恋い震い

二石臼杵

青い日々

 寒気を感じてふと部屋のすみを見ると、知らない女性がいた。さて、この部屋には僕一人だけのはずだったのだが。

 彼女は室内なのに厚手のコートとマフラーを羽織っていて、それでも寒そうに体を小刻みに震わせている。


「えっと、きみは誰かな?」


「あ、青山葵と申します。あの、信じてもらえないかもしれませんが、私、震震ぶるぶるという妖怪です」


 白銀の髪と真っ青な唇と空気を震わせて、葵さんと名乗る女性は答えた。


「あー、震震ね! 別名ぞぞ神、臆病神。人を寒くしたり気弱にしたりする妖怪で、苦手なものはお湯とアスピリンっていうあれか!」


「な、なにこの人。怖い……。なんで私が逆に震えあがるはめになるんですか……?」


 そう言って彼女は自分の体を抱いて、僕から距離を置いた。その声も震えている。


「いやあ、僕、妖怪とか大好きでね。大学で民俗学を教えたりもしているんだ。でも実際に遭うのは初めてだなあ」


「す、少しは怖がってくださいよ」


 葵さんは目尻に涙を浮かべ、怖がって震えながらも必死に訴えかけてくる。ああ、これはなんか、ぐっとくるものがあるね。


「つき合ってください」


「な、ななな、なにを言うんですか……? 私、妖怪ですよ?」


 目を丸くする彼女に、僕は一気にたたみかける。


「だからいいんじゃないか! きみとの出会いに魂が震えた!」


「……まぁ、私、震震ですし」


「この運命にぞくぞくした!」


「それ、悪寒じゃないですか?」


 よし、とっておきの殺し文句を使おうか。


「でも、きみの心は揺れているように見えるよ?」


「……くっ、悔しいですが、そういう妖怪なので否定はしません……」


「じゃあつき合おう! いっそ結婚しよう!」


 葵さんの瞳が揺れたのも一瞬。直後に彼女はくっと唇を引き結ぶ。


「い、一緒に暮らすくらいならなんとか……。こうなったら、意地でもあなたを震えあがらせてみせます。震震としての意地にかけて」


 こうして、僕と葵さんの同棲生活が始まった。

 彼女は家事は不得手どころか、洗濯機の使い方すら知らなかったけど、別に僕は家政婦として葵さんにいてもらっているわけじゃない。

 妖怪と一緒に暮らせる。帰ってきたら、彼女がいる。それだけで満足だった。


 葵さんは、ポルターガイスト現象みたいに家具を振動させて、ちょくちょく僕を怖がらせようともした。

「ど、どうですか? 怖いですか?」なんて訊いてくる彼女は、怖いというより「かわいい」だった。妖怪好きの僕にはたまらない。


 それよりも、僕の帰りが遅くなって、彼女を家で一人待たせてしまうことの方がつらかった。

 葵さんは、ただ物憂げな表情で、真っ白な体を震わせているだけ。

 お世辞にも温かい家庭とは言えない。

 だから僕は彼女を安心させようと、震震の弱点であるお湯は使うのをやめて、アスピリンは捨てた。


 ある日、彼女にプレゼントを贈ってみた。

 透明な球体の中に色とりどりの紙片とLEDライトが納められているペンダントだ。

 振動を与えると淡く光って紙吹雪が舞うという子供向けのおもちゃなのだが、葵さんは一言「きれい」と漏らしてそれを見つめ、ほんの少しの笑顔を見せてくれた。

 体の震えに合わせて光るペンダントを眺める顔は、どこか嬉しそうだったと思う。僕はそんな彼女に、つい見とれてしまった。


 そのせいで気が緩んだのかもしれない。次の日、僕は風邪をひいて倒れた。

 真冬にお湯も暖房も使わない生活を送っていたんだ。当たり前か。

 解熱剤であるアスピリンは全部捨ててしまったから、もう家にはない。そのまま僕は意識を失った。


 ……どれほど眠っていただろう。目が覚めると、温かくて良い匂いがした。視線をやると、そばで葵さんがおかゆを用意してくれていた。それだけじゃない。アスピリンまである。


「……葵さん。温かいものやアスピリンに触って、大丈夫なのかい?」


 心配になって尋ねると、彼女は小さいけれど、はっきりとした声で話した。


「ええ。もう、震えは止まりましたから」


 そう言った彼女の顔は、少しも寒そうに見えなくて、むしろ見ているこっちまでじんわりと温かくなってくるような、そんな笑みを浮かべていた。

 首から下げているペンダントは、光っていなかった。


 朝になって、熱が引いたのを確認した僕はお礼を言おうと思ったが、葵さんの姿はない。

 いやな予感がする。焦って家の中を探すと、机の上に一枚のメモがあった。


『あなたのおかげで震えは止まりました。私に温もりをくれてありがとうございます。さようなら』


 その文面を見て、全てを悟った。震震は、震えているからこそ震震でいられる。震えの止まった葵さんは、存在意義を失って消えてしまったんだ。


 そこで初めて、僕は体が震えるのを感じた。

 震震という妖怪の真の恐ろしさ。人の温かさにすら耐えることのできない、彼女の儚さに気づいたから。

 そして自分が消えるとわかっていてもなお、僕に向けてくれたあの優しさに込められた意味を知ったから。


 結局、「僕を震えあがらせる」という葵さんの目的は達成されてしまった。

 彼女は震震として生き、震震として死んだのだ。


 こんなことなら、もっと葵さんに冷たくしてあげればよかった。

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恋い震い 二石臼杵 @Zeck

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