6.これからの話
伊吹は一通り店内を見て回ったあと、満足をしたらしく店を出た。私もそのあとに大人しく続き、店を出る。私が店から完全に出たのを確認したあと、伊吹は店の前に立ち、何やら小さく呟いた。そして、店が突然現れたのと同じように、店は突然消え、来た時と同じただの空き地に戻っていた。
「ねえ…今のどうやったの?」
「説明することも可能ですが…マスターがきちんと理解出来るとは思えませんので、やめておきます」
「それ、どういう意味?」
「ご想像に任せます」
「あんた、私をバカにしてるでしょ」
私の問いに伊吹は答えなかった。かわりに、うっすらと口元をあげてみせた。なんて嫌なヤツ!
目を吊り上げて睨む私のことを完全にスルーし、伊吹は歩き出した。道を間違えればバカにしてやるのに、と思ったが伊吹はしっかりと道を覚えていた。本当に可愛げのないヤツだ。
家に帰る途中にあったコンビニに寄り、お昼ごはんを買う。その間も伊吹は興味深々で店内を見回し、あれはなんだ、これはなんだと質問攻めにしてくるのでそれに答えてあげる。
そんな様子を見ていた周りの人たちからは微笑ましいものを見るような目で見られ、居た堪れなくなった。
逃げるようにコンビニを出て、しばらくこのコンビニ行けないかも…と考えてがっくりとする。家から近くて一番よく使っているコンビニだったのに。私の気にしすぎ、と言われればそれまでだけど、あのコンビニにまた行って微笑ましい目で見られたら…と考えただけで私は羞恥に震える。ああ無理。あんな目線を受けるのなんて耐えれない…!
「なぜそんなに震えているのですか?」
「……放って置いて。今、私の中の羞恥心と戦っているの」
というか、あんたのせいだけどな!!
そう言いたいのをぐっと堪えた私は大人になったと思う。今日一日…いや、数時間で私は大人になったのだ。下手に突っかかってもこちらが痛い目を見るだけと、嫌というほど理解をした。
「……驚きました」
「なにが」
「マスターにも羞恥心があったのですね…それ以前に、『羞恥心』と言う言葉を知っていることの方が驚きましたが」
完全に馬鹿にした伊吹の言い方に、私はカチーンときた。私は“大人になった私”を遥か彼方に吹き飛ばし、感情のままに生きることにした。ありがとう、数分も一緒に居られなかったけど、あなたのことは忘れない。
「馬鹿にしないでくれる? これでも現文の成績は良いんだからねっ」!
「ゲンブン…?」
伊吹が訝しげに呟く。その様子に私はピーンと来て、ニヤリと笑ってやった。
これはチャンスだ。今まで散々馬鹿にされた恨みを晴らす絶好の機会だ!
「あらぁ? 現文も知らないのぉ~? それもそうだよねぇ。だって、ずぅっっっと眠ってたんだもんねぇ? “現代文”っていう授業科目があることなんて、知らないよねぇ? ごめんねぇ、気遣ってあげれなくて。なんていうかぁ、ジェネレーションギャップ、っていうの? 感じちゃった、的な?」
無意味に語尾を伸ばし、相手がイラっとするであろう喋り方をする。
うん、私がこんな風に話しかけられたら、私はそいつをぶん殴ってる自信がある。
「………」
さしもの伊吹はむっつりと黙り込んだ。どうやら反論の余地もないらしい。
フッ…私の勝ちだな。なんの勝負かはよくわからないけど!
