第三章…「フェリス。【2】」


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 何かをされたという感覚は全く無いんだけど、自分のために何かを終わらせたという事に、反射的にお礼を言ってしまう。

 俺はさっきまでたんこぶがあった場所を触る。

 終わったというフィアの言葉を裏付けるように、確かにあのたんこぶは、跡形もなくなくなっていた。

 でも、そこに安心感も驚きもない、フィア達が当たり前のようにしている事を考えるに、この現象に関しては、俺…フェリスにとってはきっと当たり前の事なのだろう。

 感覚的に状況を飲み込んでいく事に恐怖を覚えないわけではないが、なんかすごい納得感があるからあまり尾を引かない。

 なにそれ怖い…からの、まぁいいか…みたいな、とにかく頭で良し悪しを感じ取ってしまっている。


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「まぁこれで怪我とか完治かな~」

 パラパラとエルンが紙をさら読みしていく。

「最後の1つは余計なケガでしたけどね」

 そんな彼女に、フィアは呆れた表情を見せた。

「だって、あの程度の攻撃ぐらい避けれると思ってたし」

「何日も意識もなく寝たきりだったのですから、体が思うように動かないですよ、ね~?」

 そう言って、フィアは俺の肩に手を置いて、横から顔を覗き込んでくる。

 正直、そんなことを言われても身に覚えがないから、全く反応できない。

 意識がなかったのなら記憶にないのは当然だが、そもそもさっき風呂場のような場所で目覚める以前の事は知るわけがない。


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 記憶に無いが、何かあった気がするというモヤモヤとした感じだけは、頭に残っている。

「何かあったのかな?」

 とりあえず、少しでも会話に乗れるように、何があったのかを聞いてみる。

 そして2人は驚きつつ顔を見せ合わせた。

 正面にいるエルンの表情は明らかに、まずそうというか、困ったような顔をしている。

「あ~…。フェリス君は、名前以外に何か覚えている事はあるかな?」

「と、言いますと?」

「ん~、じゃあこれは」

 エルンは持っていた紙を指さす。


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「紙」

「君が今座っているモノ?」

「椅子」

「君の所属していた部隊は?」

ふるふる…。

「出身地は」

「日本」

「・・・私とフィアは「人種」、君は何種?」

ふるふる…。

 わかる範囲で質問に答えていくものの、それにも限界はあった。


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 答えた所で、それが正解かは当然別問題だし。

 そもそも「俺」の出身地と「フェリス」の出身地は、明らかに違うだろと思う。

 今いる建物の構造というか外観からして、俺の当たり前…とは違うし、この部屋に置かれているモノも現代とは掛け離れている。

 何に近いといえば、ファンタジー系映画に出てくる書庫のような雰囲気が一番近いだろう。

 その後もいくつか聞かれたが、身の回りの文房具等は知っている範囲で答えられるものの、身の回り等の国…歴史…文化…、そういったものは当然答える事が出来なかった。

 フェリスという名前をパッと答える事が出来たように、全ての事に関して同じように答える事が出来たならありがたかったのだが、そうならないせいで回答は穴だらけだ。


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「フィア…。今日はもう終わりにしよう…」

 質問が途切れた後、しばらく考えるそぶりを見せていたエルンは、優しい微笑みを浮かべてから、あの布団の山へと戻っていった。

「エルンさん、ダメですよ!」

 フィアは、布団の山の真ん中辺りに潜り込もうとしているエルンの足を掴んで引き留める。

「嫌だ! こんな状態の患者を診たくない! 無理、記憶なんて専門外だもの! 何があっても責任なんて…」

「ダメ…、ダメです~…」

 意地でも布団の中に逃げ込もうとするエルンに、それを何が何でも止めようとするフィア、そして完全に蚊帳の外状態の俺。

 大事な事ではあるけど、俺にはどうしようもない。


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「どういうことよ…記憶が無いって…。そんなの専門外だって~…。これ以上首を突っ込みたくない~…」

 とりあえず、俺として答えた事が試験だったなら、反応からして赤点は必至だろう。

 勝手に口が動くように反射的に話せる事…、知らない情報を話す事が出来るのは、ほとんどないという事もわかった。

 基本的にフェリスという女性の記憶で動くのではなく、俺としてこの場にいる。

 紙、椅子、机、日常系の道具に関しては、俺が知っているものと大差ないらしいけど、問題は身の回りの事、つまりフェリスとしての自分の知識、それは名前を除いて皆無といっていい程に存在しない。

 それが一種の記憶喪失と…エルン達には捉えられているらしい。

 それも当然といえば当然だろう。


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 さっき強く頭を打ったようだし、そういう事にしておいた方がこの場では楽というものだが。

