第六章…「手から零れ落ちたモノ。【2】」


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 頭の中に出てくるモノを考えようとすれば…、それだけ体調が崩れるのがわかる。

 何も考えない…、頭の中に出てくるモノを意地になって追い出しいった。

「落ち着いたか?」

「…はい…」

 医術士だからか?

 エルンは、こちらが何も言わずとも、状態を把握しているかのように、タイミング良く聞いてきた。

 万全とは言い難い…、でも最初よりかは随分とマシだ。

「君の状況を見るに、説明しろって言っても無理そうだねぇ~」

 俺の手を取って立たせてくれるエルンの言葉には同感だ。


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 自分でも、何が何だかわかっていないのだから。

「家族の話をしたら急にだ…。実家の方に顔を見せるのは日を改めた方がいいかな?」

「・・・」

「う~ん。今また顔色が一瞬だけ変わったねぇ。原因はそれっぽい。お互いの…家庭内関係の問題かな?」

「・・・。日は改めなくてもいい。むしろ早く行きたいぐらい」

「本当に…そんな事思っているのかなぁ? 今の君、すごいひどい顔しているよ」

「大…丈夫…」

「まぁ君がいいならいいけど。まずは新居に急ごうか」

 エルンはそう言って、俺の手を握ったまま歩き出す。


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『軍人さん。大丈夫かい?』

『顔色悪いよ~!』

「大丈夫、大丈夫!」

 すれ違う人達が、俺の顔を見る度に心配そうな表情を浮かべて、自分に何かできる事は無いかと声を掛けてくる。

 エルンはそんな声を、大丈夫…の一言で退けて、速くもなく遅くもない速さで歩き続けた。

 むしろ俺の歩くスピードが落ちている。

 少し治まったとはいえ、吐き気とかその他諸々のデバフが掛かりっきりだから、それも当然だ。


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 だからこそ、エルンが自分の手を引いてくれるのがありがたかった。


「ここが私たちの我が家だ!」

 エルンの一定な歩くスピードにありがたみを覚え始めた頃、見覚えのある広場に出ると、彼女は近くの家の前で止まり、繋いでいた手を放して腰に手を当ててそう叫んだ。

 見るからに古い平屋の一軒家…、外見は当然石作りで、一応の手入れはされているらしく、古いのには変わらないが汚いと言う訳ではない。

 というか、見覚えのある広場だと思ったら、医療術室がある広場だ。

 ひとつ後ろを振り返れば、その先には医療術室の建物がある、目と鼻の先ってやつだ。


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 いや、近いとは言っていたが、これは近すぎだろう。

 職場と家は近くしない方がいいって、親父が言っていたのを絶賛思い出し中だ。

 何でだったかな…。

 仕事とプライベートの距離が近すぎて、気が休まる時が無い…だと思う。

「フェリ君、体調は大丈夫?」

「ええ…。だいぶ楽になった…」

 エルンに手を握られて…、一定のスピードで歩いたおかげかな。

 人肌は、愛情とか安心感とか、不安な心へ安らぎを与える特効薬と聞いた事がある。

 歩く速さは…、正直関係あるかわからないけど、たぶん同じ速さって事でリズム的なモノを整えるのに役だったんじゃないかな。


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 とにかく、手を繋ぐという行為が、こちらの調子を戻すのに役に立ったという事は間違いないだろう。

 しかし、状況が特殊ではあるが手を繋ぐなんて、久しくしていなかったな。

 秋辰と雪奈に対しては特別として、最後はいつだろう。

「じゃあ人手が集まるまでもう少しあるから、少しの間休もうか」

 そう言って、エルンは広場の中央にある石作りの長椅子に腰を落ち着かせて、その隣を軽くポンポンと叩き、君も座れ…と俺を促した。

「正直ねぇ、君は私が受け持った患者の中では、歴代をぶっちぎって一番厄介だ」

「・・・」

 椅子に座るも、エルンの言葉に返しを入れる事が出来ず、わずかな申し訳なさから体が固まる。


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 俺が医者だったら同じ事を言っただろう。

「まぁ悪い意味ではないけどね。厄介だって言ったのは、私の「経験が少ない部分」に入っているからって事で、浅い経験を深くできるという点では良い所もある」

「はぁ…」

「こちらからできる事は多くない。今いる道を突き進めるかどうかは君次第だ。私は少しでも手助けできるように頑張るだけさ」

「・・・」

「そうそう。さっき言ってた「例え話」だけどさ。アレ、他人には言わないようにね?」

「・・・何故?」


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「君自身がかなり複雑な状態なのに、あんな事聞いてきたら頭がどうかしてると思われちゃうから~」

