第4話 トイレの個室にて 4

藤城の森。

咲耶市の東を流れる湯川に沿って広がっており、そのほとんどは開発される事なく昔の姿をとどめている森である。

寧々の言った公園は、その森沿いにある僅かに窪んだ部分に作られていた。

周囲に民家がまばらにしかないのと、背後に重く重厚な森が控えている事が相まって、どこか陰気の感じがする場所だ。

利用する者を見かける事は少なく、立ち寄ると言えば散歩途中の老人くらいだろう。

その日もやはり人気はなく、風に吹かれたのか、僅かではあるがひとりでに揺れるブランコがなんとも不気味な雰囲気を醸し出していた。


「まだ来てない、か」


授業が終わった後、自転車をとばして公園まで一直線にやって来たおりつだったが、寧々の姿は見当たらなかった。

考えてみれば、寧々も同じ学校で授業を受けているのだから、終わるのはほぼ同じ時刻になるわけで、

それならこの暑い中を、わざわざ急ぐ必要はなかったのではないだろうか。

おりつは少しバカらしくなり、公園の時計に目をやった。

時刻は4時半前。ここにきて5分も経っていないにもかかわらず、既に汗が引いている。

心地の良い涼しさとは違う、ひんやりとした空気に体温を奪われる気がして、あまり長居はしたい場所ではないとおりつは思った。

ぶらぶらと歩き回ったり、遊具にちょっかいをだしているうちに、背後でがちゃがちゃと自転車を停める音が聞え、おりつの耳がぴくりと反応する。

音のほうへ歩いていくと、寧々はその気配に気づいたのか、お待たせして申し訳ありませんと、肩で息を切らしながら頭を下げた。

おりつを待たせまいと、懸命にペダルをこいできたのかもしれない。


「あたしもさっき着いたとこだし、気にしなくていいよ」


嫌味の一つでも言ってやろうと思っていたが、寧々のその姿をみるとその気は失せてしまった。


「それで、バイトってのはこんなとこでやるわけ?見たところ店があるってわけじゃなさそうだけど」


まさか公園の掃除というオチだろうか。おりつの目は自然と隅に建てられている公衆トイレへ向けられた。


「まずは見ていただいたほうが早いと思います。でも、その前にコレ、飲みませんか?途中で買ってきたんですよ」


そう言うと寧々はバックをごそごそとやり、おりつに炭酸飲料を差し出した。

ありがとう、とおりつは受け取ると、早速蓋を開け、乾いた喉へと流し込む。

きんきんに冷えているため、甘みは後味を残さずスッと消え、炭酸が弾ける度にちょっとした刺激が舌や喉へと走る。

それがなんとも心地良く、ぷはっと満足げにおりつは息をはいた。

寧々に目を向けると、彼女はお茶を手にしていて、やはり同じくおりつへと目を向けていた。

目が合うと、寧々は照れくさそうに視線を外す。


「私、炭酸って苦手なんですよね。一度飲んだ事があるんですが、どうしてもあのパチパチとした刺激に慣れなくて」

「ふーん。そのパチパチってやつが美味いのにな。これがなくちゃ、ただの茶色い砂糖水だぜ?うちの弟なんて、よく蓋を開けたまま放っておくからさ、次の日におふくろに怒鳴られて、しかめっ面をしながら気の抜けたやつを飲んでるよ」

