10.忍び寄るもの


「さあ、説明をしてちょうだい!」


 制服から部屋着に着替えて、私は仁王立ちをして伊吹を睨んだ。

 伊吹も一昨日私が買ってあげた服を着て、相変わらずの無表情で私を見上げている。

 ここは伊吹に与えられた部屋。もともと客室用として空いていた部屋だから、物はほとんどない。和室になっていて、押し入れにお客さん用の布団と座布団がしまってあるだけの部屋。掃除もきちんとしてあるのでとっても綺麗だ。

 ただ、伊吹と和室という組み合わせにとてつもなく違和感がある。いや、だってそうだろう。明らかに日本人ではない色素の薄い色合いに彫の深い顔立ちをしている伊吹には、和という要素が一切無い。その上、よくある外人さんの日本の文化に興味津々です、という様子すら一切ないのだ。違和感しかない。

 例えるならば、昔のお侍さんが突然西洋ファンタジーの世界に現れたようなもの。魔法とか剣とかドレスとかであふれている世界にちょんまげの日本人のおじさんがいきなり現れたらとても不自然だろう。今、まさにそんな感じなのだ。


「そうですね…マスターでもわかりやすく説明するならば、暗示をかけた、というのが妥当でしょうか」

「暗示? 暗示って催眠術とかの…?」

「催眠術の魔術版、とでも言うんでしょうか。まあ、基本的には催眠術と同じと思って頂いて構いません。学校でも同じようにして、マスターの学校に潜入することができたのです」

「へえ…便利」

「貴女はそう思うかもしれませんが、これにもいろいろと制約がかかり、あまり多用はできないようになっています。魔術は決して便利なものではありません」

「ふーん?」


 なにやら魔術を使うにもいろいろとあるようだ。うん、あまりよくわからないけど。


「……やはり、説明するだけ無駄でした」


 伊吹はふう、と息を吐いて呆れた目をして私を見て呟いた。

 む! 失礼な! 確かによくわからなかったけど、無駄って言い切ることはないじゃないか! なにかで役に立つかもしれないのに。世の中何が起こるかわからないものなんだぞ!

 …と言いたかったけど、余計に冷たい目で見られそうだったのでやめた。そりゃあ今まで何回も冷たい目で見られてきていますけどね、美形に冷たい目をされるのは結構堪えるんですよ。精神的に。


「ともかく、これでマスターが心配していたことは解決、ということでよろしいですね?」

「え? う、うーん…そうなる…のかなあ?」


 なんか違うような気がしなくも…いやでも私が心配していたのは、伊吹のことを誤魔化すことであって、その必要がなくなったから一応解決、ということになるのだろうか。あとは適当に伊吹と話を合わせれば大丈夫だろう。

 そう考えるとなんとかなるような気がしてきて、まあいいか、と思えてくる。私は基本的に楽天的なのだ。

 うん、なんとかなる。そう信じよう。





*・・*・・*・・*・・*・・




「キャー! 伊吹くぅーん!!」

「あ、笑った! かわいいー」

「もう伊吹君マジイケメン。眼福だわぁ」


 体育の時間になると、伊吹を眺める女子たちギャラリーが黄色い声をあげる。

 それはもうお馴染みの光景になってきているけど、私はなぜヤツであんな風に盛り上がれるのかがよくわからない。だって、あんなに性格悪いのに。すぐに人を馬鹿にするし、冷たい目で見てくるし、見下してくる。いくら顔が良くてもあの性格の悪さで私の評価はマイナスだ。底辺を突っ切っている。

 しかし、ヤツは外面が大変良い。私以外には笑顔を振りまき、とても愛想が良くて礼儀正しい。まるで本物の王子様みたい、というのが大方の生徒がヤツに抱く印象だ。

 私に対してはそんな風じゃないけど。いつもむすっとしていて、薄ら笑いがデフォだけど。いや、突然ヤツに愛想良くされたらされたで不気味に思うけど、でももう少し私に対しても愛想よくしてくれてもいいんじゃないか。

 そう以前ヤツに言ったらフッと鼻で笑われてものすごーくむかついた。ああ、今思い出しても腹が立つ。ヤツは鼻で笑うだけじゃなくて「優しくして欲しいんですか? なら私が優しくしたくなるように努力をしてください。そしたら考えてもいいですよ」と言い放ったのだ。何様だよ、まったく。

 その時のことを思い出し、むぅとむくれていると、「なに拗ねてるの、杏?」と揶揄うように声が掛けられた。


「……別に、拗ねてないし」

「えぇ? 拗ねてるように見えるけどなぁ。伊吹くんが注目されて嫌なんでしょ?」

「別に…伊吹が注目されようが人気でようが、私には関係ないし…どうでもいいもん」

「その割には不満そうだけど?」


 にやにやとした笑みを隠さずに話しかけてくるこの友人、木檜こぐれ千鶴ちづるとは中学からの付き合いだ。親友と言っても過言ではないくらい、仲の良い友達。千鶴とはなんでも言い合えて、お互いの事をよく知っている間柄である。

