第6話
僕が育った家は県内の奥地にある。電車とバスを利用し二時間。切り開かれた山の麓。見渡せば、田。
バス停から二十分。なんだかんだで移動に半日近く。見にきた相手は死んでいるかもしれぬが、それはそれで仕方がないと一人開き直って道あるく。
ようよう歩けば寂れた木造家屋。懐かしいと思う反面、妙な感情が込み上げてくる。その正体はわからない。年季の入った引き戸をガラリと開ければ靴が二足。ババアの老人用スニーカーと、電話をよこしたかかりつけ医のものであろう革靴。それらを特に感情なく見据え玄関を上がり寝室に入ると、ババアが布団を横たわっていた。
「……遅かったね」
「元気そうじゃないかババア。まだ死なないのか?」
そう憎まれ口を叩くと医者がやや困惑したように「先程意識が戻られまして」と言った。
「まぁ長く生きたんだ。今さら悔いもないだろう」
「まったく。死ぬ直前くらいおばあちゃんと呼んだらどうだね」
いつもと変わらぬ調子で喋ってはいるが、ババアの声には力なく弱々しい。深く刻まれた皺に垂れ下がった肌。あれ程強く気丈だった人間が、こうも衰えるとは俄かに信じられなかった。
「……町の医者には行かなかったのか?」
その言葉を聞いた医者が「私は何度も勧めたのですが……」とため息まじりに呟いた。
「死に場所くらいは選びたいもんさ。無駄に延命されるのも願い下げだね」
「確かに、死に損なったら面倒だな」
「最後まであんたは可愛い気のない……せっかく金を残してやったのに、報われないね」
「金?」と聞き返すと「棚の上から二番目。暗証番号はあんたの誕生」と答えた。言われた通り棚の上から二番目の引き出しを開けるとカードと通帳が二組。残高は一方が五百万円。もう一方が百五十万円。そして手紙。
「ばばあ……」
僕は手紙だけ持って再びばばあの元へ戻る。
「母親のことを知りたいなら、十蔵に聞くといい……私は、疲れた」
ばばあはそう言って目を閉じた。呼吸と心音が停止する瞬間。静。間をおいて医者に「ご臨終です」と伝えられた。見れば分かる。
蒼白となった顔をしばらく見据え、僕は手にした手紙を開いた。
『預金は私の貯金とあんたの母親から送られてきたものだから好きに使え。家も土地もやる。売っても構わないから十蔵が出てきたら世話をしてやるように。それと、賭けてもいいがお前は絶対おばあちゃんとは呼ばなかったろうね。夢枕に立ってやるから覚悟しておくように』
簡素な紙に要点とブラックなジョークが書かれた手紙を読み呆れた笑いがでる。まったく逞しい事だと思いながら手紙をしまおうとしたところ、医者が「裏に何か書いてありますよ」と言ったので見てみた。するとそこには「追伸。母親からの送金。少しばかり水回りのリフォームに使った」と書かれている。僕は立ち上がりキッチンと風呂場を確認し最後に「ばばあ!」と叫び、固まっている医者をようやく帰して諸々の処理をした。
全て片付けるのに四日。疲れを癒すために一日。僕はばばあの家で過ごし、五日目にしてようやく自分の部屋へと戻ることができたのであった。
さて、約一週間ぶりに帰ればアシュリーがいない。勝手に成仏でもしたのだろうか。ともかく汗をかき不快であったため、風呂に入ろうとその場で服を脱ぎ浴室に入った。すると、なんともはや、同じく素っ裸のアシュリーが浴槽に浸かっているではないか。
「あら、遅かったじゃないですか」
「人一人死ねば、処理に手間どるさ」
アシュリーは「そうですか」といってそのままの姿で風呂を出た。幽霊の服がどうなっているのか気になったが、それよりも早く汗を流したかった。死んでいるとはいえ、仮にも女の裸を見たというのに感じるものが何もない。疲れだろうか。何やら情けない。
風呂から出てビールを飲む。アシュリーは相変わらず(僕に買いに行かせた)雑誌を読んでいて、会話はない。ほろ酔い。開けた窓から風が入り込む。どこかに吊るしてある風鈴の音色。心地よい静寂。宙に浮かぶ同居人を見れば薄れていく現実感。訪れる睡魔。目を閉じ、身体をもたれている壁に預けると心地よい浮遊感。そのまま寝入り夜。起き抜けに余っていたビールを飲み着替える。
「どこか行かれるのですか?」
「夜遊びさ」
アシュリーの言葉にそう返し家を出て、僕は繁華街で向い朝まで飲み歩いた。「アシュリーの正体を知る為だ」それを言い訳にし、記憶がなくなるまで酒を浴びて気づけば寝室。「いいご身分ですわね」と嫌味を言われる。
そんな生活が幾日か続く。アシュリーを言い訳に酒に溺れる自分が、情けなく思えた。
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