未来ラジオをひろった男
ある日俺は、ゴミ捨て場でラジオをひろった。
先に簡単な自己紹介をしておこう。俺は三十六歳。人材派遣の会社に登録し、色々な職場を転々とし、日銭を稼いでいる。
結婚はしていない。そのほうが気楽でいい。
……いや、正直なところ、そう自分に言い聞かせているのが大きい。
俺の派遣による収入は、恥ずかしい話、月の稼ぎは平均より下ほどしかない。生活はカツカツだ。貯金なんてする余裕は無い。
そんな俺が結婚できるはずもないし、したところで女房を養っていけないだろう。
派遣の仕事は不安定だ。
本当にあちこち、色々な職場を転々とする。仕事のノウハウも、人間関係も構築されない。
仕事は選んでいられない。会社から指示されて、それに従う。そうしなければ収入が無い。
ガキの頃、親が「三十過ぎたら、もう色々はじめる気力も無くなる」と言っていたのを聞いて、俺はそれを内心バカにしていた。そんなだと、負け犬になるって。
スーツを着て、毎日会社と家の往復。そんな人生、くだらねえって。
だけど、今になって、嫌になるくらいわかる。実際三十歳になった時、何か大きく欠けたような感じがした。気力の方は、二十四、五から無くなってきたと思う。
そんな今の年齢で、派遣社員というのもコンプレックスだ。そんなこんなで、もうあらゆる望みは無いし、資格の勉強だとか、そんなことをする気力も無い。
給料が入ったら、いつもコンビニで買う発泡酒のところをビールにする。焼き鳥を一本増やす。それが唯一の贅沢だ。身の丈は、とっくにわきまえてる。あとは毎週、競馬に小さな望みを賭ける。このくらいはいいだろう。
ともあれ、派遣の収入だと生活は苦しい。安アパートとはいえ、家賃や光熱費といったもろもろの必要な出費だけで、結構圧迫される。
なんで俺は、ちょっとした小遣い稼ぎもしている。
簡単だ。ゴミをひろって売る。
まるでホームレスだとバカにされるかもしれないが、これが案外いけるから、バカにできない。
狙い目は粗大ゴミだ。電化製品がわかりやすくていい。
結構前から言われているが、新しいのを買ったら、すぐに前に使っていたのを捨てる奴はいる。まだ使えるやつでも。
家電リサイクル法ができて、処分するのも有料になった今でも、堂々と捨てる厚かましい奴がいる。ありがたいことだ。俺はそれをひろって売る。
それを持って帰って、磨いたりして汚れを落とし、リサイクルショップとかに売る。元手はタダだ。ボロい小遣い稼ぎだよ。ボロ売って小遣い稼いでるんだから。
そんなある日、俺は変な機械が捨ててあるのを見つけた。
大きさは両手で持てるくらいで、銀色の本体にアンテナとダイヤルが付いている。
ラジオだ。今時珍しいが、こんなシンプルな構造のだと、結構古いんじゃないか?
とても売れそうにないと思ったが、ひょっとしたら何かの値打ちものかもしれない。わからないもんだ、こういうのは。ちょうど、今日ひろった物は小さいものばかりだ。俺はそれを持って帰ることにした。
今日の収穫はマンガ本数冊と、アダプタ二個、そして例のラジオ。
しょせん元はゴミだ。こんなもんだ。だけど、チリもつもれば何とやら。
マンガ本はまとめて売るから部屋の隅にやり、ラジオは動くかどうかを確認する。
動かないものは本当にゴミだ。磨くだけムダだ。先に動くかを確認する。
ラジオのアンテナを立て、スイッチを入れてみる。
ザザッ……とノイズ音がする。電池は残っているらしい。動くのかな? 俺はダイヤルを回すことにした。
動かない。少し力を入れてひねるが、ビクともしない。どうやら本当に壊れているらしい。こういうことは少なくない。また捨てればいいだけだ。
スイッチを切ろうとしたら、ノイズの中に音が聞こえた。
耳をそばだててみた。何かをしゃべっているようだ。
せっかくだ。俺は、アンテナをぐいぐいと動かしてみた。
声はハッキリとしてきた。男の声だ。ボリュームのダイヤルをひねってみる。うん、こっちは普通に動く。
「……ンケツシンガリー……ザザッ……ドンケツシンガリー、一着です!! まさか、まさかの大万馬券!! 過去最高の配当金額です!!」
なんだこりゃ。壊れてるのか。今日は金曜だ。ふつう、競馬は土日しかないぞ?
