7.新たなる生活の始まり



 なんだかんだしていたら、あっという間に二日間の休みが終わった。

 この二日間、聞くも涙、語る涙……というわけではないけど、それなりに大変で気苦労の絶えない二日間だった。なにもかもあの人形のせいだ。

 まずは、いつまでも和樹の服を着せているわけにはいかないので、ヤツの着替えを買いに出掛けた。私のお小遣いを叩いて買ってあげることにしたのだ。私ってすごく優しい。

 ついでに私もなにか服買おうかな、なんて思いながら近くのショッピングモールにヤツと一緒に足を運び、メンズ服を取り扱うお店を見て回った。今度はきちんと反省してヤツにキャップを深く被せた。その成果はきちんと発揮され、前よりも注目されることはなかった。顔が見えないって大事!

 が、しかし。お店に入ってからが問題だった。いくらキャップを深く被っていても至近距離となれば顔はばっちり見える。その上にこの美貌だ。お店のお兄さん、お姉さんたちに色んな服を次々に勧められ、それを断るのに一苦労した。私がこんなに苦労して断っているというのに、当の本人である伊吹は無関心なのだ。店員さんの押し売りよりも店内の装飾の方が気になるらしく、われ関せずを貫いていた。まあ、店員さんの質問に変な答えを言われる方が困るんだけど、ちょっとは助けてくれてもいいのに、と思ってしまう。

 そんなこんなで伊吹の服を一通り揃えるのに苦労し、自分の服を選ぶ気力さえなくなった私はそのまま家に帰って適当に夕飯を済まして、お風呂に入って寝た。

 次の日は本を読みたいと言ったヤツに付き合って図書館へ行き、ヤツがなんかの本を読んでいる間に私は課題を済ませた。その時、本を読む際にキャップが邪魔だったらしく、ヤツはキャップを取っていた。そのため、気付いたら私たち…いや伊吹はものすごく注目を集めていて、まるで動物園のパンダのような気分にさせらた。


 ……うん、大変だったな…休みなのに休んだ気がしないのは、絶対に伊吹のせいだと思う。

 そんな疲れた休日も終わり、週初めの月曜日が始まる。学校にいる間はヤツのお守りから解放される…そう考えると学校へ行くのが待ち遠しい。例え大嫌いな勉強尽くしの時間が待っていようとも、早く学校に行きたい気持ちの方が強くなる。


「…ねえ、あんた。本当についてくるの?」

「勿論です」

「家で大人しく待っていてくれていいんだけど…むしろ待っていてほしいんだけど」

「私の役目はマスターを守ることですので、それは無理です、と何度言えばわかって貰えるのでしょうか」


 うんざりしたように伊吹は言う。そんな言い方しなくたって…と私は顔を膨らませた。

 この二日間でわかったことだが、伊吹はとても頑固だ。一度言い出したら絶対に自分を曲げない。良く言えば意志が固いってことだけど、私は敢えて頑固だと言おう。

 ヤツの頑固さを二日間で嫌というほど思い知った私はもう諦めた。こうなった伊吹は意地でも私のあとをついてくるだろう。なら、私が譲歩するしかない。


「……わかった。ただし、今から私の言うことを絶対に守って」

「…内容によります」

「絶対に守ってほしいのは、私のことを“マスター”って人前で呼ばないこと。あんたの時代と違って、今は主従関係というものはほとんどない。だからそうやって呼ばれると、私があんたに変なことを強要しているように勘違いされちゃう。それは絶対嫌だから、マスター呼びはやめて。二人の時ならいいけど、誰かいるときは絶対にやめて」

「では、なんと呼べばいいのですか?」

「普通に名前でいい。杏って呼んで。あとできれば、もう少し砕けた話し方をした方がいいかな…? 少なくともあんたくらいの年の男子で一人称で“私”って言っている人、今はほとんどいないし」

「…わかりました。善処します」

「あとは…都度守ってほしい事を追加していくから。とにかくいい? 絶対に私のことマスターって呼ばないでね?」

「…そんなに嫌なのですか」

「うん、嫌。すっごく違和感ある」

「そうですか」


 伊吹は納得しがたそうな雰囲気を出しながらも、私の言うことは理解できるのか、頷いた。これなら大丈夫そう…と時計を見て、げっと思わず呻いた。

 思いのほか時間が経っていたらしい。早くしないと遅刻してしまう…!