 といっても、あくまで夢の世界、次に俺が目を覚ませば消える世界だ。

 ここで、あ~だこ~だと言ってもしょうがない。

 好き勝手やっても罰は当たらないさ。

「あの…」

「な、なんですか?」

「むぎゃ…」

 俺が声をかけると困ったような顔をしながらフィアが俺の方に向き直り、その拍子に掴んでいた足を離したせいで、エルンは勢いよく布団へと突っ込んでいった。


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「思い出せないのは仕方ないし、とりあえず落ち着いて」

「リータさんは落ち着き過ぎかと…」

 ある意味自分の事ではあるけど他人事、フィアは私との空気の低さに苦笑いを浮かべる。

「だって、ないものはない、そうでしょ?」

「そ、そうですけど。でも、エルンさんのせいで…」

「え!? そこ私のせいになってるの!」

「そこもどうでもいいわ。自分の身の回りの事に関しては追って説明してくれればいい。とりあえず、自分よりも、あなたたちが落ち着くことが先決じゃない? 時間を置きましょ」

「・・・」

 わずかな沈黙が辺りを包む。


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 口をポカンと開けたままなエルン、次第にさっきまでの雰囲気を取り戻し、勢いよく立ち上がる。

「そうね! まずは、落ち着こう、うん、そうしよう! という事で…お休み!」

「え! ちょ…ッ!」

 そう言ってフィアの制止が入るよりも早く、彼女は布団の中に潜っていく。

 それを見届けてから、俺は近くの木の窓を開けてみる。

 さっきからエルンが眠い眠いと言うものだから、この瞬間の時間が妙に気になっていたのだ。

 部屋は、電球とかとは違う…なんかよくわからない物で照らされているけれど、かといって部屋のどこを見ても時計らしきものはない。

 だから窓を開けて外の状況を確認したかった。


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 月明りでうっすらと照らされる外の風景、正直ほとんど見えないと言っていい。

 とりあえず月が空の天辺まで来た状態で、夜は更け、周辺は完全に寝静まった状態、水辺が近くにあるのか、水の流れを感じる音が子供を眠りに誘う子守歌のように辺りに満ちていた。

 こんな時間なら眠いのも当然かもしれない。

「マーセルって言ったっけ? あなたも他にやる事があるなら仕方ないけれど、自分を診る以外にやる事が無いのなら寝てくれて構わないわ」

「いいえ。ダメです」

 山になった布団を引っぺがそうとするのをやめて、フィアはこちらに向き直る。

「もちろん、ケガとかは治し終りましたが、記憶等完全な状態ではないリータさんを置いて休む事は出来ません」


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「そう? でも寝不足は体に毒よ。自分も寝かせてもらうから、そんなに気を張らなくていい」

「では、私も部屋に帰らず、ここで休ませていただきます。リータさんに何かあった時のため、すぐ対処できるように」

 生真面目というかなんというのか、この部屋の主らしいエルンと違って、フェリスの治療に、真剣に取り組んでいるらしい。

 いや、エルンも真剣にやっていないわけじゃないと思う。

 恐らく素がああいうモノなのだろうな。

 さっきの口ぶりから専門内の問題だったら、布団に引き籠るような行動をとらなかっただろう。


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 でも素があれだから、反面教師のようにフィアの方が真面目になっていった感じか。

 この2人の関係がどういうものか、詳しくは知らないけど。

「あなたがそれでいいなら構わないけれど…」

 冷たい風が入ってくる木窓を閉めて、俺は元いたベッドに入る。

 夢の中の住人の体を気遣うというのも不思議な気分だ。

「では、私はすぐ横で休んでいますので、もし体に異常を感じたら、容赦なく起こしてくださいね」

 彼女は、布団の山から1セット分奪い取って、俺が使っているベッドの横に敷く。

 改めて見ると、布団というよりマットというか、そういうものに近い。

 まぁ似たようなものだから布団という事にしておくが。


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「では、明かりも消します。ゆっくり休んで下さいね」

 フィアがドアの横にある部屋を照らしている何か、光る石のようなものに手を当てる。

 それから少しして、部屋を明るくしていた光のほとんどが消えていった。

 手を当てていた方はわずかに光る程度で、その状態になってからフィアは敷いた布団の中に入っていく。

「では、お休みなさい」

「え、ええ、お休み」

 全くもってどういう仕組みかわからない。

 見当たらない蛍光灯とか、電球とか、そういうものの代わりに、天井なり、壁なりに取り付けられているのは発光する石のような何か。


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 とりあえず、ここでは俺にとっての常識が通用しないことばかり、何とも新鮮で面白い夢だ…。


 夢の中で眠りにつく、見る夢によっては不思議な事ではないが、現実味があり過ぎるからこそ、それを体感できるというのは今までにない体験だ。

 そして眠りにつく。


 今度こそ夢ではない…、俺は自分のベッドの上で目を覚ます。

 時間はいつも起きる時間を少し超えたぐらいで、携帯の目覚ましが延々と鳴り響いていた。

 使い慣れたベッドの上、見慣れ過ぎて飽きた自分の部屋、窓から見える景色は曇った暗い空に、道路越しに見える顔しか知らないご近所さんの家だ。


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 こちらよりも格段に居心地の良い夢の世界は終わってしまったらしい。

