2.喋る人形


 私の願いは虚しく、全部夢だった、なんてオチはどこにも落ちてなかった。

 オチって大事だな、と私は遠い目になりながら現実逃避をした。

 いや、ほらだってさ。

 いきなり美少年が現れて「今日から貴女が私のマスターです」なんて言われた身にもなってくださいよ。現実逃避のひとつくらいしたくなるって。


「現実逃避は終わりましたか、マスター」

「……私の思考、勝手に読まないでくれる?」

「ああ、申し訳ありません。私も読みたくて読んだわけではないのですが、なにぶんマスターの顔に心の声が大きく書かれているので」

「………」


 ああ言えばこう言う。

 黙っていれば美少年なのに、口を開くと皮肉ばかりの嫌なヤツだ。

 どうせ私は思っていることが顔に出るタイプですよーだ!


「……ねえ、あんたいつまでここにいるの?」

「マスターがいる限りずっといますが」

「出てって。今すぐ、ここから。さあ」


 私は部屋のドアを指さし、出ていけとヤツに示す。

 ヤツは表情は変えずに首を傾げた。その仕草はとても愛らしい。

 仕草が可愛くとも性格は悪いのだ。騙されるな、私。


「何故ですか?」

「あんたがいると私が着替えられないんだけど」

「……マスター、私は人形です」

「だから?」


 さっき知ったばかりの事実だ。

 いや、何で人形が人間サイズになって動くのかとか、なんで喋るのかとか、すごく気になるけど。

 だけど、私のこの格好をまずなんとかしたい。

 今の私の格好はパジャマ代わりにしているTシャツとショーパンだ。

 イマドキの可愛らしいパジャマなんて、友達と泊まりに行くときにしか着ない。可愛さよりも楽さを私は選ぶ。

 ヤツは私をじっと見つめ、はあ、とわざとらしく溜め息をついた。


「マスター、はっきりと言わせて頂きますが」

「なに?」

「私に性を感じられても困ります」

「…………は……?」


 私にはヤツの言っていることが理解出来なかった。

 いや、正確には理解するのを頭が拒んだ。


「私は人形ですので、私を異性として意識する必要はありません。それに、マスターの着替えている姿を見ても何も感じませんので、安心して着替えてください」


 ヤツは私の体を上から下まで見て、フッと鼻で笑った。

 ───そんな貧相な体で私が興奮するとでも?

 と言われているような気がするのは私の被害妄想だろうか。

 いや、そんなことはない。ヤツは絶対そう思っているに違いない。

 かあああっと頭に血が上っていくのがわかる。

 黙り込んだ私を不審に思ったのか、ヤツが訝しげに私を見て「マスター?」と話し掛けてきた。

 私は俯いていた顔をあげた。恐らく怒りで真っ赤になっているだろう。

 そんな顔でキッとヤツを睨み、私は叫んだ。


「いいから出てけぇ!!!!」


 腹の底から声を出したせいか、思っていた以上の声が出て、響いた。


「うるせぇぞ、杏!! 静かにしろ!」


 バン! と勢いよく部屋のドアが開き、不機嫌そうな顔で私を睨んだのは3つ年上の兄である和樹かずきだった。

 和樹は大学生で、普段はうちではなく大学の近くのアパートに住んでいる。

 しかしたまにひょっこりとうちへ帰ってくる。帰って来るのに決まりはなく、まるで猫みたいに気まぐれ。

 そういえば、昨日は和樹が帰って来たんだったと思い出す。


 って、そんなことを思い出している場合じゃなくて!

 今、ここに伊吹がいる理由をなんて言おう!?

 私は必死に頭を動かし、誤魔化す適当な理由を探したが、見つからない。

 どうしよう、どうしよう、と焦るばかりだ。

 焦ってパニクった私から出たのは、普通の台詞だった。


「ちょ、ちょっと…! 女子の部屋に勝手に入って来ないでよ!!」

「女子ぃ…? どこに女子がいるんだよ?」

「いるでしょ、ここに! 目が腐ってるんじゃないの!?」

「俺の目にはガサツなチビしか見えねぇな」

「な、なんですってぇ…!? ちょっと和樹! ケンカ売ってんの!?」

「お前に売るような安いモンはねぇよ」

「はぁ!?」


 なんて失礼な! 私は正真正銘のうら若きピチピチのJ Kだぞ!!

 え? うら若きもピチピチももう死語だって? そんなの気にしない!

 着替え中だったらどうするつもりなんだよ、まったく! いくら身内でも着替えを覗かれるのはさすがに恥ずかしい。私にだってそれくらいの羞恥心はあるんだからね!!


 そう和樹に言っても、この兄、聞く耳に持たず、ハンと鼻で笑う始末。

 本当にむかつく。伊吹くらいむかつく。


 と、むかついたところで思い出す。

 あれ? 伊吹の事、なにも言われない…?

 可愛い妹の部屋に見たことのない、コスプレをしている男がいたら普通気になると思うんだけど…。

 なんで?