「マスター」
「なあに?」
伊吹に勝ったことで私は気分が良かった。だから常よりもにこやかに対応する。
「その話し方はあなたの品位を失う口調だと思われますし、何よりもいつもより馬鹿っぽく感じるのでやめたほうがよろしいかと」
あくまで淡々と冷静に伊吹は言った。その言葉に嫌味は含まれておらず、本当に純粋にそう思って忠告しているようだ。それが私の羞恥心を誘い、私の顔はかあっと赤く染まった。
うん、自覚はしてたよ。だけどさ、だけどさ! ちょっと悔しかったんだって! いつもいつも伊吹に馬鹿にされて、ちょっと仕返しをしたかっただけなんだ。
…なんて、言い訳はできない。伊吹の言うことは正論だ。反論するのは子供っぽくて嫌だ。
だから私は、赤くなった顔を隠すように伊吹から顔をプイッと逸らしてぼそぼそと答える。
「…ご親切に忠告をどうも。以後気を付けますよーだっ」
「どういたしまして」
小声で返したのに伊吹の耳にはちゃんと届いていたらしい。どんだけ地獄耳なんだよ。すまし顔で返事をされて、私は余計に居た堪れなくなって伊吹の顔が見れなくなった。
どうやら私の完敗のようだ。私がヤツに口で勝てる日は来るのだろうか。今はまったくと言っていいほど、その光景は思い浮かばない。
コンビニで買ったおにぎりとサラダを無言で食べ終わったあと、私は改めて目の前にいるヤツについて考えた。
これからどうするべきなのか。ヤツの正体が人形とはいえ、どういう原理なのかはさっぱりわからないけど本物の人間そっくりになることも出来る。しかも性別はどこからどう見ても男だ。ヤツは自分を意識する必要はないというが、それは無理だ。もう動いて喋っている時点で無理だ。
いっそどこかに捨ててこようか…。
「言っておきますが、私をどこかに捨てようと考えても無駄ですよ」
「そっ、そんなこと考えてないし…!」
「誤魔化そうとしなくて結構です。貴女の考えていることは大体わかりますので」
なんでヤツはこうもあっさり私の考えを読めるんだ!? エスパー? エスパーなの? 実は人形じゃなくて超能力者だったの?
「超能力ではありません。マスターが分かりやすすぎるだけです」
「ひ、人の心を勝手に読むな!」
「別に読みたくて読んでいるわけではありません。私を変質者のような扱いをするのはやめて頂けませんか。私に失礼です」
「あんたの方が失礼でしょ!?」
一言が多いんだよ、まったく!
しかしここでヤツの挑発に乗ったらさらに腹が立つだけだ。だからここはぐっと我慢をするべきところなのだ。大人になれ、私。
そう唱えながら、私はこれからの事について伊吹に聞いてみることにした。
「…ねえ、これからどうするの?」
「どうする、とは?」
「今日と明日は学校が休みだし、たぶん親も帰ってこないだろうからいいけど…あんたをずっとここに置いておくわけにはいかないでしょ?」
「何故ですか?」
「なぜって…だってあんたのこと見つかったら困るじゃない。人になんて説明すればいいの?」
「…私が見つからなければいいのですね? 誰か来た時、私は人形にすぐ戻るようにします。これでマスターの悩みは解決ですね」
「そんな上手くいくわけないでしょ…」
「大丈夫です。私は気配に敏感に作られていますので」
「あ、そう…」
淡々と答える伊吹に私はもう反論する気力がなくなった。まあ、本人がなんとかなると言っているんだから大丈夫だろう。先の事はまだわからない。もしバレたらバレたでその時に適当な言い訳を考えればいい。そう楽天的に考えることにした。…まあ、その時に上手く言い訳ができるかどうかは別として。
「私、明後日から学校あるんだけど、その時はあんたはどうするの? 大人しく家にいる?」
「いえ、私はマスターの傍にいる必要がありますので、マスターについていきます」
「どうやって? 言っておくけど人形になったあんたを学校に持っていくのは無理だからね」
人形に戻った時の伊吹のサイズは私のスクール鞄にぎりぎり入るくらいの大きさだ。伊吹を入れたら教科書とか入れれないし、教科書を入れれば伊吹も入らない。かといって伊吹のためにもうひとつ鞄を持っていけば、友人たちに何が入っているのかと聞かれるのは目に見えているし、その鞄に人形が入っていたと知った時の友人の反応が怖い。だから人形の伊吹を学校に連れて行くのは絶対に嫌だ。
「それは何とかしますのでご安心ください」
「何とかするって…どうやって?」
怖い物知りたさで訊ねると、伊吹は作り物めいた笑みをにっこりと浮かべた。
…どうやら教えてくれる気はさらさらないらしい。無理に聞き出そうとしても、口で伊吹に勝てる自信がまったくない私には不可能な気がしたので、問い質すのは諦めた。何事も諦めが肝心って言うよね、うん。
他にもいろいろと問題は山済みなんだけど、どこまでも冷静で何事にも動じなそうな伊吹を見ていると、一人であれこれ頭を悩ませているのが馬鹿らしく思えてくる。それに私は基本的に楽観主義なのだ。あれこれ悩むのは私らしくない。まあ、なんとかなるでしょ、と開き直ってこれから過ごすことに決めた。
これから大変になりそうだなあ、とどこか他人事のように私は感じていた。そう思っていた自分をぶん殴りたくなる未来がすぐそこに迫っているとも知らずに。
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