9.帰る処
伊吹に手を引っ張られて教室に入ってきた私を見て、クラスメイトたちは「なんで杏がお世話されてるの」と呆れたり笑ったりした。恥ずかしくて私は顔から火が出るかと思った。私の手を引っ張ている張本人である伊吹は涼しげな顔をしていて、腹が立った。八つ当たりだとはわかっているけど、この恥ずかしさはどこかにぶつけないと私の気が済まない。
私は思いっきり伊吹の手を振り払い、ツンと顔を背けて一人で席に着く。私の背後から呆れたような伊吹の視線を感じたけど知るものか。
「そんなに恥ずかしがらなくても」
「うるさい」
ツンツンとした私の態度に、伊吹が悲しそうな顔をする。すると周りから「杏、八つ当たりをしたら伊吹君が可哀想だよ」「日本に来たばかりなんだから、ちょっとは気を遣ってあげなさいよ」と怒られる。いや、八つ当たりだって自覚はあったけど、こんなにみんなで責めなくても良くないですか?
私は余計にむくれてツーンと顔を背けると、周りは苦笑する。
「ごめんね、伊吹君」
「これでも可愛いとこあるんだよ、この子」
なぜ伊吹に謝る。そしてどんなフォローだ。
伊吹は少し困ったような表情を浮かべて、こくりと頷いてはにかむ。
「知ってます。杏に可愛いところがあることは、俺が一番わかっていますから」
伊吹のその言葉に周りからキャア! と黄色い悲鳴が巻き起こる。
なんてこと言ってくれたんだ、コイツ! そういうキャラだっけ!? それとも復讐なのか?
今度は違う意味で、私の顔が赤くなった。
様々な視線を浴び続け、私はなんとか一日乗り切った。途中で「伊吹君とどんな関係なの!?」という詰問を受け、私は無実の罪をきせられた人の気分を味わったりもした。そんな拷問のような時間ともさよならだ。
手早く帰り支度を済ませ、何か話しかけられる前に伊吹を連れて私は教室を出た。そこでまた注目されたけど、もう知るもんか。ヤツと一緒にいる限り、私は注目されるんだ。気にするだけ無駄だ。
学校から少し離れた場所まで来たところで私は足を止めて、私を拷問のような気分にさせた諸悪の根源たる伊吹を睨んだ。
「あまり目立つことしないでくれない?」
「目立つこと、ですか?」
「そう! ただでさえ、あんたは目立つ容姿してるっていうのに…あ、あんなこと…!」
ブルブルと怒りに震えていると、伊吹は「ああ」と小さく呟き、口元を上げて笑みの形を作った。
「あの発言を気にしているのですか? 可愛いところがあることは、俺が一番―――」
「ああ!!! それ以上言うなぁああ!!!」
叫んでヤツの台詞を遮り、私はヤツの口を物理的に塞いだ。なんでそんな恥ずかしい台詞をさらっと言えるんだろう!?
ヤツはとても煩わしそうな顔をして私を見ている。だけど自分の口を塞ぐ私の手を退かすことはせずにそのままにさせている。
「そんなことあんたが心にも思ってないって私はわかっているけど、周りはそうは思ってくれないんだからね! 周りに勘違いされたらどうするの!」
大人しく私にされるがままに口を塞がれている伊吹が何か言いたそうな顔をする。私はヤツの口から手を退かすと、ヤツはふうと息を吐いた。それが人間くさく感じて、本当にコイツ人形なの、と思う。
「別にいいんじゃないでしょうか。他人の言うことなど、気にしないでいれば」
「私は気になるの!」
「…ああ、なるほど。あの男に勘違いをされたくないと。そういうことですか」
「は、はあ!?」
動揺のあまり、私の声が裏返った。べ、別にそんなこと考えてない……いや、ちょっと考えたけど。瀬名先輩に勘違いされたらいやだなって思ったけど…でも、そういうことじゃなくて! 私は変に気遣われたり揶揄われたりするのが嫌なのだ。それに、伊吹に一目惚れした子に逆恨みされる可能性だってあるんだし。ヤツは容姿だけはとてもいいから。
ぶつぶつと言い訳めいたことを私が言うと、伊吹の目がすっと細められた。
「マスター、あの男はだめです」
「は…? なんであんたにそんな事言われなきゃならないの。瀬名先輩はとってもいい人だよ」
「貴女が誰を好きでも構いません。だけどあの男…セナ、と言いましたか。とにかくセナだけはだめです」
「どうしてよ? なんであんたはそんなに瀬名先輩を嫌うの?」
「それは…」
伊吹はなにか言おうとして、苦しそうな表情を浮かべ、小さく頭を振る。
「…とにかく、あの男はだめなんです。好きなるのはあの男以外にしてください」
「なにそれ…」
理由を言うわけでもなくただ先輩の事を否定する伊吹に苛立った。どうしてそこまで伊吹に言われなくちゃならないの。私の心は私だけのもの。それをどうこう言う権利は、伊吹にはないはずだ。
「誰を好きになろうと私の勝手でしょ! 私の気持ちは私だけのもの。あんたにどうこう言われたくない!」
私がそう言うと、伊吹は目を見開いた。そして傷ついたような顔をする。
何で伊吹がそんな顔をするんだろう? これじゃあ私が悪い事をしたみたいだ。だからと言って私は謝る気はない。だって私の言っていることは間違っていないはずだから。
「……貴女は、やはり……………のですね」
伊吹が小さく何かを呟いた。だけど私の耳はその言葉の一部しか聞き取れなくて聞き返す。だけど伊吹はもう一度言うことはなく、違う言葉を言う。
「…差し出がましいことを言いました。ですが、私はあの言葉を撤回する気はありません」
「……この頑固者」
「なんとでもどうぞ。私は貴女には自分の思ったことしか言いませんので」
そう言ってヤツは私の横を通り抜けて歩き出す。
本当にむかつくヤツだ。私には自分の思ったことしか言わないって? つまり今までのヤツの私に対する台詞は全部ヤツの本心だってことだ。あの失礼な台詞の全部がヤツが心から思っているっていうことなのだ。本当に腹が立つ。
瀬名先輩に対しても、そう。なんで伊吹は先輩に対してあそこまで頑なに否定するんだろう。にこやかに挨拶していたくせに。あ、そっか。私以外だったら思ってないこと平気で言えちゃうんだ。ヤツ自身がそう言ってたもんね。
……ってあれ? それって私には嘘をつかないってこと? じゃあ、あの恥ずかしい台詞も……。
―――杏の可愛いところは、俺が一番わかっていますから。
柔らかい声音で言ったヤツの台詞が蘇り、私は絶叫しそうになった。
ああ、無理! 恥ずい! なんで思い出しちゃったかな、私!?
