第二話 インターミッション -その2
別館の中にはいくつかレストランがあるが、美桜が選んだのはいわゆるブリティッシュ・レストランだった。
居並ぶ木製の丸テーブルと高いスツール。ブラウンを基調とした店内にはランタン風の照明が燈り、多少薄暗い印象を受けるが、十七世紀のヴィクトリア調を再現した雰囲気作りは悪くない。
美桜がノーマンデーを引っ張り込んだのは、そんな店内の最奥のテーブル席だった。
「……これが、妹のチューズだ」
ノーマンデーがテーブルの上に一枚の写真を置く。
最初は事情を話すことを渋っていたノーマンデーだったが、妹の容姿の話になると意外にも素直に写真を差し出してくれた。
「この子が囚われの身になっている妹さん? 少し昔の写真なんかな」
美桜が写真を手に取りながら言う。
そこに映っているのは、ドレッサーの鏡の前で赤みのかかった長髪を三つ編みに束ねている十歳くらいの女の子だ。身支度の途中という日常をファインダーで切り取った構図の写真だが、なんとなく盗撮臭が滲み出ている気がしなくもない。
「どうだ、可愛いだろう俺の妹は。お前なんかとは比べ物にならない」
「わざわざ私を引き合いに出すな殺すぞ」
タイミング良くウエイトレスが注文のコーヒーを運んでくるが、ノーマンデーの格好に気付いてぎょっとした表情をする。
カップを置いてそそくさと逃げ帰っていったウエイトレスを見送ってから、美桜はしかめっ面をして対面の席の男を睨んだ。
「どーでもえーけど、こういう場でもそのマントと仮面は取らんの?」
ノーマンデーは、今も裏カジノで出会ったときと同じ服装のままだ。白いタキシードに白マント、目元を隠す紫色の仮面という風貌は、目立つ以上に不審者めいている。
しかし、そんなことは気にも留めないノーマンデーは、コーヒーを一口含んで話を続けた。
「それは三年前に撮った写真だ。この後しばらくして妹は家出し、それきり行方不明になった。俺は世界中を探して回っていたんだが、最近ここのカジノで働いているという情報を掴んでな。それで、俺は彼女を連れ戻しに来たんだ」
「なるほどね。ここで働いて……って、三年前? 今の妹さん何歳なん?」
「十三歳」
カジノで働けるような年齢じゃない。美桜は探るような視線でノーマンデーを見て、
「……まさか、奴隷?」
「そうだったらこのホテルを今すぐ爆破する」
仮面の奥の眼がマジだった。コイツに妹ネタは冗談でもやめておこう。
「安心しろ、強制労働じゃあない。情報だと、ここでディーラーとして働いているという話だ。本館の高層階で限定的に開催されるVIP専用カジノ……そこの最年少ディーラーを務めているらしい。VIPのひとりに写真を見せて確認したから間違いない」
ノーマンデーは息をひとつ吐き出すと、椅子の背もたれに身体を預ける。
美桜は写真の中で三つ編みに悪戦苦闘する少女の面影をもう一度見てから、懐疑的に首を傾けた。
「十三歳でディーラーって……それこそ無理やろ。まともに仕事なんてできるんか?」
「問題ない。俺の妹も生粋のギャンブラーだからな」
アンタの家どうなっとんねん、と反論したい美桜だったが、この傲岸不遜の態度の前では開いた口も塞がってしまった。
「しかし、なぜ妹が俺の家から出て行ったのか。そして、なぜこのホテルでディーラーとして働いているのか……。その経緯についてはまったく不明だ。妹は幼い頃から天才で有名だったから、その才能に目を付けたホテル側に略取された可能性もないとは言えないし、自らの意思で働いている可能性もある。いずれにしても、会って話を聞く必要があるだろう」
「確かにな。それで、VIPホテルに潜入するため、裏カジノに潜り込んだっちゅうワケか」
美桜は納得して頷いた。