 そんな千鶴を私は不機嫌な表情を隠さずに、ぎろりと睨む。


「…何が言いたいの、千鶴さん?」

「仲良しの伊吹くんを取られて、杏が寂しいんじゃないかと思って」

「はあ? 誰が、あんなヤツなんか…!」

「―――俺が、なんですか?」


 座り込んで話していた私たちの頭上から、ひょっこりと伊吹が顔を覗かせる。

 その表情は私が普段見られない、柔らかくて愛想のいい笑顔だった。本当に外面だけはいい。


「なんでもない! ほら、戻りなさいよ。みんな待ってるんじゃない」

「杏ったら、なんでそう伊吹くんに対してはツンツンしてるの? ごめんね、伊吹くん。この子ねぇ、伊吹くんを取られちゃって寂しいみたいよ?」

「千鶴ッ!!」


 余計なことを言った千鶴を私は思いっきり睨むと、千鶴はてへっと笑みを浮かべた。それで誤魔化したつもりか! そもそも寂しいなんて1ミリも思ってないっての! 私はただ過去の事を思い出してむかついていただけだ!


「本当ですか? それなら嬉しいな。最近の杏は冷たいような気がしていたんです」

「あのねぇ…!」

「ほんと、ほんと。あんまり杏を寂しがせちゃダメだからね?」

「気を付けます」

「あんたら……!」


 揃いも揃ってどうして人の話を聞かないんだ!!


「寂しいのなら素直にそう言ってくれていいんですよ? 俺にとって杏は大切な存在なのですから」

「なぁっ…! な、なななに言ってんの!?」

「きゃー! 憎いねえ、この、このっ!」

「う、うるさい! もうっ、いいから早く行きなさいってば! みんなあんたを待ってるんだから!」


 伊吹の背中をぐいっと押して、伊吹を待っていると思われる人たちの方へ向かわせる。

 伊吹はうっすらとした笑いを私にしたあと、大人しく戻っていく。

 ああ、もう…なんであんなこと言うんだろ。って、理由はわかっている。ヤツは私の反応を見て楽しんでいるのだ。いや、楽しんでるわけじゃないのかもしれない。事実そのままを言ってるだけなのかもしれない。それにしたって言い方が紛らわしすぎる! あとで注意しなくちゃ、と強く心に誓う。


「杏ってば愛されてる~」

「揶揄わないでよ! ほんっとうに迷惑してるんだから!!」

「あんなイケメンに甘い言葉囁かれて、どうして杏はそんな風にツンツンしていられるんだか…理解に苦しむわ」

「そんなこと、知らないし…」

「はいはい。あんたは瀬名先輩ひとすじだもんね~。でもさ、伊吹くんにぐらっとするときないの? あんなにイケメンなのに」

「そんなこと、あるわけないでしょ。瀬名先輩の方がかっこいいもん」

「あー、そうですか。本当に杏は瀬名先輩が好きねえ」

「……」


 プイッと顔を背けると、千鶴が苦笑する気配がした。

 顔を背けた先に、伊吹がいた。伊吹はクラスメイトたちに囲まれて、楽しそうに笑っている。男子は今、サッカーをやっているらしい。伊吹は器用にボールを操り、そのままゴールを決めて、クラスメイトたちに背中を叩かれた。それに爽やかに応えて、また駆け出していく。

 伊吹はどうやら上手くクラスに溶け込めているみたいだ。クラスメイトたちとも上手く付き合っている。本当の少年みたいに楽しそうにサッカーをしている伊吹。こうして見ると、本当の人のように思える。伊吹が人形だったというのはただの夢で、伊吹は本当に私の又従兄弟だったんじゃないかと、そんな風に思える。

 私はそっと、胸元を抑える。服の下には、伊吹から貰ったペンダントがある。伊吹に言われた通りに私はこれを肌身離さず身に着けている。これがある限り、あの時の出来事は夢ではないという事実を確認できる。それに、これを身に着けていると、ほっとするのだ。なぜかとても安心する。最近ではこれを身に着けていないと落ち着かないくらいだ。


「杏、集合みたいだよ。行こ?」

「え…あ、うん。わかった」


 千鶴に言われて私は立ち上がり、伊吹から視線を逸らして集合場所へ体を向ける。

 その時、珍しく綾部が一人で外に立っていた。休憩がてらに散歩でもしているのだろうか。綾部は男子たちのサッカーしている様子を眺めているようだ。珍しいこともあるものだな、と思いながらも私はそのまま千鶴と一緒に集合場所へ向かって走り出した。



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