3.彼の事情


 私はバクバクする心臓を宥めながら手早く着替えを済ませていく。

 まったく、ヤツは繊細は乙女心を全然理解していない!

 例え中身がものすごく嫌なヤツだとしても、見た目は極上。そんな異性の姿をしている存在が目と鼻の先にあったら、誰だって驚くし動揺する。

 それなのにヤツは「そんなに叫ぶようなことでもないでしょうに…騒がしい人だ」と冷めた目で私を見つめ、あろうことかため息までつきやがったのだ! 本当にむかつくったらありはしない。


 伊吹は私の言いつけ通りに私に背を向けて、タオルで目を覆って目隠しをしている。

 いくら伊吹が人形だとはいえ、伊吹の見た目は私と同い年くらいの少年なのだ。

 異性に着替えを見られるなんてあり得ない、と年頃の女子ならみんな思うはずだ。例えそれが人形で、なんとも思わないのだとしても。

 理屈じゃない。自分と同い年くらいの、それも物凄い美少年に自分の着替えを見せたいと思う女子がいたなら、それは強者だと思う。


「…もういいよ」


 着替え終わって私が伊吹にそう言うと、ヤツは目隠しを取って振り返る。 

 そして丁寧にタオルを畳んで机の上に置き、相変わらずの無表情で私を見つめる。


「タオルをして目隠しをすることに、なにか意味があるのですか? わざわざ振り返って着替えを見ようとは思いませんし、見たくもないのですが」

「あんたはなんでそういつも一言多いの!? まったく…! 理屈じゃないの。例えあんたが人形だとしても、私は異性の姿をしている人に着替えを見られたいと思うような変態じゃないし、ただ背を向けているだけじゃ不安なの。タオルをして目隠しをすれば絶対に着替えを見られないでしょ? 絶対に見られないって安心したいの」

「安心…ですか…理屈はよくわかりませんが、一応理解はしました」

「ならよし」


 うんうん、と私は満足して頷く。

 そんな私を伊吹は冷たい目で一瞥してくる。なんでだよ!?


「…なに? 何か文句でもあんの?」

「いえ、別になにも。ただ、そんなことを気にするよりも他に聞くべきことがあるのではないかと思って呆れているだけですので、どうぞお気になさらず」

「やっぱり文句あるんじゃない!」


 気にするわ!! と怒鳴ると、ヤツはその綺麗な顔を歪めた。

 きっと煩いと思っているのだろう。ああもう、なんでこんなに性格が悪いのだろうか。顔の綺麗さと心の綺麗さは反比例するのか。


 しかし、まあ、聞きたい事がたくさんあるのは確かだ。

 私は怒りをぐっと堪え、真剣な表情を作って伊吹に質問をすることにした。


「…あんたに聞きたいことがたくさんある。質問に答えてくれる?」

「私で答えられることなら」

「じゃあ、最初の質問。あんたは、“なに”? 人形と言ってもただの人形じゃないんでしょ? ただの人形が等身大の大きさになって勝手に動いて喋るわけがないし」

「正直、その質問はもっと最初の方でされると思っていましたが…まあ、いいでしょう。マスターの仰る通り、私はただの人形ではありません。マスターは、かつてこの世界には魔法があった、と言えば信じてくれますか?」

「魔法…?」


 私にとって魔法なんてものは、おとぎ話の世界のもの。

 それこそ、漫画とかアニメとかゲームの世界の中だけのもので、現実にあるものだという認識はない。

 だけど実際に、私が腕に抱えられるくらいの大きさだった人形が、私と同じくらいの大きさになって一人で勝手に動いて喋っているところを私は見ている。

 だとしたら、答えは一つだ。


「…あんたが実際に大きくなったり小さくなったりしているのを見た今では、信じる」


 きっぱりと私がそう答えると、伊吹は少しだけ目を見張り、面白そうな表情を一瞬だけ浮かべた。それはほんの瞬きをする時間の間のことだったけど、伊吹のその表情が今まで見た中で一番“らしい”表情だと思った。

 なにが“らしい”のは、自分でもさっぱりわからないけど。


「正確に言えば魔法ではなく魔術なのですが…。昔は確かに、魔術と呼ばれるものが存在していました。私はその時代の産物です」

「魔法と魔術の違いって?」

「魔法はこの世界の理を無視して発現する力のことを指します。それに対して魔術は世界の理に“力”を使い、干渉して発現させるものです」

「…うーん、いまいちよくわかんない…」

「……そうですね。例えば、りんごが欲しいと思ったとします。それを思うだけで目の前に出現させるのが魔法、りんごを売っている店に連絡して届けてもらうのが魔術、と言ったところでしょうか」

