第一話 ポーカー25 -その9(period)

 ――――とんでもないことになった。

 というのが美桜の正直な感想だった。

 美桜にとって、この台座に登るのは都合五度目。しかし、今回はプレイヤーとしてではない。

 勝負の場に立つのは、紫色の仮面を被った白の紳士・ノーマンデーだ。

 そして、対面の椅子に深く腰掛け、長い素足をカジノテーブルに放り出しているのは、このゲームのすべてを取り仕切るカジノ側のディーラー・バニーのバーニー。

 目の前で起きた予想外の展開を前に、台座の周囲へ蟻のごとく群がった客たちの衆人環視の中、常識外のスペシャルマッチの火蓋は切って落とされようとしていた。

「すごいね、仮面のお兄さん。……アタシと戦おうなんて客、この地下カジノ始まって以来だよ」

 だらしない格好のまま、横柄な口調でバーニーが言う。先ほどまでの甘ったるい調子はどこへやらだ。これが本来のバーニーの話し方なのだろうと、美桜は直感的に理解した。

「そうかい。だったら、今までの客は間抜けだな。目の前にこんなにも良いカモがいるってのにさ」

 横柄さ加減はノーマンデーも負けていない。

 その言葉にぴくりと反応したバーニーは、まつげの長い双眸をこれでもかというほどに細くして、凶悪な視線をノーマンデーに突きつけた。

「面白い、試してやるよ。アンタとアタシ、どっちが本当のカモなのかをよ」

「――ゲームを始めます。両者、カードとアンティの提出を」

 バーニーから審判役を仰せ付かった黒服が言う。

 美桜が急遽この場に立っているのも、黒服と同じく不正防止の立会人としての役目のためだ。つまり、今回の対戦はカジノ側もまったく想定していなかったのだろう、というのは想像に難くなかった。

 最初に動いたのはノーマンデーだ。裏返しのカードを素早く五枚並べると、ジャケットの内ポケットから取り出した数枚のチップ――いや、大量のチップを、どん、とテーブルに乗せた。

「25枚。手持ち全部だ」

 その声が届いたのか、会場の中でも外でも、ざわざわという声が地響きのように蠢いた。

(こっ、コイツ……本当に全部出しよった!)

 事前に聞いていたとはいえ、よもやの事態に美桜は眩暈すら覚える。

(あの25枚には、私の4枚も入っとんのやで! 負けたら本気でぶっ殺すぞ!)

 しかし、美桜には他に選択肢はない。残り4枚では逆転できる芽はとうに摘まれているのだ。

 だったら、少しでもノーマンデーに加担して、貸しを作ったほうが建設的だ。上手くすれば、後でノーマンデーから金を借りられるかもしれない。

 そんな打算から生まれた大量の資金。それが、25枚のチップの正体だった。

(それにしても、チップ25枚やなんて――日本円で約3億円やぞ? たった一度のポーカーで賭けるには、途方もなくデカすぎる額や)

 ノーマンデーがチップを21枚も所有していたこと自体も驚きだが、さらに舌を巻かされるのはその豪胆さだ。未知の敵を前にしても顔色一つ変えず、惜しげもなく全額を放り投げる潔さは、並みのギャンブラーの域をはるかに超えている。

 眼前に山と積まれたチップの量でそれを悟ったバーニーは、バニースーツの胸元に自らの手を突っ込むと、取り出した銀色のチップを眼前の山と同じ分だけテーブルへぶちまけた。

