8.憧れのきみ


 学校には本当に遅刻ギリギリで着いた。

 階段をダッシュで駆け上り教室に入るとちょうど予鈴が鳴り、クラスメイトからなぜか拍手を送られる。それにどうもどーもと返していると、頭をバシンと軽く叩かれた。


「こら、古澤くん。もう予鈴が鳴り終わったんだから席に着きなさい」

「すみません~」


 へらっとした笑みを浮かべて私は席に着く。危ない危ない、遅刻にされるところだった。

 席に着いて鞄を置くと、近くの席の友人がさっそく私に話しかけてきた。


「杏、今日は遅かったね。でもそのお陰で綾部あやべ先生と話せてラッキーだったねえ」

「え~、そう?」

「そうそう。綾部先生の周りっていつも女子がいてなかなか話しかけられないじゃない。そんな綾部先生に話しかけて貰えるなんて、ラッキー以外のなんでもないでしょ!」

「そうかなあ?」

「もう…本当に杏ったら綾部先生に興味ないんだから! うちのナンバーワンイケメン教師なのに!」

「うーん…」


 友人の話に適当な相槌と笑みを浮かべて答える。

 うちのクラスの担任である綾部あやべかえで――あやっちとか、あやべっちと女子からは呼ばれている――は10人中9人はイケメンと答えるほどの美形だ。いつも白衣を身にまとっているため、理科とか科学の教師なのかと思いきや実は美術が担当であり、騙されたと思う者が後を絶たない。かくゆう私もその一人だ。

 あまり掴みどこがなく飄々としていて、人を食ったような物言いをするミステリアス系イケメンと謳われている、うちの学校でも1,2を争う人気者だ。特に女子に人気があり、彼の周りには常に女子が集い、その女子間で日夜熾烈な争いが繰り広げられている、らしい。

 そんな教師だからさぞ男子から羨ましがれているだろう…と思いきや、男子からすごく嫌われているということはない。ただし、積極的に関わろうとする者もいないが。


「今日は皆さんにビックニュースがあります。今日から新しい仲間が一人加わります。さ、入って」


 綾部は挨拶をしたあと、そう言って転入生を教室に呼んだ。

 クラス中が突然の転入生の登場にざわめき立つ。「ねえ、知ってた?」「知らなーい」「女子かな?」「だったら美人がいいな!」などという会話がそこかしこから聞こえる。

 私はそれよりも学校に入ってから伊吹の姿を見ていないことに今更気付き、内心とても焦っていた。なにか騒ぎを起こしていないだろうかと心配で、転入生にきゃあきゃあ言うどころの騒ぎではない。ああ、アイツなにかトラブルを巻き起こしていなければいいけど。なにもありませんように…と普段はまったく信仰していない神様に祈る。困った時の神頼みだ。

 両手を組み目を閉じて、神様仏様女神様、どうかお願いしますと祈りを捧げていると、キャアアアという女子の黄色い悲鳴に何事かと目を開く。

 そして、私の視界に映ったのは――――


「初めまして、英国から来ました、伊吹・フロックハートと申します。日本には最近来たばかりで不慣れなことも多く、ご迷惑をお掛けするかと思いますが、よろしくお願いします」


 私の頭を散々悩ませている人形ヤツが、なぜかにっこりと愛想を振りまき、転入生として紹介されていた。

 え? ちょっと待って。なにがどうしてこうなった? いや、本当になんで転入生として紹介されてるの? 戸籍登録とか転入手続きとかどうやったの。二日間じゃどう考えても出来ないでしょ、いったいヤツは何をした。

 そんな疑問が頭をよぎりながらも、私は驚きすぎて言葉にすることが出来ない。

 呆然としていると、なぜかヤツはたまたま空いていた私の隣の席に座ることになり、にこやかに私に話しかけてきた。


「杏と一緒のクラスで良かった。一人では不安でした」


 私と知り合いのような言い方をされ、周りの人が私に注目するのを感じた。戸惑って伊吹を見ると、伊吹はにこやかな表情を浮かべているのに、その目はとても冷たく、二日間私と接した伊吹の目そのままだった。そのことになぜか私は安心し、そんな自分に焦った。いや、なにほっとしてるの、私。

 伊吹は話を合わせろと言わんばかりに私に冷たい視線を送り、私はかなりどもりながら「そ、そうだね…私もちょっとあ、あんしん…したかな…」と挙動不審に答えた。

 そんな私に伊吹は呆れた視線を送って来る。うん、わかってる。自分でもとっても怪しいってわかってる。だけどこれが私の精一杯なんだよ…。


 それから私は案の定、クラスのみんなに囲まれて、質問攻めにされた。


「杏、どういうことなの!?」

「伊吹君とどういう関係!?」

「え、えっと…」


 なんて答えればいいのかわからず、私が視線を彷徨わせると、隣から「杏と俺は又従兄弟はとこなんですよ」とにこやかな声がした。

 馴染みのない一人称に私は戸惑ったあと、ヤツが私の言ったことを守っているのだと気づく。意外と律儀だな、なんて思っていると、ヤツはにこやかに淀みなく嘘をつらつらと述べた。

 曰く、伊吹の母親が日本人で父親が英国人。私とは母方の縁者にあたり、両親の仕事の都合で私の家に居候させて貰っている。……ということらしい。

 「へえ~そうなんだ~」と、女子はうっとりとしながら伊吹の話に相槌を打ち、男子は少し羨ましそうに伊吹を見つめ、伊吹と目が合うと顔を赤らませて目を逸らす…という乙女のような反応をしていた。ちょっとキモい。まあ、それだけ伊吹の容姿は美しいのだ。男女関係なく人を惹きつける容姿なのだ。さすが人形。

