第一話 ポーカー25 -その5
「こここ、殺す! 殺す殺す殺す! 煮て殺す、焼いて殺す、蒸して殺す!」
黒服に壇上から摘み出され、会場の床に戻った美桜だったが、その怒りは収まらなかった。
台座から離れた壁際まで歩いてきても、あの男の傲岸不遜の笑みが頭の中から消えてくれない。壁に背中をもたれさせた美桜は、悔しさをぶつけるように握りこぶしの小指側を壁面に叩き付けた。
「ノーマンデーだかノーチラスだか知らんけど、次会ったら一方的にボコったる!」
美桜は射殺さんばかりの視線で会場を睥睨する。壇上ではすでに新たなゲームが始まっているが、周囲にノーマンデーの姿は見えなかった。台座の向こう側にいるのかもしれない。
美桜は深く息をひとつ吐き、改めてプラスチックケースの中身を覗き見た。
「これで、チップの残りは7枚……。いきなりアカンやろ、これは……」
冷静さを取り戻すと同時に、背筋が急激に冷たくなっていく感覚がする。
たったの数十秒で3600万円が吹き飛んだという実感は、思った以上の重圧だ。
まだ一戦目を消化しただけだというのに、こんな狂喜の戦いをあと四回もしなければいけないのか。今までに感じたことのない重圧に、吐き気すら催しそうだった。
(それに、何より問題なのは――)
このマイナス3枚分を、どうやって取り戻せば良いのか、だ。
もう一戦ごとに1枚ずつ賭けていくという、セオリー通りのBETは行えない。残っているRSFで2勝しても、まだ1枚足りないからだ。
SFも1組残っているが、SFの勝率があまりにも低いのは考察したとおり。それに加えて、まだ2Pが手元に残っているのだから、2Pで負けて1枚失うことも考慮に入れておかなければならない。必然、一戦で2枚以上を賭ける、ハイリスクハイリターンのBETも視野に入れなければいけない状況だった。
「くそ……たった1回、負けただけやぞ……」
悔しさが、今度は言葉となって唇からこぼれ出る。
上位五名に食い込むことが至上命題として挑んだはずなのに、今では「どうやってプラマイゼロに戻せば良いのか」を必死で考えることになるなんて――。
(……バーニーは『どんな手を使っても借金は回収する』と言った。一人ひとりの個人情報も把握している、とも。――ってことは、下手したら……私の借金は銀のまきばに知られてまうってことやんか!)
銀のまきばは、どこぞの足長おじさんの寄付金でやっと食い繋いでいるような貧乏孤児院だ。
もしも美桜がこのゲームで莫大な借金を作り、その返金を銀のまきばに迫るようなことがあれば――、
(あの孤児院は、終わる。私の身勝手ひとつで、みんなの家がなくなってまう!)
それだけは、絶対に駄目だ。
別に私はどうなってもいい。3600万円と引き換えに命を差し出せと言われるのなら、喜んで差し出そう。それでカタが付くというのなら御の字だ。
だが、カジノを経営しているような連中は、金の重みが人命よりも重いことを十分に理解している。
あいつらは、回収すると言ったら、必ず回収するだろう。
たとえ債権者が死んだとしても、その関係者が貸し分を返すまで――。
(だから……絶対に、絶対に! 何が何でも最低限プラマイゼロまでは戻さなあかんねん!)
美桜は残った二十枚のカードを取り出し、食い入るようにその絵柄をねめつけ始めた。
「――やあ、お困りのようだね、お嬢さん?」
ややもせずに聞こえてきたのは、気障ったらしい男の声。
美桜はまたあのマスク野郎かと威勢よく顔を上げるが、それは違った。
今度の男は金髪の西洋人だ。角刈りのがっしりとした美丈夫で、青い眼と青いスーツが良く似合っている。西洋人の後ろにはもう一人、小柄な西アジア系の男も控えていたが、そちらは口を開かなかった。
美桜はカードをスカートのポケットに仕舞いながら頷いた。
「お困りなんは事実やね。……私とあのマスク男の勝負、見てたんやろ?」
「まあね。あんなに目立つ勝負をしていれば、嫌でも目に付くというものさ」
……あの男がガッツポーズなんぞしくさったからや、と美桜はあからさまに舌を打つ。
青スーツは美桜のスカートのポケットを一瞥すると、少しだけ微笑んだ。
「ところでキミ、所持金マイナスだろう?」
「……なんでそんなこと分かるんや」
と言っておきながら、その理由は自明だった。
「キミは二十五名の中の紅一点だからね。キミが何度あの階段を登ったかなんて、意識しなくても知ってしまうさ。そして、あの初戦の反応を見れば、痛手を負ったのは想像に難くない」
あれだけ悔しがって見せればね、と青スーツは笑う。美桜はジト眼のまま頬を赤らめた。
「……うるさいなあ。傷ついてんの知ってんのやったら、ほっといてんか」
「しかし、その割に良く周囲を見ていて、分析力も高い。台座周辺に張り付いていたのは観察のためだろう? これが情報戦であると理解しているのは、手練のギャンブラーである証だ」
落ち着き払った声で言う青スーツ。美桜は顎を引いて、両腕を胸の前で組んだ。
「別にギャンブラーちゃうけどな。……それで?」
