第一話 ポーカー25 -その7
そうして、都合四度目となる階段を登る。
美桜が台座の頂に辿り着くと、そこに待っていたのはスーツ姿のモヒカン男。降り注ぐスポットライトがワックス増し増しのモヒカンに反射して、まるで岩山に突き刺さったエクスカリバーのようだ。
両者そろい踏みの状況を見て、カジノテーブルの脇に立つバーニーが、指を高らかに天へ突き刺した。
「おおっと、次の対戦は、ただいま三戦全勝中の注目株であるモヒカン君と、紅一点のお嬢さんの対決だ! 本日一番のメインエベントぴょんねっ!」
わあっ、と沸き立つ会場。天井のモニターも台座の下も、同じくらいの歓声だった。
「はあ~ッ? 一勝二敗の女との勝負がメインイベントぉ? 冗談だろ、俺の勝利は確定事項だぜ」
美桜の向かいに着座したモヒカン男が、舌なめずりをしながら言う。美桜はその醜悪さに思わず身震いをしつつ、自分も椅子に腰掛けた。
(――まあ、舐めてくれる分にはええわ。さっきの敗北は多少なりとも効果があったみたいやし)
クレイトンに唆され、情報収集目的で挑んだ三戦目はチップ1枚の損で済んだ。観客の注目を浴びるために、わざとオーバーに悔しがって見せたのが功を奏したと思いたい。
そういった準備をして望む、運命の四戦目。
マイナス2枚の美桜にとっては、文字通りの正念場である。
(ここで、最低2枚は稼ぐ。ヤツの残りカードはSFと2Pの二択だが、舐めてかかってくる以上、2Pでブラフを仕掛けてくるのは規定路線や。だから、こちらはSFを張るべきやけど――)
美桜は手の中のプラスチックケースを揺らして、中に収まる十枚のカードの音を聴いた。
(もしも、ヤツのBETの張りが甘かったら……こっちがRSFを使うことも考慮に入れなあかんやろな)
美桜の手持ちはハートのRSFと、ダイヤのSFの二組だけだ。モヒカン男が高い賭け金を突きつけてくるならブラフの可能性が高いが、そうでなければ安牌のSFを使用することも考えられる。そうなった場合、こちらはブラフを狙い撃つSFを出すべきか、それとも虎の子のRSFを出すべきか、判断に迷うところだろう。
(だが、ここはどうしても勝っておきたい。せっかく一枚無駄にして布石を打った勝負なんや。コイツの一挙手一投足……絶対に見逃さん!)
美桜は双眸に力を込める。
美桜とモヒカン、両者の睨み合いが続く中、バーニーの甲高い声が勝負を告げる合図を発した。
「それでは、カードの提出とアンティ、そしてBETをお願いしまァす!」
美桜に先んじて、モヒカンが五枚のカードをテーブルに並べる。
そして、
「オラァ! 一気に4枚賭けだオラァ!」
モヒカンの右手が叩きつけるように置いたのは、4枚の銀色に光るチップだった。
「……うっは!」
歓喜とも驚愕とも呼べない言葉を叫ぶ美桜。モヒカンの怒声は下界の観客にも届いたようで、ひときわ大きな喧騒が会場を揺らすように響いていた。
「どーだメスガキ、俺の一撃必殺は。恐怖で言葉も出ないか、あぁ?」
歯をむき出しにして凄むモヒカン男。美桜は眼を伏せ、手をわななかせながら、五枚のカードをゆっくりとテーブルの上に並べた。
(……こ、こいつアホや! 究極のウルトラドアホや! 勝ち確はこっちやんか!)
手が震えているのは笑いを堪えているせいなのだが、モヒカンはまるで美桜の態度に関心が無いように威勢の良い言葉だけを吠えている。
美桜は裏返したダイヤのSFから手を放すと、プラスチックケースから追加の銀貨を3枚、取り出した。
「あ? なんじゃそりゃ、まさかコールする気かよ?」
「な……なんや、悪いんか?」
顔の筋肉の制御に苦慮する美桜が必死の形相で見上げると、モヒカン男はせせら笑って、
「やめとけやめとけ、無駄な抵抗だ。俺は全戦全勝の男だぜ? コールしたって大金が無駄になるだけだ。さっさとドロップしておウチに帰ったほうが身のためだぜ」
露骨にドロップを誘ってくる。その発言に確信を得た美桜は、追加の3枚を思い切りテーブルに叩きつけた。
「コールや。4枚勝負……沈むのはオマエや、モヒカン野郎!」
「両者、出揃いましたね? それでは……ドラムロール・スタートっ!」
天井のスポットライトが一度消され、代わりにフロアを包み込んだのは心地よいドラム音。
暗がりのせいで相手の反応は良く見えなかったが、美桜はもう顔が愉悦に歪むのを抑えることができなかった。
(勝ち確……勝ち確やッ! チップ4枚で、一気に貯金2枚やでッ!)
