5.守りのペンダント



 伊吹はとても目立った。

 黒髪黒目の日本人が多数を占める中で、金髪碧眼の、それもとびっきりの美少年がきょろきょろと辺りを見渡して、ただでさえ綺麗な目をきらきらと輝かせているのだから、それはもう衆目を浴びる。

 私だって同じような人がいたら見てしまう。だからきっと仕方のないことなのだ。

 平々凡々な容姿である私はあちこちからの視線を感じてとても心地悪い。しかし当の本人たる伊吹はそんな視線をまったく気にした様子もなく、ただただ周りを興味深そうに見ている。その神経の図太さが羨ましい。

 キャップでも被せてくるべきだった。途中で帽子を売っている店があったら入って帽子を被せようか…と悩んでいるうちに、目的地である場所に着いた。


「ここですか」

「うん、そう。だから言ったでしょ、何もないって」

「……なるほど」


 伊吹は納得したように頷き、何もない空き地をじっと見つめた。そして顎に手を当てて考え込むように立ち尽くす。

 私としては何もないとわかったのだからもう帰りたい。この辺りは人通りが少ないからまだいいけど、人通りの多いところを通るときは先ほどと同じように注目を浴びるだろう。

 これからさらに人通りが多くなる。その前に帰りたい、というのが私の本音だ。

 もう満足したでしょ、なら帰ろう、と伊吹に言おうとした時、伊吹が小さく何かを呟いた。そしてそのすぐあと、突然目の前にあの雑貨屋さんが現れた。

 え、なんで!?


「な…なな……!」

「マスター、言葉になっていませんが。ああ…言葉をお忘れになってしまったのですね、可哀想に」

「そんなわけないでしょ!!」


 本当にいちいち嫌味な奴だな! 驚きすぎて言葉が出なかっただけなのに!

 わあわあと騒いで抗議をする私に、伊吹はシッと言って冷たい目で私を見つめる。

 絶対零度の目線に私はピクリと固まる。なにその目、すっごく冷たい…。

 騒ぐのをやめた私にヤツは大仰にため息を吐いて呆れた目を向け、「…とりあえず、中に入りましょう」と言って私を置いてすたすたと店内に入ってしまう。

 え? 普通置いていく? 私、あんたのマスターじゃなかったけ? ねえ、ご主人様置いていくの?

 そう問いかける前に伊吹の姿は店内に消えてしまい、私は一人呆然と立ち尽くす。

 少しして呆然としていても仕方ないと自分を叱咤し、私は伊吹を追って店内に入った。決して一人でぼけっと立っているのが間抜けて見えそうだからヤツを追いかけたわけじゃない。


 店内はつい先日に入った時と何一つ変わっていなかった。だけど、なぜだろうか。先日は感じなかったのに、今日はやけに静かに感じる。

 その理由を探して、私は思いつく。ここには人の気配がないのだ。先日は店主さんがいたはずだが、今日は店主さんの姿は見当たらない。それどころか、明かりすらついていない。

 空気が滞っているような気がする。まるで、もうずっと誰もここに入ったことがないかのような…。

 いや、まさか。だって私、先日入ったばかりだし。その時には店主さんもいたし。

 私は自分の直感を気のせいだと決めつけて、伊吹の姿を探す。しかしこの部屋にはいないようだ。奥にもう一つ部屋があるのが見える。そこにいるのかもしれない。

 だけどそこって店主さんが使うところだよね。勝手に入っていいものなのだろうか。

 そう思ったけど、もう伊吹が入っている時点でダメな気がしたので、私は気にせず入ることにした。店主さんに会ったら謝ろう。


 伊吹は私の予想通りに奥の部屋にいた。そしてとある一点をじっと見つめていた。

 私が隣に並んでも彼はずっとその一点を見つめていた。伊吹の視線を辿ると、そこにあったのは一枚の肖像画だった。


「わ……綺麗な人…」

「………」


 私の呟きにも伊吹は反応することなく、ただずっとその絵を見ていた。

 それが何となく彼らしくないと思って伊吹の顔を覗き見ると、伊吹の瞳は切なそうに揺れていた。

 なんでそんなに切なそうに見ているんだろう? 伊吹はこの肖像画の女性と面識があるのだろうか。しかし、この肖像画を見る限り、この女性はかなり昔の人のようだ。そんな人と伊吹に面識があるはずがない…と思ったところで、伊吹が人形であったことを思い出す。そして伊吹が着ていた服。あの服装は、ちょうどこの女性の生きていた頃のものではないだろうか。だとしたら、伊吹が彼女と面識があってもおかしくはないのかもしれない。

 どれくらいそうしていただろう。伊吹はそっと肖像画から視線を逸らし、部屋をぐるりと見渡したあと、迷いなく部屋の片隅にあった戸棚の抽斗を開け、その中に入っていた物を取り出して私の前に立つ。


