第5話 再びの調律


 エクスが見たのは、鎖に繋がれた若く美しい姫の姿だった。王女に生まれついたわけではない。それでも、その娘は間違いなく姫だった。

 シンデレラ、灰かぶりとまで貶められた過去を持つ少女は、地下室で鎖に注がれていてもなお、美しさを損なわなかった。


 だが、両腕を鎖に繋がれ、壁につながれている。足に怪我をしていた。長く細い、真珠のような白い足が、真っ赤に染まっていた。


「シンデレラ!」


 思わず叫んでいたエクスの声に、鎖に繋がれていたシンデレラが顔を上げる。

 黒く汚れた顔には、涙を拭うことさえ許されなかったのだろう。クッキリと涙の痕が筋を作っていた。


「誰?」

「王子様?」


 その声は、シンデレラの左右から上がった。

 身震いしたと思われる、黒いわだかまりがあった。

 ゆっくりと身体を起こす。


 長い髪で顔を隠すように垂らした、女性であることが辛うじてわかる程度にしか面影は残していない、巨大な影が二つあった。

 立ち上がりはしない。脚に、深刻な怪我をしている。


「シンデレラ、これは?」

「やめて! お姉さま!」


 シンデレラが叫ぶ。その声に弾かれたように、二人が反応した。


「お黙りよ。ああ、お前が憎い」

「お前の顔も、肌も、瞳も、全てが憎い」

「特に、足が憎い」

「や、やめて……お姉さま……」


 シンデレラは、ずっとこうして責められていたのだろう。既に人間さえやめた姉たちに、お前のせいだといわれ続けたのだ。シンデレラが泣いていたのは、自分の不幸を怨んだのではなく、姉たちを憐れんだにちがいない。

 レイナがエクスの背後に立った。耳元に囁く。


「もう、ヴィラン化しているわよ。まだ、人としての意識があるのが奇跡ね」


 つまり、いつヴィランになってシンデレラに襲いかかっても不思議ではない。


「お嬢、まずいぞ。このまま、完全にヴィラン化すれば、何もわからなくなって、シンデレラを襲うかもしれない」

「大丈夫でしょ? カオステラーを倒しちゃえば」


 焦ったようなタオの言葉に、シェインが首を傾げる。答えたのはレイナだった。


「普通はそうだけど、想区の主人公は、必ずしもそうとはいえないわ。もともと、とても強い運命を持っているはずなのに……ヴィランに殺されたりしたら……主人公が変わる可能性もあるのよ」