「単刀直入に言おう。僕たちと手を組まないか?」
「……組む?」
美桜が眉根を寄せる。青スーツは台座の方向へ視線を移した。
「このゲームで確実に勝つための方法はなんだと思う?」
「そんなん決まってる。相手のカードを把握することや」
美桜が即答した。
「相手の現状の手持ちカードが分かれば最上やけど、それまでに相手が使ったカードの履歴が分かるだけでも上出来や。なにせ、所有できる役の種類は三通りしかない。今までソイツが何の役を消費したかで、現状の手持ちカードを推測できる」
「……なるほど、理解しているようだね。やはりキミは、僕が思ったとおりの人だ」
西欧人特有のオーバーアクションで、青スーツは両手を広げて見せた。
「その通り、大事なのは情報だ。相手が次に出す役が推測できれば、勝てる確率が高くなる。強い役の相手との対戦も回避できるし、情報収集こそがこのゲームの肝というわけだ」
「まあ、そうは言っても、その情報が簡単に得られへんから困っとるわけで……」
美桜が呆れたように言うと、青スーツは唐突に台座へ群がる客の一人を指差した。
「たとえば、あそこにいる紫スーツの男。彼は二戦して、残る手持ちの役が何なのかを僕は知っている」
思わぬ宣言に、美桜は僅かに目を丸くした。
「え? なんでそんなん分かるん?」
「情報を得る方法は二通りだよ。実際に相手と戦って知るか、戦った者から情報を買うか、だ」
青スーツはにやりと、口の端を吊り上げた。
「彼の場合は両方だね。彼の一戦目は、ここにいるマレー人のシュリオム氏が対戦して情報を得たものだ。そして二戦目の情報は、彼と戦った者から取引によって手に入れた。よって、彼の手札の半分は既に割れているようなものさ」
青スーツの背後に立つアジア人が、黄色い出っ歯を光らせて笑う。彼がそのシュリオム氏で間違いないらしい。
美桜はもう一度紫スーツの男を凝視し、それから青スーツに向き直った。
「取引って……もしかして、チップを使こたんか?」
このゲームにおいて、カードの譲渡はルール違反だが、チップの譲渡については明記がない。つまり、チップはゲームと関係のない取引の材料として利用できるというわけだ。
しかし、
「いや、そういう方法もあるけどね。別に対価は金じゃなくてもいいのさ。たとえば、僕が今まで対戦した相手のカード情報を教えるから、キミも同様に教えてくれ……という具合にね」
なるほど、情報の交換か。
この男は、そんな方法で今まで情報を集めてきたらしい。
「それ、マズイやろ。他人のカード情報はこのゲームの肝やで。情報が蔓延すれば、客同士が警戒し合ってゲーム自体が破綻しかねないし、何よりアンタ自身が客全員に警戒される」
「心配ないよ。だからこうやって、人を選んで話しかけているのだからね」
そう言って、青スーツは自信満々の笑みで美桜を見つめた。
「この情報共有は、小規模なグループでやるのがミソなんだ。あまり広げすぎると儲けが減るし、カモも減る。何より、情報の独占をするならば少数精鋭でなければ意味がない。そこでキミに目を付けたというわけさ。……どうだい、僕らのグループに加わる気はないかな?」
青スーツが右手を伸ばして、握手を求めてくる。美桜はしばし黙考した。
……確かに、卑怯なやり方だけれど、これは有効な方法だ。
グループを作ることはルールに抵触しない。本来のカジノでは客同士が徒党を組むことはマナー違反とされているが、こんな不意打ちギャンブルでマナーなどクソ喰らえである。
何より、美桜には後がない。格好を付けていられるほどの余裕はないのだ。
「一つだけ教えてんか。……なんで、私を選んだん?」
「それはもちろん、キミが困窮していたからだよ」
青スーツは青い瞳を輝かせながら言った。
「キミは初戦で叩きのめされて、切羽詰った顔をしていた。そういう追い詰められた人間は、このグループに入った時点で裏切れない。裏切れば自分のデータが流出し、マイナス分が二度と取り戻せなくなるのは目に見えているからね。だから、キミはこのチームに最適なんだ」
「……ハッ、なるほど納得や。そういう打算的な人間、嫌いじゃないで」
美桜は呆れたように笑って、青スーツの握手に応じる。青スーツは力強く頷いた。
「ありがとう。僕の名前はクレイトン・キルパトリックだ。短い間だが、よろしく」
「ミオ・スルガや。せいぜい私を稼がせてくださいよ?」
「ああ、お安い御用だ。……っと、言い忘れていたけれど、チームに入ったからにはキミの持っている情報も教えて貰うよ。キミが戦った男が何のカードを出したのか。その情報をチームに提供して貰うのが、このチームに参加する最低条件だ」
つまり、あの男――ノーマンデーとかいうマスクマンの情報を渡せということか。
「それは……願ったり叶ったりや。あのマスク野郎をボコにする準備が整うんやからなァ」
美桜は小悪魔のような顔できししっと笑って、握手する手に力を込めた。
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