19.嘘つきの言葉


 私がいた場所は、まるで中世の屋敷のようなところだったらしい。こんな屋敷があるのなんて、近所で見たことがない。そう思ったけど、私はここへ魔術で連れ去れたことを思い出した。だからもしかしたらここは、学校の近くではないのかもしれない。

 しかし、もし私のこの予想が当たっていたら、私はどうやって帰ればいいんだろう? あの声の主は私に伊吹と決別をするようにと言っていた。だから私は伊吹のもとへ行かなければならない。でもここが学校の近くではなくて私の知らない場所なら私は帰る方法を知らない。幸いお財布はあるけど、そう大した金額は持っていない。そもそもここは日本なのだろうか? なんだか空気が日本とは違うような気がする。

 そんな不安を抱きながら私は屋敷から出た。どうやらここは森の中にある場所らしい。高い木々が多い茂り、大きな造りの屋敷が周りからはわからないようになっているようだ。そのことに尚更不安を覚えながら、私は屋敷の門の外へ一歩踏み出すと、少し前に感じた感覚がして、目の前が真っ暗になった。この屋敷へ来たときと同じように瞬きをすると同時にその感覚もなくなり、視界も戻る。

 私はまたどこかに移動したのだろうかと思い周りを見回すと、なんとなく見覚えのある場所で、先ほどと空気も違うような気がした。

 しばらく考え込んでみたけど、考えてもわからなかったから歩くことにした。ここで立ち止まっていてもどうにもならないし、動いていた方が気も紛れる。

 少し歩いて、ここはあの雑木林の中だと気付いた。まあ、気付いただけだけど。どうやってこの雑木林から抜け出せばいいのかはさっぱりわからない。

 とにかく歩こう。歩けばそのうちここから抜け出せるはずだ。

 そう信じて私は歩いた。だけど歩いても歩いても景色は同じ。

 ……完全に迷子になったらしい。高校生にもなって迷子って…。いや、ここは雑木林の中だし、迷ったって不思議はない。きっと大人でも迷うはずだ。…たぶん。

 ちょっと泣きそうになった時、ガサガサと音が聞こえて私はびくっとした。

 え? なに…? 動物? それとも、不審者…? 

 ここなら人目につきにくいし、不審者が潜んでいてもおかしくない。不審者に襲われたらどうしよう、と思っている間にもガサガサと音は続く。心なしかその音が近くなっている気がするのは、きっと気のせいじゃない。

 本当にすぐ近くでガサっと物音が聞こえて、私は固まった。

 ああ、神様…! 助けて!


「…マスター!?」

「…………え……?」


 木の隙間から出て来たのは伊吹だった。

 伊吹の姿を見て、私は心から安堵した。よかった、不審者じゃなくて…。

 そう思うのと同時に、痛みも覚えた。そうだ。私はこれから伊吹を裏切らなくちゃいけないんだ。みんなの命がかかっているとはいえ、心は痛む。


「ご無事でしたか。マスターの気配がしたので来てみて正解でした」

「……」


 心なしかほっとした表情を浮かべて私に歩み寄る伊吹に、私の心はズキズキと痛んだ。

 そんな風に心配される資格なんて、私にはもうないのに。私はもう伊吹のマスターである資格ですら、きっともうないのに。


「…マスター?」


 黙り込んだ私を、伊吹は訝しげに呼ぶ。

 そんな伊吹の行動ひとつひとつが、今の私には痛くて辛い。


「どうしたのですか? なにかあったのですか?」

「……」

「マスター? どうしたんですか、黙り込むなんて貴女らしくない…」


 私に触れようと伊吹が手を伸ばす。私はその手を、思い切り振り叩いた。


「…触らないで!」

「マスター…?」

「私に何があろうと、あんたには関係ないでしょ。もう放って置いて」

「そんなわけにはいきません。貴女は私のマスターなのですから、放って置くなど…」

「もうやめるから、それ。私にはあんたのお世話なんて、もう無理」

「…なにを言って…」

「あんたってすごく口悪いし、私のこと馬鹿にするし、もう本当にむかつくし。あんたと一緒にいるのにもう疲れちゃった。だからもうあんたと関わりたくない」

「…マスター、私がいない間に何があったのですか? そんな風に言うのは貴女らしくありません」

「マスターって呼ばないで! 私らしいってなに。あんたは私の何を知っているって言うの? たった数か月一緒にいただけでしょ。何も知らないくせに、そんな風に言わないでくれない? 本当、そういうの無理」

「……それは、貴女の本心ですか?」


 そう問いかけた伊吹の顔を、私はまともに見ることが出来なかった。

 きっと伊吹の顔を見たら、私は言えない。伊吹と決別する言葉を。

 私はポケットに忍ばせた銃をそっと触る。それを触ると、心が冷えた。今なら、言える気がする。伊吹に、決別の言葉を。


「…そうだよ。これが私の本心。私はね、あんたが…」


 言え、言うんだ。今、言わなきゃならない。

 例え、それで伊吹を傷つけることになっても、私は言わなくちゃいけないんだ。


「―――だいっきらい!」


 伊吹は目を見開き、綺麗な青い瞳を揺らした。

 ああ、私は伊吹を傷つけた。でも、これでいいんだ。これで…。


「だからもう私に関わらないで。放って置いて!」


 それ以上伊吹の顔を見ていられなくて、私は伊吹に背を向けて宛てもなく走り出した。

 伊吹が私を追いかける気配はない。それが寂しいと思う資格なんて、私にはない。

 息が切れて走れなくなるまで走って、私は足を止めた。

 はあ、はあ、と荒く乱れる息。酸素が足りなくて、苦しい。

 いや、これは本当に酸素が足りなくて苦しいのだろうか。もっと違うことが原因じゃなくて?


