20.馬鹿で守りたい人
声に言われた通りに進むんだ場所は、大広間みたいな大きな部屋だった。そこで銃を握って待機するように、と言われて私は銃を持った。
すると、私の意識とは関係なく、指が引き金に触れた。
「な、なんで…!?」
『保険です』
「保険…?」
『あなたが彼と決別が出来なかった時のための保険です。あなたがきちんと彼と決別が出来なかった場合、あなたはその引き金を引いて彼を撃つように、その銃に魔術をかけておきました』
「そ、そんなことしたら伊吹は…!」
『死んでしまうでしょうね。魔術を焼かれるという感覚は想像もつかないような苦痛を伴うと言われています。そんな苦痛に苛まれながら彼は命を落とす事になるでしょう』
「なんて酷いことを…!」
『あなたがきちんと彼と決別出来れば、彼はそんな目に遭う事はありません。ですので、彼ときちんと決別してください。くれぐれも、選択を誤る、ということだけはなさらないように』
「………」
この声の主は私のことを信用していない。私が伊吹と決別できると思っていない。だからこうして脅すんだ。
…伊吹ときちんと話をつけないと。嫌でも後悔しても、きちんと決別しなくちゃ。
―――『もう二度と』……?
なんでそう思ったんだろう? まるで前にも伊吹を失ったことがあるかのような…?
いや、そんなわけない。そんなこと、あるはずがない。そのはずなのに、なんでこんなに伊吹を失うことを私は恐ろしく感じているんだろう。
そう考え込んだ時、頭がズキンと痛んだ。銃を持っていない方の手で頭を押さえる。
その時、私の脳裏に伊吹が倒れた映像が浮かんだ。これはいったいなに…? 激しい頭の痛みで脂汗が出てきて、考えることも難しい。
痛みをぐっと堪えていると、カツンという足音が聞こえた。それと同時に頭の痛みがすっと引き、私は視線を音のした方へと向けた。
そこには予想通りの人物が立っていて、私は嬉しいような、困るような、悲しいような、複雑な気持ちになった。
「―――探しましたよ、マスター」
そこには相変わらずの無表情で伊吹が立って、私をじっと見つめていた。
伊吹を見てうっかり涙が零れそうになる。それをぐっと堪えて、私は伊吹を見つめ返す。
「伊吹…」
「さあ、帰りましょう。ここは貴女が居るべき場所ではない」
「…どうして、来たの? もう放って置いてって言ったのに」
「あの言葉が、貴女の心からの言葉とは思えませんでしたので」
「……! あ、あれが私の本心だから!」
「嘘ですね」
「嘘じゃない!」
「では、私の目を見てまた同じことが言えますか?」
「……っ。い、言える! 言えばいいんでしょ!?」
買い言葉に売り言葉、まさにそんな感じで私は言い返していた。
だけど、あれが嘘だって認めるわけにはいかない。伊吹の命がかかっているのだから。もし私があの言葉が嘘だったと認めてしまったら、私の意思に関係なく私は伊吹をこの銃で撃ってしまうだろう。
さあ、もう一度覚悟を決めて言うんだ。もう一度、だいっきらいって、言うんだ。
「私は…あんたが……だいっきらい」
伊吹の目を見てしっかりと言った。
うん、言い切った。頑張った、私。ちょっと声が震えてしまったけど、本当に僅かな震えだ。きっと気付かれていないはず。
「貴女は…本当に馬鹿な人ですね」
「な…!?」
なにがどうしてそういう結論になるの!?
意味がわからないのと、馬鹿だと言われたことへの腹立ちで私はカッなって反論しようと何かを言う前に、伊吹が喋り出した。
「そんな言葉に私が騙されるとでも? 貴女は基本的に嘘のつけない人です。貴女の目を見れば嘘かどうかくらい簡単にわかります。貴女が何かを…いえ、私を守ろうとしていることも、無理して私を拒絶しているということも、私にはわかります。貴女は決して口にしないけど助けを求めている―――そう感じたから、私は貴女を迎えに来たんです」
思いがけない伊吹の言葉に私は一瞬、言葉を失った。
なんで、伊吹にはわかってしまうんだろう。わかって欲しくなかったのに。ううん、わかられちゃいけない事だったのに。どうして、私が言ってほしい言葉をこのタイミングで言うんだろう。
決心したのに。何が何でもみんなを、伊吹を守るって、決意したのに。その決意がぐらぐらと揺れ始めるのを感じる。
それじゃ、だめなのに。
「どう、して…?」
呆然として私が呟くと、伊吹はいつものようにフッと馬鹿にするように笑う。
いつもと変わらない伊吹のその表情に、私はどうしようもなくほっとした。そんな風にほっとする資格なんて、私にはないのに。
「どうして、とは愚問ですね。私は貴女に何回も言っているはずです。私の役目は貴女を守ることだと。それすら覚えられないのですか、貴女は」
いつも通りの私を馬鹿にした言い方。いつもなら腹が立つものだけど、私はそんな伊吹の台詞に泣きたくなった。
「だって…私、あんたに酷い事をいっぱい言った…! あんたが傷つくって、わかってたのに…! だから、私はあんたにそんな風に言って貰う資格が…あんたに守って貰う資格なんてない…!!」
あの時の伊吹の傷ついた顔が忘れらない。私は敢えて伊吹が傷つくことを言った。ああ言うしかなかった、なんて言い訳にしかならない。私は確かにあの時、伊吹を傷つけることを選択したのだ。どんな理由であれ、人を傷つけて良いなんてことはないのに。
