11.蠢く影



 いつものように私は伊吹と一緒に学校へ行くと、何やら不安そうな顔をしてひそひそと話している姿を多く見かけた。何かあったのだろうかと思いながら教室に入ると、千鶴が大急ぎで私たちのもとへ駆け寄って来た。


「杏!」

「千鶴、おはよう」

「あ、おはよう。伊吹くんも」

「おはようございます」

「…で、どうしたの? なんかあった?」

「そう、そうなの! あのね…」


 千鶴は辺りをきょろきょろと見た後、小声で言った。


「行方不明者が、出たみたいなの」

「行方不明者?」

「そう。それもうちの学校の生徒が何人も。それで今日、緊急で集会が開かれるみたい。…隣のクラスからも出たらしいよ」

「ええ…? なに、それ…初耳なんだけど」

「うん、なんか秘密にされてたみたい…だけどそれもうもう無理なんだろうね。なんかね、行方不明になったのも学校の帰り道らしいよ。噂によると、突然黒い影が現れてその影に連れ去られちゃったんだって」

「それはないでしょ…さすがに」

「まあ、噂だしね。そんなことあるわけないよねぇ」


 そうか、そんなことがあったのか。だからちょっと物々しい雰囲気だったんだ。

 それしても黒い影に連れ去られるとか…どこの漫画の話なんだよ。なんかの見間違えなんだろうけど…それにしても行方不明か…どの人も学校の帰りに行方不明になっているみたいだし、私も気をつけなくちゃ。

 私は伊吹に帰り道気を付けようね、と言おうとして伊吹の方を向く。すると伊吹はいつもの愛想の良い笑顔を潜ませ、険しい表情をしてなにか考え事をしているようだった。


「…伊吹?」


 伊吹の名を呼ぶと、伊吹ははっとしたように私を見て、申し訳なさそうな顔を作る。

 相変わらず人前だけは表情豊かだ。


「…すみません、すこし考え事をしていて。そんなことが起こっているのなら、俺たちも帰り道は気を付けて帰らないといけませんね」


 誤魔化すようにそう言った伊吹に違和感を覚えたけど、私は今は敢えて聞くのをやめ、「うん、そうだね」と言うだけに留めた。なんとなく、周りに人のいる所では聞いてはいけないような気がしたのだ。

 二人きりになったら詳しく聞こう。答えてくれるかどうかはわからないけど。

 私は知っているのだ。伊吹が私に何か隠し事…というか、言っていないことがあるということを。それは伊吹が必要ないと判断して言わないだけなのかもしれない。だけど言わずにいるということに変わりはない。

 伊吹は私をマスターだという。だけど、本当に伊吹は私をそう認めているのだろうか。少なくとも私を主として信頼はされていない。だから、言わないのだ。

 伊吹が私をマスターというのは、ただの形式上でのことで、真に私の事を認めているわけではない。ただ、そういうものだから仕方なく私に従っているだけ。

 別にそれでもいい。だけどそれが少し寂しく思うのは、少なからず私はヤツに絆されてしまっているからなのだろう。それはそうだ。今は一日の大半をヤツと一緒に過ごしている。それで絆されるな、という方が難しいだろう。

 伊吹は嫌なヤツだけど、悪いヤツではない。生意気でむかつくことが多いけど、悪い事ができるようなヤツではないと私は確信している。

 そんな伊吹を信じたいと思うし、ヤツに信用されたいと思う。

 だけどきっと伊吹はそんな風に思っていない。それが寂しい。


「杏…? どうかしましたか?」


 不思議そうに私の名を呼ぶ伊吹に私はゆるゆると首を横に振り、なんでもないと答える。

 伊吹が不思議に思うような顔を私はしていたのだろうか。伊吹曰く、私は思っていることが顔に出やすいから、そのせいなのかもしれない。

 そんな私に何を思ったのか、伊吹はにっこりと微笑む。伊吹がそんな風に私だけに向かって微笑むことがなかったから、私は驚いて目を見開く。


「―――安心してください、貴女は俺が守りますから。だから、怯えなくても大丈夫ですよ」

「……っ!」


 きゃあっとすぐそばで千鶴の悲鳴が聞こえた。その悲鳴にクラスのあちこちからなんだなんだという目で見られ、先ほどの伊吹の台詞を聞いていた人たちは頬を染めてぼんやりと伊吹を見ていたけど、私はそれが気にならないくらい動揺していた。頬に熱が集まるような感覚がする。きっと今、私は顔どころか耳まで赤くなっているに違いない。

 なんで、そんなこと言うの。そんな風に言われたら勘違いしてしまう。伊吹が守るのは私だからなんだって。

 そうじゃないってわかっている。伊吹が私を守るのは、私が伊吹のマスターになっちゃったから。それ以外の理由なんてないってこと、わかっている。

 だけど、期待をしてしまう。伊吹が私を好いてくれているんじゃないかって。私を本当に大切に思ってくれてるんじゃないかって。


「それが私の使命ですから」


 私にだけ聞こえるように小さく呟いた伊吹の台詞に、すっと心が冷えた。

 ああ、やっぱり。わかっていたことだけど、改めて言われると堪える。一生懸命に上っていたロープを切られて、底の見えない奈落に落とされたかのような、そんな心境。

 なぜだか泣きそうになって、私はそれをぐっと堪えた。ここで泣いたらみんなが不審に思う。だから笑え。笑うんだ。


「…うん、わかってる」


 私は今、上手く笑えているだろうか。伊吹の瞳に映っているはずの自分の姿を確認する勇気は、私にはなかった。




*・・*・・*・・*・・*・・




 行方不明者の話は、私が思っていた以上に深刻なことだったようだ。

 被害は十数人にも上り、それも被害を受けているのはこの街に住む、うちの学校の生徒だけ。警察も行方不明者の行方を懸命に探しているけれど、未だにその手掛かりすらつかめていない状況なのだという。

