12.希代の人形師
「なんで、先生がここに…?」
「そんなの決まってるだろう、見回りだよ。この間校長も言ってたじゃないか」
相変わらず人を喰ったような口調で、綾部は薄っすらと笑って答えた。
その回答はどこも不自然じゃない。確かに教師たちが交替で見回りに出ていると言っていた。だから綾部がこの場にいるのも、今は綾部が見回りをする時間で見回りの最中だった、と言われれば納得できる。
そう、納得できる理由ではあるんだけど、なんというか…あまりにもタイミングが良すぎる気がする。綾部は私たちがあの黒い影に襲われるを知っていてここに現れた。そんな気がしてならない。
「嘘ですね」
「…ほう。なんでそう思うのかな、フロックハート君?」
「貴方がここに現れるのにタイミングが良すぎるからです。それに、貴方は俺たちがあれに襲われても助けることなく静観していた。普通なら助けようと駆けつけるか、逃げるかするはずです。しかし貴方はそのどちらの行動も起こさなかった。まるで何とかなると知っていたみたいに」
伊吹は鋭い視線を綾部に向けた。それは何かを見極めるかのようでもあり、私は息を飲んで成り行きを見守った。
しかし、綾部は伊吹のそんな視線に物ともせず、ヘラリと笑っていた。
「なるほどね…キミは俺を疑っているんだな? 俺がキミたちにあれを襲わせようとしたんじゃないかって」
「そうですね」
「心外だなあ、俺はこれでも生徒思いの教師をやっているつもりなんだけど…どうやらキミたちには伝わっていないようだ。フロックハート君だけじゃなく、古澤君も同じように思っているみたいだし」
「……!」
私の考えが顔に出ていた? だけど私は今、伊吹の背後に庇われて綾部からは私の顔は見えないはず。ならどうして…? まさか、心を読まれた? そんなバカな、超能力者じゃあるまいし…。
私の混乱が伊吹にも伝わったのか、伊吹は小声で私に話しかける。
「落ち着いてください。彼が言ったのは当てずっぽう…貴女の考えを読んだわけではありません」
「伊吹…」
「大丈夫です。貴女は私が守りますから、ここは私に任せてください」
「……うん、わかった。任せた」
私の返答に伊吹は頷いてみせた。そんな伊吹がとても頼もしく感じる。
だけど、胸がもやもやする。どうしてなのか、理由はわからない。いや、考えたくない。
「この状況で疑うなと言う方が無理だと思いますが」
「それもそうか。…ふう、やれやれだな」
「それで、どうして貴方はここにいるのですか?」
「それはもちろん、可愛い生徒を守るためさ」
「…それは建前でしょう」
「そりゃあ、そうでしょう。敵かもしれない相手に本心なんて話せるわけがない」
「……貴方は私たちがあの影を操る犯人だと?」
「可能性の話、だよ」
綾部は表情を崩すことなく答える。まったく綾部の考えていることが読み取れない。まるで狐と狸の化かし合いを見ているかのようなやり取りだと思った。
伊吹は考えるようにじっと綾部を見つめたまま、喋らない。伊吹と綾部の視線はそらされることなく、無言の時間が過ぎていく。空気が重い、というのはまさにこのことを言うのか。私は呼吸をするのを忘れそうになるくらい、とても緊迫した雰囲気だった。
そんな雰囲気の中、口を開いたのは綾部だった。
「僕は美術を担当している」
もちろん、知っているよね、と綾部は言う。唐突に言われた言葉に私は戸惑う。
なにを言っているのだろう。綾部が美術の担当だってことは、うちの学校の生徒ならだれでも知っていることだ。
「それがどうかしましたか」
「うん、それで僕は主に美術についてすごく興味があって、その美術について詳しく調べていくうちに魔術っていう存在に辿り着いた」
「……」
伊吹が警戒したのが、伝わる。
私も知らず知らずのうちに拳を強く握っていた。
「中でも人形というものと魔術には深い関わりがあるようでねぇ。ねえ、キミたちは希代の人形師アンジェリーナ・コラヴォルペを知っているかい?」
