花の下にての考察

 自殺する場所として最も美しいところはどこか。誰もが口をそろえて言うだろう。


 ——樹海だ。


 しかし、死ねば骨、それまでは腐るだけだ。

 人間は腐る間が一番醜い。ましてや首吊りした後なんてのはその中でも最たる例だ。何も食わず、おむつを吐いて、目隠しをして、涼しい場所で首をつらなければならない。そうしなければひどい有様になる。

 

 樹海は素晴らしく美しい場所だ。この世で一番美しい場所だと言ってもいい。

 だからこそ、そこで死のうとする人間が多いのだろう。だが、美しくなるのは白骨死体になって以降の話だ。アニメや二次元の画像のように美しく死ねるわけではない。

 だが、もし死ぬ直前に見るなら、樹海がいい。不思議な魔力があるのだ。

 どんなに苦しんでもいい。この場所でならどんな死に方でもいいと思えてしまうことがたまにある。



 だからこそ私はこの場所で切腹を試みたのだ。



 切腹というものは高貴なもので、なおかつ介錯されなければ最も苦しい死に方だ。この場所では、その死に方が一番しっくり感じられた。意識が大地に吸われていく感覚。とても美しいこの場所で、徐々に消えていく感覚。痛みで苦しみながらも何も変わりはしない大地に包まれている感覚。


 白装束で目の前には刃物を置きながら、私は考察していた。

 樹海で死ぬということ、美しいものの一部になるための長い時間を死にながらにして耐えなければならない苦痛を。


 樹海の木々のその足元に頭蓋骨だけがあり、そこにすら植物が絡みつく。

 そんな芸術的な世界は、現実にありえるのだろうか。

 少なくとも私が見てきた死体はそんなことなどありえなかった。

 もしも、死体を回収している人間がいるからそのような芸術が見受けられないとするなら、ある一種の冒涜かもしれなかった。死に場所を選んだものへの冒涜と、それをあるがままに受け入れた自然への冒涜。

 では、死体が回収されなかった場合にはどうなるか。きっと樹海は死体の山になるだろう。美しい場所が穢れてしまうのだろう。だからこそ、樹海で死ぬためには、彼らの活躍が必要不可欠でもある。


 この緊張したバランスこそがこの樹海へと自殺者を呼び寄せ、憧れの中で死なせているのではないだろうか。だとしたら、そのままでいいだろう。

 私がもし死んだとして、その遺体が回収されることになったとして、それでもいいのかと考えてみれば、いいはずがないのだ。


 だから私は樹海の奥の方へと入り込んだ。いつか骨となって大地に消えるその時までここに居続けるために。そのための時間を彼らに邪魔されることなどないように思えた。そして死んでしまえばいくらでも時間を堪えられるようにも思えた。


 さあそろそろ死のうか。

 他の自殺者がどういう感覚でここに踏み込むのはわからない。

 だが私は、美しく消えたいのだ。どこか絵画的な美しさで死にたいのだ。

 切腹という方法を選んだ最後の理由は、腹を切り裂いて大木に身を預けて死ぬためだ。首吊りなんかじゃあない、もっと寄り添える死に方。


 さあ、死のう。刺して横に切り裂いてあとは後ろに倒れるだけ。

 

 そうして思いきり腹を突き刺した。

 


 それからどれだけ年月が経っただろうか。

 ネット上に一枚の写真がアップされ、それは「検索してはいけない」といわれる部類に分類された。

 そこに映っていたのは、白骨死体。大木に寄りかかった骨だった。

 その姿に絵画的な美しさも、二次元の画像のように美しい死体もなかった。

 物言わぬ骨の考察は大木の葉となり忌避されるものとなった。

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