「マスター、これを」

「これは…?」

「護符です。これを肌身離さず身に着けてください」

「なんで、私が…」

「貴女の身を守るためです」


 強い目で伊吹に言われ、私は何も言えなくなった。伊吹のその目は真面目そのもので、本当にこれが私の身を守ってくれると確信している目だった。私に何か危険が迫るようなことないと思うけどな…と思いながらも、私は大人しく護符を受け取る。

 その護符は丸いペンダントになっていた。恐らくシルバーで出来ているもの。古い物のようだけど、きちんと手入れがされているためかサビひとつない。丸の中に星のマークがある、よく漫画とかにある魔法円みたいなものが彫られている。

 えっと、星のマークみたいなのってなんていうんだっけ。五芒星、だったか。確か魔を退く効果がある…みたいなことを漫画やアニメで言っていたような気がする。それって本当だったんだなあ。そうでなかったら真面目な顔をして伊吹が言うはずない。…たぶん、だけど。


「それは貴女を護ってくれるはずです。貴女が私のマスターであるなら、必ず」

「どういう意味…?」

「……貴女がその意味を理解する必要はありません」


 伊吹は私から目を逸らして言った。そんな言い方しなくても、と文句を言おうとして、伊吹の表情が心なしか哀しそうに見えて、私は出かかった文句を飲み込んだ。


「どうして、そんな哀しそうな顔してるの?」

「哀しそうな顔…?」


 文句の代わりに出たのは、純粋な興味の問いかけだった。私の質問に伊吹は意味がわからない、と言うように私の言葉を繰り返した。その表情は本当に人形みたいに無機質で、その表情通りに無機質な声で伊吹は答えた。


「マスター。私は確かに自らの意思で動き、喋ることも出来ますが、私に“感情”と呼ばれるものは存在しません。私は【人形】なのです。ですから、マスターの言った『哀しい顔』というのは貴女の気のせいです。私に感情はないのですから」

「でも…」

「私は貴女とは違う。———私は【人】ではありません」

「………」


 【人】ではない———

 伊吹のその台詞に、私は息を飲んだ。私はどこかで、伊吹は普通の人よりもちょっとズレているだけの【人】であると思っていた。伊吹が人形の姿になるところを見ても、マジックか何かなんだと思って、伊吹が人形なんだってこと、きちんと認識していなかった。

 だから今、認めがたい現実を突きつけられたような気分になった。私がただ、現実を見れていなかっただけだというのに。

 出会ってたったの数時間。だけど今初めて、私と伊吹の間に見えない隔たりのようなものがあると認識した。きっとこれは一生取り除かれることのないものだ。

 それが悲しいと感じてしまったのは、私はヤツに絆されてしまったからなのか。こんな嫌なヤツなのに? 会ってまだ数時間しか経ってないのに?

 俯いてしまった私に何を思ったのか、伊吹が私に一歩近づき、私が持っていた先ほどのペンダントを取り上げた。思わず顔を上げると、伊吹のサファイアのように綺麗な瞳と視線がぶつかる。


「私には貴女の気持ちを理解することはできません。貴女に共感することも、貴女を励ますことも、私には難しい」

 

 伊吹は何が言いたいのだろう? 伊吹の言いたい事がわからずに戸惑う。


「その代わりに、私は貴女を守ります。どんな悪意からも、貴女を守ってみせましょう。貴女が傷つかないように、泣かないように。貴女がそのペンダントを持っている限り、必ず」


 伊吹はそっと私の首にペンダントをかけ、恭しくそのペンダントを持ち上げた。

 それはまるで、物語の騎士がお姫様に忠誠を誓うような、神聖で厳かな仕草で。私の首にかかったペンダントに口づけを落とす。


「このペンダントに誓って、私は貴女を守ります」


 どこかの物語の1ページのような出来事。

 きっとこれを伊吹以外の誰かがやったなら、ただ胡散臭く思うか、芝居じみて白々しいと思ってしまっただろう。

 だけどこれをしたのは伊吹だ。まるで一枚絵のように、絵になる光景。その光景に私は思わず見惚れた。

 だけど、同時に疑問も浮かぶ。

 どうして伊吹は私を守ると言ってくれたのだろう。どうして私は伊吹のマスターとなれたのだろう?


「なんで初対面の私に、そんなこと言えるの? 私には特別な力も取り柄もないのに」

「貴女に特別な力があろうと無かろうと、私のマスターは、私を目覚めさせた貴女です。私はマスターを守るために存在する。だから、貴女を守るのが私の役目。そういう風に私は作られているのです」


 ああ、そうか。《役目》だから、私を守るんだ。私が伊吹のマスターになったのは、彼を目覚めさせたのが偶々私だったから。

 つまり私はただの偶然で、伊吹にお姫様みたいに守って貰える、というわけだ。ただ単に運が良かったというだけ。…いや、本当に運が良かったと言い切って良いのかはこっちに置いといて。

 伊吹の話に納得出来た私はなるほどなるほど、と呟いていて、伊吹の漏らした小さな言葉に気付かなかった。


「…初対面、か…そうか、貴女にとっては、そうなるんですね…」


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