18.裏切りの決断


『…おや。彼はあなたに何も話していないのですね』

「いったいどういうこと…?」


 意味がわからず戸惑う。

 彼って言うのは伊吹のことを指しているのだというのはわかる。つまり、伊吹が私に対して言っていないことがあるってことをこの声の主は言いたいのだろう。


『そうですね…まずは彼が前に仕えていたマスターのことからお話するべきでしょうか』

「伊吹の前のマスターって…アンジェリーナって人のこと?」

『彼女の名はご存知でしたか。では、彼女の病のことも?』

「病…? 伊吹の前のマスターって病気だったの?」

『そちらはご存知ないのですね。では―――彼が人間だったことも?』

「………え?」


 伊吹が、人間だった―――?

 そんな、まさか。いやだけど、思い当たる節はある。

 自分に心はないのだと言いながら、それを悲しんでいるような様子を見せたり、昔を懐かしむような表情を浮かべたり、迷子のような顔をしたり。それ以外にも伊吹を人間くさいと思うことは多々あった。だから伊吹が人間だった、と言われたら、そうなのか、と納得することは出来る。

 だけど、この明らかに怪しい声の主の言葉を鵜呑みにしてしまっていいのだろうか?


『私の言葉が真実かどうか、それを気にしているようですが、私の言ったことはすべて真実です。彼、イブキ・フロックハートは貴族の庶子で、アンジェリーナ・コラヴォルペとは幼い頃から交流があり、恋仲でもありました。アンジェリーナは人形師としての腕もさることながら、魔術師としての腕も群を抜いて秀でていました。魔術の申し子と呼ばれ、その才能は百年に一度の逸材とも言われていた、優れた魔術師でした。そんな彼女はとある魔術の研究をするうちに精神的に追い詰めてしまい、自らの魔術を暴走させて命を落としかけた時、彼が彼女を助けた。彼女は助かりましたが、彼の命は尽きようとしていました。そんな彼を助けるために、彼女は禁忌の魔術を使い、彼の命を救う代わりに彼を人形とし、また自らの命をも削ったのです』

「…そんな、ことが…」


 声の主が語った伊吹の過去に、私は言葉を失った。

 時折伊吹が見せた、切ない表情。あれはこの事を思い出してしまったからだったのだろうか。

 人形になって伊吹はどんな気持ちだったのだろう。恋人だった人を自らの主と仰ぎ仕えるその気持ちは、どんなものだったのろう。そして、心をなくして、どれほど歯がゆい思いをしたのだろう。


『彼が人形になってしまったのは、いわば呪いなのです。古澤杏さん、彼の呪いを解いてあげたいと思いませんか?』

「…そんなことができるの?」

『できます。あなたが協力さえしてくれれば、彼の呪いを解き、彼は普通の人間としての生をまた歩むことが出来ます』

「本当に?」

『本当です』

「………」


 この声の主の言葉を本当に信じていいのか、わからない。

 いや、信じるべきではないのだろう。だって怪しすぎる。これですんなりと信じたなら、それはただの馬鹿だ。

 だけど、もし本当にそれで伊吹を人間に戻すことが出来るのなら、私は伊吹を人間に戻してあげたいと思う。伊吹はそんなことを望んでいないのかもしれない。いや、望んでいないのだろう。だから私にこの話をしなかったのだと思う。だけど、私は伊吹を人間に戻してあげたい。そう思ってしまうのはただの私の自己満足にすぎない。だけどこのまま伊吹だけ永久に一人で生き続けなきゃならないのだ。そんなの、寂しすぎる。