「なら、シンデレラが死んでからカオステラーを倒せば、エクスに……」


 3人の視線がエクスに集まる。その間にも、ヴィランになりつつある二人の姉が、シンデレラに詰め寄り、さらに恨みを吐き続けている。

完全にヴィランにならないのは、まるで、ヴィランになってしまえばシンデレラを苦しめることができないと思っているかのようだ。


 エクスは3人の仲間を見つめた。ちいさく頷く。


 3人は頷き返した。どんな意味を込めて頷いたのか、実はエクスにはわからなかった。


 だが、すべきことはわかった。自分の信じることをするだけだ。


「やめて! 王子様は僕だ!」

「王子様が、やめてとは言わないよね」


 シェインが小声で突っ込んでいたが、半ばヴィランとなっていたシンデレラの義姉たちには十分だった。


「ああ……やっぱり、私たちのことが……」

「お待ちしていました」


 顔には目も鼻もなく、乱れた髪がぶきみに垂れた二人の、切り刻んでまともに立つこともできなくなった足が、蛇のように変化した。不気味な化け物に変わった。


「ナーガ……強敵よ」

「お姫様たち、ほら、こっちだよ」

「王子様!」


 二人の声が重なり、二人同時に、エクスの胸に飛び込んでくる。エクスに達する前に、完全なヴィランに変わっていた。


「レイナ!」

「わかっている」


 頼れる調律の巫女による返事を合図に、二人のメガ・ヴィランとの戦いが始まる。

 ついでに、途中でオステラーであるシンデレラの継母も加わり、混戦の中、エクスたちは辛くも勝利した。




 戦いが終わり、エクスはヒーローの力を借りて鋼鉄の鎖を断ち切り、シンデレラを解放した。


「大丈夫?」

「王子様……ありがとうございます」


 エクスは、王子様を罠にかけようとしていたカオステラーとメガ・ヴィランたちの注意を引き付けるため、王子様を名乗った。

 シンデレラが騙されるはずがない。エクスの顔を、忘れていて欲しくない。


 しかし、エクスはシンデレラの状態に気がついた。


「シンデレラ……目が……」

「はい。でも、王子様のことははっきりとわかります。本人かとお疑いなら、どうぞお試しください」


 シンデレラは、片足を差し出した。自分が靴を置いてきた。その靴は、シンデレラしか履くことができない。そのことを、知っている者の動きだった。

 シンデレラは、悪くない。運命の書に従ったのだ。だが、視力を失うことは、書かれていたのだろうか。


 エクスは声もなく、足を差し出したシンデレラを見下ろした。動かなかった。いや、動けなかったのだ。


「王子様?」


 返事はできなかった。それほど、図々しくはなれなかった。

 エクスの肩が叩かれる。


 振り返ると、レイナが笑っていた。


「調律をはじめるわ。今のうちだけよ。王子様」

「う、うん……シンデレラ、捜したよ」


「ああ……やはり、来てくれたのですね。信じておりました」


 何と反応していいのかわからず、硬直したエクスの肩を、今度はシェインが叩いた。エクスが振り返ると、シェインは自分の靴を脱ぎ、差し出していた。

 体の小さなシェインの靴は、シンデレラの足にあいそうだ。


「もちろんだ。では、念のため、シンデレラが残した靴を試してみるとしよう」


 エクスは精一杯演じて見せた。シェインが上出来だと合図を送ってくる。レイナが調律を開始しようとしていた。本来、そんなに時間がかかるものではない。

 カオステラーは倒したのだ。レイナはただ、エクスを待ってくれているのだ。


「はい。王子様」

「うむ」


 シェインの靴を手に、エクスはシンデレラの足元に膝をつき、白いあしくびに手を伸ばす。

 あまりにも見事な造形に、エクスは触れることさえためらわれた。シンデレラは、ただ足だけでも美しいのだ。


「さ、触るぞ」

「どうぞ。このシンデレラの体は、すべて王子様のものです」


 あのシンデレラが、こんなことを言うとは。エクスは目の前にいながら、自分の存在を否定されたような惨めな気分になりながら、それでも、憧れの女性の足を持ち上げた。


 靴を履かせる。シェインの靴が、しっかりとはまった。


「うむ。やはりシンデレラだ。間違いない」

「王子様、どうかこのまま……」


 シンデレラは、解き放たれた両腕を前に伸ばしていた。目の付近に傷がある。視力が奪われたなのだ。抱擁を求めている。エクスは息を飲んだ。背中が叩かれる。タオが押した。


 エクスがシンデレラを抱きしめる。


「ああ……シンデレラ」

「どうか……このまま……」


「人に見られているよ」

「せめて……時間まで……」


 エクスが強くシンデレラを抱きしめる。さらにその先に進もうとした瞬間、レイナが調律を開始した。

 想区の運命は保たれ、すべての調律は保たれた。

 エクスの腕の中に、シンデレラはいなかった。




「シンデレラ……助けたのが王子様じゃなくてエクスだって、わかっていたんじゃないかな……」


 エクスの背後で、シェインが呟くように言った。エクスは小高い草原の丘の上で、シンデレラが戻っていった城を見つめていた。

 当然、はるか遠くにあるため、人の動きなどはわからない。だが、エクスにはその城で幸せそうに暮らすシンデレラの姿を思い描くことができた。


「そうかもしれないし、そうではないかもしれないわ。想区の中心である主人公のことは、私たちには決して理解しきれないでしょうね」


 レイナが少し寂しげに答えた。空白の書の持ち主である4人は、想区の主人公には決してなれないのだ。


「じゃあ行くか」

「うん」


 丘の下には、街があった。かつて、シンデレラが住んでいた街だ。

 エクスは丘を駆け下りた。

 シンデレラが住んでいた街には、つまりエクスの実家もある。


 調律を終えた。だからこそ、再びつぎの想区に旅立つ前に、エクスは実家に別れを告げる決心をした。


 シンデレラは幸せになるだろう。もう、思い残すことはない。多分、もう戻ってこない。


 仲間たちも、もはやエクスが居着いてしまうのではないかという心配はしていない。

 エクスは丘を駆け下りた。


 まずは実家と、その先の、次の想区を目指して。

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再びのシンデレラの想区(グリムノーツ) 西玉 @wzdnisi2016

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