 だけど私は知っている。ヤツが美しいのは容姿だけで、その中身はくそ生意気な嫌味野郎だということを。声を大にして見た目に騙されるな! と叫びたいのをぐっと堪えるのに一苦労だ。

 それから伊吹は「不安だから」と言って私の近くにべったりだった。それも本当に不安そうに儚げな様子で言うものだから、クラス中の総意で私が伊吹のお世話係に任命された。お陰で私はずっとヤツと一緒にいて、あれやこれやと世話を焼かなければならなかった。少しでもサボろうものならクラス中から非難の目で見られるのだ。すごく理不尽だと感じると共に、あっという間にクラス中を味方につけた伊吹の手腕に感嘆した。


 二人きりになり、周りに人がいないことを確認してから私は「どういうことなの」と伊吹に詰め寄った。

 伊吹は先程までの愛想の良さは何処へやら、いつものぶすっとした表情に戻り、冷たい目と声で私に答える。


「どう、とは?」

「なんであんたが転入生になってるのかって聞いてるの! なにをしたの」

「答える必要性が感じられません。いいじゃないですか。これで私は貴女と堂々と一緒にいることができ、貴女は私との関係を聞かれて困ることがなくなったのですから」

「あんたねぇ…!」

「それに、これは私にとって必要なことです。私は貴女の傍にいなければならない。貴女を守ることが私の存在意義なのですから」


 そんな大袈裟な、と言おうとした。だけど伊吹の瞳があまりにも真剣に輝いていたため、私は言葉を飲み込んだ。


「私は、貴女の傍にいないと―――」


 伊吹が何か言いかけたとき、「あれ、古澤?」と爽やかな声が掛けられた。

 はっと振り返るとそこにいたのは、端正な顔立ちに少し日に焼けた健康的な肌を持つ、スポーツマンのような爽やかさがある青年だった。


「瀬名先輩…!」

「ごめん、取り込み中だったか?」

「ち、違います! ちょっと話をしていただけで…」

「―――杏。こちらは…?」


 あわあわとしていた私は伊吹の落ち着いた声を聞いて平静を取り戻す。

 そしてごほん、とわざとらしく咳ばらいをして、にっこりと瀬名先輩に向かって笑う。


「先輩。彼は、私の又従兄弟はとこの伊吹です。今日、うちの学校に編入してきて、今ちょうど学校を案内している最中だったんです」

「へえ、そうだったのか。あ、俺は瀬名せな晃弘あきひろっていうんだ。よろしくな、伊吹」


 先輩は爽やかに笑い、伊吹に手を差し出す。伊吹もその手を取り、にこやかに笑って「よろしくお願いします」と言って握手を交わす。

 そしてその笑みを浮かべたまま、伊吹は私を見た。顔は笑っているのに、その目は笑っていない。…なんで?


「杏、彼とはどういう関係なのですか?」

「どういう関係って…えっと、その…」


 瀬名先輩とはただの先輩後輩というだけだ。私がたまたまドジを踏んで怪我をしたときに先輩が通りかかって保健室に運んでくれたことがきっかけで先輩にこうして話しかけて貰えるようになっただけ。

 瀬名先輩はうちの学校のサッカー部のエースで、あの綾部と並んで人気のある人でもある。そんな人に顔を見かけるたびに声を掛けて貰えてすごく嬉しい。瀬名先輩は私の密かな憧れの人なのだ。…もっとも、密かな、と言いつつも私の好意は友人たちにはバレてしまっているけど。そんなにわかりやすい態度とっているかな、私…。


「古澤は俺のとっても良い後輩だ。試合にも応援に来てくれるし、たまに差し入れとかも持ってきてくれて、すごく助かってるんだ」

「そ、そんな…私がしたくてしていることですし…」


 先輩、私が応援に来ていること気付いてくれていたんだ…! 試合のある時は友人を誘って応援に行っていたけど、先輩に会いに行くことはしなかった。先輩の迷惑になるんじゃないかと思って、それでも応援だけはしたくて、精一杯声を張り上げて応援していた。それがきちんと先輩に届いていたんだと知って、嬉しい。

 もじもじとして私が言うと、先輩が「本当に古澤は良い後輩だよ」と私の頭を軽くポンポンと叩き、私の顔が熱くなった。きっと私の顔は真っ赤になっている。恥ずかしい。


「あ、学校を案内している最中だったな。呼び止めて悪かった」

「い、いえ! あの、先輩…」

「ん?」

「その……また、差し入れ持っていきますね」


 おずおずと私がそういうと、先輩は嬉しそうに笑って「楽しみにしている」と言って立ち去った。その後姿をぼんやりと見送っていると、なにやら顔の横が冷たい。なんだろう、と思って横を見ると、伊吹がそれはもう、ものすごい冷たい目で私を見ていた。だから、なんで!?


「…なに。なんか文句あんの?」

「別に。……ただ、普段の貴女の様子とあまりにも違い過ぎて、別人ではないかと思っているだけですのでどうかお気になさらず」

「はっ!? それどういう意味!?」

「ですからお気になさらず、と言っているじゃないですか」

「気にするわ!!」


 ぎゃあぎゃあ騒ぐ私を伊吹は煩そうに見つめる。そしてぽつりと、爆弾発言を落とす。


「貴女はああいう男が好きなんですね」

「は……」

「あの男は、やめた方がいいと思いますが」

「なななな…なに言って…!」

「動揺しすぎです。…それよりも、早くしないと次の授業が始まるのでは?」


 行きましょう、と伊吹に手を掴まれ、動揺したままだった私は伊吹に引っ張られるがままに歩いた。あまりにも動揺しすぎて、私の頭は上手く働かない。

 先ほど伊吹が何かを言いかけたままだったことは、私の記憶からすっかり抜け落ちていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る