16.届かない思い
千鶴を探すために、多くのクラスメイトたちが集まっていた。クラスメイトたちはみなとても不安そうな顔をして、だけど千鶴を必死で探していた。みんな千鶴の事を心配している。私もクラスメイトたちに負けないくらい必死に千鶴を探した。
加藤くんの話によると、千鶴は他のクラスの子と一緒に帰っていた途中にあの黒い影に襲われたのだという。千鶴と一緒だった子はなんとか黒い影から逃れることができて、学校に逃げ込んだらしい。それを見ていたクラスメイトの一人が事情を聞いて皆に声を掛けて千鶴の捜索をすることになったようだ。
私はクラスメイトたちと、千鶴が消えた場所へ向かった。何か手がかりが残っているんじゃないかと期待をして。
本来ならばこれは学校や警察に任せるべきことなのだろう。だけど、同じクラスメイトが消えたと聞いて、みんな居てもたってもいられなかった。もちろん、私もそうだ。素人の私たちがこうして捜査をしたところで何か見つかるとは到底思えないけど、何もしないよりはマシだ。
「ここが、千鶴のいなくなった場所?」
「ああ、そうらしい」
千鶴がいなくなった場所は、千鶴がよく使う帰り道の途中にあった。なんの変哲もない、普通の道。ただ人気はないから、目撃情報は期待できそうにない。
ここの近くには森…というか、雑木林というか。近所の人も寄り付かない無法地帯のような木が覆い茂っている場所がある。そこでよく幽霊を見ただとか、宇宙人にあっただとか、変な物音が聞こえただとか、本当かどうかも疑わしいさまざまな噂が立った。近所でも評判の薄気味悪い場所である。
そんな場所だから、もちろん警察も捜査をした。それでも何も見つからなかったらしい。今はただテープが張られ、立ち入り禁止と表示されているのみである。
そんな曰く付きの雑木林のすぐ近くでいなくなった千鶴。これはただの偶然なんだろうか。
「…こちらから妙な気配がします」
伊吹が加藤くんや他のクラスメイトに聞こえないくらいの小声で囁いた。
「妙な気配って?」
「私たちを襲って来た黒い影…あれと同じ気配をこの雑木林の奥から感じます」
「雑木林の奥から…? この奥に、なにかがあるってこと?」
「恐らくは。ですから、貴女はこの奥に行かないように…」
「なに? この奥が怪しいの?」
伊吹の台詞の途中で、私たちの会話が耳に入ったらしいクラスメイトが話しかけてきて、それを聞いた他のクラスメイトもそれに加わる。そうしていくうちに、この奥に行ってみようという話でまとまり、みんなぞろぞろと立ち入り禁止のロープを跨いで奥へ向かって歩き出した。私もそれに続こうとすると、痛いくらいの強さで伊吹に腕を掴まれた。
「なに?」
「奥に行くつもりですか」
「そうだけど…ここに千鶴がいるかもしれないんでしょ? なら迎えに行かなくちゃ」
「だめです。家に帰りましょう」
「なんで? 千鶴がいるかもしれないんだよ?」
「それでも、です。この奥からは良くない気配がします。ですからここは…」
「いや! 私は行くから。そんなに行きたくないなら伊吹は先に帰っていれば?」
「……マスター」
いつもよりも厳しい表情をして、私をたしなめるように呼ぶ伊吹を無視してロープを跨ぎ、雑木林の奥へ向かって歩き出す。
伊吹も私を追いかけてきて、私に並ぶ。ちらりと見た伊吹の表情は苦々しいものだった。
そんなに嫌ならついて来なければいいのに。そう思いながらも口に出すことはせず、私たちは黙ったまま奥へと進んだ。
どれくらい歩いただろうか。恐らくは30分も歩いてはいないと思うけど、突然開けた場所に出た。そこには洞窟らしきものがあり、みんなして顔を合わせた。
人が隠れるのにまさにうってつけな場所。入り口から洞窟内を恐々と覗いても、暗くて中の様子がわからない。
どうしようか、と悩んでいると加藤くんが「まず俺が行くわ」と名乗りをあげ、それに倣って他の男子たちも「じゃあ俺も」「俺も行く」と言い出し、収拾がつかなくなったところで誰か「じゃあみんなで行けばいい」と言って、みんなで洞窟の奥へ進むことになった。
伊吹はもう諦めているのか、奥へと行くことに関してなにも言ってこなかった。ただ、顔は険しいままだったけど。
「なんていうか…いかにもって感じだな」
「なんかでそうだよな、ここ…」
「やだ、やめてよそういう事言うの」
クラスメイトたちのそんな会話を聞きながら私は最後尾を伊吹と歩いた。
だいぶ奥へと歩いたところで、不意に伊吹が私の手首を掴んだ。
「なに?」と私が伊吹に問う前に、クラスメイトたちの悲鳴が聞こえた。
「いやああ!! なにこれ…!」
「うわぁっ! やめろ、来るなっ……!」
甲高い悲鳴と、怯える声。それが前方から聞こえ、逃げ惑うような足音も聞こえた。
携帯の明かりを頼りに進んでいた私には、一番先頭の方の様子はわからない。いったい何が起こっているのだろう?