「だから、別に裏カジノで儲けが出ても必要ない。金が欲しいならいくらでもくれてやろう。俺に必要なのは妹だけだからな」
ノーマンデーはテーブル端に置かれた用紙入れから一枚の紙を取り出しながら言う。言葉には熱が篭っており、妹に対する異常なまでの愛情を感じるが、家族を失う恐怖心は美桜にも理解できるように思えた。美桜も伊万里やちー子を失ったらこんな感情になるのだろう。
「……って、話の途中で何しとるんやアンタ」
美桜がノーマンデーの手元を覗き込む。彼は手に取った紙に備え付けのペンで何やら数字を塗り潰しているようだ。
良く見ればその紙はマークシートになっており、右端に「君も一回2ドルで億万長者だ!」とフキダシで謳うトウモロコシ型のゆるキャラが描かれている。
「何って、見れば分かるだろう。【キノ】だ。資金調達の準備をしている」
ノーマンデーが手を上げると、ウエイトレスとは違う、蝶ネクタイ姿の黒服が近寄ってきた。紙と1ドル紙幣二枚を受け取った黒服は、代わりにチケットをテーブルに置いて去っていく。
「あー、分かった。それ、日本で言うところのロト6やな。数字選択式宝くじ」
「三十分で一戦できる、カジノでは定番のギャンブルだ。そこのテレビでもやってるだろう」
レストランの天井に備え付けられた液晶テレビでは、グラン・カジノ内に設置されたキノラウンジの生中継が放送されていた。
ラウンジの中央にはフラスコ型のガラス瓶が置いてあり、その中には1から80までの数字が印字された無数のボールが閉じ込められている。
司会役のバニーガールが次の抽選まであと何分、としきりに射幸心を煽るような台詞を吐いていた。
「1から80って、結構選択できる数字多いなあ。これ、何個当てればええの?」
「最大十五個まで選択可能だ。抽選機が一度に出すボールの数は二十個だが、そのうち何個的中できたかで賞金が変わる。十五個全部的中で配当率は百万倍だ」
「に、2ドルで200万ドルか……。さすがアメリカ、キャッシュバック率が狂っとるで」
しかし、80の数字から十五個すべてを的中させるのは一兆分の一以下の確率だ。全部的中はそもそも不可能に等しいので、数撃ちゃ当たるの作戦のほうが精神的に健全だろう。
「お前に半分渡して手持ちが少なくなったからな、万が一を考えての保険だ」
「でも、このゲーム控除率高そうやで。宝くじで資金調達ってのはあんまり……って、アンタ今、金は必要ないって言ったばかりやんけ」
「最終的に金なんか必要ないさ。だが、過程で必要となる分は別だ。なにしろ、俺は三日後の十七日までに、妹を助け出さなければならないんだからな」
ここにきて初耳の情報が出てきた。
美桜は身を乗り出してノーマンデーに迫る。
「十七日? なんでタイムリミットがあんねや? ひょっとして早く助け出さないと、妹さんの命が危ないとか――」
「十七日になったら、妹は十四歳になってしまう」
「はえ?」
変な声が出た。
意味が分からなくて、美桜はしばし硬直する。
「じ、……十四歳になると、なんなんや?」
「察しの悪いやつだな。女性の華は十三歳までだろう。十三歳こそが最盛期であり、十三歳こそが女神だ。十四歳になんてなってしまったら、お前と同じババアの仲間入りになってしまう。その前までに妹を助け出し、その美しい姿をこの手に収めるのが俺の役目なのだ」
短くない時間、頭の周りでヒヨコと混乱の星が飛び回ったような気がしたが、とりあえずここは怒っていいところだと美桜は判断した。
「だっ……誰がババアやねん誰が! まだピッチピチの十七歳やぞ! 胸もおっきいし、肌かてツルツルりんや! はっきり言ってそこらのチビジャリより最強やんけ。全国の十四歳以上の女性に焼き土下座して謝れ!」
「十七歳なんぞババアだろ。女は十三歳までが至高だ」
こいつ……ガチロリかよ……。
