閑話4 少女と少年の恋物語



 伊吹にとって、彼女は眩しい存在だった。

 一族の期待をその細い体に背負い、プレッシャーに押しつぶされそうになっても背筋をピンと伸ばして前を向く、とても強いひと。

 家族から蔑まれ、疎ましがれ、それに怯えながら暮らす伊吹とは何もかもが正反対だった。

 一緒にいることが多くても、彼女の強さ、優しさにどんなに惹かれても、自分とは相容れない存在。そう思っていた。


「わたしね…イブキが好きよ」


 彼女が頬を赤く染めてそう告げて来た時、最初は信じられなかった。だけど彼女は根気強く自分の想いを伝え、何度目もの「好き」という台詞を聞いてようやく伊吹はその言葉を信じることが出来た。


「俺で、いいんですか?」


 彼女の言葉を信じることが出来ても、自分が彼女に相応しい存在だとは思えなかった。

 出来損ないの自分。誰からも必要とされない、空気のような存在。見た目は人よりも良いようだから、舐めるような視線を全身に浴びることもあったが、それは出来の良い人形を鑑賞するようなもの。

 そういえば、誰かに「まるで人形のようだ」と言われたこともあった。人形としては出来が良くても、人間としては出来損ない。それが伊吹という存在だ。

 そんな風に自己評価をしている伊吹は、彼女の告白に応えるよりも先にそう彼女に問いかけていた。

 すると彼女はきょとん、とした顔をして首を傾げた。


「わたしはあなたを好きになったのよ? 良いも悪いもないでしょう?」

「……」


 本当に不思議そうに言う彼女に、伊吹は黙り込んだ。

 彼女の言うことは正にその通りで、だけどそれは伊吹が望んだ答えではない。いや、ある意味嬉しい言葉ではあったのだが。


「『イブキでいい』んじゃないわ。わたしは『イブキがいい』のよ」


 そう言って笑った彼女の、なんと眩しいことか。

 伊吹が欲しかった言葉をこうもあっさり言い当てる彼女は、まさに魔法使いのようだった。


「…俺も、貴女が好きです」


 気付いたら勝手にそう口が告げていた。

 しまった、と思ったが、まるで花が綻ぶかのように嬉しそうに笑った彼女を見たら、そんな思いは吹き飛んだ。これで良かったんだ、そう思ったのだ。

 ―――その時は。




 アンジェリーナにとってイブキという少年は、誰よりも近い存在だった。

 暗い影を纏いながら、光を諦めたように眺める。そんな諦念を抱いた目をした少年。そんな彼のことが出会った時から気になっていたし、彼に光を見せてあげたいとも思った。

 表情が乏しく、また容姿がとても整っていたから、彼は陰で「人形の子」と呼ばれていた。その名を聞くたびに、アンジェリーナは激しい怒りを覚えた。

(イブキは人形なんかじゃないわ! ちゃんと心がある。楽しい時には笑って、悲しい事があったら傷つくのに、どうしてそんなことを言うの)

 諦めたように笑うイブキの姿が目に浮かぶ。そんなイブキの笑顔を見るとアンジェリーナは悲しい気持ちになった。

 イブキにはもっときらきらとした笑顔が似合うのに。そんな風に笑ってほしいのに。

 そう思っても現実はままならない。

 また、アンジェリーナとイブキが恋人同士となってからというもの、イブキへの風当たりが強くなってきて、またイブキの家の方でもいろいろと揉めているらしい。

 最近では彼と会うのにも誰にもわからないようにこっそりと会わなければならなかった。

 彼に想いを告げたのは失敗だったのかもしれない。そう思えてならなかった。


「…ごめんなさい、イブキ。わたしのせいで、あなたが辛い目に遭っている…」

「なにを言っているんですか。これは俺が決めた事です。貴女のせいではない。それに…そんな風に言うなんてアンらしくないですよ」

「イブキ…」

「これくらい、俺は平気です。アンに堂々と逢えなくなったのは寂しいですが…それ以上のものを貴女に貰っているので」


 そう言って微笑んだイブキに胸が締め付けられた。

 平気なはずは、ないのに。

 だからこそ、アンジェリーナは早くこの状況を何とかしなくてはならない、と思った。早くみんなに認められて、そして彼と堂々と一緒にいられるようにしなくては。誰にも文句を言わせないように、そんな力を身につけなければ、と。

 そんな焦りから、アンジェリーナは魔術の研究にのめり込んでいった。

 そして完成させた魔術の試験を行った。しかし、その魔術には重大なミスがあり、魔術は失敗した。暴走した魔術はアンジェリーナに向かってきた。

 ああ、きっとこれで自分は死ぬ。そう思ったのに、恐れていた衝撃の代わりに何か温かいものがアンジェリーナを包んだ。

 それがイブキだと気付いたと同時に、イブキが微笑んだ。


「どこか痛いところはありませんか?」

「痛いところはないわ…そ、それよりも…あなたが…」

「そうですか…良かった。最後に、貴女の役に立てて…」

「なにを…なにを言って…」

「こんな俺でも、貴女の役に立てて良かった。貴女を好きになって、良かった」


 そう言って綺麗に微笑んだイブキにアンジェリーナは悲鳴をあげそうになった。

(わたしが…わたしが……! わたしがイブキを…! わたしは、ただイブキに…イブキに心から笑ってほしかっただけなのに…!)

 イブキを失う? いや、そんなことは認められない。認めてなるものか。


 アンジェリーナは祈りながら、禁忌の魔術を使った。

 まだ完成していない魔術。いや、これは魔術というよりも呪いと呼ぶのが相応しい。

 ―――わたしのなにを犠牲にしてもいい。だから、どうかイブキの傍にいさせて…。


 アンジェリーナの魔術は成功した。

 そしてイブキはアンジェリーナだけの人形になった。アンジェリーナの傍にずっと寄り添う、アンジェリーナの命令に忠実な人形。

 だけど、人形となったイブキは心を失っていた。アンジェリーナの傍にいても、笑わせようと心を砕いても、アンジェリーナが欲しい心からの笑みを見ることはもうできない。


 やっと気づいた。アンジェリーナは取り返しのつかないことをしてしまったのだと。

 気付いてからのアンジェリーナはイブキのこの魔術を解くことに心を砕いた。だけど未完成な魔術であるがゆえに、魔術を解くことは難しかった。不治の病に蝕まれたこの身であれば尚更のこと。もう以前のように魔術を操ることはアンジェリーナにはできなかった。


 それでも、アンジェリーナは執念でイブキの魔術を解く術を見つけた。

 それは成功させることがとても難しい術。余命が幾ばくも無いアンジェリーナではなしえないこと。

 だからアンジェリーナはイブキを眠りにつかせ、後世へその術を託すことにした。


 ―――どうかお願い。わたしの大切なひとを、助けて。


 そんな祈りを込めて。


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