人形は少女に愛を囁かない

増田みりん

プロローグ



「準備はいい?」


 私はそう言って彼を見つめた。

 さらさらの金髪にサファイアのような瞳。金色の睫毛は羨ましいくらいに長く、肌の色は白くて、まるで白磁のよう。

 等身大の西洋人形じみた顔立ちの彼は私を見つめ、ゆっくりと頷く。


「私が言ったこと、ちゃんと守ってね。わかった?」


 まるで子どもに言い聞かせるようになってしまった。けれどそれは彼の事情を考えれば仕方のないことだ。


「───はい、マスター」


 無表情に頷いた彼に私はガクッとずっこけそうになった。

 ああ、なんてやりきれない。あれほど言ったのに、この頑固者!


「だから、マスターって呼ばないでって何度も言ってるじゃない!!」

「ですが、マスターはマスターですので」

「私はあんたのマスターになることをまだ了承してないの!」

「マスターの了承の有無は関係ありません。貴女が私の新しいマスターなのは決定事項です」


 ああ言えば、こう言う。本当に可愛くない!

 見た目はまるで天使のようなのに、その中身はそこら辺の頑固親父よりも頭が固い。

 そんなギャップ激しく要らない。これで萌えるとかいう人はそっちの道の才能があると思う。

 残念ながら私にはそっちの才能はないようで、その魅力というものが微塵もわからない。いやあ、本当に残念、残念。

 ───なんて一人コントを心の中で繰り広げている場合じゃなくて!


「とにかくあんたが私の事をマスターって呼ぶと周りの人から変な目で見られるの! 私と二人の時は百歩譲って許すとしても、誰かが周りにいるときは絶対にマスターって呼ばないでッ!!」


 私がそう叫ぶと、奴はにこりともせずに「そんなに無駄な体力を使って叫ばなくても、ちゃんとわかっていますよ」と答えた。

 ───わかってるなら最初からちゃんと名前で呼んでよ!!

 そう思うけど、奴に大してそれを言うのは無駄で、言ったとしても何倍にもなって返ってくるのは奴と過ごしたほんの僅な時間でわかってしまった。

 無愛想で無駄に口の回って、小憎たらしくて、マスターと私を呼ぶ癖に、私の事を小バカにしている本当に嫌な奴。

 奴が私の事をマスターだと思ってない、少なくとも敬おうとしていないのは確かだ。


 そんな奴と私の出会いは、まさに運命と呼ぶしかないものだった。

 奴との出会いに運命だなんて言いたくないけれど、私の語彙力を駆使して奴との出会いを言い表そうとすると、やはり一番しっくり来るのが運命という言葉で。

 本当に認めたくはないんだけれど、まあそれでしか言い表せないんだから仕方ない。




*・・*・・*・・*・・*・・




 私が奴に出会ったのは、学校の帰り道だった。

 友達と別れたあと、私はなんとなく遠回りをしたくなって、いつもとは違う道を通って家へ帰ることにした。

 ほんの少し遠回りをするだけ。それだけなのに、いつもと違う風景に私は知らない場所を探検しているような気分になって心が躍った。

 ほんの一本道を外れただけでこんな風に気分が上がるものなんだなあと、私は内心ハイテンションになりながら、人目のないことをいいことに鼻歌を歌ってスキップまでした。

 いや、今思えばとっても恥ずかしい行為ですよね。まあ、人がいなかったからできたんだけど。さすがに人目があったらしませんよ、ええ本当です。信じて。


 気分よく歩いていると、私の目に見慣れない雑貨屋さんが目に入った。

 見た目はちょっとレトロな感じで、まるで中世の世界から抜け出てきたかのような雰囲気のある、お洒落なお店だった。

 実は私は雑貨を見て回るのが大好きで、雑貨屋さんを見ると入らずにはいられない。

 ほら、雑貨屋さんって見ているだけで楽しいでしょ?