アンジェリーナ? 誰だろう、それは。聞いたことのない名前だ。
伊吹は知っているだろうか、と伊吹の顔をちらりと盗みみれば、伊吹の顔は明らかに強張っていた。
「伊吹…?」
どうしたの、と問いかける前に伊吹が口を開く。
「…どうして、その名を」
「どうしてって、彼女は人形
「……」
「僕はね、その人形を探してるんだ。アンジェリーナの最高傑作を、ね」
「……あの方を、気安く呼ぶな」
低く呟いた伊吹の声はとても苦しそうだった。伊吹はその人形師と知り合いなのだろうか…と考えて、思い当たる。
伊吹の正体は人形だ。もしかして、そのアンジェリーナというのは―――
「フフッ、やっぱりそうか。キミがあのアンジェリーナ・コラヴォルペの最高傑作と謳われる人形、イブキなんだね? いやはや、かの人形がまさか魔術人形だったとは、実に興味深い。だから最高傑作なのかな。ということはあの噂も―――」
「……黙れ」
「…い、伊吹…?」
いつもと様子が違う伊吹に、恐々と声をかける。だけど私のその声は伊吹に届いていないようだ。
伊吹はギロリと綾部を睨んでいる。いつも冷静な伊吹がこんなにも心乱されているのは、いったいなぜ?
「おや。どうやら当たりだったようだ」
「黙れと言っている。この魔術師かぶれが…!」
「魔術師かぶれ、ね。うん、その通りだ」
威圧的な伊吹の雰囲気や眼光を物ともせず、へらへらと綾部は笑っている。
私なら絶対に震える。なんて心臓の強い人なのだろうか…と現実逃避するように私は思った。それくらい、伊吹の雰囲気は不穏なものだった。
だけどそんな現実逃避をしている場合じゃない。伊吹は今にも綾部を殺しそうな雰囲気を漂わせている。今の伊吹は危険だ。
私は伊吹のマスターだ。前に(仮)って付きそうなマスターだけど、それでも私は伊吹の所有者であることは間違いない。例えそれがやむを得ない事情があって所有する羽目になったのだとしても、私には伊吹を止める必要がある。
「――伊吹、落ち着いて。冷静に、ね? こんなのいつものあんたらしくないよ」
「……っ、ま、すたー…」
私は伊吹の背中をさする。大丈夫、大丈夫と言い聞かせながら。
徐々に伊吹の物騒な雰囲気も弱まり、いつもの冷静な雰囲気に戻る。瞳も冷静そのもので、知性を宿していた。
「先生」
「ん? なにかな、古澤君?」
「伊吹を挑発して、何が目的なんですか?」
「……」
伊吹の背中から抜け出し、伊吹の隣に並んで私がそう綾部に問いかけると、綾部はおや、というように表情を変えて、面白そうに私を見つめる。
「私には先生が黒い影を操って皆を攫っているとは思えない。そんなリスクを負う理由があるとは思えませんし。かといって、積極的に黒い影をどうにかしようと思っているわけでもないような気がします。だけどこうして黒い影が現れた場所に訪れている。先生は何かを探していた?」
私は言いながら考えをまとめていく。
綾部の目的とはいったいなんだろうか。黒い影の現れる場所を察知して、静観することで得られるもの。
通常ならばそのまま黒い影に連れられてしまうだろう。それを阻止したかったのなら、生徒を誘導するなりなんなりして逃がせばいい。だけど、彼はそれを敢えてせず静観していた。ということは誘拐を阻止したかったという理由は除外される。
敢えて攫わせて、生徒たちの集まる場所を探ろうとした? いや、あの黒い影は突然現れた。ということは目的の生徒を攫えば現れたときと同じように消えてしまうと考えるのが妥当だ。それならば、黒い影を追うことは出来ない。だからこれも先生の目的としては納得できない。
敢えて静観することでわかること、得られる情報…それはいったいなにか。先ほどの伊吹と綾部の会話を思い出しながら懸命に頭を働かせ、とあることに思い至る。
「先生の目的は―――伊吹、だったんですか?」