そういや、さっき十歳くらいの子にナンパしてたっけな。あれは迷子に手を差し伸べていたわけでは決してなく、完全に本気の下心でデートに誘っていたということになる。
「ん……ちょっと待てよ? なあロリペド、もしかしてアンタ、妹さんが家出する直前に何か、彼女が嫌がるようなことをしたんやないか?」
「俺が愛する妹にそんなことをするワケがないだろう。十一歳の誕生日を記念して、一緒に風呂に入ろうと約束した程度だ。耳の穴から足の指の間まで、スポンジの代わりにひとつひとつ丁寧にしゃぶってキレイにしてやると言ったくらいで、何も嫌がるようなことはしていない」
「そりゃ家出もするやろ……」
怒りを三順ぐらい通り越して、美桜は引きつった笑みを浮かべた。
(ド変態や。こいつ、紳士という名の仮面を被った超ド級の危険人物やで……)
コイツを妹さんに逢わせるのは非常にまずいんじゃなかろうか。そんな本気の思いが美桜の頭の中をぐるぐると回る。
しかし、コイツが高層階に渡ろうと考えているのは事実だ。
正直なところ、打つ手のない美桜にとってこの男の存在は渡りに船。その有能さは昨日の裏カジノの一件で実証済みである。
幸か不幸か、自分に手を出される可能性はないに等しいし、真性の変態である以外は非の打ち所のない仲間候補と言えた。
「ほ……ほんなら、私ら協力し合えると思わへん?」
決死の思いで美桜が切り出した。
「私らの目的地は同じやん。シルバー・アープに逢うにしても妹さんに逢うにしても、まずはあのスカイウォークを渡らなあかん。最強の二人が組めばあんな通路どうとでも……」
心の中でノーマンデーの妹にごめんなと謝りながら、美桜は口八丁を並べ立てる。
しかし、ノーマンデーはフンと鼻を鳴らして、気障ったらしくコーヒーを飲み始めた。
「嫌だね。だってお前、役に立たなそうだもん。昨日のポーカーだってびーびー泣いてたし。お前と組むメリットがあるとは思えないね」
ブチ切れる一歩手前で自重する美桜。握り締めた拳の発射をどうにか堪えながら、できるだけ刺激しないように優しい口調で言葉を紡ぐ。
「で、でも、あの時は私と手を組んでくれたじゃない。手持ちがチップ4枚しかなかった私を救ってくれたのは、紛れもなく貴方だったわ。それは、本当は貴方が優しいからで――」
「んなわけあるか。お前と組んだ理由は、バーニーが全員の26枚目を入れた袋を持っているという情報を、お前だけが知っていたからだ。もしも情報が他の客に漏れたら俺と同じように気付く奴も出るだろうし、そもそもバーニーが危険を感じて勝負してくれないという状況も有り得る。だから、あれは情報漏洩を防ぐための措置だった。今は後悔している」
「何で後悔してるねん! そんなに私と組むのイヤやったんか!」
堪え切れずツッコんだ美桜だったが、再度感情を押し殺して静かに言った。
「妹さんをここから連れ出したいんやろ。やったら、人数は多いほうが良いに決まってる。まだその方法を思い付いていないなら、二人で考えれば何か思い付くかも知れへんやろ」
「いや、もう策はある」
「な……ホンマか? あの通路を渡る方法が?」
美桜は思わず声を上げてしまう。
ノーマンデーは落ち着いた態度で腕を組んだ。
「渡ること自体は問題じゃない。さっきも言っただろう、高層階で限定的に開催されるVIP専用カジノ――それに参加すればあの通路は渡れる。開催は今日の夜だ」
「……今日の夜かよ。性急やな」
美桜は唇を噛むが、道が拓けたのもまた事実だ。どうすればそのVIP専用カジノに参加できるのか分からないが、これで是が非でもノーマンデーから離れられなくなったことになる。
「だが、問題は通路を渡ったその後だ。妹を取り戻す方法は次のどちらか二通りしかない」
ノーマンデーは指を二本立て、一本目を折り曲げながら口を開いた。