一時は莫大な借金を覚悟していたのが嘘のようだ。
美桜は拳を握り締め、ドラムロールが鳴り止むのを今か今かと待ちわびる――。
「それでは結果をとくと見よ! イッツ、ショー・ダウンっ!」
そして暗闇は、晴れ。
天井から降り注ぐ圧倒的な光量の中、二組のカードがさらけ出した、その表に描かれたカードの絵柄とは――!
「お嬢さんはSRで、モヒカン君は……RSF! モヒカン君の勝利ですッ!」
一瞬、時間が止まったかと思った。
「……え?」
喜ぶ準備をしていた美桜の思考が、一気に疑問符に塗り潰される。
「っしゃあああ! 俺様大勝利いいィ!」
立ち上がって喜びを爆発させるモヒカン男の様子を前にしても、美桜は正しく状況を判断できない。
「え……え? なんで? ブラフじゃないの? いや……それ以前に……」
RSFを持っていないはずの男が、どうしてRSFを出せるんだ?
「どうした、鳩が艦砲射撃喰らったような顔して。俺がRSF出したのがそんなに意外か?」
テーブル越しに、ずいと顔を近づけてくるモヒカン男。気の強い美桜もこのときばかりは、こくこくと小刻みに頭を揺らすしかない。
モヒカン男は口を大きく開けて答えた。
「単純な話だろう。俺はまだ、RSFを使い切っていなかった。それだけのことだ」
「つ……使い切っていなかった? でも、アンタは一戦目と三戦目で――」
「それ、テメエが直接確認した情報じゃないだろ? テメエは騙されたんだよ、あの金髪男に」
「――ッ?」
美桜の脳内に電流が走る。
途端に肩が重くなり、心臓が早鐘を打ち始める。
「な……なんで、アンタが……クレイトンのこと、知っとんねん……?」
「ったく、クレイトンの旦那も人が悪いぜ。こんな純真無垢なオジョウチャンをハメちまうんだからなァ。まあ、儲けの半金を貰える約束になってる俺が言えた義理じゃねえが」
そう言って、ケタケタと笑いながら階段を下りていくモヒカン男。美桜はすぐに椅子から立ち上がることができなかった。
騙された――私が?
クレイトンに?
じゃあ、そもそもモヒカン男がRSFを使い切ったという情報自体が……ブラフ?
「ねーねー、お嬢さん。そろそろ席、どいてくんない? 次のお客さんが待ってるからさあ」
テーブル越しのバーニーが、美桜の肩を揺らしてくる。前屈みになったバニースーツから豊満な胸が零れ落ちそうになっていたが、今はそんなの関係ない。
美桜の視線は無意識のうちにトサカ頭の後頭部を追っており、やがてそれが青スーツの金髪男に近づいたのを見て、美桜の燻っていた感情は一気に業火の渦に包まれた。
「ちょっと待てやあ、このクソ金髪ッッ!」
「うひゃあッ?」
バーニーを突き飛ばして立ち上がった美桜は、一足飛びに階段を下りてクレイトンの元へ。
ちょうどクレイトンがモヒカン男からチップを受け取っている場面を目撃した美桜は、そばにいた出っ歯男が思わずヒくほどの形相で二人の男を睨み付けた。
「どーいうことやねん! 聞いてへんぞ、アンタがモヒカン野郎とグルやなんて!」
「それは当然だろう。カモにわざわざ手の内を晒すほうがどうかしている」
クレイトンはモヒカン男から手渡された銀のチップを振りながら、悪びれもなくそう言い放つ。
美桜は両手の拳を爪が食い込むほどに握り締めて、忌々しげに歯軋りをした。
「それじゃあ、私に近づいたのは最初から騙すつもりで……!」
「まあね。でも、二回戦では2枚取れただろう? 損ばかりじゃないじゃないか」
「アホか、4枚取られてるやんけ! 二回戦で2枚取れたんは布石や。アンタの情報が正しいと私に信じ込ませて、ここで大量に巻き上げるための策略やったんや!」
美桜がそう叫ぶと、クレイトンは口端を吊り上げて、笑った。
「ははっ、でも、仕方ないよね。これは、そういうゲームだから」
「こん……のおッ!」
美桜が握った拳を振り上げる。もう紳士だの淑女だの言ってられるか。
その整った鼻筋を叩き折ってやろうと拳に力を込めたところで、――黒服の一人が美桜の腕を羽交い絞めにした。
「なッ……なにすんねや、この……放せッ!」
「おっとォ、このフロアで暴力沙汰は厳禁ですよう?」
その様子を見ていたらしいバーニーが、台座の上からのんびりと話しかけてくる。
「カジノは紳士淑女の社交場ウサ。今度そういう行為に及んだ場合は、即退場ですからね」
「……くっ!」
美桜は顔をしかめて、力なく黒服の腕を振り払う。その様子に、モヒカン男が哄笑した。