ただ私にわかるのは、異常事態が発生した、ということのみ。
恐らく、みんな何かに襲われているんだ。この間、私と伊吹が襲われた時に現れたあの黒い影とか。きっと私のこの予想は外れていないと思う。
「ね、ねえ伊吹…いったい何が起こっているのかな…」
「……この間、俺たちを襲ったあの黒い影が皆を襲っているのでしょう。あれと同じ気配がこの先からします」
「そ、そんな…! じゃあみんなを助けなきゃ! 伊吹ならなんとかできるでしょ? みんなを助けに行こう!」
「……」
「伊吹…?」
助けに行こうと誘う私に対し、伊吹は黙り込んだ。そんな伊吹を私は訝しげに見つめる。
「どうしたの…? ね、ほら、早く行かないと。みんなを助けなきゃ。ねえ、伊吹ってば。早く行こう?」
「……」
伊吹はじっと私を見つめたあと、くるりと踵を返し、歩き出す。
手首を掴まれたままだった私もそれにつられて歩く。だけど私は全体重を掛けて伊吹の足を止めた。
「なんで戻ろうとするの? みんなが危険な目に遭っているのに!」
「……仕方のない人ですね」
伊吹はポツリとそう呟いて私の手首を離した。
わかってくれた。みんなを助けに行ってくれる―――
良かった、とほっとする私に伊吹はぐいっと近づき、私は驚いて目を瞬かせている間に、私の体が宙に浮いた。
伊吹に抱えられている、と気付くに数秒をかかった。そして理解するのと同時に裏切られた、とも感じて、私はカッとなる。
わかってくれたと思ったのに! いったいどうして!
あまりにも横暴な伊吹の行動に腹を立つ。しかしそうしている間にも、伊吹はみんなのいる方向とは真逆の方向へと私を担いで進んでいく。
「離して、離してよ…!」
「それはできません」
「どうしてよ!? 私はあんたのマスターなんでしょ!? なら言うことを聞きなさいよ!!」
線の細い伊吹の肩に担ぎ上げられ、私はじたばたと暴れながら叫んだ。
ずっと正面を見て歩いていた伊吹が一瞬だけ私を見た。
その瞳の凍るような冷たさに、私はぞっとした。
「…わからない人ですね」
声まで凍るように冷たい。
何か反論を、と口を開いて見たけれど、私から出たのはひゅっと言う空気の漏れる音だけだった。
───こわい。
初めて伊吹に対してそう感じた。
いつも冷たくて容赦ない台詞ばかりの伊吹だけど、腹は立っても怖いと思うことはなかった。
だけど今はどうしようもなく、伊吹がこわい。
まるで伊吹の形をした別の存在と対面しているような気がした。
「私が何よりも優先するのは貴女の安全。危険だとわかっている場所から遠ざけるのは当然のことです」
息が上手くできない。
それは伊吹に抱えられてお腹を圧迫されているからとかでなくて、もっと違うことが原因だ。
それでも私は喘ぐように呼吸をし、なんとか言葉を捻りだす。
「……あ、あんたは…あんたは、みんなが危険な目に遭っているのにっ…助けてあげようとは思わないの…っ!?」
伊吹はみんなと馴染んでいるように思えた。
くだらない冗談なんかも言って、笑って。本当の人間みたくみんなと過ごしていた。
だから、本当は伊吹もみんなと助けたいと思っているはず。
きっとこんな風に冷たく言っているのは、私を危険から遠ざけるためで、本当はみんなを助けたいのを堪えているんだと、そう思っていた。
―――なのに、
「思いませんね」
「………え……?」
「
「あ、あんた……」
私のそんな思いは、一刀両断されてしまった。
言葉を失う私をよそに、伊吹はどんどんと出口へ向かって進んでいく。