「25ね。いいでしょう、受けて立つわ」

「う、嘘やろ……ッ」

 美桜はそのあまりの光景に戦慄する。

 これで、場にあるチップの数は計50枚。約6億円の超高額ポーカー勝負だ。

 美桜が稼いだ480万円などクソの足しにもならない圧倒的な額が、そこに積まれていた。

 ノーマンデーはその様子にせせら笑って、

「やはり持っていたか。そうだよな、引き分けで没収されたチップはカジノが引き取るんじゃない。二十六人目のプレイヤーであるディーラーが没収するのがルールだものな」

「なかなかのご慧眼だけれど、御託を並べるためだけにアタシに挑んだんじゃないでしょう? アタシに勝てないのなら、せっかくのご高説も25枚の賭け金と共に水の泡よ」

 そう言いながら、もったいぶるように五枚のカードをテーブルに並べる。

 カードとチップが出揃い、黒服がBETの終了を宣言。一気に緊張感が張り詰めたカジノテーブルの空気を感じて、美桜は密かに息を呑んだ。

(バーニーのあの自信……提出したカードは、おそらくは『絶対に負けない最強の役』や。それは――)

 そこで美桜は、ハッとあることに気が付く。

 ノーマンデーの耳元に唇を寄せた。

「おい、ヤバいで。おそらくあれはRSFや。奴は引き分け以上で良いんやからな」

 そう――引き分けの場合、チップはディーラーのものとなるのがルールだ。

 だから、バーニーはRSFを出すだけで問答無用で勝利できる。初めからノーマンデーの勝ちは無いに等しい。

「って……おいおい! 良く考えたら、勝てへんやん! なにしれっと勝負挑んでんねん! この勝負、どうやったってアンタが勝てる見込みゼロパーセントやんか!」

 完全に今更となった衝撃の事実に、美桜が口角泡を飛ばして叫ぶ。しかし、当の本人であるノーマンデーは眼前の敵を睨んだままだ。

 バーニーが可笑しそうに頬を歪めた。

「でも、そんなことに気付かないアンタじゃないよね。なんたって、アンタはこのアタシに挑もうなんていう向こう見ずだ。アンタがこれまでの三戦で出した役は、それぞれSF、RSF、RSF――つまり、今の手持ちはSFと2Pの二つとなるはず。が――そうじゃないんだろう?」

 バーニーの紅い眼が怪しく光る。

 美桜は、その様子に形容しがたい恐怖を覚えた。

「このゲームでは、他人へのカードの譲渡は禁止だ。だから、必然的に手札の構成は決められてしまう。……だが、? ――そう、全員が二十六枚目の不要カードを黒い布袋に入れた直後からだ。つまり、

 バーニーのその言葉に、美桜は一つの可能性を思い付く。

「まさか……ゲームの開始前にすり替えたんか? 他人のカードと?」

「そう。この男――ノーマンデーは、他の客が布袋に入れようとしたカードを奪い取り、自分の手札と入れ替えてから、代わりに不要となった自分のカードを布袋に入れていたのよ」

「……奪い取るとは失敬だな。どうせ一枚捨てるのも二枚捨てるのも同じ手間だから、たまたま近くに立っていた客のカードも預かって、まとめて布袋にポイしてやっただけだ」

 ノーマンデーが悪びれも無く言い放つ。すり替えたのは、間違いなく他の客からカードを預かった直後だろう。

 ノーマンデーが事実上認めたのを見て、バーニーは得意げに頷いた。

「この男がその行為を行ったのは、三名の客に対してよ。つまり、他人とカードを三枚交換している。二十六枚の中で客が捨てるのは最弱の『2』と相場は決まっているのだから、ノーマンデーが他人から収集した三枚のカードもすべて『2』だ。ということは――」

 どこからともなくドラムロールが木魂して、黒服がショー・ダウンを宣言する。

 眩いスポットライトの中、バーニーの赤い爪が、自分の五枚のカードをなぞって裏返した。


「ノーマンデーの手札はアタシと同じ。『2』が五枚の、よ」


 ――ファイブカード!