「ふふ、おりつさんのお家は毎日楽しそうですね」

「楽しいというより、やかましいってやつだな。あれは。朝も夜も怒鳴り声か泣き声で、勘弁してほしいよ。ほんと」


おりつは宙を仰いだが、本当にうんざりとした様子はなく、どちらかといえばその日常が彼女にとって心地いいのだろう。


「さて、ジュースもご馳走になった事だし、そろそろそのバイト場所へ行こうぜ。ぐずぐずしてると日が暮れちまいそうだしな」


おりつの言うように日が暮れるというわけではなかったが、公園内はうす暗く、早くも昼の終わりと告げているようだった。

寧々は立ち上がり、背後に広がる森へと顔を向ける。木々は互い違いに生い茂り、寸の先も奥を見通すことはできない。

それはまるで、森が外部からの侵入を拒んでいるようにも感じられる。


「そうですね。それでは行きましょうか。あ、おりつさん虫よけスプレー使います?これ良く効くんですよ、私って虫に刺されやすいタイプなんですけど・・・」


おりつはまた始まった、と言わんばかりの表情を浮かべ、相槌を打ちながらも寧々を急かした。

虫よけスプレー独特の苦い臭いを残し、二人は木々の間へと消えていった。




もう10分以上は歩いているだろうか。

それでも寧々に立ち止まる気配はなく、迷うことも、地面を走る木の根に足を取られることもなく、奥へ奥へと進んでいく。

果たして本当にこんな場所でバイトと呼べるものがあるのだろうか。

間違いなく言えるのは、決してコンビニやスーパーで万引きを捕まえるのではない、という事だけだ。

まだ着かないのかとおりつが口に出そうとしたそのとき、寧々の足が止まった。


「さぁ着きましたよ。」


素敵な場所でしょう?とでも言いだけな寧々の表情とは裏腹に、周囲にはあるのは木だけで、他には何もない。


「着きましたって言われても木しかないけど?斧でも担いで薪でも切り出すってんなら、あたしは遠慮しておくぜ?」


その質問を予期していたかのような得意げな顔で、寧々は前方を指でさす。


「ちゃんと他のモノもありますから安心してください。この先ですよ」


その指の先へ、おりつが足を踏み入れると、そこには思いもよらぬ光景が広がっていた。

おりつの目に飛び込んできたもの、それは藁人形だった。それも二体や三体という生易しい数ではないのだ。

そこは不思議と円形に木が生えておらず、言うなれば森の十円はげ、その場所の中心に立てば360度どこを見ても、木の幹に藁人形が打ち付けられているのが目に入ってくる。

顔写真が貼られているモノ、ハリネズミのようにありったけの針が刺さっているモノ、血のような赤に染められているモノ、中には枝から吊るされ、首吊りをしているかのようなモノまである。


「これはこういう祭りか何かなのか・・・?」


「もしこんなお祭りがあったら、私も参加してみたいものですが残念ながら違います。丑の刻参り。おりつさんも聞いたことはあるでしょう?

藁人形を祟ってやりたい相手に見立て、夜な夜な釘を打ち込んでいく儀式。

私も最近までこんな場所があるとは知りませんでした。きっと多くの人がここを訪れたんでしょうね」


おりつは丑の刻参りは知ってはいるが、打ち付けられている藁人形は、せいぜい2,3体がいいとこ思っていた。しかし、今、目の前にはそれを遥かに越える数の藁人形が打ちつけられている。

一体今まで何人がここに通い、何人がその呪いを成就できたのだろうか。


「そもそも何でここに?お勧め呪いのスポット10選とか言って、観光ガイドにでも載ってるのか?」


「いえ、私も気になって調べてみましたが、謂れのような話は一切ありませんでした」


「ならこんなとこでやったって意味はないだろ?」


「はい。始めのうちは効果はなかったと思います」


「始めのうち?」


「ええ。そもそも呪いというものはですね、大体の場合、対象者が誰かから呪いをかけられているという事を知って初めて効果がでるんです。

例えばAさんがBさんを呪ったとします。そしてBさんはたまたま事故に遭う。

この後が問題なのですが、Bさんが呪い云々の事を知らなかった場合は、運が悪かったな。で終わります。しかし、何かがきっかけで、Bさんが誰かに呪いをかけられたと知っていた場合はどうでしょう?」


「呪いのせいで事故にあったと思う?」


「そうです。そうなってしまえばAさんの思うツボです。その後、何か悪い事があれば、Bさんは全て呪いのせいだと思うようになり、常に怯えるようになってしまう。人によってはノイローゼになり、日常生活に影響がでてしまうかもしれません。ここまで上手くいくのはごく僅かだとは思いますが、これが呪いの仕組みですね」


「なるほどな。この場所の事が広まれば広まるほど、効果も出やすいって事か」


「ええ。近くにこんな場所があって、不可解な事でもあったりしたら、もしかしたら・・・と思い人もいるでしょうしね。さらにそこに昔からの伝説か何かが加われば、効果は絶大なんでしょうけど」


そう言って寧々はクスッと笑った。おりつもつられて笑顔を作ったが、

そもそもこんな場所で年頃の女子が呪いついて話し合っているなんて普通ではない。


「もしかしてバイトって、この藁人形の撤去とかか?まぁこういうのはさ、普段ゴミにうるさい役所の仕事な気もするけどな」


「どういうわけか、今も昔も役所や公共の機関が直接撤去するという動きはないようです。触らぬ神に祟りなしの方針なのかもしれませんね」


「全くお役所ってのは相変わらずだよな」


釈然としない気持ちで、近くに打ち付けられている藁人形に目を向けると、藁の間から黒く長い髪の毛のようなものが垂れ下がっている。

あまりの気味の悪さに、おりつの尻尾の毛は逆立ち、一回りも二回りも大きく見える。


「でも確かにコレに触りたくない気持ちは分かるよな」


「私も触れたくはありませんね・・・。それに今ここにある藁人形はどうでもいいんです」


「じゃあ何をするんだ?定期的に数えて報告するか?野鳥の会みたいに」


「数えた結果でグラフを作成するのも非常に興味はありますね。

 もしかしたらある程度の傾向が見えてくるかもしれません。ですが、私達がするのは、今進行中の儀式、丑の刻参りを止めること。そして、その者を拘束し保護する事です」


暫くの間、おりつは寧々の顔を見つめていたが、近くにあった藁人形へ目をやり、もう一度寧々に視線を戻す。


「・・・拘束して保護するぅ?」


暗くなり始めた森に、おりつの間の抜けた声がこだました。

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