「…なるほど。なんとなく、わかった。あんたは、その魔術のあった時代に生まれたんだね?」

「はい。今の時代には魔術が存在していないようですが…」

「なんでわかるの?」

「魔術を使うには世界の理に干渉しなければなりませんから。その理に何かが干渉している気配がないので、魔術が存在していないという結論に至ったわけです。…私が眠る前には考えられませんでしたが…本当に時代は変わるものですね」


 伊吹は最後の方は何かを噛みしめるように呟いた。

 その時の伊吹の表情は、なんというかとても人間くさくて、切なそうだった。

 なにか声を掛けるべきかと悩んだけど、私が何か言う前に伊吹は元通りの無表情に戻っていて、声を掛けるタイミングを失ってしまった。


「私はとある人物によって生み出されました。私はある事情により眠りにつき、私を目覚めさせた人を主とするように魔術をかけられています」

「…えぇっと。つまり…?」

「……随分わかりやすく話したつもりなんですが…。つまり、たまたま私と貴女が出逢い、どういうわけか私が目覚めた。私にかけられた魔術により貴女が私のマスターとなった、ということです」

「ちょ、ちょっと待って…」


 いっぺんに言われすぎて、私の頭はキャパオーバーだ。

 魔法とか魔術のところでさえ、ぎりぎりだったのだ。それ以上、わけのわからない話をされても飲み込めない。


 よし、整理してみようか。

 伊吹を作った人が伊吹の前のマスター。うんと昔の人みたいだからもう亡くなっているよね。

 なぜだか知らないけど人形として眠っていた伊吹が私と出会ったから、伊吹は目覚めた、…と。

 伊吹にかけられた魔術により私は伊吹の主となって、伊吹のマスターと呼ばれる目に遭っている。


 ふむふむ、なるほど…。

 つまり、あれか。私の運が悪かった、と。


「それは私の台詞ですが」

「どういう意味よ!? というか、私の心を勝手に読むな!!」

「読んでいませんが。気付いていないのかもしれませんが、思いっきり口に出していましたよ」

「えっ、うそ!?」

「残念ながら本当です」


 まさか心の声がただ漏れになっていたとは…!

 それだけ私が動揺しているという証か。うん、そういうことにしておこう。


「質問は以上ですか?」

「うーん…今はいろいろ混乱して何を聞いたらいいのかわからないから…疑問に思ったらその都度聞くから答えて」

「承知しました」


 伊吹は綺麗な一礼をして見せる。

 お芝居でよく見るような、洗練された礼。ただの人形が、こんな風に一礼を出来るものなのだろうか。それとも、前のマスターがそれを当たり前にできる人物だったのか。

 そう考えたところで、ひとつ聞きたい事ができた。


「ねえ?」

「なんですか」

「前のマスターって、どんな人だったの?」

「前のマスター、ですか」


 ただの好奇心から来た質問だったけど、なぜか伊吹は困ったような表情をした。

 聞いてはいけないことだったのだろうか。それとも、目覚めた時にいなくなった前のマスターのことを思い出して辛いのだろうか。

 だったら悪いことを聞いてしまったと思い、質問を取り消そうと口を開きかけた時、伊吹が答えた。


「そうですね…とても、とても美しい人でした。その容姿も、心も、とても綺麗で、少しの汚れただけで傷ついてしまう、儚い人でした」


 懐かしむように告げた伊吹の口調は、私に対するものとは違ってとても優しくて。

 ああ、伊吹は前のマスターがとても好きだったんだな、と実感した。


「伊吹は…前のマスターさんが大好きだったんだね」


 思ったことを口にしただけだった。

 なのに、伊吹は思ってもなかったことを言われた、というような表情を浮かべた。

 そして少し切なそうに微笑む。


「そう、ですね……きっと、そうだったのでしょう」

「そっか…寂しいね」

「……私には、寂しいとか悲しいとか、そういう感情がありません。ですがもし私に心があったなら、きっと悲しくて寂しかったと思います」


 伊吹はそう言って私から視線を外し、窓の方へ視線を向けた。

 私もなんとなくその視線を追い、窓の外を眺める。

 窓の外には綺麗に澄んだ青空が広がっていて、白い雲がふんわりと漂っている。

 

「…空の色は、あの頃と変わらないのに、それをもうあの方と見ることはないのですね…」


 ぽつりと呟いた伊吹の一言はとても切なく響いた。

 そのまま私たちはしばらく無言のまま空を眺めた。

 伊吹と一緒に空を眺めながら、なんとなく、伊吹の前のマスターは女性だったのではないか、と思った。

 その人は、伊吹が一番大切に思っていた人だったんじゃないだろうか。


 そして、ふと思った。

 目が覚めて、大切な人がもうこの世にはいないと分かった時、伊吹は何を思ったのだろうか。


 その答えを探して伊吹を見つめても、伊吹はただ無表情に空を眺めているだけで、その心情を図ることは私にはできなかった。





 

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