 色とりどりの文房具、可愛らしい小物。中にはヘンテコリンなものもあったりして、雑貨屋さんには何時間でもいられる。


 そんなわけで、その日も私はいつものように、ふらりと雑貨屋さんに入った。

 カランとなる鈴の音を聞きながら、私は店内をぐるりと見回した。

 あまり広くはないお店だけど、物がぎちぎちに置かれているというわけでもなく、とても綺麗に商品が並べられていた。

 ここは文房具よりも小物の類が多いお店らしい。古めかしいデザインのお皿や、ちょっと高そうなティーポット。それに合いそうなコースターやナフキン。

 綺麗に細かく刺繍のされたポーチやペンケース。可愛らしい動物の置物。

 きっと店長さんがとってもセンスの良い人に違いないと思わせるようなものが、センス良く陳列されていて、私はこのお店がとても気に入った。

 置いてある物も私好みのものが多かったし、なんだか少し懐かしいような気がした。


 ひとつひとつをじっくりと見ながら店内を歩くと、私はちょこんと置かれた人形に目を惹かれた。

 とても綺麗な男の子の西洋人形。服装は中世のヨーロッパの方の貴族みたいな服を着ているけれど、その生地はまるで新品のように綺麗だった。

 その人形は、なぜか目を瞑っていて、人形のサイズに合わせた椅子のお行儀よく座っていた。

 なんでこの子目を瞑っているんだろう? 人形ってこういう風に並べるときって大体目を開けているよね?

 そんな風に疑問に思いながらじっとその人形を見ていると、なんだか今にも目を開けて動き出しそうな気がしてきた。

 ───まさかね。


 そう思って人形から目を逸らすと、人形の目が開いて私の方を見た、気がした。

 私は驚いて人形に視線を戻したけれど、人形はさっきと同じ姿勢のまま、目を閉じて座っていた。

 ……気のせい? そりゃ、そうだよね。人形が勝手に目を開けるわけないもん。

 

 気のせい、気のせい、と私は自分に言い聞かせて、移動しようとすると、いつの間にか私のすぐ横に人が立っていた。

 なぜか深くフードを被っている。見るからに怪しい人に私は内心びくびくとした。

 絡まれたらどうしよう。誘拐とかされちゃったりして…? いやまさか。お世辞にも広いとは言えない店内で誘拐なんて、ねぇ…?

 そう思いながらも触らぬ神に祟りなしと私はその人物とは正反対の方へ逃げようとした時、その人物に声を掛けられた。


「ねえ、あなた」


 意外なことに、フードの人物の声は若く、高い。

 てっきりいい歳したお婆さんかお爺さんだと思っていた私はそのことに驚いて、思わず振り返ってしまった。

 振り返ってからしまった、と思ったけど、それはあとの祭りというやつで。

 フードの人は辛うじて見える口元を綻ばせた。

 口元しか見えないのに、なぜかこのフードの人はものすごく美人なんじゃないかと思った。

 なんていうんだろう。雰囲気美人、みたいな?

