17.謎の声



 珍しく黙り込んだ伊吹に、私は目を瞬かせる。いつもは二倍以上で返ってくるのに、珍しい。

 きっと「生意気も口が悪いというのも性格が悪いというのも、貴女にだけは言われたくない」とか、「答えになってません」とか、嫌味が返ってくるものだと思っていたのに。


「……理解できません」


 嫌味の代わりに伊吹から零れた言葉は、まるで迷子になって途方にくれている子供のような響きをしていた。

 表情はさっきと一切変わっていない。なのに、私を見つめる伊吹の顔が、泣きそうだと感じたのは私の気のせいだろうか。


「どうして貴女は他人のためにそこまでしようと思うのですか? どうしてまだ会って少ししか経っていない私を信用できるのですか?」

「それは…」


 どうして、と聞かれても困る。

 私がみんなを助けたいのは、結局ただの自己満足なんだろう。

 このまま知らない顔をして自分だけ助かったら罪悪感に襲われて苦しむ。それが嫌だから、助けたいと思う。

 だけど、それとは別に困っている人を見かけたら助けてあげなさい、という教えが私の中に根付いている。だから私にとって人を助けるということは、ごく自然で当たり前のことなのだ。

 ううん、私以外にもそんな風に思う人はたくさんいるはずだ。


「……私には、理解できません。私はマスターのようには思えません…何も感じないのです。……私は、人形だから」


 ───人間と同じようにはなれない。

 そう、伊吹は言外に告げていた。


「誰もが皆、私のように感じるわけじゃない。人によって考え方は様々なんだよ」


 きっと私のように思う人ばかりじゃない。

 中には自分の安全を優先する人だっているし、自分にできることを弁えて、その上でなんとかしようともがく人だっている。

 本当はわかっている。私は安全なところに避難して、伊吹にあとは全部任せるべきなんだって。

 でもそれは嫌なんだ。私だけ逃げるみたいで。それに、伊吹だけ危険だとわかっている場所に送り出すのも、嫌だった。これは私の我儘だ。ただ、自分の目できちんと結末を見たいという、私の我儘。


「だから、伊吹がヘンなわけじゃない。だから、そんなに不安がらなくても大丈夫」

「……不安? 私が?」


 信じられない、という顔をして、伊吹は呆然と呟く。

 私はそれにこくりと頷き、伊吹の綺麗な顔に手を当てた。


「大丈夫だよ、伊吹。人と違うって畏れなくても、大丈夫。例え伊吹がみんなから畏れられても、私は伊吹を恐れない。だって私、伊吹のご主人さまだし? 本当にむかつくし生意気で口は悪いけど、伊吹のご主人さまになっちゃったから。すっごく不本意だけど、なっちゃったものは仕方ない事だもんね。だから、私がずっとそばにいてあげる。私がしわしわの可愛いおばあちゃんになっても、傍にいるから」

「……」


 伊吹は呆然と私を見つめたあと、嬉しいそうな、けれど哀しそうな、そんな笑みを浮かべて小さく呟いた。


「……やはり、いつになっても私は貴女に敵わないようです…」

「え…?」

「なんでもありません。……仕方がありません。不本意ですが、戻りましょう。本来ならば貴女を危険に晒す可能性のあることは避けるべきことですが、他ならないマスターの望みとあらば、叶えないわけにはいきません」

「伊吹…!」

「ですが、私から決して離れないように。なにかあった時はどれほど不本意なことであろうと、私の指示に従うこと。これだけは守ると約束してください」

「約束する!」

「…では、急いで戻りましょう」

「うん!」


 伊吹の言葉に元気よく頷き、歩き出した伊吹のあとに私は続く。伊吹の歩くペースはさっきよりも速く、私は小走りにならないと追いつかないくらいだった。だけどそれに文句を言う気にはならない。みんなのもとへ戻りたいと我儘を言ったのは私だ。これくらいは我慢すべきことだろう。

 みんながいたと思われる場所に着いた時には、私の息はすっかり上がっていた。だというのに、伊吹は呼吸一つ乱れていない。これが人間と人形の差か。……単に私の体力がないだけ、ということはないと信じたい。


「…これは…」

「どうしたの? …ってあれ? 誰もいない…?」


 辺りを見渡しても誰の姿も見当たらない。

 まさか、みんなあの黒い影に連れ去られてしまったの? 戻るのが遅過ぎた?


