閑話3 人形は過去に囚われる



 杏が消えた空間を見つめ、伊吹は舌打ちをした。

 完全に油断した。自分の認識の甘さに嫌気がさした。

 ―――また、失うのだろうか。あの時のように?

 伊吹の脳裏に過去の思い出が蘇った。



*・・*・・*・・*・・*・・



 伊吹はその昔、フロックハート家の次男として生を受けた、ごく普通の子どもだった。例え兄と母親が違うとしても、そんな事はその時代の貴族ではよくある話で、正妻よりも身分の低く、異国の人間であった母と伊吹が虐げられるのも、よくある話だった。

 それでも伊吹はフロックハート家の子と認知されていただけ幸運だったのだと思う。どんな冷遇を受けようとも、衣食住には困らなかったのだから。

 伊吹の母は東洋の小さな島国の出身で、そして不思議な力を持っていた。そんな母の力に興味を持ち、密かに接触してきたのが、コラヴォルペ家だった。

 コラヴォルペ家は魔術の名家で、《黄金の夜明け団》という魔術組織に一族揃って所属していた。

 そんなコラヴォルペ家で伊吹と年の近かったアンジェリーナは、コラヴォルペ家でも百年に一度の逸材と言われるほど魔術の才があった。けれどそれに奢ることなく、彼女は自分の才能を磨いていった。そんなアンジェリーナと伊吹は年が近いことも相まって、徐々に距離を縮めていった。

 アンジェリーナが得意とするのは、自ら作った人形を用いた魔術だった。人形術と呼ばれるその魔術で人形を自由自在に操った。また、新しい魔術を生み出すことにもアンジェリーナは力を注ぎ、次々と新しい魔術式を生み出していった。

 そんなアンジェリーナが最も力を注いで研究していたのが、【魂の保存の魔術】だった。


「いなくなってしまった人にもう一度逢えたら、そんな素晴らしい事はないと思わない?」


 それがアンジェリーナの口癖だった。


「…それは不可能なことなのでは? それに魂に関わる魔術は禁忌の術とされていると」

「禁じられればられるほど、それに焦がれる。それが人間というものだわ。…それに、もう一度逢いたいと思うことに罪はないもの。一目でいいから逢いたい…そう願っている人たちの願いを叶えてあげたいの。生前と同じようにはいかなくても、ほんの一瞬だけでも愛しい人に逢えればそれでいいという人たちの、切実な願いをわたしがこの手で叶えてあげたい。そう思うことは悪い事なのかしら?」

「…貴女のその考えは悪い事ではないと思いますが、ただそれも使い方を誤れば凄惨な事件を招きます」

「そうね。イブキの言う通りだわ。…その危険性も十分わかっている。それでもわたしはその願いを叶えてあげたいのよ」

「……貴女は、相変わらず甘いというか…」

「ふふ、そこは優しいと言ってほしいわ。…この魔術はね、きっとわたしにしか使えないと思うの。この世界から魔術は消えつつある。わたしと同じように魔術を扱える人はもうきっと現れない…だから、魔術がこの世界から消えてしまう前に、この願いを叶えてあげたいと思うの」

「魔術が、消える…?」

「ええ、そうよ。信じられないかしら?」

「信じられませんね。魔術がない世界など…こんなにもそこかしこに魔術があるというのに」

「でも、いつかそういう時代が来るのよ。魔術の要らない世界が。科学が魔術を追い越す時代がもうすぐ来るの」

「……」


 悲しい目をして呟いたアンジェリーナに伊吹は何も返せなかった。

 その時の伊吹はアンジェリーナの言ったような時代が来るなど信じられなかった。だから、アンジェリーナの悲しみが伊吹には理解できなかった。

 それからアンジェリーナは魔術の研究に没頭した。そして少しずつ、アンジェリーナの様子がおかしくなっていった。

 そして、決定的な事が起こった。

 伊吹はアンジェリーナを庇いその命を失いかけたところを、アンジェリーナが禁断の魔術を使い救った。その代償として、アンジェリーナはその命を徐々に蝕まれる不治の病に罹り、伊吹は感情のない人形と化した。

 自分のせいで人形となってしまった伊吹を見るたびに、アンジェリーナは心を痛めた。そしてその痛みに耐えきれなくなり、伊吹を眠りにつかせた。

 伊吹はアンジェリーナの命を救うことはできた。だが、その心は救えなかった。誰よりも大切な、恋人の心を、伊吹は救えなかった。



*・・*・・*・・*・・*・・


 


 過去の回想から意識を浮上させ、伊吹は拳を握りしめた。

 また、自分は失うのだろうか。自分の主を。


『なにがあっても助けてくれるんでしょう?』


『私がずっとそばにいてあげる。私がしわしわの可愛いおばあちゃんになっても、傍にいるから』


 諦めかけた時、杏の声が脳裏に響いた。

 得体のしれない伊吹を信じると言った彼女。短気で、いつも喧嘩腰で、素直で、それでいて懐の大きいところもある、今の伊吹の主。

 そんな彼女を伊吹は好ましく感じていた。感情がないはずなのに、どうしてそう思うのか。そんな疑問も浮かんだが、今はそんなことを考えている場合ではない。


「…待っていてください、マスター。貴女の信頼に答えてみせます。必ず、貴女を助け出す」


 伊吹は誰もいない空間にそう宣言し、くるりと踵と返して駆け出した。

 ―――すべてはマスターを助け出すために。



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