「なるほど…」


 それから、お互い話をする事もなく時間が過ぎていった。

 途中エルンが水の入ったコップを持ってきてくれたがそれだけで、これと言った変化はなく、言っていた人手が来るまでは水路を流れる水音に耳を澄ませて、心を癒す時間となる。

 ちなみに人手…言い方を変えれば助っ人だが、それは知らない相手ではなく。フィア、イクシア、そしてドゥーだった。


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 フィアとイクシアはフェリスの寮の部屋の方へ必要そうな物を取りに行っていたらしく、ドゥーに関してはエルン曰く、使いやすい男手だから呼んだ…らしい。

 フェリスの荷物をドゥーの小舟に乗せて3人が登場した。

 フィア達の話では、部屋にはほとんど荷物と呼べる物はなく、とても女性の部屋とは思えない質素な場所だったそうだ。

 そのためなのか、積まれた荷物には、食器とか寝具とか、あと軍服と私服が数点ある程度だった。

「君、結構物に執着しない人間か?」

「さあ、どうかな…」

 1人の女性の荷物にしては少ないにも程があるな。


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 とにかく不要なモノを削って削って削り抜いて、生きるために必要な物が残ったって感じだろうか。

 物への執着が無い…確かにそうかもしれないけれど、そういった物に目が行かない程に熱中したモノがあった…、そんな可能性も否定はできない。

 まぁ俺がそれに熱中するかはわからないが。

「ん~…。じゃあ…。フィア、これ」

「何ですか?」

 エルンは、ポケットから取り出した物をフィアへと渡す。

「フェリ君の実家の住居番号。これだけ荷物が少ないなら人数はそんなに必要ない。君はフェリ君を家へ案内してあげて。それから…」


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 一瞬、チラッと俺の方をエルンは見た後、フィアの首に腕を回して何かを耳打ちした。

 それに何か驚いている様子のフィアへ、さらに言葉を繋げていく。

 自分にはその話の内容が何も聞こえてこない。

『調子はどうだ、姉さん?』

 小舟を流れていかない様に縄を使って停め、少ないフェリスの荷物を下したドゥーが声を掛けてくる。

「自分でもよくわからないわ」

「ふ~ん。姉さんも大変って事か」

 ざっくりと言えばそうだ。


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 この世界、この夢の中では難など無く、自分のやりたいように事が進む…なんて、甘々な考えが吹っ飛ぶ程度には大変だ。

「乗合船の仕事はいいの?」

「今日は休み。家でゆっくりするつもりだったのに、その事をエルンのいる所で話したらこの様だ」

「お気の毒に」

 貴重な休みが消えてしまった訳で、遊びに行くならまだしも、引っ越しの手伝い、別の言い方で力作業をやらされるわけだ。

 気温は高く無いし、涼しい風が流れているから体感的にも問題はないけど、さすがに肉体労働なんてしたら暑くなるだろうな。


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『・・・という訳でお願いな』

『はい、わかりました』

『じゃあ引っ越しを始めようか』

 フィアの首に回していた腕を離し、俺達の方を向きながらエルンは腰に手を当てる。

「新居の掃除は終わっているから、荷物を移すだけ。ドゥーとイクシアは私とその作業を手伝ってね。フェリ君とフィアは、用事が終わって帰って来てからでいいから」

「えぇ~…。ウチもフィーと一緒に行きたいんだけど」

「却下だよ、イクシア軍生。もしバックレでもしたら容赦しないから…」

「…はい」

 昨日のエルンの怒りぶりを知ってしまった分、イクシアが拒否できない理由がわかる気がする…というかわかる。


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 あれは怖い、「鬼」のようだった。

 それで…、俺達の用事は…フェリスの家に行く事…だよな。

 引っ越しと用事、いつの間にか順番が逆になっている。

 あの体調の変化を考慮しての変更なのかな…。

 それにしても家族…か。

 さっきは条件反射かのように体が反応したような感じだった。

 でも今はさほど体調の変化は感じない。

「では行きましょうか」

「ええ」


 アレは、俺としてではなくフェリスとしての反応なのだろうか。


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 向寺夏喜という俺としてではなく、フェリスとしての感情。

