第2話 佐伯涼太

何処までも積み重なっていくような入道雲が

真っ青で味気ない空を彩っている

本日は7月25日、セミ達の生命賛歌が響き渡るそんな昼過ぎ

'' 佐伯涼太 ''は昼食を買いに出掛けていた


「暑い...」


そんな言葉が脳内で飽和して、時折口から零れ落ちた

いよいよ夏も本番といったところなのだろう

その日差しは最早人類に対して敵意を持っているんではないかと

錯覚するほどだった


こんな真昼に外出せずに

職場までのコンビニなどで見繕うか

社食で済ませてしまえばいいと皆は口を揃えて言うのだが

どうにもそういった'' 集団 ''と食事をすることは苦手で

適当な理由をでっち上げては、昼休みには外出を決め込んでいた


世の中はこういった行動を'' コミュ障 ''と言うらしいが

これには全力で反論したい

人と付き合うのは苦ではない、むしろ他人とのコミュニケーションは

仕事を円滑に進める上では最重要なファクターだとも思っている


しかし休憩という時間はしっかり休憩したいのだ

自分のペースでその限られた時間を過ごしたいのである


そんな自問自答に脳内で一区切りがついた頃

陽炎で揺いだ少し先の景色に見慣れた看板が見えてきた


木製の小さな看板には'' ボヌール ''という文字が可愛らしい字体で書かれている

赤と白のチェック模様の屋根が印象的な、木のいい香りがする喫茶店である

つい1ヶ月ほど前に見つけたこの喫茶店を訪れるのは

ここ最近、昼休みの日課になっていた


カランッ


扉を開けると、その上部に取り付けられていた来店を告げるベルが揺れた

店の奥に目をやるとカウンターの向こう側で

1人の女性がこちらを見て、にやりと小さな笑みを浮かべている


「いらっしゃい、そろそろ来る頃だろうと思ってたよ」


瀬戸茜(せとあかね)

この喫茶ボヌールのマスターだ

年齢は30代前半...だと勝手に予想しているが

正確な年齢ははぐらかされて、未だに分からずじまいである

数年前に腰を痛めた祖父に代わってこの店を切り盛りするようになったらしく

入れる珈琲は素人が飲んでみても、確かに違いが分かる美味しさだった


本人曰く「私、器用だからさ」だそうだ

深みを感じる珈琲の味に対して、何とも浅い返事だなとその時は思ったりもした


「こんにちわ、瀬戸さん

 えっと、サンドイッチセットを...」


「テイクアウトで

 卵多めのレタス少なめがいい」


瀬戸さんは「ずばりだろ」と得意げに鼻を鳴らす

僕はその先の言葉を飲み込んでただ小さく頷くと、カウンター席に腰掛けた


毎度同じものを同じように注文をしていたからか

はたまた瀬戸さんの性格故なのか...


まあ、理由などどうでもいいのだけれども

通い始めて1週間が過ぎた頃から、このやりとりはほぼ挨拶のように続いている


「ほんと飽きずに良く同じもの食べるよねー

 でも私もかなり変食だから、人のこと言えないんだけどさ」


そういって1杯の珈琲を差し出す

頼んでないのに出てくる珈琲、これも最早恒例行事である


「お代はいらないからさ」と待ち時間のお供にと1杯の珈琲を出しくれる

最初は遠慮したのだが、私はこの1杯分のお話をお客さんとさせてもらえるんだから

それでお代は十分なんだよと言って聞かないもので

結局は僕の方が折れたのだった


人を避けて訪れた喫茶店で人と話す為に飲む珈琲には

何とも矛盾したものを感じたが

それでもその珈琲の美味しさは確かなもので

それがこれまでの1ヶ月間、ここに通っている理由でもあった

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