4.変わった世界
「え? あんたを貰ったあの店に行きたい…?」
和樹が作ってくれたらしい朝食を頬張っていた私は、唐突に言われた伊吹の言葉に目を瞬かせて、思わず聞き返す。
すると伊吹は涼しげな表情でこくりと頷く。
今日は幸いにも家に両親はいない。
うちは共働きで、どちらも正社員でバリバリと精力的に仕事をし、どうやら出世街道を突き進んでいるらしい。
そのため、家に両親がいることは滅多にない。基本的に土日は休みのはずなんだけど、出張やら急な仕事が入ったりして、家族一緒にいる時間はほんの僅か。
それが少し寂しいと思うけど、一緒にいられるときはうざいくらいに私に構ってくるため、両親の私への愛情を疑ったことはない。
口は悪いけど和樹も私を気遣ってくれたし、今は亡きおばあちゃんも両親がいない時はずっと一緒にいてくれて、優しかった。だから、それなりに満たされていた。
それでもやっぱり家に誰もいないというのは寂しいもので、去年からは和樹も家を出て行ってしまったし、おばあちゃんもいなくなってしまって、余計に寂しく思っていた。
なのに、現在では家に誰もいないというこの状況が非常に有難い。
なぜなら、この目の前にいる等身大の動く生意気人形のことを説明せずに済むからだ。
ああ、今日もお父さんとお母さんが仕事で良かった…!
と、いつもは寂しいと思うくせに、今日はそう思うのだから私はとんでもなくゲンキンなんだろう。
私は勝手についてくる伊吹を放置して、一階に降りて朝食をもぐもぐと食べた。
時間的にはお昼に近いけど、これは朝食。もちろん昼食も食べますとも。
伊吹も何か食べる? と聞こうとして、ヤツは人形だったことを思い出す。だからご飯なんて食べなくても平気なはず。
そうは思っても一応気になって聞いてみたら、予想通りに馬鹿にした目で私を見つめ必要ないと答えた。いちいち勘に障るヤツだ。
「なんで? 昨日行ってみたけど何もなくなっていたよ?」
「それでも、確認しておきたいことがあるのです」
「ふーん…?」
私は飲んでいたスープの入ったマグカップを机に置き、考える。
伊吹が行きたい、と言うからには何らかの事情があるんだろう。何の事情かはさっぱりわからないけど、伊吹は意味もなく行きたいなんて言うような可愛い性格ではないはずだ。
会ってまだ数時間しか経ってないけど、これまでのヤツとのやり取りでそれは嫌というほど痛感した。
伊吹を外に連れて行くのは、いい。今日は予定がなにもないし。
だけど問題なのは……。
「その服装で連れていくのはなぁ…」
そう、伊吹の服装なのである。
今のヤツの服装はどこをどうみても、コスプレにしか見えない。中世ヨーロッパを舞台にした漫画とかのコスプレをしていると説明すれば誰もが納得するような服装なのだ。
その上この美貌。絶対悪目立ちするに決まっている。そんなヤツを引き連れて街を歩くなんて絶対にいやだ。
私の服を貸してあげてもいいんだけど、この人形、悔しい事に私よりも頭一つぶん背が高い。だから私の服装ではつんつるてんになって、みっともない姿になるのは目に浮かぶ。
ちらりと伊吹を見てみたけど、ヤツの意思は固そうで、絶対に行くという固い決意が瞳から伺える。
私が今からヤツの服を買いに行く? でもサイズわからないし…Mとかでいいんだろうか。
うーん、と悩んだ結果、私はしょうがない、と立ち上がる。
「ちょっとここで待ってて」
私は伊吹をリビングに残したまま二階に上がり、私の向かいの部屋を開ける。
私の向かいの部屋の持ち主は和樹だ。和樹はこの家に月に何度かは帰ってくる。その帰ってくる日は気まぐれなんだけど、その際に着替えなんかを持ってきている気配はないから、恐らく着替えがあるはずだ。
兄の部屋に勝手に入ってクローゼットの中を漁るのはさすがに気が引けたけど、仕方ない。緊急事態だ。ごめん、許してお兄ちゃん。
私は適当にTシャツとズボンとベルトをクローゼットから取り出し、和樹の部屋を出て、大人しくリビングで待っていた伊吹にそれを差し出す。
「あの店があった場所に行きたいならこれに着替えて」
「了解しました」
伊吹はあっさりと頷き、その場で服を脱ぎ出す。
それに私はぎょっとして、「ちょ、ちょっと…!」と顔を赤らめた。
そんな私の反応を見て、伊吹は首を傾げる。
「なんですか?」
「私の前で服を脱がないで! わ、私は向こうの部屋に行っているから、着替え終わったら言ってよね!」
「…マスター、先ほども言った通り、私に性を感じる必要は」
「頭で理解できても心が追いつかないのー!! 繊細な乙女心を理解しろ、この無神経男!!」
私はそれを言い捨てて、リビングから出る。
リビングに繋がるドアを閉めたところで、はあああっとため息をついてヘナヘナと座り込んだ。
ほんっとうに、伊吹は無神経だ!!