 数回見たこの夢の中では、確かに俺としてだったら反応しないような事に反応したり、俺なら反応するだろう事に対して反応しなかったり…。

 細かく言うなら、ドゥーに対して話す時に少し緊張気味な感覚があったり、女の裸体を見てもなんの感情も抱かなかったり。

 俺は男で、男と話をするのに何の緊張もしない、するわけがないのだ。

 健全なる男子が、女の裸体を見て反応しないわけがないのだ。

 フェリスという人物像がより一層暗く陰っていく。

 答えが見えてこないし、答えを知っている人が居るのかも怪しい。

 イクシアとかの話的に、友人とか知人を作っていないような感じだし。


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 家族に会えば何かわかるかな?

 家族の話が出て、あれだけの拒絶反応とも取れる状態になったのに、そもそも会う事が出来るのか?

 いや、違う。

 これは俺の夢で、俺の望んだモノがある世界だ。

 それなら俺は、できるかではなく…できる事を確信して進まなければいけない。

「そう言えばさっき、エルンから何を言われたの?」

 フェリスの家に向かう道すがら、隣を歩くフィアになんとなく聞いてみた。

 わざわざ誰にも聞こえないような状態を作って話したのだし、何か特別な事だと思うのだけど。


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「フェリさんの事を頼むって言われただけですよ」

「ふ~ん」

 頼む…というのは、自分でも気になっているあの体調変化の事だろうな。

 それ以外に何か注意すべき事って…あるかな?

 自分で考えてみた感じだと思いつかないが。

「とりあえず、フェリさんが気にしなければいけない事は無いので気にしないでください」

「そう。わかった」

 フィアがそう言うのなら大丈夫だろう。

 というか、この世界でフィア達を信用しなくなったら、俺自身誰も信用できなくなってしまう。


 フィアの話では、フェリスの実家がある居住区は、それなりに離れた場所にあるらしい。


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 それに歩くだけじゃなく、途中で乗合船に乗って別の場所に行く必要がある。

 見守りの樹の周りに作られ、フレッツェや医療術室がある場所が本島とか首都と呼べる場所なら、フェリスの実家があるのは離島だ。

 一応乗合船の停留所からその島は見えるし、言う程離れているという訳ではないらしい。

 その離島のように、この国「イクステンツ」には、本島から離れ、移動に船を使わなければいけない島の居住区がいくつか存在するらしく、大中小合わせて10は超えるそうだ。

 今から行くのはその中で小さい分類に入る島。

 さすがにドーム1個分です…なんて程の小ささではないけど、乗合船から見ても、向かっている場所は大きいとは確かに言えない。


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 島へと到着し、フィアが前を歩く形で目的地に進んでいく。

 ここまで来てなんだが、いったいどんな顔をしてその家族に会えばいい?

 俺が願うのは、赤の他人の家族ではなく、失ってしまった父さんや母さん、秋辰や雪奈、その4人だ。

 これでもし、初対面というのが妥当な相手が家族です…なんて言われたら、俺は速攻で引っ越しの手伝いに戻るつもりだぞ。

 その島は、町というより村に近いように思う。

 本島の方の居住区は、家と家が密集しているというか、とにかく…家がひしめき合っているけど、こっちは1つ1つの家に庭が作れるほどの余裕はあって、俺としてはこちらの方が落ち着く。


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「そう言えば…」

「はい?」

「イクステンツは島国という事よね?」

「そうですね」

「ならその島国を囲う水は何というの?」

 俺の常識で言うなら、海…が正解。

 でも、飲み水や生活用水として使われる水だし、それなら塩水では困るだろう…、あの海独特の臭いというモノがここでは皆無で、試しに舐めてみればやはりそれは普通の水だった。