「貴女は、本当に馬鹿ですね」
「……っ! わかってるよ、そんなこと…!」
「いいえ、貴女は何もわかっていない」
伊吹が一歩、足を踏み出して私に近づいてくる。
私は震える手で、手の中にあった銃を構える。この銃で人を傷つけることはない。ただ音がするだけのおもちゃ。だけどこれは、伊吹に対しては、いや、魔術を操れるものに対しては、とてつもない威力を発揮する。
この銃で撃たれた者は魔力を焼き尽くされる。それは魔力を持たない者にはわからないほど、激しい苦痛を伴うのだと言う。伊吹は魔術で動いている。そんな伊吹をこの銃で撃てばどうなるか、撃たれたらどうなるか、想像するのは容易い。
―――この銃で伊吹を撃てば、伊吹は動かなくなってしまう。それは人間でいえば“死”と同じ意味を持つ。きっと伊吹だってわかっているはずだ。それなのに、伊吹は足を止めない。
「こ、来ないで…!」
手がガタガタと震える。
いやだ、撃ちたくない。お願い、もうこれ以上近づかないで。
そう思うのに、魔術で操れたこの体は言うことを聞いてくれない。引き金に指がかかる。
「貴女は本当にどうしようもない馬鹿です。お人好しで、自分勝手で、向こう見ず。私がどれほど貴女に振り回されているか…貴女は想像したこともないのでしょう。マスター、気付いていましたか? あの時の貴女は酷い顔をしていました。私を傷つける言葉を吐きながら、貴女自身が傷ついていた。本当に…貴女はどうしようもないくらいお人好しで、私が呆れてしまうくらいの阿呆です」
伊吹が私の目の前に立つ。手を伸ばして構えた銃が伊吹の胸に触れてしまうくらいの距離。引き金にかかった私の指に力が入って震えた。あとほんの少し力が入れば、私は、伊吹を撃ってしまう。
「やめて…お願い、逃げて」
「そうして貴女は自分よりも私の心配をする。―――そんな貴女だから、私は貴女を守りたいと思うのです」
「…え…?」
想像すらしていなかった伊吹の言葉に、私は目を見開く。
そして次の瞬間、私は伊吹に抱きしめられていた。
「い、伊吹…?」
「馬鹿でお人好しで、本当にどうしようもない人だと思っていました。何度貴女の突飛ない行動に私が戸惑ったか…本当に貴女は私の理解の範疇の外にいる人で、そんな貴女に付き合わされる私の身にもなってほしいと思っていましたが、不思議と嫌だとは思わなかったんです。怒って泣いて笑って…貴女のころころと変わる表情が私にはとても眩しかった。私の事を鬱陶しく思っているくせに私の事もきちんと考えてくれる、そんな貴女に私は惹かれたのです。最初こそ渋々、貴女に従っていましたが…今は違います。今は使命だとか役目だとか、そういうものは関係なく、貴女を守りたいと、心から思っています」
「………ぁ……」
そんな風に、思ってくれていたのか。
伊吹の本音に触れて、私は目からぽろりと涙が零れた。
「撃ちたければ撃てばいい。それで貴女を守れるのなら、私の身など惜しくはない。だけど、貴女は私を撃たない。…いいえ、撃てない」
「どうして、言い切れるの…」
「貴女は馬鹿つくほどお人好しですから。それに弱くもない。大人しく操られたままなんて、貴女らしくないですよ」
「……!」
伊吹の言葉に、私は目が覚める思いだった。
そうだ。操られるがままなんて、私らしくない。操られたってなんとかしてそれから逃れる。そう頑張るのが私だ。なのに、今は逃げる努力すらしていない。
―――操られるままでなんか、いてやるものか。
そう強く思ったとき、パリーンと何かが割れる音が聞こえ、私の体に自由が戻った。だけど上手く力が入らず、そのまま崩れそうになるのを、伊吹が支える。
「……伊吹、私…」
「体の自由が戻ったようですね」
「うん…伊吹のお陰で。ありがとう」
「それはなによりです」
伊吹がほっとしたように表情を緩ませる。伊吹のその顔に、伊吹が私を本当に心配してくれていたのだとわかって、心が温かくなる。
もう一度お礼を言おうとして、それよりも先に言わなければならないことがあると思い出し、私は口を開く。
「…あの、ね、伊吹……あの時はごめんなさい…」
「……素直に貴女に謝られると気持ち悪いのですが」
奇妙なものを見るような目で見られ、さすがにムッとした。こんな時まで伊吹は伊吹だった。素直に謝られればいいのに、と思うけどここで素直な反応をされたら私も伊吹と同じように思うかもしれない、と思い直す。
私たちはちょっと嫌味を言い合うくらいの関係でちょうどいいのだ。
「あのねえ…! 人がせっかく素直に謝っているんだから、ありがたく謝られておきなさいよ!」
「そう言われると余計にありがたく思えなくなるのですが」
「本当にあんたって素直じゃない!」
「それが私ですので」
諦めろ、と暗に言われてむぅっと唸る。シリアスな雰囲気もどこかに吹き飛んでしまった。雰囲気台無しである。だけど、これがいつもの私たちで。
―――ああ、私、戻って来れたんだ。
そう、思った。私は戻れたんだ、この生意気で嫌味ばっかりの、
その事に安堵した。ここが私の居場所なのだと、そう強く感じた。
だけど、その安心も長くは続かなかった。
『―――私たちを裏切るのですか、古澤杏さん』
今まで沈黙していたあのノイズ混じりの声が、唐突に響いた。
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