「いやあ、ざまあねえなあ! これが敗者の顔ってやつか。胸をすく気分だぜ!」
「あ……アンタ、なんでそんな笑ってられるんや。アンタも騙されてるかもしれんのやで?」
美桜が苦し紛れにモヒカン男に言う。
「そもそも、儲けたチップをバカ正直に金髪野郎に渡すなんて……アンタこそどうかしてるわ」
「いーんだよ俺は。俺は最初っからそういう契約でこの場に来てるんだからな」
「け、契約……?」
美桜が驚いて目を丸くすると、金髪は頷いて、
「大金を賭けることを承知でこのゲームに参加したんだ。当然、事前に準備はしておくものだろう? 現金や道具を用意するのも勿論だが、仲間を雇っておくことも肝要というわけだ」
「そ、そんな……」
――さすがに、その発想はなかった。
自分ひとりの力で勝ち上がってやろうと息巻いていた美桜にとって、これほど衝撃的な言葉はない。
「なに、自分を責める必要はないさ。ここにはキミのような客が大半だからね。そういう意味では、キミはそこらに転がっている有象無象と大して代わりがないと言えるけれど」
そんな捨て台詞と共に、クレイトンとモヒカン男、そして出っ歯の三人組は、美桜から離れていった。
美桜は思わず足の力を失って、すとんとその場に座り込んでしまう。
「そんな……私が……、天才と呼ばれたこの私が……」
スカートのポケットを探ると、出てきたのは五枚のカードと、4枚のチップ。
これで失ったチップは6枚分――約7200万円だ。
残すところあと一戦で、チップ6枚を取り返さなければ、借金は確定的となる。
「む……無理や。私は今、4枚しかない。4枚しか賭け金がないのやから、5枚以上の勝負は成立せえへん……!」
次に4枚勝負で勝ったとしても、約2400万円の借金は残る。いや、それどころか4枚全ての勝負に負ければ、1億2000万円の借金になる可能性すら見えてしまう。
どうあがいても、多額の借金からは逃れられない。
つまり、詰み。
敗者確定。
その現実に思い至った瞬間、美桜の視界はぐにゃりと歪んだ。
「……なんや。なんで……なんで、こんなことに……ッ!」
目から大粒の涙がぼろぼろと零れ出す。
悔しくて泣いたことなんか、小学生以来だった。
走馬灯のように甦る記憶は、銀のまきばで過ごした日々。
小さくも穏やかなあの家を切り裂くのは、――私が作った、借金なのだ。
(伊万里、ちー子、院長先生……私は、私は……ッ!)
「――確かに。騙されるほうが悪いのは道理だな」
そのとき、俯く美桜の眼前に、ひとつの影が現れた。
美桜は鼻を啜りながら、恐る恐る顔を上げる。
そこに立っていたのは、白いタキシードに白マント、紫のマスクで目元を覆った一人の男。
「ま、マスク男……?」
「ノーマンデーだ。何回名乗れば覚えるんだ、乳袋」
ノーマンデーと名乗った白づくめの紳士は、遠ざかるクレイトン一味の背中を見つめながら、神妙な様子で口を開いた。
「おい女、ひとつ訊くぞ。……お前、さっきバーニーと接触していたよな。あいつ、何か隠し持っていなかったか?」
「え……バーニー? 何の話なん……?」
美桜は思わず台座の頂を仰ぐ。
そこには、対局中のゲームの指揮を執るバーニーの後姿と、フリフリと揺れるウサギの尻尾が見えていた。
「隠し持ってるって……別に、でかいおっぱいと黒い布袋くらいしか見とらんけど……」
「黒い布袋って、ゲーム当初に客から回収した二十六枚目のカードを入れる袋だな」
まあ、たぶん、と頷くと、ノーマンデーの口元はにやりとひん曲がった。
「分かった。よし乳袋、俺と組め。とっととゲームを終えてここを出るぞ」
「組む? 組むって……なんで? なんでアンタと私が組まなきゃならないの?」
完全に混乱して、疑問符以外の思考が停止する美桜。
ノーマンデーは面倒臭そうに顔をしかめ、美桜に向き直った。
「なんだ、不満なのか?」
「いや、不満とかそういう問題じゃなくて! 意味が分からん! これッぽっちも!」
「分かった分かった。じゃあ敵討ちしてやるから。チップ戻ってきたら俺と組め、な?」
ノーマンデーはそれだけ言うと、白いマントを翻してどこかへと旅立ってしまう。
一つとして答えの出ない美桜は、狐につままれた表情のまま、彼の後姿を見送る以外に選択肢はなかったのだが――。
これが、後にも先にもない大惨事の幕開けであることを、美桜はまだ知らない。
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