 それらは、これが海ではないという事を意味している。

「海ですよ」

「あ~…、そう」


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 塩水というか、塩分が無くても「海」なのか。

「フェリさん、ここの風景に見覚えとか…、ありますか?」

「・・・残念ながら」

「そう…ですか」

 周囲の風景を見ても見覚えなんてあるはずはない。

 でも何だろうか。

 胸の所といえばいいのか、その辺が妙に温かいというか…、ここを歩いていると妙に落ち着く。

 それと同時にほんの僅かだけど、船を降りてから妙に締め付けられた感覚もある。

 2つの感情が合わさっているような複雑な気分だ。


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「ご家族に会って、少しでも記憶が戻るといいのですが…」

「・・・」

 今更だが、そういう話が出てくると、嘘をついている事に対して罪悪感が沸いてくる。

 いっその事、話してしまった方が楽かもしれない。

 どうせ夢なら喋った所でなんの問題もないだろうし…、でもどう話せばいいか…、どう話したところで身も蓋もないというか…、余計に心配されるだけだろう、特に頭を。

「ここですね」


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 そして、フィアが一軒の家の前で止まる。

 海岸線にある…こちらも平屋の一軒家、大きさはフィア達の寮と同じくらいの大きさだ。

 あくまで正面から見た感想で、奥行きがどのくらいあるかは計算に入れていない。

 家をしっかりと見た時、左の頬を1滴の涙が流れ落ちるのを感じ、フィアに気付かれる前にそれをふき取る。

 とりあえず、負の感情とでも言えばいいか、嫌になる様な大きな感情の変化はほとんどないし、気分も何ら悪くはない。

 来てみたら家に誰もいない…なんて状態を実は考えてしまっていたが、家の中からは生活音とも呼べる人の気配を感じ取る事が出来た。

 緊張の一瞬というヤツだ。


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 この時…、この瞬間…、その扉の先に何が…誰がいるかで、この「夢の価値」が大きく変わる。

 俺が望んだモノ…、そうでないモノ…、どちらがあるのか…。

 俺は自分から一歩前に出る。

 自分の中で急かすような衝動があった。

 緊張で口の中が乾いていく、僅かに残った唾を飲み込んで、俺は…。

ギィー…。

 扉をノックしようとした。

 しかし、それは叶わない。


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 ノックしようとした扉が先に開かれた。

 扉は建物の中へと開かれて行き、俺の意思とは関係なく、その扉の先を解放する。

 そこに立つのは、綺麗なセミロングの銀髪を後ろで1つに束ねた白い鱗を纏った1人の竜種の女性だ。

「母さん…」

 髪とか、竜種とか、確かに違いはあった。

 でもそこにあったのは、俺が生まれて初めて見た時から20年見続けてきた母の顔。

 一瞬だけ、その見知った顔が感情に任せて歪み、涙を流しながら、彼女は俺を抱きしめる。


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 その瞬間、思考と言えるモノ、考えていたモノ、全てが頭から消え去り、何かがプツンッと切れた音がした。

 自分の自我を保っていた何か…、自分でも気づかない内に緊張とか恐怖とか、それら全てが壊されていったのだろう。

 この人が、ただ母さんに似た誰か…、そんな事は微塵も思わなかった。

 ・・・思えなかった。

 涙がどんどんと溢れてくる。

 止めようがない…、止める術がない…。

 確かに…、母さんは銀色の髪なんてしていないし、当然竜種じゃない。

 でも今の俺には、そんな事は些細なズレでしかなかった。


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 抱きしめられた時、彼女から感じたのは20年の間、母さんから感じていた温もりだ。

 母さんとの思い出が頭の中でフラッシュバックする。

 どう言葉で表せばいいのかわからないけれど、俺の頭が、心が、母さんだと完全に認識している。

 俺にはそれだけで十分だった。

「お帰り、フェリス」

「ただい…ま。母さん…」

 何の前触れもなく消えて居なくなった人が居る…。

 今の「俺」は…、「私」は…、この時、この夢の中で生きている間はフェリス…、フェリス・リータだ。

 母さんの私を呼ぶ名前を、この体が…頭が、すんなりと受け入れた。


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 私のように、きっと母さんにも、髪や種族のように夢の中専用の名前がある…。

 これを違う見方をするなら、心機一転…、新しい場所で、新しい容姿で、新しい名前で、新しいモノ尽くしで、新しいスタートをきるのだ。

 この瞬間、この夢は、私にとっての「もう1つの現実」になった…。


 ここには私の求めていたモノ…、手放したくなかったモノが全てあるような…そんな錯覚すら覚える。

「姉ちゃーん!」

   「にぃーにぃー」


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 母さんが名残惜しそうに私から離れた時、家の方から木霊するのは、男の子と女の子と歓喜の声。