「わ、たしは……私は…」


 ―――伊吹を、傷つけた。

 例えどんな大義名分があろうとも、人を傷つけていい理由にはならない。そうわかっている。わかっていて、私は伊吹を傷つけた。


「ごめん…なさい……ごめんなさい、伊吹…!」


 涙が勝手に溢れた。泣いたって許されることじゃない。そうわかっていても、涙は止まってくれない。

 大嫌いなんて、嘘だよ。私は伊吹のこと、嫌いなんかじゃない。伊吹の事、家族みたいに思っていた。だから、伊吹に幸せになって欲しくて、もう一度人間として生きて欲しかった。

 幸せになって欲しいと願う相手を傷つける。なんて矛盾した行為だろう。馬鹿みたいだ。だけど、私にはこうする以外の道はなかった。


 ―――本当に?


 私はただ楽な方へ逃げただけじゃないだろうか。もっとよく考えれば、もっと違う選択があったのではないか。

 そんな後悔が、どっと押し寄せた。

 だけど、今さら後悔したところで、私のしてしまったことがなくなるわけじゃない。だから後悔しても仕方ないことだ。

 そんなことわかってる。だけど、後悔せずにはいられない。大嫌いと言った時の伊吹の顔。普段は表情なんて変えないくせに、あの時の伊吹は明らかに動揺して、傷ついた顔をしていた。あの顔を見て、私はやっぱり大嫌いなんて言うべきじゃなかったと悔やんだ。もっと違う言葉で伊吹と決別するべきだった。

 そう思うけど、あの時はああ言うのが一番だと思ったのも事実で。

 どうすれば良かったのかなんて、もうわからない。どんな言葉を選んでいたとしても、結局私が伊吹を傷つける選択をしたことに変わりはなくて、結果として私が伊吹を傷つけたという事実は変わらないだろう。


 それから私はどうやってあの屋敷に戻ったのか覚えていない。無茶苦茶に歩いて、気づいたらみんながいる部屋に戻っていた。

 呆然としている私の意識を戻したのは、あの怪しい声だった。


『どうやら彼と決別出来たようですね?』

「……私はあなたの言う通りにした。だから早くみんなを…」

『そう焦らずに。まだ彼らには協力して貰いたいことがあるので、彼らを解放するのはそれが終わった後です』

「話がちがう!」

『私が言ったのは、彼らを“助ける”ということで、彼らを“解放する”とは一言も言っていません』

「そ、そんなの屁理屈じゃない!」


 騙された。この声の言う事なんて信じた私が馬鹿だった。これじゃあ、なんのために伊吹を傷つけたのかわからない。


『彼らは解放しますよ。ただそれが今ではないだけで。安心してください、彼らには傷ひとつ負わさずに、連れ去られた記憶も消して元通りの生活が送れるように帰してあげますから』

「…それは本当なんでしょうね?」

『約束しましょう』

「………わかった、信じる」


 信じる、と答えておきながら、私は完全にこの声の言うことを信じられずにいる。それはきっと、この声の主もわかっているはずだ。


『信じてくれてありがとう、と私は言うべきなのでしょうね』

「………」

『ふふ…』


 敢えて応えずに黙った私に、その声の主は楽しそうな笑い声をこぼした。

 この声の主はいったい何がしたいのだろう? 私をからかって遊びたいだけ?

 そもそも、みんなを連れ去り私を仲間にしたいと言った理由もわからない。なんとも不気味な存在だ。


『…おや? ふふ…あなたの人形がやって来たようですね』

「えっ…」

『彼はあなたを諦める気はないらしい…これは、予想外な展開だ』

「………」


 伊吹がやって来た? いったいどうして? まさか…。

 ―――私を助けに?


『古澤杏さん、彼にお帰り頂いてください』

「なんで私が…」

『ここにいる方たちがどうなってもいいのですか?』

「……っ!」


 なんて、卑怯な。私は怒りのあまりに拳を強く握りしめた。だけど、みんなの命を引き合いに出されたら逆らえない。私は渋々、頷いた。


「…伊吹を帰らせればいいの?」

『その通りです。今度こそ、彼と決別してきてくださいね。―――もう二度とあなたを追わないように』

「………っ」


 なんて残酷なことを言うんだろう。私にもう一度伊吹を傷つけろと、この声はそう言っているんだ。私が嫌がる事と知っていて、そう言っているんだろう。

 だけど、私にはこの声の言う事を聞かないという選択はできない。みんなの命がかかっているこんな状況で嫌だなんて言えるはずもない。

 ―――嫌だ、伊吹を傷つけたくない…!

 私の心がそう叫んでいる。だけど私はそれを無視して伊吹のもとへと向かった。

 それしか、私に許される行動はない。願う事が許されるなら、私に会わずにそのまま帰ってほしい。そう願いながら歩く。

 そんな私の願いが叶う事がないと、伊吹の性格をわかっている私はよく知っていたけど。


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