「あ~、あ~…」

 簡単に発声をしても聞こえてくるのは、起きたばかりでガラガラとした男のむさ苦しい声だけだ。

 それに昨日の夜に引き続いて体が非常に怠く、風邪を引いているかのように節々が重い。

 夜に比べて幾分かはマシになってはいるが、どうにも本調子には程遠いように思う。



 大学に行くために家を出て、体調不良だと病院で一応の風邪薬をもらい、今は昼食タイムで、数少なくなった友人たちと学校の食堂に来ていた。


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「・・・という夢を見たんだ」

 特に話題も無く、男3人で蕎麦なり、うどんなり、中華そばなりを啜るのに嫌気がさして、俺は昨晩見た夢を友人たちに話してみる。

 夢だから、うろ覚えで曖昧な話になるかもしれないと思ったけれど、そんな心配は無用で、夢を語るというより自分の体験談…つまり記憶を話すようにスラスラと夢の内容が言葉になって出てきた。

「ふ~ん…。キモいな」

「ああ、キモい」

「無表情でそういう事言うなや。結構傷つく」

ズルズル…。


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 まぁ普通の反応をするなら友人達のそれは間違ったものではない。

「男が異性になる夢を見るのは自信がなかったり弱っていたりする時、精神的に弱腰になっている時らしい。嘘か本当か、そんな話を聞いた事がある。今のお前なら、ある意味では当然というやつだ」

「おぉ、それ聞いた事ある」

 言われているように、そりゃあ負のどん底にいるのは否定できない。

「まぁそんな暗い話は置いといて…。真面目な話をするなら、俺はエルンが良い」

「僕はフィアちゃんかな」

「・・・」

「だらしない女性、自分のやりたい事に一生懸命で回りが見えなくなる時に支えてあげたい衝動に襲われるのがたまらない」


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「小さい体に有り余る行動力、実に良いね。そんな子の母性を見せつけられては勝てる者なし」

「俺は、お前らが何を言っているのか理解したくないよ」

 何故か握手しあっている2人を横目に、残っていた昼食を食べきる。

「何より、胸だら」

「何より、金髪少女ら」

「あっそ…」

 自分が話を振っておいてなんだが、その会話に入れる気がしない。

 あの2人をそういう目で見る気になれないのもあるが、何より頭がぼ~っとするというか、考えがうまくまとまらなかった。


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 俺はカバンから病院でもらった薬を取り出して摂取する。

「風邪か?」

「そういや、朝、体調悪いって言ってたね。大丈夫?」

「お前らの話を聞ける程度には大丈夫だよ。まぁ次の講義まで時間あるから医務室で休憩しようとは思ってるけど」

「なら、食器類は俺達が返しておこう。お前はゆっくり休め」

「そうそう。まぁ昼食をきっちり取れるだけの食欲はあるんだ。ゆっくり休んでさっさと治し~な」

「そうか? わりぃな」

 俺は横に置いた松葉杖を取って立ち上がる。


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「長い付き合いだろ。気にすんな」

「そうだよ。申し訳ないと思うなら、昨日見た夢の続きでも見て、フィアちゃんの情報をちょうだい。妄想の情報プリーズ」

「お前も大概にキモイな」

「俺もそう思う」

「アレ、まさかの裏切り!」

 3人で笑う、これも幸せな時間の1つか。

 俺は2人を残して学食を後にする。

 昨晩見た夢をまた見るというのも、ずいぶん無理難題を言うものだ。

 あそこまでリアルで、自分の足で立って歩く事の出来る夢ならば願ったり叶ったりで、あそこでは女になっている事も気にならない程に充実した世界だ。


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「おや、サボりかな?」

 医務室の扉をノックして入った時、中にいる初老の男性医師は営業スマイルを振りまきつつ首を傾げる。

「いえ、風邪気味なんで次の講義までの間ここで寝かせてもらおうかと…」

「ああ、そうだったか。つまらない冗談を言ってしまって悪かったね。ベッドの方は全部開いているから好きな場所を使ってくれて構わない。薬とかは飲んだかな?」

「はい」

「それは重畳。ゆっくり休んでおくれ」

 医師が自分の仕事に戻るのを横目で見ながら、俺は荷物を足元にある籠に入れてベッドに横になる。


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 携帯を開き目覚ましのセットもばっちりだ。

 薬の副作用か、軽い眠気に襲われ、時間を潰すのには打って付けの状態に落ちて行く。

「ん…?」

 瞼が重くなって、何度も瞬きを繰り返す。

 そこに既視感を覚えたのは眠りにつく寸前だった。

 瞬きをする度に、見える光景が変わる。

 変わった先にある光景、あの夢の…医療室もとい医療術室のベッドの上のそれだ。

 ああ、昨日風呂で寝てしまった時と一緒だ。

 その事に気付いた時、グラグラと振り回されるような感覚に襲われて、一瞬にして眠気が消え去った。


 それからは瞬きをいくらしようと、見える風景に変化はなかった。


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