 うまく表現できないけど、その人の笑みは綺麗な人の微笑みみたいだと私は感じた。


「この人形をずっと見ていたようだけれど…気に入ってくださったのかしら?」

「え、ええっと……と、とっても綺麗なお人形ですね」


 かなりどもりながら私は辛うじて答えた。質問の答えになっていないことは重々承知だ。

 下手に気に入ったと言って押し売りされたら困る。

 話の感じからして、どうやらこの人物がここのお店をやっているのだろう。

 この人形は人形にさして詳しくない私が見てもとても高価そうで、私のお小遣いで買えるような代物ではないとわかる。

 そんなものを見るからに高校生な私に押し売りをするだろうか、とは後になって思ったけど、その時は本気で押し売りされまいと必死だった。


「ええ、そうでしょう。この子はね、わたしのとても大切な子なのよ」


 そう言って人形を手に取った彼女は、その言葉通りにとても大切そうに人形を抱えた。

 まるで本当に愛しい人に触れているかのように、彼女は人形に触れている。

 本当にこの人形が大切なのだな、とわかって私は緊張を緩めた。

 そんなに大切なものを売ろうとなんてしないだろう。きっと彼女が私に声を掛けたのは大切な人形をじっと見ていたから。ただそれだけだったのだ。


「そうなんですか…でも、折角の綺麗な顔をしているのに、目を瞑っていて勿体ないですね。目を開けたらきっと素敵なんだろうな」


 ついつい零れた私の本音に、私はしまった、と思った。

 余計なことを言ってしまった。気分を悪くしていないだろうかと、私は伺うように彼女を見ると、彼女はなぜか少し寂しそうに微笑んでた。


「あ、すみません。私、余計なことを…」

「…いいえ、そうね。あなたの言う通り。この子はきっと目を開けていた方が素敵なのでしょう」

「あの…?」


 なぜ彼女はそんなに寂しそうなのか。

 私がわからず戸惑っていると、彼女は人形の髪をそっと梳いた。まるで別れを惜しむかのような彼女の行動に、私は何か嫌な予感を覚えた。


「あ、あの。私、帰りま…」

「この子、きっとあなたの元にいた方が幸せになれるわ。だから、どうかこの子を持って帰ってあげて」

「え? いや、そんな…申し訳ないですし、私のところに来ても幸せになんて…」

「いいえ、わたしのところにいたらだめなの。この子はわたしでは幸せにできない…だから、あなたが幸せにしてあげて」

「え…?」

「この子はあなたにこそ相応しいわ。だから、はい」


 そっと人形を差し出されて、思わず私は受け取った。

 いやいやいや! なぜ受け取った私! 受け取っちゃだめでしょ、どう考えても!!


「あ、あの! お返ししま…」

「どうか、わたしの分まで幸せにして頂戴ね」

「だからお返ししま…」

「もう遅いから帰った方がいいわ。この辺りは少し危険だから」

「いえ、ですから…」

「どうかお気を付けて」


 人の話を聞けー!!!

 なんて叫ぶ間もなく、私は店から追い出された。

 なんなの、あの店主。なんであんなに強引なの。

 こんな高そうな人形渡されても困るし! しかも私お金びた一文払ってないよ!

 ああ、もう…どうしよう…?

 

 ダメ元で店のドアを叩いてみるけれど、やはりというか反応はない。

 今日は諦めよう。また明日ここへ来て、この人形を返そう。

 

 はあ…とため息をついて、私は腕の中の人形を見つめる。

 暗い中でも綺麗だとわかるこの人形、どうしようか。

 壊さないように慎重に扱わないと…こういうのって繊細なんだよね。ビスクドールってやつ?

 私、あまり人形詳しくないんだけど、絶対これ高いやつだよね…陶器で出来てて、職人さんが丹精込めて作ったもの…。

 ……ああいやだ。やめよう、そんなこと考えるのは。壊したら本当に怖い。


 私はさっきよりも慎重に人形を抱えて家に帰った。

 高いところに置いておくのは落ちたら怖いので、クッションを大量に置いた上にそっと置く。

 相変わらず人形の目は閉じたままだ。

 この人形、これがデフォルトなのかな…目が開かない人形なんてあるのか?

 まあ、いいや。とにかく明日、返さなきゃ。


 そう思っていたのに、翌日、あのお店があった場所に行ってみてもあのお店はなかった。

 お店があったはずの場所はただの空き地になっていて、まるで最初から存在しなかったかのように、跡形もなく店は消えていた。

 

 …いったい、どういうこと?

 近くを通りかかった近所の人にお店のことを聞いても知らないと言う。

 じゃあ私が入ったあの店はなんだったの? 場所ここじゃなかった? 私の勘違い?

 

 いや、そんな馬鹿な。確かにあのお店はここにあった。

 でも実際にお店はないわけで。

 ………ええ…? いったいなにがどうなっているの?


 私はなんだか気味が悪くなって、慌てて家に帰った。

 自分の部屋に駆け込み、人形を確かめる。

 もしかしたら人形を貰ったことが夢だったんじゃないかと思ったんだけど……。

 はい、夢じゃありませんでしたー!

 ちゃんと人形はここにある。昨日と変わらない姿で。


 人形はあるのに店はない。

 もう本当に何がなんだか……不思議な事ってあるものなんだな。ホンこわに投稿でもしようかな。

 ……なんてね。


 あまり気にするのはやめよう。

 とりあえず、この人形なんとかしないとなあ…。

 そんなことを考えながら、私はその日、眠りについた。


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