それにドンケツシンガリーなんて、名は体をあらわすような万年ドンケツ馬だ。
競馬史上連続ドンケツ記録でギネスに載せようか、なんて競馬新聞で特集を組まれたくらいだ。冗談もいいところだ。
わざわざこれ一つを捨てにいくのもバカらしい。また溜まった頃、まとめて捨てに行けばいい、と俺はラジオを部屋の隅に置いた。
俺が腰を抜かしたのは次の日だった。
派遣先の遅い昼休み、ラーメン屋でメシを食っていた時のことだった。
テーブルの向こうに置かれた、茶色けた汚らしいテレビで放送されていた競馬。
昨日のことを思い出しながら、バカくせえと思っていた俺は、少ししてメシを口から吹き出した。
「ドンケツシンガリー!! ドンケツシンガリー、一着です!! まさか、まさかの大万馬券!! 過去最高の配当金額です!!」
俺は、耳を疑った。うっそだろう? そして、昨日あのラジオから聞こえた言葉を思い出した……。
そうだ、あのラジオも言っていた。ドンケツシンガリーが一着だと。
すう、っと血の気が引く音を体感した俺は、メシを食うどころじゃなかった。
そのまま勘定を置いて、店を出た。その日は、もう仕事が手につかなかった。
部屋に帰った俺は、一目散にあのラジオのスイッチを入れた。
「ザザッ……今回のリクエス……は、○○県の××さんから……ザッ……『きみのためにぼくはいる』……ザッ……」
歌番組か!? 競馬じゃないのか!?
俺は取り乱しそうになったが、次の瞬間、ハッと閃いた。
待てよ……昨日聞いたラジオで、今日の競馬中継があったんだ……そうだ、昨日、ラジオを聞いたのは昼過ぎの……確か三時ごろ! 競馬中継の真っ最中だ!!
いてもたってもいられなくなった俺は、そのまま近くのコンビニへ突っ走った。
レジ近くに置いてある新聞を引っつかみ、ラジオ欄を開く。
いつも通り半分死んだような顔をした、レジにいるハゲオヤジは何も言ってこない。
時計を見る。今は八時二十分過ぎ……今日競馬中継をしていた局はどこだ!?
あった! ○×局! 俺はすぐさま新聞を投げ捨て、それを頭の中で何回も繰り返しながらアパートに戻った。そして帰ってすぐ、派遣会社に仮病を使って明日の休みを取り付けた。電話の向こうからは散々文句を言われたが、俺は一方的に電話を切った。
次の日俺は、朝一番に、また近所のコンビニに行った。
一直線に新聞を引っつかみ、ラジオ欄を見る。目をやる先は一つだ。昨日目をつけた○×局。昼過ぎから、競馬中継。夜八時から放送している番組は……音楽番組!!
俺は、震えが止まらなかった。これで今晩、昨日聞いたリクエストの『きみのためにぼくはいる』が流れたとすると……!?
カップ麺を引っつかみ、小銭をレジに叩きつけ、俺は部屋に帰った。
思った通りだった。八時過ぎ、音楽番組。流れた曲は『きみのためにぼくはいる』――まさか、これは本当に次の日の放送をするラジオなのか!?
興奮に打ち震えた俺は、文字通り転げ回った。隣に住む女の怒鳴り声が聞こえたが、そんなことはどうでもよかった。
次の日俺は、所属先の派遣会社に、金曜日から日曜日までは仕事をもらわないように頼んだ。理由は決まっている。競馬のためだ。
しこたま文句を言われたが、そんなことは気にしていられない。もし万馬券が来たら、一月分の給料よりも、いや、比べ物にならないほどの稼ぎになる。バカらしくてやってられないさ。
そして週末、金曜日。競馬中継の時間。俺はラジオを両手でつかみ、睨みをきかせていた。目当ては万馬券。いや、最低でも十倍以上だ。元手が少ない俺には、そうじゃないと元がとれない。俺は神に祈った。来てくれ! 十、いや、百万馬券!!
……結果を言えば、その日は、十倍どころか普通の万馬券すら来なかった。
元からそうそう来るものじゃないが、期待をしていたぶん、落胆は大きかった。
だが、まだ次がある。そう思い、俺は明日の競馬に希望を託した。
翌日。部屋のテレビで競馬中継を見ていたら、やはり昨日ラジオで聞いた通りだった。そして、ラジオの方からも、これと言った当たり馬券は来なかった。
つまらない一週間が過ぎた。金曜日。今日も十倍馬券は無かった。バカらしい。
土曜日。来た。一回だけ、十数倍の当たり馬券。
次の日、俺は迷わずそれに注ぎ込んだ。三連単。これが当たれば数十万馬券だ。
そして俺は、わずかな元手から、その十万倍以上ものの配当を得た。
心底打ち震えた。通帳に入金された、初めて見たような金額に。そのわずか数列前にある、それと比べれば雀の涙以下の派遣会社からの給料との差に。
これは本物だ。改め、てそう俺は実感した。これを元手にすれば、俺は一生食っていける。後はすぐだった。俺は、すぐさま一方的に派遣会社を辞めた。
それからというもの、俺は月曜から木曜までは遊び周り、金曜日から日曜日まではコツコツと競馬に精を出した。いくら大金を注ぎ込んでも、たかが数倍くらいでは、つまらない。やはり最低でも十万馬券だ。元手はたっぷりあるし、それを全額注ぎ込めば、それはすぐに遊んで暮らせるほどの金額になる。
俺は、あっと言う間に競馬で財を成した。