 美桜は、声にならない声で絶叫する。

 スペード、ハート、ダイヤ、クラブ、そして二枚目のハートで彩られた五枚の数字は、すべてが『2』だ。

 初期の二十六枚では決して構成できないはずの幻の役――おそらくバーニーは、黒い布袋からこの五枚を取り出して、己の手札としたのである。

「モニターに表示した役の表からも分かるとおり、ファイブカードは唯一、RSFに勝てる最強の役よ。貴女の言うとおり、ノーマンデーはアタシがRSFを出して、引き分け狙いに来るだろうと予測していた。だから彼は、他人の『2』三枚を自分のツーペアに組み込んでファイブカードを作り出し、RSFを超える切り札として温存していたのよ」

『A・K・Q・J・10』のカードで構成されるRSF二組と、『9・8・7・6・5』のカードで構成されるSFを二組作ると、残るカードは『4・4・3・3・2・2』の計六枚。

 この六枚でツーペアを作ろうとする場合、通常なら『4・4・3・3・2』で構成し、余った『2』のカードを捨てるのが常套だが、あえて『4・3・3・2・2』と構成しておけば、他人から得た『2』のカード三枚と『4・3・3』を交換することで、『2』のファイブカードを作ることができる。

 誰にとってもブタ役と思われていたツーペアが、実は最強の役に変身していたとなれば、これ以上の秘密兵器はないだろう。

 しかし、相手がディーラーで、しかもそれを見破られていた場合は話が別だ。

 バーニーは黒い布袋を所有している。その中には多くの客が捨てた『2』のカードが大量に入っているわけで、『2』のファイブカードを作製するのに難しさは微塵も無いのだ。

 だから、いくらノーマンデーが『2』のファイブカードを虎の子としていたとしても、バーニーも同じ役を持っていれば、引き分けで相殺されてしまう。

 引き分けは、負けも同じ。

 プレイヤーであるノーマンデーには、最初から勝利の芽は微塵も無かったのである。

「あはははッ! 悪いわねノーマンデー。こちらも伊達に裏カジノのディーラーやってないワケよ。客から絞れるだけ絞るのが私の役目。逆に絞られるなんてコト絶対有り得ないのよ!」

 痛快さを全身で表すようにバーニーが笑う。

 美桜は絶望に顔を歪め、ノーマンデーは顔を伏せたまま、静かに自身の五枚のカードを裏返していく――、

「……なあ、バーニー。俺の名前の由来を知っているか?」

 突然、口を開くノーマンデー。

 バーニーは笑うのを止め、呆れ顔で相手を見下ろした。

「はあ? 知らないわよそんなもん。大体なに、月曜日は無いノーマンデー、なんてダサい名前」

「それはさ、俺の弱点を表した名前なんだよ」

 ノーマンデーは仮面を片手で押さえ、目元が隠すようにうつむいてしまう。

「俺は最強のギャンブラーだが、どうしてか月曜日だけは絶対に勝てない。どんなにツキが巡ろうとも、月曜日だけは絶対に負けるんだ」

 突然の告白に、バーニーは再び大口を開けて笑い出した。

「何よそれ、バカじゃないの! いきなり弱音吐くなんて、ひょっとして負けた言い訳?」

「ところで――乳袋。今日は何曜日だ」

 不意打ちの質問だったが、美桜は素直に口を開いた。

「えっと……金曜日やけど」

「てことは、

 ノーマンデーが裏返した、五枚の手札。

 そこに描かれていたカードの種類は、スペードの3、ハートの3、ダイヤの3、クラブの3、そして――二枚目のスペードの3。


 ――『3』のファイブカードである。


「『3』のファイブカードと『2』のファイブカード――どちらが強いか、知っているか?」


「なッ、なあああああッ?」

 バーニーは数秒前に開いた以上の大口を開けて、絶叫を搾り出した。

「ちょ……な、何がどうなってんねんッ!」

 美桜も思わずカジノテーブルに身を乗り出して、ノーマンデーの手札を見る。

 そこにあるのは正真正銘の『3』のファイブカードだ。手品でもイラストでもCGでもない。

「なァに、簡単なことだよ。他の客から預かった捨てカードが、たまたま『3』だっただけさ」

「う、ううう嘘つけ! 最弱カードは『2』なんやぞッ! 『3』を捨てたら『4・4・3・2・2』のツーペアになってもうて、他の客の大多数が持つ『4・4・3・3・2』のツーペアに負けるザコ役になってしまうやないか! わざわざ手札が弱まる『3』を捨てる奴が、それも三人同時なんて居るはずないッ!」