そりゃあ、ね。男の上半身裸の姿は和樹で見慣れていますよ?
だけど和樹は身内だ。身内の半裸を見ても何も思わないけど、まだ会ってすぐの、それもとんでもない美形の半裸を見たら悲鳴のひとつやふたつあげるのが普通の女子の反応のはずだ。
ちらりと見えてしまった、伊吹の白い肌。私よりも白くて、綺麗な肌だった。細いのに、それなりに引き締まっていて…って、私はなにを思い出しているんだ!?
ぶんぶんと頭を大きく振って、先ほど見てしまった映像を消す。
顔が赤いのは驚いたから。そう、それ以外に理由はない。決して、伊吹の半裸を見て動揺したとか、そんなことじゃない。
そう自分に言い聞かせると、段々と落ち着いてきたのと同時にガックリときた。なんかもう、いろいろ疲れた。
まだ半日も終わってないのに、なにこの疲労感。それも今日、休日なのに。
全部、伊吹のせいだ。伊吹のせいで、私は精神的に疲れているんだ。
私の平和な休日を返してほしい…と、恨みがましく思った。
それからすぐに伊吹から声が掛けられ、私はリビングに戻った。
顔の火照りも収まったし、私は至って平常。
そう、私は普通。平常心、平常心…。
念仏みたいにそう唱えて顔を上げると、和樹の服に着替えた伊吹が相変わらずの無表情で立っていた。
「着てみたのですが、これで合っていますか? ………マスター?」
自分の服装を見下ろし、少し不安そうに瞳を揺らして私を見たあと、伊吹が訝しげに私を呼んだ。
私はと言えば、絶句していた。
いや、だって!! ただのTシャツとズボンなのに!!!
なぜこうも格好良く見えるのか!!?
あれか。美形って何を着ても似合ってしまうとか、そういうやつなのか!?
だとしたら、神様、あんまりです…酷い…似合わない服と似合う服がはっきりとわかれている私にしてみれば、羨ましい限りだ。
例えば、私は寒色系がまったく似合わない。クールでカッコイイ女を目指したくても色に負けてしまうのだ。
ああ、悔しい! 美形って本当に得だな!!
「何を呆けているのですか?」
呆れたような伊吹の口調に私はハッとして、慌てて取り繕う。
「な、なんでもない! えっと、服の着方は合ってるよ。サイズも大丈夫みたいだね。いやあ、和樹とあんたの身長が同じくらいで助かった~」
「…何か言いたいことがあったのでは?」
「そ、そんなことないって! それより、着替えたんだから行こ! ねっ?」
怪しい…と伊吹が目を細めて追及するかのように私を見てくる。
それに対し私は「ほら早く行くよ~」とへにゃりと笑って、伊吹の視線から逃げた。
笑って誤魔化す。あまりしないけど、これのちのち使えそうだな。そう思った。
外に出ると、伊吹が驚いたように目を見開いた。
そして興味深そうに辺りを見渡しながら私についてくる。
その時の伊吹の瞳はいつになくキラキラとしていて、好奇心を隠しきれていない。まるで子どもようだった。…瞳だけ、だけど。
「マスター、あの猛スピードで動いている鉄の塊はなんですか?」
「あれは自動車」
「ジドウシャ…マスターもあれに乗ることができるのですか?」
「乗ることは誰でもできるよ。ただし、運転するのは18歳以上の免許を取った人しかできないけど」
「あれを動かすのに許可が必要なのですか?」
「そう。子供が動かしたら危ないでしょ。事故ばっかり起こっちゃう」
「なるほど…」
伊吹はどうやら見るものすべてが新鮮なようで、さっきからずっと質問ばかりだ。
伊吹が生まれたのはずっと昔だと聞いていた。どこで生まれたのかまでは聞いていなかったけど、日本生まれではないんだろう。
だからなのか、黒髪黒目ばかりの日本人も珍しいらしく、興味深そうに眺めている。
とはいえ、現在では髪を染めている人も多い。それを見て、「日本人は黒髪黒目ではなかったのですか? チョンマゲは? サムライはもういないのですか?」と、日本に観光に来た外国人がよくする典型的な質問もしてきて、そんな質問をリアルでされるとは思ってもいなかった私は驚きながらも、きちんと答えてあげた。
私の答えに対し伊吹は残念そうに「サムライはもういないんですね…」と呟いた。
もしかしたらサムライに会いたかったのかもしれない。
今度、映画村とかに連れて行ってあげようか、なんて、少し思ってしまった。
……いかん、いかん。何絆されているんだ、私。
ヤツはくそ生意気なんだ。今は好奇心とか興味で嫌味なんて言わないけど、好奇心の虫が治まったら嫌味を言ってくるに決まっている。
騙されるな、私。
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