「じゃあ、着替えるから。出てって、今すぐ、さあ」

「マスター、何回も言っていますが、私に性を感じても無駄だと」

「いいから出てけー!!!」


 私がクッションを投げつけると、伊吹はやれやれといった様子でクローゼットの中に入っていく。出てけとは言っているけど、本当に部屋の外に出て行かれたら困る。今は両親がいるのだ。両親と伊吹が廊下でこんにちはされたら困る。だから渋々、本当に渋々だけど私が着替えている間は伊吹に私のクローゼットの中に入るように言った。

 伊吹はなぜ私が着替えを見られるのを嫌がるのか不思議に思っているようだが、同じ部屋内いればそれでいいのか、その件に関してはあっさりと了承した。

 私は伊吹がクローゼットの中に入ったのを確かめてから高校の制服に袖を通す。紺色のブレザーにグレーのチェック柄のスカート。リボンは紺のチェックで黒い靴下を履く。私が通う高校は近所でも制服が可愛いと評判なのだ。この制服に初めて袖を通した時は興奮した。

 肩より少し下くらいの長さの髪はハーフアップにして、花飾りのついたバレッタで留めれば身支度完了だ。化粧なんて遊びに行く時くらいしかしません。

 姿見で変なところがないか全身を確認したあとに伊吹に出てきても大丈夫だと声を掛ける。すると伊吹がクローゼットから顔を出し、そんな伊吹の姿を見て私はぎょっとした。


「あ、あんた、その恰好…」


 思わず伊吹を指さし私は呟く。伊吹は自分の姿を一瞬だけ見た後、にっこりと笑って見せた。


「どうですか?」

「どうって…そりゃあ似合ってるけど……じゃなくて! なんであんたがうちの学校の制服着てるの!? というかどこからその制服持ってきた!?」


 全力の私のツッコミに伊吹はフッと鼻で笑って答えた。…物凄くむかつく。


「向かいの部屋にあったので拝借しました」

「はぁ!?」


 私の向かいは和樹の部屋。私が通っている高校は和樹の母校でもあるので、学校の制服が和樹の部屋にあってもおかしくはない。だけど、和樹の制服はこんなに綺麗だっだろうか。卒業してからでクリーニングにでも出したのかな…って、そうじゃなくて!

 他人の部屋から物を勝手に持ち出すって、泥棒じゃないか!


「使っていない物を有効活用する。これのどこに問題が?」

「確かにそうかもしれないけど…!」

「それよりもマスター、時間は大丈夫なんですか?」

「えっあっ! そうだった!」


 時計を見ると本当にもうギリギリな時間だった。ごはんを食べる時間もないくらいだ。

 色々な葛藤とかを私は押し殺し、鞄を持って階段を下りる。そこで両親と会ったけど、おはようと挨拶をしながら適当なパンを口に加えてそのままいってきます、と家を飛び出る。

 ああ、もう本当に遅刻しちゃう…! これも伊吹のせいだ!

 って…あれ、そういえば伊吹の姿が見当たらない。一緒に階段を下りてないし、伊吹が家から出てくる気配もない。あんなに私についてくると言っていたヤツが今更怖気づいてやっぱり家にいることにした…なんてことはないだろう。

 伊吹のことが気にかかったけど、遅刻をするのは非常にまずいので、私はそのまま通学路を進んだ。


「遅いですよ、マスター」

「これでも全力で来たし! って、え!? なんであんたここに!?」

「何を言っているのですか? 私は貴女についていくと言ったはずですが」

「いやそれは聞いたよ? そうじゃなくて、どうやって降りて来たの?」


 私の部屋は二階だ。普通の人間が飛び降りたら恐らく怪我をするだろう。


「窓から普通に降りてきましたが」

「窓から普通に!?」


 窓からっていう時点で普通じゃない。いろいろとツッコミたいけど、本当に時間がない。


「いろいろ言いたいことはあるけど、それはあと! いい? 絶対、私の言ったこと守ってね?」

「言われなくてもわかっています」


 しつこい、と言いたげな口調で伊吹が答え、それに対していろいろ言いたい事はあったけれどぐっと堪えて私は学校へ向かって歩き出す。私に並ぶように伊吹もついて来る。

 学校に着いたらコイツどうするのかな。その前に友人たちにいろいろと聞かれそうだけど…。

 その時のことを想像し、げんなりとする。朝からなんでこんな思いをしなくちゃいけないんだろう。

 はあ…とため息を零しながらちらりと見た伊吹の顔は、憎らしいくらいに涼しげだった。


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