「そ、そうか……くそ、やられた……ッ!」

 何かに気付いたバーニーが頭を両手で抱えながら言う。

「こいつは、客が捨てたのを貰ったんじゃない。? 『4』と『3』のカードを」

 ノーマンデーはニヤリと口端を吊り上げて頷いた。

「二十六枚が配られた直後に、近くの客と交渉したんだよ。俺の『4』または『2』と、あんたの持つ『3』のカードを交換してくれってな。客二人には『4』のカードを手渡し、最後の一人には『2』のカードを手渡した。『2』は最弱の数字だが、『2』が三枚あればフルハウスが作れると言えば、すぐに同意してくれたよ」

「そ、そんな手が……!」

 美桜は唖然とする。

『4・4・3・3・2・2』の六枚を持っている状態で、他人の持つ『4』と自分の『3』を交換すれば、『4・4・4・3・2・2』となり、『3』を捨てるだけでフルハウスが完成する。

『2』と『3』を交換した場合も『4・4・3・2・2・2』となり、やはり『3』を捨ててフルハウスの完成だ。

 ツーペアがフルハウスに化けると思えば、確かに交換に応じない奴はいやしないだろう。

「この方法なら、すり替えるまでもなく穏便に『3』が集まるという寸法だ。ちなみに交換した三人には、フルハウスは終盤までとっておくよう伝えてある。序盤で出してバーニーに見られてもマズいし、勝負ではツーペアにしか勝てないのだから終盤で使えとアドバイスしてな。幸いにも効果は覿面だ」

「じ、じゃあ、さっき捨てカードをすり替えたとかアンタが言ったのは……」

「ああ、もちろん嘘だ。……馬鹿な女二人がノリノリで語ってるサマの面白いこと面白いこと」

 くっくっく、と本当に意地悪そうに笑う。

 驚愕とか混乱とか恥辱とか様々な感情がごちゃまぜになったせいで、上手く今の気持ちを口にできない。

 ノーマンデーはカジノテーブルに積み上げられたチップの山を片手で無造作に掴むと、美桜の鼻先にずいと突き付けてきた。

「ほれ乳袋、お前の取り分だ。ちなみに俺ともう一戦してもらうぞ。お前も俺もあと一戦残っているんだ、最後のカードを使い切らなければペナルティでチップ五枚を無駄にしちまう」

「あ、その、ちょっと……ぜんぜん気持ちが追いついていないんやけど……」

 横目でバーニーを見るが、口をぽかんと開けて茫然自失という体で椅子に座り込んでいる。これでは、今後の対戦であの威勢の良い滑舌を聞くのは不可能だろう。

 これで、チップは二人合わせて50枚。

 いや、百パーセントがノーマンデーの儲けと言って間違いないが、とにかく、ゲームの上位五名に食い込んだのは疑いようもなかった。

「どうだ、俺と組んで間違いなかっただろう?」

 ノーマンデーから片手に収まりきらない量のチップを受け取りながら、美桜は改めて嘆息する。

 これが間違いなかったかと訊かれると、いろいろと納得いかない部分もあったりするのだが、銀色に光るチップの数がそんな瑣末なことを吹き飛ばしてくれたのもまた事実だった。

「……間違いなかったかどうかは分からん。ただひとつ分かったことと言えば――アンタがとんでもない男だった、ってことだけや」

 美桜は引きつった笑みを浮かべながら言う。

 ノーマンデーはふんと鼻を鳴らして、

「当然だ。なぜなら俺は、月曜日以外は必ず勝つ男――ノーマンデーだからな」

 白いマントを翻し、紫色のマスクの縁を光らせながら、そう言った。

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