落ち着け、落ち着くんだ、私。あれは私に言った台詞じゃない。だからヤツはそんなこと心にも思っていないはずなんだ、うんそうに違いない。というかそうじゃないと困る。なにがって困るかって聞かれたらそれこそ困るけど。なんていうか、こう私の精神的な負担が増えるようなそんな気がするんだ。
もんもんと私が悩みながらふと顔を上げると、ヤツの後姿が結構遠ざかっていることに気付き、私は慌てた。
「ま、待ちなさいよ~! 私を置いてくな~!!」
そう叫びながら私は慌ててヤツを追いかけた。
私、ヤツのご主人様だよね? ねえ、なんでご主人様置いてくの? そう問い詰めたいけど外でそんなことを口に出せるはずもなく、追いついたヤツを腕をグーで殴った。しかしヤツは何も痛いとも言わず、ただ私をちらりと見てため息を吐いただけだった。
……やっぱりむかつく。
「ねえ、あんたさあ」
しばらく無言で歩いていた私たちだが、私はとある問題が気になって口を開く。
「学校で私の家に居候してるって言ったよね?」
「言いましたが、何か?」
「たまに私の家に友達が来るんだけど、その時どうするの? ていうか、たぶんあんたのことが気になって家に友達が突然押しかけてくるだろうし、その時親に鉢合わせする可能性もあるし、親に鉢合わせしてあんたのこと聞かれて知らないって答えられたら困るんだけど」
「ああ…そのことですか。なんとかなりますので安心してください」
「なんとかって?」
「…そうですね…わかりやすく言うと、少し裏技を使います」
「うら、わざ…?」
「今日、マスターのご両親はいらっしゃいますか?」
「え? あ…うーん、どうだろ。朝いたから…いるんじゃないかなあ。たぶん、土日出た代休かなんか取ってると思うけど…」
「ならば好都合です」
ハテナマークを頭いっぱいに浮かべた私を見ても伊吹は素知らぬ顔をして歩く。
どうやら説明してくれる気はないようだ。ちょっとくらい教えてくれもいいじゃない…とむくれている間に私の家に着く。
隣にいる伊吹を見て「あんたどうやって入るの?」と聞けば「お構いなく」と答えられる。お構いなくって…構うわ! と突っ込みたかったけど、家の前で言い争って親が出てきたら困るので私は伊吹に本当に構うことなく玄関から入った。
「ただいまー」
そう言いながら靴を脱ぐと、パタパタと足音が聞こえ、「お帰りなさい」とお母さんが顔を覗かせた。
大学生の息子と高校生の娘がいるようにはとても見えないくらい、うちのお母さんは若い。ほわわん、とした雰囲気のお母さんだけどこれで仕事はめっちゃくちゃ出来る、らしい。お母さんの部下曰く、「仕事している時は鬼畜」らしい。普段のお母さんと仕事をしている時のお母さんは別人みたいなのだとか。
「お母さん、今日は休みなの?」
「そうなの。最近働きづめだったからねぇ、休めって言われちゃった」
「へえ…」
「ねえ、それよりも杏ちゃん」
「うん?」
「隣にいる子はだあれ?」
「え?」
私が横を振り向くと、にっこりと愛想の良い笑顔を浮かべた伊吹が立っていた。
え、お構いなくってそういうこと!?
「え、えっとね、彼は…」
なんて説明しようかと悩みながら言うと、それに被せるように伊吹が挨拶をする。
「伊吹・フロックハートです、おばさん」
「いぶきくん?」
「はい。杏とは又従兄弟にあたる、伊吹です」
「はとこ…」
んーと悩むように首を傾げたお母さんだけど、伊吹と目が合うとなにやらぼんやりとした様子になった。そしてゆっくりと瞬きをすると、にこっとお母さんが笑った。
「ああ、そうだったわね。今日からこっちに越して来たんだったわ」
「はい、今日からよろしくお願いします」
「ふふ、いいのよ。あまり広い家じゃなくて申し訳ないけど、自分の家だと思って寛いでね」
「え? え…?」
「杏、伊吹くんの部屋はあなたの隣の部屋だから、案内してあげなさい」
「え?」
私が返事をする前にお母さんはくるっと踵を返してリビングに戻っていく。
え? いったいどういうこと?
「…詳しくは部屋で」
小声で伊吹にそう言われ、私は困惑しながらも頷いた。
もうわけわからないことだらけだ。これでこの先大丈夫なんだろうかと、ほんの少し不安に思った。
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