範囲は珠璣里の村全体に広がった。村側の加勢が大挙して駆けつけたのである。一真の示唆で張鎮孫が糾合した近在の土豪たちである。寄せ集め軍団といっていい。もともと元軍の侵攻にそなえ、宋朝のために決起志願した勤皇の民間有志たちであるが、いまは宋も元もない。郷土を敵の蹂躙と破壊から守るため、張鎮孫の呼びかけに応じたものである。討伐隊の背後に迫り、動静をさぐっていたが、討伐隊が動き出すのを見て囲みを破り、村のなかに飛び込んだ。勢いが違う。断末魔の叫びは討伐隊のものである。

 ときが推移するにつれ有志の数はいやましに増え、やがて討伐隊の人数を上回った。もっとも数は力とはかぎらない。烏合の衆では力にならない。

 これを張鎮孫は、五人でひとつの最小単位とし「」を組んだ。敵に当たるときも引くときも団体で同一行動をとらせたのである。いうまでもなく周代の軍制にもとづいている。ついでにいえば、五「伍」二十五人で「両」、四「両」百人で「卒」、五「卒」五百人で「旅」、五「旅」二千五百人で「師」である。五「師」一万二千五百人で一「軍」が構成できる。

 さらに討伐隊を包囲するにさいし、退路を残した。完全に包囲し、敵を「死地」におくことを避けたのである。

「死地」とは、脱出する道―退路のない地域である。逃げ場がなければ、人も動物とかわらない。死に物狂いでひっしに戦う。退路があれば、逃げることに夢中になり、戦意を失う。

 南雄の県城から珠璣里を経て大庾嶺に通じる街道がある。この街道に抜ける道を退路とし、見張りを外した。道が暗くては分からないだろうとご丁寧にかがり火をおいた。

この親切があだとなった。灯りを見て討伐隊は敵の誘いととった。暗闇のなか退路を進まず、あえて迂回し敵と遭遇、斬りあった。

 張鎮孫も討伐隊も同じ朝臣である。

 ――ためらわず、逃げてくれ。

 張鎮孫の思いは通じなかった。


「胡妃さま、いざ胡昱さまのもとへお戻りを」

 黄貯萬と羅貴が胡妃をうながした。舟に香苗と胡昱を残している。度宗の言質を確認した以上、ここに長居は無用である。われにかえった胡妃は、うしろの南門に向かって珠璣巷の通りを駆けた。黄貯萬と羅貴が楯となってその場を防ぎ、黄準平と曹汝端が胡妃のあとを追った。羅衛以下羅浮山の道士が街路とおりの両側に立ち、祠堂を守っている。それぞれが、いつもの錫杖にかえ槍や矛を手にしている。南門をすぎると前方から討伐隊の男たちが殺到してくる。黄準平と曹汝端が胡妃を追い抜き、立ち向かう。

「胡妃さま、こちらへ」

 乱戦のはじまる直前、小梅が胡妃を一軒の祠堂に招きよせた。

「裏の出口から沙水に抜ける隠し道があります。そこを伝ってお急ぎください」

 胡妃を裏から押しやり、表へ出るとひとりの道士に目配せした。

「ここはわたしが討伐隊の注意を引き寄せます。どうぞ胡妃さまをお守りください」

 小梅は胡妃に似た背格好である。松明だけが頼りの暗闇のなか、衣装を似せれば、ほとんど胡妃にしか見えない。あえて小梅はおのが姿を討伐隊に見せつけるようにして、やにわに南門の外へ向かって駆け出した。

「胡妃さまだ。胡妃さまを追え」

 目ざとく見つけた討伐隊を尻目に、その目のまえで井戸に飛び込み、自害したのである。


 討伐隊と張鎮孫の土豪軍団は、夜を徹して斬りあった。

 土地に不慣れな討伐隊は不利な条件下で戦い、逃亡者と張欽を除く全員が討ち死にした。

 事後、張欽は度宗への報告のため、生かされた。詰め腹を切らされるのは承知のうえで帰任し、敗戦報告をした。報告が終わるや、その場で舌を噛み切り、自裁した。

 土豪軍団の被害は軽微であった。ことに羅浮山の道士はいずれも無傷である。

 黄貯萬は小梅が飛び込んだ井戸を守って、斬り死にした。黄準平は香苗とともに胡妃と胡昱を助け、沙水を下った。羅浮山の道士たちが水陸から護衛した。

 助力した曹汝端は同志とはかり、こののち張鎮孫の抗元勤皇党に身を投じた。

 羅貴は南遷移民千人を珠江流域に送り届けるため、さきを急いだ。川といっても波は立つ。ときに狂風にあおられ、豪雨に叩かれることもまれではない。筏は解体し、放り出されて溺水するものも出る。自然の災害から人々の生命と財産を守らなければならない。水賊が出没する難所もある。羅貴以下武術の達者は、逃走集団を庇護して立ち向かう。はじめの一団を送ったあと、羅貴はもと来た道を引き返す。次の一団が出発を待っている。

 この時期、羅貴は牛田坊の居民三万の珠江流域への南遷をやり遂げる。


 ことのしだいは、羅浮山の道士たちによって、胡妃に伝えられた。

 小梅は井戸から浮かばなかった。父と妹を同時に失った準平は、悲しみを隠さず、号泣した。慰めのことばも見つからず、胡妃もまた泣いた。

「わたくしのためにかけがえのない肉親を亡くされました。とても償いきれません」

 胡妃は抱いていた胡昱もろとも、船べりから身を投じようとした。一瞬、準平がうしろから胡妃を抱きかかえ、かろうじて押しとどめた。

「胡妃さまのためだけではありません。父も妹も珠璣巷のために、珠璣里の人々のために命をかけたのです。わたしは誇りに思います。どうか、このふたりの分まで生きてください。胡昱さまともども、これから遭遇するであろう新たな世を生き抜いて見せてください。わたしは生涯通じて、どこまでもお仕えいたします」

 胡妃は向き直ると、胡昱を抱いたまま準平の胸に飛び込んだ。香苗はそっと胡昱をひきとった。胡妃と準平は互いの目を見つめあった。涙の乾いたふたりの瞼に、互いをいたわる慈愛の心が浮かんで見えた。舟は勢いを増して、なおも漂流しつづけた。


 胡妃の身代わりとなって井戸に飛び込んだ小梅の死を悼み、石塔が建てられた。

 胡妃の石塔は、珠璣巷南門のそばにある。小梅が身を投げた井戸は埋められ、その上に高さ五メートル三十、七層八角、十七個の紅砂岩で築かれた石塔が建っている。胡妃の事件から七十七年後、元代に建てられたものだという。

 伝説では、胡妃自身が飛び込んだ井戸として、祀られている。


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