「…この魔術の気配は…」


 伊吹は考え込むように地面をじっと見つめている。

 私は何か手がかりが残っていないか、辺りを懸命に探した。そして地面に何か黒いシミのようなものを見つけた。なんだろう、と疑問に思ってそれに触れようとした時、伊吹がはっとした表情を浮かべて叫んだ。


「それに触れてはいけません!」

「え…?」


 伊吹が叫んだのと同時に私はそのシミに触れてしまっていた。

 そして瞬きをすると徐々にぐにゃりと視界が歪んでいく。


「な、なにこれ…? きもちわる…」

「マスター!」


 いつになく切迫した伊吹の声に、私は地面に向けていた顔を上げた。

 焦った表情を浮かべた伊吹の顔に、伊吹もそんな顔できるんだ、とそんなことを思った瞬間、視界が真っ黒に染まり、妙な浮遊感を覚えた。

 それも一つ瞬きをする間にはなくなり、いったいなんだったんだろう、と思った時、ここがさっきまでいた場所ではないと気付く。

 素早く辺りを見渡すと、いなくなったクラスメイトたちの姿や千鶴の姿を見つけ、私は駆け寄る。そして揺さぶって名前を呼んだけど、誰も返事をしなかった。ま、まさか…死んでる…? 

 そんな不吉な考えが過り、その考えを打ち消すように私は頭を大きく振った。そんなこと、あるわけがない。いや、あっちゃいけない。今はここから出て助けを呼ぶべきだ。そうすればきっとみんな助かる。

 私はそう信じることにした。そう信じなければ不安で押し潰されそうだった。


「ねえ、伊吹……あれ? 伊吹…?」


 伊吹に話しかけて返事がないことに疑問を抱く。私は伊吹がすぐ近くにいるものだとばかり思っていたが、どうやら伊吹は近くにはいないようだ。私だけこの場所に移動してしまったらしい。どういう理屈なのかはわからないけど。

 伊吹が一緒だとばかり思っていた私は、自分が一人なのだとここで初めて気付き、すっと血の気が引いた。伊吹が一緒だから大丈夫だと、根拠もなくそう思い込んでいた。だから私はここで一人きりだと知って、急にどっと不安が押し寄せて来た。

 私一人でどうにかなるのだろうか。いや、どうにかなるんじゃなくて、どうにかしなくちゃいけないんだ。第一、私は伊吹を頼り過ぎだ。これくらい一人でなんとかしなくちゃ。しっかりしろ、杏!

 そう自分に言い聞かせたところで私はここから出るべく動き出す。

 どうやらここは大きな部屋みたいだ。そこに行方不明になった人が全員気を失った状態で倒れている。本当なら全員を助け出したいところだけど、私一人ではそれは難しい。だからまずは私だけでも脱出をして、この場所の特定をしたあと、誰かの助けを呼ぶのが一番だろう。まずはこの部屋を出る方法を探さなくちゃ。

 窓を開けようとするが、窓は開かない。どういう理屈か知らないが、鍵をかけてなくても窓を開けないようにする方法があるようだ。と、いうことは当然ドアも同じだよね…。

 一応念のために一つだけあるドアを回してみるが、びくともしない。ここも鍵はかかっているわけではないようだ。これも魔術のひとつなんだろうか。私にはよくわからないけど…。

 しかし、窓も開かない、扉も開かないじゃ完全にお手上げ状態じゃないか。ここからどうやって逃げ出せばいいんだろう。誰かが助けに来てくれるを待つ、なんてそんなのは現実的ではない。この場所がわかっているならとっくの昔にみんな救い出されているはずだし。

 伊吹ならもしかしたら…と思わなくもないが、伊吹をあてにしすぎるのはよくない。私は私で出来ることをしなくちゃ。

 とは言っても私にやれることがなにも思いつかないのが現状で。どうしたものか…と腕を組んで悩んでいると、ノイズ混じりの声がどこからともなく聞こえた。


『こんにちは、古澤杏さん』

「えっ!? だ、誰…!?」

『その質問にはまだ答えられません。きっとあなたの人形なら私の正体を知っているのでしょうが、あなたを彼に会わせるわけにはいきません』

「ど、どうして…? というか、なぜあなたは私の名前を知っているの? それに伊吹のことも…」

『私はあなたと同類の者です。ですからあなたのことはずいぶん前から知っていました』

「同類…?」

『本日、あなたをここへ招待したのは、あなたに提案があるからです』

「招待ですって…? ふざけないで! 無理やり連れて来たくせに! それよりみんなをどうするつもりなの!?」

『あなたを無理やり連れ出したことに関しては謝りましょう。ですが、彼が傍にいてはあなたと接触することはできないと判断し、仕方なくこのような手段を取ったのです。そして、他の方々がどうなるかは、あなた次第です』

「私次第…?」

『先ほども言った通り、あなたに提案があります。それを受け入れてくれるのなら、ここにいる方全員を帰して差し上げましょう』

「……」


 それって私がその提案を受け入れない限り、ここにいる人を帰さないって言っているようなものじゃないか。つまり、これはただの脅しだ。私に拒否権なんて最初から無い。

 だからといって、ただ屈するのは嫌だ。ちょっとは抵抗したい。それが無駄な足掻きだとわかっていても。


「…その提案というのは?」

『私からの提案というのは、古澤杏さん。あなたに私たちの仲間になって頂きたいということです。あなたが仲間になって頂けたら、あなたを彼から…―――いや、彼女の呪いからあなたたち・・を解放して差し上げましょう』

「……呪い?」


 思いがけない単語に、私は目を瞬いた。


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