 手がかりすら掴めないなんてこと、あるのだろうか。今の時代、そこかしこに防犯カメラがあって、行方不明者の手がかりくらいならすぐに掴めそうなものなのに。だからなのか、これは神隠しなんじゃないかと囁かれている。

 あちこちで不安の声が漏れ聞こえる。先生たちも巡回などをして、これ以上の被害を増やさないようにしようと努力しているようだけど、それもあまり効果は得られていないようだ。生徒たちには寄り道をせずにまっすぐに家に帰るように、と改めて通達があり、不安に怯える大多数の生徒はそれを遵守している。中には気にしない、という強者もいるようだけど。


「…ねえ、伊吹。行方不明の話、どう思う?」


 伊吹と共に帰る途中、私は伊吹にそう問いかけてみた。理由は特にない。なんとなく聞いてみたかっただけだ。

 伊吹が足を止めて私を見つめる。それに合わせて私も足を止めた。


「どう、とは?」

「ほら、防犯カメラにもその行方不明者の映像が映ってなかったらしいじゃない。そんなことってあり得るのかなって。今はいろんなとこに防犯カメラが設置されているし、お店だけじゃなくて家にも設置してるうちもあるし…手がかりすら掴めないなんてこと、あるのかなって。神隠しなんて言われているけど…」

「……あり得ない話ではないでしょう。その行方不明になった人物がたまたま防犯カメラのない道を通ったのかもしれないですし、たまたま防犯カメラの調子が悪くて映らなかっただけかもしれない。その時になにかがあって行方不明になった」

「でもその偶然が十人以上重なるなんてこと、ある?」

「…すべての防犯カメラに姿が映っていなかった、というわけではないんでしょう。途中まで姿が映っていて、どこかのカメラから姿が映らなくなったのでは?」

「うーん…そうなのかもしれないけど…それにしたって手がかりが何もないっておかしいでしょ」


 今の警察の技術力を侮ってはいけない。科学技術も発展してきて、なにかしらの手がかりは一つくらいつかめていて当然なのだ。だけど今回はそれすらないのだという。

 あきらかに、この件はおかしい。そう、私は感じている。


「…マスター。世の中には、不思議なこともあるものです」

「え?」

「不可解なこともたくさんある。この件もそんな不可解なもののひとつだと考えればよろしいのでは? 気にするなという方が無理なのかもしれませんが、貴女が事件を解決する必要はないのですし、警察に任せておけばいいのでは」

「不可解なこと…」


 不可解なこと、と聞いて真っ先に思い浮かんだの伊吹のことだ。人形が大きくなって動いて喋っている。これも十分に不可解な、不思議なことだ。そんな現象を私はもう体験している。ならば同じようなことが他にもたくさんあって、今回の行方不明者の事件もそのうちの一つなのかもしれない。


「それもそう……え?」


 私は伊吹の意見に頷こうとした時、黒い影がすっと現れた。それは私と伊吹の周りを囲い、不気味に蠢いている。


「な、なにこれ…!?」

「…マスター、私の傍から離れないように。それと、護符は身に着けていますね?」

「う、うん…」

「いいですか、ここから動かないでくださいね」

「わ、わかった…」


 困惑する私と対照的に、伊吹はとても冷静だった。そして黒い影を見るとすっと目を細め、小さく何かを呟く。

 その時、黒い影がぶわっと膨れて私たちに襲い掛かってきた。私は悲鳴をあげて反射的に頭を覆う。しかし、私に特になにもなく、恐る恐る頭を覆っていた手を下げて目の前を見ると、目の前には伊吹の背中があった。

 伊吹は黒い影を手が掴み、無造作にそれを投げた。


「マスターに触れるな、汚らわしい」


 いつも私が聞いている冷たい声よりもさらに冷たい声音で伊吹は呟く。


「この程度の雑魚で、マスターに手を出そうなどと…私も舐められたものですね」


 そして伊吹が手を一振りすると、かまいたちのような風が吹き、黒い影を消し飛ばした。

 一瞬の出来事だった。何が起こったのかわからずぽかんとする私を振り返り、伊吹が私を確認するかのように見つめる。


「お怪我はありませんね?」

「う、うん…怪我はないけど、今のは…?」

「今のが【魔術】です」

「魔術…あれが?」

「はい。あの風も魔術を使って引き起こしたものですし、あの黒い影も恐らくは魔術でできたものでしょう」

「ちょ、ちょっと待って…魔術ってもう使える人がいないんじゃ」


  ないの、と続けようとしたのを伊吹が遮り、私を庇うように背中に隠す。

 いったいどうしたの、と聞くよりも先に伊吹が冷静な声で呟く。


「いつまでも隠れていないで、出来てきたらどうですか」


 冷たく前を見据えて言った伊吹に、私はえ、と驚く。

 誰かそこにいるのだろうか。伊吹が見ている方を、私がじっと見つめると、曲がり角から誰かが出来た。

 その人物を見て、私は驚いて目を見開いた。何故ならその人物は私のよく知る人だったから。


「バレたか」

「あ、綾部先生……?」


 見慣れた白衣と、ミステリアスな雰囲気を漂わせる美形。

 それは紛れもなく、うちのクラスの担任、綾部楓だった。



 

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