呆けている場合じゃない。
なんとか、伊吹を説得しなきゃ。そしてみんなのところへ戻らなくちゃ。
私はずきりと痛んだ心を無視し、もう一度伊吹に訴えかける。
「あんたなら、みんなを助けられる。力のある者が弱い者を助けるのが当たり前でしょ? だから、戻って…」
「何を甘い事を。いつの時代もこの世界は弱肉強食だ。貴女の言っていることはただの綺麗事です」
「じゃ、じゃあ…あんたは…伊吹は! みんながどうなってもいいっていうの!?」
どうかお願いだから、そんなことはないって言って。
そんな私の願いも虚しく、伊吹は淡々と答えた。
「貴女以外、どうなろうともどうでもいい。貴女がいればただそれで」
───ああ、届かない。
伊吹の台詞を聞いて、私は悲しくなった。
どんなに言葉を尽くしても、私の言葉は、気持ちは、伊吹には届かない。
伊吹は人形だ。そんなのわかっている。
だけど、私は改めて伊吹は人形なのだと───
普段の伊吹の行動が、あまりにも人間くさいから。だから、私は勘違いをしてしまっていたのだ。
伊吹にも私たちと同じように“心”があると。
人形みたいなのはその容姿だけで、伊吹には心があるのだと思っていた。
今まで伊吹と過ごしてきた場面が浮かんで、消えていく。
私が伊吹に感じていた親しみも嘘だったかのように感じて、悲しくなった。
きっとそれも私が一方的に抱いていた気持ちで、伊吹はなにも感じていなかった。そのことが、とても虚しく、悲しく、寂しい。
「───離して! 離しなさい!」
私は渾身の力で伊吹の拘束から逃れ、伊吹から一歩退く。
伊吹は目を一緒見開かせ、そしてまた冷たい目で私を見つめる。
今伊吹が驚いたように感じたのも、私の気のせい。そう考えるととても切ない。
「マスター」
「私は逃げない! みんなを救える道があるのなら、それに縋りつく。私だけ安全なところへ逃げるなんてできない!」
「…マスター。我儘を言わないでください。貴女にいったい何ができると言うんです。碌な力もない貴女に」
「……っ! そ、そうだけど! 確かに私にはなんの力もない…でも、でも! このまま逃げることなんてできない…! 今ここで逃げたら私はずっと後悔をする。あの時ああすればよかった。こうしておけば。そんなことを考えながらずっと過ごさないといけないなんて、絶対にいや」
「それで貴女が死んでしまったら元も子もないでしょう。生きていなければ、後悔すらできない」
少し俯き呟いた伊吹の顔は、今まで見てきた以上に人間くさかった。
なにか、過去に同じような体験をしたことがあるような…そんな雰囲気すら感じられた。
そんなこと、あるわけないけど。
「私は絶対、大丈夫。一世紀以上生きて見せるんだからっ!」
「どこにその根拠があるのですか」
呆れたような伊吹の言葉に、私は胸を張って答える。
そうだ。例え伊吹が人形だろうと、人間だろうと、私の伊吹に対する気持ちは嘘なんかじゃないし、これから消えることもない。
伊吹がどう思っていようとも、なにも感じていなかろうが、関係ない。
だって、私の気持ちは、私だけのものだから。
「だって、私は伊吹がいるから!」
「貴女はなにを言って…」
「確かにあんたは生意気だし口は悪いし性格も悪いけど! でも今まで私を助けてくれたから。私になにがあっても守ってくれるんでしょう? だから、大丈夫」
胸を反らしてそう答えると、珍しく伊吹が絶句した。
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