15.新たなる犠牲者



 綾部に呼び出され、何事かと思えば、伊吹を借りたいと言う。

 例の取引の条件だと言われれば私は大人しく綾部の言うことに従うしかなく、綾部に言われたとおりに宿題でもやることにした。

 美術準備室から移動して私は図書室へ足を運んだ。図書室ってあんまり人はいないし、グランドが見えるし日が当たって心地よいし、夏は夏で冷房が効いているからとても過ごしやすいんだよね。穴場スポットってやつ?

 私はたまにここへ一人で訪れて勉強をしたりしていた。うん、勉強するっていう口実で先輩の練習姿をそっと眺めていただけなことも何回もあります。

 今日も窓の外を眺めればサッカー部が元気よく練習をしていた。先輩の姿を目で追いながら、私はどうにもイマイチ集中ができなかった。なんていうのかな…心ここにあらずって感じ、なのだろうか。

 原因はなんとなくわかっている。伊吹を綾部と二人きりにさせたことが気がかりなのだ。いかがわしい事とかしないって約束だけど、あの綾部の雰囲気、どうにも怪しい。今頃変なことされてないかと、気になって気になって仕方がない。

 いや、私が気にしたってしょうがない話なんですけどね? っていうか、なんで私こんなに気になるんだろう。放って置けばいいじゃないか、あんな嫌なヤツ。そう思うけどやっぱり気になってしまうものは気になる。

 やだなあ、私、伊吹に本当に絆されている。口を開けば嫌味ばかりだし、生意気だし、可愛くないけど、なんというか…伊吹は私に嘘をついていないというのがすごくわかる。だから一緒にいても私も自然体でいられて、息がしやすい気がする。

 別に他の友人とかと一緒にいると息が詰まるとかそういうわけじゃない。ただ、少しだけ肩ひじ張っているから疲れる時もある。いや、伊吹と会話していても疲れるんだけど…なんていうのかな、ああ言葉にするのは難しい。

 とにもかくにも、伊吹と一緒にいると楽なのだ。伊吹は嫌なヤツだけど悪いヤツではない。そう今では思う。

 それに…どうしてなのか、伊吹と一緒にいるとなんだか懐かしいような、不思議な気持ちになることがたまにある。伊吹と一緒にいることが自然、みたいに感じることも。

 なんでだろう…と空をぼんやりと眺めていると、「古澤?」と唐突に声を掛けられて、私は「ふあっ!?」と色気も減ったくりもない悲鳴をあげた。女子としていったいどうよ、と思う悲鳴である。


「おぉっ…!? そ、そんなに驚いたのか…?」

「せ、先輩…!」


 ぎょっとした顔をしているのは、サッカー部のユニフォームに身を包んだ瀬名先輩だった。手にはペットボトルが二つ握られている。


「せ、先輩がどうしてここに…?」

「いや…古澤がこっちに来るのをちょうど見かけて。ほら、前に言っていただろ。たまに図書室にいるって。だからいるかなって思って休憩がてらに覗いてみたんだ」

「そうだったんですね…ご、ごめんなさい」

「いや…俺こそ驚かせてごめんな。ほら、これ、さっきのお詫び」


 そう言って先輩が私に差し出したのは、手に持っていたペットボトルのうちの一つだった。それも私が好きなジュース。先輩、私の好きな物覚えていてくれていたんだ…! と感動したけど、これをすんなりと受け取るわけにはいかない。