「ひとつは、妹がそのカジノにディーラーとして出てきたところを拉致するという方法」
「うわあ……犯罪やん」
さすがにその作戦には美桜も賛同できなかった。そこで強引に連れ戻すことができたとしても、その後の明るい未来はまるで想像できない。
「もうひとつは、人員が割かれてスタッフが手薄になるVIPカジノ開催中を見計らい、高層階内にある事務所から雇用契約書を奪取。それをネタに妹の解雇を迫るという方法だ」
「そっちも窃盗臭いけど――ああ、なるほど。その方法のほうが有利やな」
通常、カジノに参加できる年齢は二十一歳と州法で規定されている。十三歳が雇用されているとすれば、それはれっきとした違法行為だ。
雇用契約書が入手できれば、違法性をネタにノーマンデーの妹を取り戻せるし、同時にオーナーであるウィリーバーにも一泡吹かせることができる。美桜にとっても悪い話ではなかった。
「事前に事務所のある場所については確認してある。問題は辿り着くまでの経路が分からないことだが……これは俺の勘を頼りに進むしかないな」
事前準備は美桜よりはるか前に行っていたらしい。さすがは抜け目ない、と手放しで褒めたいところだが、その作戦には必要不可欠なものがひとつだけあった。
「その作戦を実行に移すには、ゲームに参加して時間を稼ぐ人間と、実際に忍び込んで契約書を盗み出す人間の二人が必須となるな。ほら、どうしたってパートナーは必要やろ?」
「……いや、よく考えたら、多少強引に拉致しても問題ない気がする。久しぶりに妹の柔らかさを確認したいし、妹の頭のにおいを思い切り嗅げる機会でもある」
台詞がいちいち変態臭い。美桜は呆れるのを我慢して、切り口を変えてみることにする。
「アンタがいきなりカジノ会場に現れたら妹さん、驚いて逃げてしまうかもしれへんで?」
「む……それは」
ノーマンデーの眉がぴくりと動いた。美桜は続けて、
「妹さんの事情を知りたいのなら、私が代わりに訊いてあげる。家族のアンタが訊くよりは、他人の女が訊いた方が素直な言葉が出るやろ。適材適所やと思うけど……どうや?」
「……いいだろう。決まりだな」
かなり嫌そうな顔をしていたが、とりあえずは合意に至ったらしい。
ノーマンデーは合意の握手の代わりに先ほど買ったキノのチケットを美桜に差し出すと、くいっとサムズアップで先ほどの黒服を指差した。
「そうと決まったら、このチケットを換金して来い。VIPの専用カジノに呼ばれる条件は、VIPが一日の間に200万ドル以上稼ぐことだ。そのチケット一枚で事足りるだろう」
「え? いやあ、それはないんじゃない? いくらアンタでも十五個全部的中なんて――」
美桜が笑って見上げた液晶テレビの中では、すでに抽選機からランダムで選ばれた二十個のボールの数字が電光掲示板に表示されており。
そのうちの十五個の数字が、美桜の手の中にあるチケットに書かれた数字と寸分違わぬことを確認して、美桜は悲鳴にならない悲鳴を上げた。
「はあッ? なっ、な……なんじゃこりゃあッ?」
テレビの中のバニーガールは、最大倍率の十五個完全的中者が出たことをしきりに叫んでいる。
美桜が震える手でチケットを握り締めたまま振り返ると、コーヒーの最後の残りを啜っているノーマンデーの済ました表情が見えた。
「言っただろう? 俺は月曜日以外は絶対に負けないって。それは、キノだって同様だ」
「こ、これ……トリックやないよね? なんっちゅう豪運やねん……!」
ここまでくると、超能力の類じゃないかと思えてくる。
ノーマンデーは空になったティーカップをテーブルに置き、不適に微笑んで目元の仮面の角度を調整した。
「さあ、次なるゲームの幕開けだ」
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