「ったく、朝からしょうもねぇことで大声出してんじゃねぇよ。ったく…俺、もう帰るわ。母さんたちに言っといてくれ」

「え…ああ、うん、わかった」

「じゃあな。また近いうちに顔出すわ」

「うん…またね」


 和樹はひらりと手を振って私の部屋のドアをパタンと閉めた。

 そして階段を下りる音と、玄関のドアが閉まる音が聞こえ、窓から玄関の方を覗くと和樹は愛車であるバイカー君(命名:私)に乗って去って言った。

 その後ろ姿を見送り、私はほっと胸を撫で下ろした。

 あー、伊吹のこと何も言われなくて良かった。

 でもなんで伊吹のこと聞いてこなかったんだろう?

 私が一人首を傾げていると、「帰ったようですね」と相変わらずの無表情で伊吹が窓を見つめて言った。


「あんた…今までどうしていたの?」

「どうしていた、とは?」

「あんたみたいに目立つヤツが目につかないなんてあり得ないでしょ。どこに隠れたの? この部屋に隠れる場所なんてないと思うけど…」


 そもそも隠れる時間さえなかったはずだ。

 なのにどうやって今まで伊吹はその存在を消していたのか。


「愚問ですね」

「…はぁ?」

 

 どこぞのヤンキーみたいな反応をしてしまったのは仕方ないと思う。

 いやだって、愚問って言うのはナイでしょ。

 こっちはわかんないから聞いてるのに、愚問って!

 怒りのメーターが急上昇していくのがわかる。

 臨戦態勢の準備完了! いつでも来いや、ゴラァ!!


「私は人形です。隠れなくとも不審に思われることはありません」

「…意味がわからないんだけど」


 私の頭の中はハテナマークでいっぱいだ。

 そんな私を見て、ヤツは大仰にため息をついた。

 むむっ! さっきから何回も思ってたことだけど、本当に失礼なヤツだな…!


「そうですね…鈍い人でもわかりやすいように、実践してさしあげましょうか」

「鈍いって…! 私が鈍いんじゃなくて…!」


 「見ていてください」と伊吹は話し途中の私を無視して告げた。

 人の話を聞けよ!!


 私が文句を言おうと口を開いた時、伊吹の姿が忽然と消えた。

 私は驚いて、思わずぽかんと口を開けてしまった。

 いけない、いけない。年頃の乙女として見られたら恥ずかしい顔をしていた。今の顔を他の人が見ればとんでもなく間抜けに見えただろう。そんな顔を見られたら恥ずかしくて死ねる。


 私は表情を引き締め、部屋を見渡す。

 ドアが開いた様子もないし、まさか窓から出て行った、なんてこともないだろう。よく見れば窓はきちんと施錠されているし、窓から出て行った線は消えた。

 となると、どこかに隠れてるという線が濃厚なわけだけど…。

 あんな目立つ容姿のヤツがこの狭い部屋に隠れていたらすぐわかるだろう。しかし忽然と姿が消えたのもまた事実で。


 無駄だとわかりつつ、私はヤツの名を呼んでみた。

 ……予想通りに返事はない。チッ。なんかむかつく。


 私はベッドの上に立ち、ぐるりと部屋を見渡す。

 なにかさっきと変わっていることはないか確かめるためだ。

 高いところに立つとよく周りが見える…ような気がするから。え? それって私だけ?


 部屋を見渡したけど、とくに大きく変わったことはないようだ。

 何か変わっているとこないかなあ…うむ、わからない。

 私はベッドから降りて、先ほどまで伊吹がいた付近をよく見てみる。

 上…にあるのは天井だけ。周り…にあるのは机だけ。机の上にはやろうと思って放置してある課題が…うっ。嫌なこと思い出した…伊吹のせいで…!

 

 伊吹に八つ当たりをしつつ、床を見て、私は目を見開いた。

 さっきまで伊吹がいた場所には、数日前に買った人形がころりと転がっていた。

 相変わらず目をつむったままの人形。私は恐る恐る人形を手に取ってみる。


「……もしかして…伊吹?」


 これが伊吹だってわかっていながらも、私は声を掛けずにはいられなかった。

 伊吹が人形だっていうことを、やっぱり完全には認められていなかったみたいだ。

 本当に伊吹があの人形だって認めていたら、こんな風に話しかけたりしない。

 

 私が話しかけると人形の目がゆっくりと開いていく。

 まるで引き寄せられるかのように私はその様子をじっと見つめた。

 時間にすれば数秒もかからなかっただろう。だけど、私は人形の目が開くまでの時間がとてつもなく長く感じた。

 

 はっきりと開いた人形の目は、サファイアよりも輝く青。

 それを確認して目を見開くと同時に人形が手から消えて、目の前にとても綺麗な顔が現れた。


「いくら鈍くても、これでわかったでしょう? 私が不審に思われない理由が」

「………」


 相も変わらず嫌味を交えて言ったヤツの言葉に、私は反応しなかった。

 いや、出来なかった。

 私のその様子が予想外だったのか、拍子抜けしたように伊吹が私に話しかける。


「マスター? いったいどうしたんですか? バカみたいな顔が余計に間抜けて見えてますよ」

「…………い……」

「マスター?」


 ぼそりと呟いた私の事が聞き取れなかったのか、伊吹が聞き返す。

 私はすうっと息を大きく吸い込み、叫んだ。


「顔が近いって言ってんでしょ、私から離れろこの嫌味野郎―――ッ!!!」



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