1.謎の美女の夢

 真っ暗な場所になぜか私は立っていた。

 あれ…? 私さっきまで自分の部屋にいて寝ていたはずなのに、なんでこんなところにいるんだろう?

 真っ暗で周りは見えない。

 暗闇ってなんでこんなに怖く感じるのかな。私は別に暗所恐怖症というわけではないんだけど、今はこの暗闇がとても恐ろしく感じた。

 それもそうか。いきなり真っ暗な場所にいたら誰だって怖い。


『初めまして、フルザワアンさん』

「ひょぇっ…!?」


 突然名を呼ばれて、私は謎の奇声を発した。

 フルザワアン、それは私の名前だ。漢字にすると古澤杏。あんまり可愛くない字面になるこの名前が私は好きではない。

 いや名前自体はいいんだ。だけど漢字にすると“口”ばっかで可愛くない。だから私は自分の名前はひらがなで書くようにしている。

 古澤あん。こっちの方がなんとなく可愛いような気がするのだ。


 って、そんなことは今はどうでもよくて!


「だ、だれ…!?」


 私は周りをきょろきょろと見回す。

 さっきまで人の気配は感じなかった。今だって人の気配は感じられない。

 だけど、私は確かに私の名を呼ぶ、私以外の誰かの声を聞いた。

 その声はどこかで聞いたことがあるような気がするんだけど…うーん、どこで聞いたんだったか。さっぱり思い出せない。自分の記憶力の残念さが悲しい。


『わたしはあなた。あなたはわたし』

「は…? な、なに言っているの…?」


 なぞなぞだろうか。それにしたってさっぱり意味がわからない。

 私は私だ。私は私以外の何者でもない。

 そう思って首を捻っていると、目の前に金髪の巻き毛の絶世の美女が現れた。

 突然現れた謎の美女に私は目を白黒させた。

 え、誰? すっごい美人…どっかの国のモデルさんだろうか。

 彼女は大混乱に陥っている私を見つめ、儚く微笑んだ。


『わたしの大切なひとを、よろしくお願いね。あのひとは、とても頑固だし融通が利かないところがあるけれど、とっても優しいひとなの。だから、勘違いしないであげて』

「あのひと…?」

『あなたなら、大丈夫。難しいあのひとと上手くやっていけるわ。だからどうかあのひとを…イブキを助けてあげて』

「イブキ…?」


 私の知り合いにイブキなんて名前の人はいない。

 だから助けてあげてと言われても、どうしようもないんだけどな…。


「あ、あの…イブキって…?」

『あなたはもうイブキに出会っているわ。イブキを、お願いね』


 もう会っている…? いやそんな馬鹿な。

 記憶をひっくり返してもイブキなんて知り合いに心当たりはない。

 さらに詳しく聞こうとしたとき、美女の姿は薄れていった。

 早くしないと、消えてしまう。

 そう思った私は「待って!」と美女に言った。だけど彼女は最後まで『イブキをお願い』と言って微笑んでいた。

 その微笑みはとても切なそうで。彼女のその表情の意味を問う前に、私の目の前が真っ暗になった。



*・・*・・*・・*・・*・・



 目が覚めると、私は見慣れた自分の部屋にいた。

 さっきまでのことは、夢の中の出来事だったということにほっとして、私はベッドの近くに置いてある時計を見て、顔を顰める。

 現在の時刻は10時30分。学校だったら完全に遅刻だったけれど、幸いなことに今日は休みだ。

 まあ休みだからアラームかからなかったんだけど。それにしても寝すぎだ。

 でもたまにはこういう休日があったって罰は当たらないだろうと結論付け、私はうーんと伸びをしながら起き上がる。


「ふぁあ…良く寝た…」

「おはようございます」

「おはよー…………ん?」


 おはようって、私誰に挨拶返したんだ?

 ここは私の部屋で、私以外誰もいないはず。

 お母さんかお父さんが部屋に入ってくることもあるかもしれないけど、それにしたって私に対しておはようございますなんて丁寧に挨拶をすることなんてない。

 じゃあいったい誰が挨拶を? ってことになるわけだけど…。


 私はぎちぎちと擬音が聞こえてきそうな仕草で首を横に捻った。

 そして私の目に飛び込んできたのは。


「おそようございます、マスター。不本意ながら本日からあなたが私のマスターとなるので、あまりよろしくはしたくありませんがお願いします」


 まるで本物の金糸みたいな髪に、サファイアよりも鮮やかなブルーの瞳。

 眉は綺麗に弧の字を描き、金色の睫毛は長く、くるんと上向きにカールをしている。

 白い肌はまるで白磁で出来ているかのように滑らかで、形の良い高い鼻に、ふっくらとした赤い唇。

 まるで絵から飛び出てきたかのように美しい少年が、人形みたいに感情のない表情を浮かべて私を見ていた。


 私はぱくぱくと口を動かし、震える手で少年を指さして固まった。

 明らかに動揺している私を見ても少年の表情は一切変わらない。


「マスター? 驚きすぎて固まってしまいましたか? 気持ちはわかりますがその阿呆みたいな顔はやめて頂けませんか。不愉快なので」


 心地の良い声が告げた言葉は、その声音とは正反対の厭味ったらしい台詞で。

 その台詞で頭が勢いよく回りだした。勢いが良すぎてくらくらするくらい、頭はよく働いている。

 なんかもう、色々と沸騰しそうだ。いろんな意味で。


「な、なんなの!? ちょっとあんた、初対面の人に対して失礼じゃない!? というかあんた誰!? なんで私の部屋にいるの!? 回答によっては今すぐ警察呼ぶから、というか今から呼ぶから!!」


 矢継ぎ早に質問をする私に少年は大仰にはあ、とため息を吐いた。

 いったいなんなんだ!?