 私は悩んだすえに、声に問いかける。


「どうすれば、いいの?」

『簡単なことです。あなたが私たちの仲間に加わり、そして彼から離れてくれれば、彼の呪いを解いてあげましょう』

「伊吹から、離れる…?」

『ええ。残念ながら、彼を我々の仲間の加えることはできないのです。ですから、あなた自ら彼から離れてください』

「それは…伊吹を裏切れと、そういうことなの?」

『これを裏切りと取るかは人それぞれだと思いますが、まあそういうことです』


 伊吹を助けるために伊吹を裏切る。

 なんて矛盾した行為なのだろう。


『さあ、どうしますか? ここにいる人たちを救い、また彼の呪いを解くために私たちの仲間となるか。それとも…自らの信念を貫いて、誰かを犠牲にする道を選ぶか。

 ―――あなたはどちらの道を選びますか?』

「……っ!」


 そんな聞き方はずるいと思った。こんなの、答えが一つしかないのと同じだ。なのに選択を迫って私に答えを選ばせたかのように錯覚させる。なんて、ずるい問いかけなのだろう。

 そう思っても、私は結局この声の主の望む通りの解答をするのだ。


「…わかった。あなたたちの仲間になる。だからここにいるみんなを、伊吹を助けて」

『…その言葉を待っていました。ですが、ここにいる人たちを助けるのはまだあとです』

「な、なんで…!?」

『あなたが彼と決別をしたら、ここにいる全員を助けましょう。それがここにいる人を救う条件です』

「……っ! ひ、卑怯者…!」

『なんとでも。さあ、部屋のドアの施錠を解きました。この部屋を出て右に曲がるとテーブルが置いてあります。そのテーブルの上に銃を用意しました。これを持って彼と決別をして来てください。…ああ、安心してください。その銃は特殊なもので、弾は入っていません。弾は入っていませんが、その銃の引き金を引くと、標準内にいる相手の魔術を焼き尽くす、という特殊仕様になっています。それがどういうことか、わかりますか?』

「わ、わかんない…」

『彼は魔術で動いています。その彼に銃を向け引き金を引けば―――彼は今度こそ、命を失うでしょう』

「な……!?」

『もちろん、彼の命を奪うのは私たちの本意ではありません。ですので、それはあくまでも彼を脅す用、もしくはあなたのお守りがわりに使ってください』

「こんなもの、要らない!」

『では自分の言葉だけで、彼と決別できますか?』

「そ、れは…」


 そう問われると、言葉だけで彼を納得させるのは難しいように思えた。

 伊吹はとても頑固なところがある。おまけに頭の回転も早い。伊吹に口で勝てたことのない私では、伊吹を納得させることが出来るとは思えない。むしろ不信感を与えてしまうだけだろう。


「……わかった、あなたの言う通りにする」

『ご理解いただけたようで何よりです。では、彼と決別してからまたここへ戻ってきてください。あなたが帰ってくるのを楽しみに待っていますよ』

「……」


 私は唇をぎゅっと噛み締めた。

 私に選択肢なんてない。あそこに連れて来られた時点で、そんなものは用意されていなかった。なぜあの黒いシミに触れてしまったのだろう。そんな後悔が私の胸の中で渦巻いた。だけど後悔してももう遅い。時間はもう戻らない。

 とにかく、ここから出なくちゃ。ドアノブに手をかけ、そっと回す。さっきまでびくともしなかったドアがカチャリと音を立てて開いた。

 そして右手に曲がると、あの声が言っていた通りに銃が置かれていた。その銃をそっと持つ。ずっしりとした重みのあるそれを両手で持ち、祈るように目を閉じた。


 ごめん、ごめんね、伊吹。

 ずっと一緒にいるって約束したのに、破ってごめんなさい。


 届かないとはわかっていても、心の中で謝る。これこそ本当の自己満足だ。だけど、謝らずにはいられなかった。


 私があんたを人間に戻してあげるから、そしたら笑って、幸せに過ごして。


 そんな願いを胸に、私は目を開けた。

 迷いは捨てろ。これしか選択がなかったとはいえ、私が選んだことだ。だったら最後までその選択を貫き通さなきゃ。

 そう自分を叱咤し、私は歩き出した。

 

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