 そして家から飛び出してきたのは、白い鱗を持った竜種の子供2人、黒髪の男の子と灰色の髪をした女の子。

 私の腹目掛けて、2人して飛び込んでくる威力はどこか懐かしい。

「イダッ!」

 だがしかし、1人ならいざ知らず、2人を受け止めきるには私では役不足だった。

 盛大に後ろへと倒れて、背中を強打する。

「元気してたか!」

   「してたかーっ!」


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 このやり取りにすごく懐かしさを覚える。

 この秋辰も雪奈も、やる事に変わりはない様だ。

「だ、大丈夫ですか!?」

「ええ、なんとか」

 慌てて倒れた私に駆け寄るフィア。

 まぁ慌てるのも無理はない…か。

 これでまた記憶が無くなったら~なんて、そんな事を考えているに違いない。

「「リルユ」、にぃにじゃなくて、ねぇねだから、にぃにじゃ姉ちゃんが男になっちゃうでしょ」

 瞳に溜まる涙を拭きながら、母さんが笑いながら雪奈の間違いを指摘する。

 そうか、雪奈はこっちだとリルユって名前なのか。


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「・・・ッ!」

 雪奈の名前を頭に刻みこんでいる時、自分の胸に伝わる違和感。

「アタッ!」

 その元凶に対して、とっさに頭へげんこつを入れてしまった。

「おっぱい、もむと大きくなるって聞いたからやってやったのに~…」

「いらん事を覚えなくていいから」

 簡潔に状況を説明するなら、秋辰が抱き着いているどさくさに紛れて胸を揉んできた。

 善し悪しの問題を言うなら、後者だ。

 というか、まさか弟に胸を揉まれる日がこようとは…、正直複雑な気分である。


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『「シユル」ちゃん、楽しそうだねぇ~』

 今度家から出てきたのは父さんだった。

 父さんは竜種であること以外何も変わらない。

「君がフェリスを連れてきてくれた子かな?」

 間の抜けた表情で父さんはフィアに手を差し伸べる。

 まるで、地面に倒れ込む私の姿なんて目に移ってないかのようなマイペースっぷりだ。

「は、はい! はじめまして、リータさん。医療術室で医術士補佐をやっています、フィア・マーセルと言います。よろしくお願いします」

 そう言ってフィアは差し出された手を握る。


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「礼儀正しい。それでこそ軍生だねぇ。「テシル・リータ」だ。今後とも娘を頼むよ」

「はい」

 頼む…ね~。

 確かにフィア達に任せる事は多いけど…。

「つか。いい加減どきなさい」

 倒れたまま父さんとフィアのやり取りを見ているのは、どうにも締まらない。

「えぇ~っ!」

   「えぇーー」

「駄々をこねない」


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 私から離れようとしない弟妹2人、どけようにもがっしりとしがみ付いて取れそうになかった。

「無駄な抵抗はやめなさい」

 しょうがないから、2人を抱くように掴んで無理やり体を起こす。

 正直、現実と比べて尻尾とかが分…妙に重い。

「わぁ~っ!」

   「わぁーー」

「フェリさん、元気になりましたね」

 そんな子供達とのやり取りを見て、フィアは胸を撫で下ろすように安堵した。

「そう…かもしれない」


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 見られていた事が少々照れくさい。

「ふふ」

 涙の次は笑みがこぼれた。

 何もかもが愛おしい。

 私は立ち上がって、この瞬間…一番言いたかった事を口にする。


「おかえり…」


 フィアを含めて、そこにいる皆がきょとんとした顔をしているけれど、そんな事はどうでもいい。


---[71]---


「姉ちゃんが帰ってきたのに、何言ってんだよ」

   「だよ~」

「うるさい。言いたくなったから言ったの」

 それは気恥ずかしさから…。

 私は弟と妹を2人まとめて抱きしめる。

 こっちからしたら、急にいなくなったのはそっちの方だ。

 あんな別れは勘弁してほしい…。

 だから…、あんな別れ方をしたいようできる事をする。

 願ったモノはこれで全部だ。

 絶対に手放したくない…、絶対に…。


 もし、また私から奪おうとする強い力が働くというのなら、その全てを払い除けてやる。


---[72]---


 今の私はフェリス・リータだ。

 何もできず、現実を受け入れる事しかできない、泣き寝入りするしかない無力な向寺夏喜ではない。

 力が足りないというなら鍛え上げよう。

 戦争が大切なモノを奪うというのなら、戦争なんて私が止めてやる。

 今日は新しいスタートラインであり、誓いの時だ。


 そしてもう一度言おう…、取り戻した大切なモノに…。


 おかえり…と。


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