「そんな大声を出さなくても聞こえています。私は年寄りではないので。…最初の質問から答えていきましょうか。

 私とマスターは今日が初対面ではありません。それに失礼なことを言ったつもりもありません。私は事実を言ったまでです。

 私はイブキ。伊豆半島の伊に、口笛を吹くの吹と書いて伊吹です。

 私がここにいる理由は、本当に不本意なのですが、貴女が私のマスターとなったからに他なりません。本当に不本意ですが、なってしまったものは仕方ないので諦めます。

 それと、警察を呼んでもマスターが恥をかくだけになりますから、やめた方がいいと思います。無理には止めませんが」


 にこりともせずに少年――伊吹は私の質問に淡々と答えた。

 伊吹と言う名にちょっとひっかかったけれど、それもすぐに宇宙の彼方に飛んで行った。

 それはもちろん、伊吹の発言が失礼すぎるからだ。


 不本意って二度も言いやがった、こいつ!

 私の中でこの美少年の株は急降下し、彼は私の中の嫌な奴ランキングの1位にランクインした。初登場ランキング1位だ。初登場なのに堂々の1位である。あっぱれだ。


 怒りで火が付きそうだけど、私は必死に落ち着けと自分に言い聞かす。

 怒り狂う前にまだ聞かなきゃいけないことがある。

 きっと一番大事なことだ。

 私はすーはーと深呼吸を繰り返し、なんとか落ち着きを取り戻す。

 そしてムカツク美少年を見て、問いかける。


「いろいろ言いたいことはあるけど、それは後にする。それよりも…さっきからあんた、私のこと“マスター”って呼んでるけど、それってどういうこと?」

「今更な質問ですね。もっと最初の方に聞かれてもおかしくないことだと思いますが」

「うるさい。いいから答えろ」

「…口の悪い人ですね。まあ、今はいいにしておいてあげます。先ほどの質問の答えですが――貴女が私の所有者になったからです」

「私があんたの所有者…? 意味がわかんないんだけど…」


 私は人間を所有する趣味は持ち合わせていないし、こんな嫌味な奴を所有するのはまっぴらごめんだ。


「あんたはあんたのものでしょう? 私は関係ない」


 きっぱりと私がそう言うと、奴はその綺麗な額に皺を寄せて私を見た。

 まるで変な生き物でも見たかのような目。なんて失礼な奴なの。

 

 奴は少しの間だけ考え込むように私を見つめ、やがて「ああ…」と何かに思い当たったかのように呟いた。

 そして私をとても残念そうな目で見つめる。表情はほとんど変わっていない癖に、なぜこうも目は嫌な方に表情豊かなのか。本当に腹が立つ。


「貴女は私を人だと思っているんですね」

「はあ? なに言ってるの? そんなの見たらわかることじゃない」

「…まだわからないのですか。あんなに食い入るように私を見ていたくせに」

「はぁ? 私がいつあんたを食い入るように見たっていうの?」

「一昨日ですよ」


 明確に返された答えに私は返す言葉を詰まらせた。

 一昨日? 一昨日にこんな無駄に顔だけはいいやつを見ただろうか。

 顔だけは無駄に綺麗だから、一目見たら忘れることはないと思うんだけどな。


 …ん? 綺麗…? あれ。私、綺麗ですねって誰かに一昨日言ったような…。

 あ、ああ!!!


 思い当たった私は奴を押しのけ、ベッドから慌てて抜け出す。

 そしてクッションが積まれている部屋の隅に駆け寄り、呆然とした。

 ―――ない! ない! あの人形がどこにもない!! ま、まさか…。


「やっとわかりましたか?」

「あ、ああああんた…もしかして」


 私は恐る恐る後ろを振り返り、奴を改めて見つめる。

 金髪碧眼。よく見ると奴の来ている洋服は現代のそれとは違うもの。

 フリルが多く使われた、中世ヨーロッパの貴族のような服装。

 街中で見かけたらコスプレだと確実に思われてしまうような恰好。


 その特徴そのままのモノを、私は知っている。


「あの、人形なの……?」


 動揺しすぎてみっともなく声が震えた。

 けれどそれを気にする余裕は、残念ながら私にはなかった。


「やっと理解したのですね。貴女の考えた通り、私は貴女が持ち帰った人形―――改めて、伊吹・フロックハートと名付けられているモノです。今日からあなたが私の主人マスター。どうぞよろしくお願いします、マスター杏」


 そう言って奴は、まるで中世の貴族のような、思わずうっとりとしてしまうほど綺麗な礼を私にした。

 

 なにがどうしてこうなった。

 お願いだから、誰かこれは夢だと言ってほしい。

 そう、切実に私は願った。

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