「あ…そんな、悪いですよ。私はなんともありませんでしたし…」

「俺の気が済まないんだよ。受け取って」

「…それじゃあ、頂きます」


 ジュースを受け取ると、先輩が嬉しそうに笑う。その笑顔を見て胸がきゅん、と疼く。

 ああ、やっぱり先輩が好きだなあ、って改めて思った。


「…伊吹は一緒じゃないみたいだな」

「あ…残念でした。伊吹はちょっと用があって、今いないんです。もう少ししたら戻ると思いますけど」

「そうか…残念だなあ。ぜひサッカー部に入って貰いたかったんだけど…」


 本当に残念そうに呟く先輩に私は、ふふ、と笑みを零す。先輩のサッカーにかける情熱は本物だなあ、と微笑ましくなる。


「まあ、いないなら仕方ないか。古澤、悪いんだけどこれ、伊吹に渡して貰えないか? 伊吹の好みがよくわからなかったから適当な物になっちゃったけど」

「はい。ちゃんと伊吹に渡しておきますね」

「ああ、頼んだ。じゃ、そろそろ休憩終わるから。気を付けて帰れよ、古澤」

「ありがとうございます。先輩も練習頑張ってくださいね」

「ああ、ありがとな」


 先輩は手に持っていたもう一つのペットボトルを私に手渡し、軽く手を振ってグランドへ戻っていった。

 それと入れ替わるように伊吹が戻って来た。


「あれ、伊吹。もう終わったの? 呼んでくれれば私が行ったのに」

「杏を呼ぶより俺が行った方が早いと思ったので」

「まあそれはそうかもしれないけど……ねえ、先生に何かされなかった?」

「特になにもされてませんが」

「そう。ならいいんだけど…」


 良かった。どうやら私の杞憂で終わったようだ。しかしまだ油断はできない。これからも綾部に対しては警戒を怠らないようにしよう、と心に誓う。


「…あ、そうだ。これ、瀬名先輩から」


 私は先輩から預かっていたペットボトルを伊吹に差し出す。

 伊吹はそれを受け取らず、じっと私を見つめた。


「…なに?」

「あの男と会っていたのですか」

「え? ああ…瀬名先輩のこと? うん、さっきの事、先輩すごく気にしてたみたいでね、お詫びって言ってジュースを持ってきてくれたの」

「……そうですか」


 伊吹はそう言ってペットボトルを受け取った。いったいなんなんだろう。私が首を傾げると伊吹は「帰りましょう」と私の手首を掴んだ。


「え、なに、どうしたの」

「…別になにも」


 伊吹は私からすっと目を逸らした。なにかあったんだろうか、と考えて、私は思いつく。

 あれか。綾部が原因か。何もされていないって伊吹は言っていたけど、物理的には何もされていないけど精神がすり減るようなことをされたとか? それならこんなところに長居したくないよね、うん、気持ちはわかる。

 伊吹が変な原因は綾部にあると決めつけた私はにっこりと笑って「うん、帰ろうか」と告げる。きっと伊吹も疲れたんだろう。そんなときは早く帰って休むのが一番だ。

 私は伊吹と共に校門を出たところで、何やら校門付近が騒がしいことに気付く。なんだろう。もうとっくにみんな帰っているころなのに、なんでこんなに人が集まっているんだろう。

 気になりながらも私と伊吹が通り過ぎようとした時、「古澤!」と呼び止められる。振り返ればそこにいたのは同じクラスの男子の加藤くんだった。


「加藤くん? どうかしたの?」

「実は木檜が…」

「千鶴? 千鶴がどうかした?」

「木檜が黒い影に連れてかれちまったんだ…! それをクラスの何人かが目撃してて、今みんな集まって木檜を探そうって」


 加藤くんの声がどこか遠くで聞こえた。

 信じられない。だって、ほんの一時間前まで普通に笑って話してたのに。また明日ねって、別れたばかりなのに。千鶴が、あの黒い影に連れ去れたなんて…。

 あの黒い影に連れ去られた人は未だに見つかっていない。ということは千鶴も…。


「…うそ、そんな…」

「…杏」

「伊吹…どうしよう…私…千鶴が…!」

「落ち着いてください。貴女が取り乱したところで、木檜さんは帰ってきません。まずは落ち着いて、状況分析をしましょう」

「……うん、そう、だね…私が取り乱したってどうにもならないよね」


 伊吹の言葉で私も冷静を取り戻す。

 そうだ。私が慌てたって仕方ない。まずは状況を確認すること。そして、これからどうするべきかを考えること。まずはそこからだ。


「……加藤くん。詳しい話を聞かせてくれる?」


 一番最初にやる事は現状の把握。私は加藤くんと向き合う。

 千鶴は絶対に見つけて見せる。そう、決意を固めた。


 

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