私はそう自分で言って、納得した。
綾部は最初から伊吹が人形であることを勘づいている風だった。だけど伊吹は学校生活では完璧に人間として行動し、怪しまられることはしていない。完全に普通に高校生として日常を送っていた。だから日常生活から伊吹が人形であると察することは難しい。
ならば、非日常でなら、緊急事態が起これば…どうだろう? 綾部は魔術のことも知っていた。そして恐らく伊吹が魔術で動いている人形であることも察しがついていただろう。ということは多少なりとも伊吹が魔術を使えると踏んでいたのではないだろうか。黒い影に襲われれば伊吹は私を守るために魔術を使わざるを得ない状況になる。それを確かめるために、ここに足を運んだ。
そう考えれば納得ができる。だけど、わからないのがあの黒い影だ。伊吹の正体を突き止めるためなら綾部があの黒い影を操るのが手っ取り早い。だけど、それだけのために多くの生徒を攫う必要があるだろうか。リスクが高すぎる。
「……古澤君って意外と賢いんだねえ」
「…意外って…!」
「ああ、怒らないで。これでも褒めてるんだから」
「褒められている気がしないんですけど…」
ぶすっとした表情で言う私に、綾部はにっこりと笑顔を浮かべた。
まるでよくできました、と言われているかのようだ。これって子ども扱いされているってことだよね?
「怒らない、怒らない。ここまで考え付いたご褒美に、僕の目的を教えてあげるから」
にこにこと笑みを浮かべて綾部は私たちに近づく。
伊吹が警戒するように身構えた。
そして綾部はポケットから何かを取り出し、私たちに手渡す。
「……あの、先生?」
「ん?」
「これは…」
「飴だよ」
「いや、それは見えればわかりますけど」
なぜ今このタイミングで飴を?
まさかこの飴、なにか仕組んであるんじゃ…。
「何も仕組んでないから安心して?」
「えっ!? な、なんで…」
「キミってわかりやすいよねえ…」
クスクスと笑いを零して綾部は私たちに背を向ける。
そして一度だけ振り返り、怪しげな笑みを浮かべる。
「ついておいで、二人とも。僕の家に招待してあげる。そこで僕の目的を話そう」
それだけ言って綾部はスタスタと歩き出す。
私はどうすればいいのか一瞬迷い、綾部のあとについていくことに決めた。
そして一歩踏み出した私の手を伊吹が引っ張る。
「あの男についていくのですか?」
「うん。ほら、言うじゃない。虎穴に入らずんば虎子を得ず、ってね」
「……ですが…」
「大丈夫だよ、伊吹」
「…なぜ大丈夫と言い切れるんですか?」
「一応うちの学校の教師だし、変なことなんてできないよ。今、変なことをすればすぐにバレちゃう恐ろしい世の中だから」
「……」
「それに、一人じゃないから」
「……え」
「伊吹も一緒だから、大丈夫。ほら、私を守るのがあんたの役目なんでしょ? 信頼してあげるんだから期待に応えなさいよね!」
私が偉そうにそう言うと、伊吹は目を大きく見開いて私をじっと見つめた。そのまま固まったので私は居た堪れなくなった。そ、そんなに変なこと言った、私?
美形にガン見されるのは心臓に悪い。ああ…ドキドキしてきた…。言っておくけどこれはときめきではない。緊張とか不安とか、そういう感じのドキドキだ。
気まずくなった私が視線を彷徨い始めると、伊吹がフッと笑った。その微笑みがいつになく柔らかくて、え? と私は目を瞬く。
「…勿論です。貴女を守るのが私の役目。貴女は私を信頼して大人しく守られていればいいんです」
「じゃあ何も問題ないね。行こう、伊吹」
手を差し出すと伊吹は恭しく私の手を取る。
「承知いたしました、マスター」
そして私の指先に口づけた。
私の顔が真っ赤になったのは、お約束、という奴なんだろう。認めたくないけど。
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