あの安アパートは、とうに引き払った。普通のサラリーマンでは一生かかっても無理な大金で豪邸の建設をさせ、じきに一国一城の主となる。もちろん一括、前払いだ。完成までの間、俺は高級マンションで暮らすことにした。毎日遊んで暮らし、家事は雇った家政婦任せにした。野暮ったい婆さんだったが、仕方ない。この婆さんが一番安く雇えたのだ。
毎日うまいものを食べ、いい女をはべらせる。そして週末にはあのラジオから競馬中継を聞き、そこからまた大金を得た。すると、競馬新聞や競馬雑誌がどこから聞きつけたのか、俺に万馬券を当てる秘訣を聞いてくる。教えてたまるもんか。これは
俺の人生、しこたま儲かった。もう勝ったも同然だ。
そんな毎日が何ヶ月も続いたある日、俺のところへ税金の督促状が来た。
そういえば、派遣会社は何か月も前に辞めたが、それで俺の所に来たんだろうか。
昨晩もベロベロに酔っ払い、いつも通り昼過ぎに起き、二日酔いでガンガンする頭を押さえながら思った。
俺は税金なんてよくわからないから、会社任せだったり、適当にやっていたからな。
とりあえず俺は、それを開いてみた。中に折りたたまれたそれを開いて見て、一瞬で頭痛は消え去り、目玉が飛び出しそうになった。
そこには、俺が今まで見たこともないような、とんでもない金額の請求があった。
「お、お、お、おい、婆さん、婆さん」
俺は腰を抜かしながら、家政婦の婆さんを呼んだ。
「はあ、なんでしょう」
呆けた顔をしながら言う婆さんに、俺は目を白黒させながら言った。
「こ、こ、こ、この金額を見てくれ。これ、これは何かの間違いじゃないのか」
「はあ、名前は間違っておりませんね。税務署から来たんですから、間違いではないと思いますが」
「さ、さ、詐欺じゃないのか」
「でしたら税務署に問い合わせてはどうでしょうか」
のんきな顔で言う婆さんを尻目に、俺は震える手で受話器をとり、税務署に電話をした。泡をくっていた俺のやりとりは、始終相手を困惑させっぱなしだったが、とにかく確かなことは、俺はその法外な金額を支払わなければならないことだった。
「待ってくれ。俺はテレビで見たことがあるぞ。宝くじには税金がかからないんだ。俺のカネは、全部競馬で稼いだようなもんだ。だから税金はかからないだろう!?」
それに対する返答は、俺を放心させるには十分だった。
『はい。確かに宝くじには税金はかかりませんが、競馬や競輪、競艇といったもので生じた収入に対しては、税金は生じます』
俺は、虚空を見つめたまま受話器を置いた。
なんてこった。カネは入ったらすぐ使っちまってる。こんな金額を払ったら、生活費でほとんどが消えちまい、次の元手さえ心もとない。次の万馬券が来るまで心配だ。
いや、でも、俺にはあのラジオがある。万馬券でなくてもいい。数倍でも、それに何回も賭ければ増えていく。セコいやり方だが、背に腹はかえられない。幸い明日は金曜日だ。あのラジオさえあれば、取り戻せるさ。
そう思いながら俺は、ラジオを置いている寝室に戻った。昨日はひどく酔っ払い、寝室をメチャクチャにしたが、どうやら俺が寝ている間に婆さんが片付けていたらしく、部屋はだいたい片付いていた。しかし、いつもラジオを置いてある棚を見ても、そこにラジオが無かった。俺は真っ青になり、辺りを見回したが、ラジオは見当たらない。血眼になり、棚の中、ベッドの下、果てはベッドを切り裂いてまで探したが、どこにも無い。
血相を変えて婆さんの所に飛んで行き、肩をつかんで激しく揺さぶりながらラジオはどこかと聞いた。
婆さんはアワアワとしながら、振り絞るように言った。
「ラジオでしたら、捨てました。その、モドしたものがかかっていて、これはもう、使えないなあと思いまして。ちょうど今日は粗大ゴミでしたので……」
のぼっていた血が一瞬で引き、俺は婆さんを突き倒して外に駆け出した。
マンションのゴミ置き場を見たが、そこはもうもぬけのカラだった。そのまま道路へ飛び出し、停まっていたタクシーに乗り込み、ゴミ収集所へ行くように叫んだ。
寝起きのままで、ゲロまみれのパジャマに裸足という姿の俺を見た運転手は、あからさまに嫌な顔をしたが、黙って車を出した。
到着までの間、俺は気が気じゃなかった。胃が飛び出そうになりながら、神や仏に祈った。体がガクガクと震え、汗や涙、鼻水で、顔はグシャグシャになっていた。
到着するやいなや、タクシーをそこに待たせて受付に行き、半狂乱になってラジオの行方を聞いた。
守衛は驚きながら、わからないので担当者を呼びます、と内線をかけた。
早くしろ、早く――俺が頭を掻きむしりながら待っていると、よく肥えた男がノコノコとやって来た。ラジオを知らないか聞く俺に、男はキョトンとしながら、どこの収集所から回収したかわからないと、と言う。それもそうだ。俺は自分のマンションの名を告げると、男はコクコクと頷きながら言った。
「ああ、あれね。だったらたった今、処分しちまったよ」
俺は、ショックのあまり卒倒した。
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