第三章…「フェリス。【1】」
「はっ…」
体の怠さのせいか、深い眠りについたような感覚が体に残る。
目を覚ました時、最初に思ったことは「よく眠った」という感想だ。
深い眠りから覚めた時の解放感に、スッキリとした充実感が俺を包み込む。
「・・・」
しかし、そんな良い目覚めを迎えた俺の頭の上には「?」マークが浮かぶのだった。
何度も目をぱちくりと瞬かせても、その視界に入ってくるのは見知らぬ天井だ。
あとは…なんだ。
清潔そうな白いシーツのベッド、当然俺の普段使用しているものは、そんな清潔感が溢れてはいない。
---[01]---
そこに仰向けになって俺は寝ているわけだが、妙に腰付近に違和感を覚える。
俺はその原因を確かめようとゆっくりと体を起こした。
「イタッ…」
それと同時に後頭部に激痛が走り、思わず手で痛みが走る箇所を押さえる。
見事に膨れ上がったたんこぶが、そこには出来上がっていた。
そして触っていて指に伝わる感触は鈍く、髪越しに頭に伝わる指の感触が、俺の知るそれとは違った。
まさか…と恐る恐る自分の手を見る。
さっき風呂場で見た夢の時と同じ、鋭い爪に甲殻と鱗のついた指、白い肌、たわわに実った胸、普段の俺とは比べ物にならない長さの灰色の髪。
---[02]---
「いや…。これは夢…。そう、夢だ…」
すぐに風呂を出て布団に潜ったせいで、夢の続きを見ているに違いない。
あの夢と同じならば、そんな理由付けができるはずだ。
腰付近の違和感を確認するという当初の目的を忘れて、ベッドからゆっくりと足を下す。
すでに足をベッドの外に出す行動の時点でわかってはいる。
胸が躍り、期待で顔がニヤけた。
石畳の床に足をつけて自分の体重を預ける。
一瞬ふら付きはしたが、今俺は2本の足で、松葉杖とか壁に取り付けた手すりとか、そういった助け舟を使わず、数か月ぶりに俺は俺自身の足だけで立っていた。
---[03]---
これが夢でも構わない。
自分の足で立っているという事が大事だから。
何度も足踏みをして、この懐かしい感触を確かめる。
「おっと…」
調子に乗っていたせいで、体勢を崩して後ろに倒れそうになるが、なぜかベッドに倒れこむ事なく、椅子に腰かけたような状態になる。
もちろん空気椅子なんてしていないし、そもそも後ろへ倒れそうな状態から、空気椅子をするなんてできる人間がいるとは思えない。
俺はそんな状態になっている原因を見る。
そこにあったのは一言で言えは「尻尾」だ。
---[04]---
鱗があり、甲殻があってなかなか刺々してて…。
ベッドに手をついて自分の体を支えているかのように、腰とお尻の間ぐらいから生えた白い尻尾が、倒れそうになった俺の体を支えていた。
「ほう」
俺は自分の足でしっかりと立った後、その生えている尻尾を確認する。
本来、人間にない部位であるために、こうして見ると新鮮だ。
自分の四肢を動かすのと同じように、動かそうとすれば自在に動く尻尾。
指のモノもそうだが、狩りをするゲームに出てきたドラゴンが、こんな雰囲気の尻尾とかでデザインされていた気がする。
それにしても鱗と鱗の間とか、1つ1つの鱗のリアルさとか、甲殻の質感とか、まるで現実にそういうものを見ているようで、「夢を見ているとは思えない」細かさだ。
---[05]---
夢は、俺の場合、今までならどんな夢でも、それが一人称の夢でも三人称の夢でも、他人事のような感覚で見るものだった。
どんなに自由自在に体を動かし、その中でその体は俺のモノだと主張しても、全くもって実感がわかなかったのが今までの夢。
当然だ、どんな夢もあくまで過去に経験した事の追憶に過ぎない。
ただの記憶という映像の産物、自由に動かせるのは想像の産物だ。
それらの経験をぶち抜いて、今回の夢は、全てにおいて現実と大差ない感覚を俺に与えてくる。
それがこの夢を「夢とは思えない現実味を帯びた夢」と称する理由だ。
これを何が何でも夢と言い張る理由は、どんなに現実味を帯びていても、全てにおいて説明がつかないからだ。
---[06]---
眠るように意識がなくなって、目が覚めれば女になっているなんてどう説明しろと…。
それだけで夢だと言い張る理由は十分だ。
そもそも現実だと証明するモノもないし…。
「目が覚めたみたいですね」
状況を整理するのと同時に、自分から生えた尻尾をまじまじと観察している時、自分の左側にある扉が開き、背の低い女の子が入ってきた。
手には水の入った桶にハンカチのような白い布。
開いたドアから見えるその先は、さっき見ていた夢の風呂場のような場所だ。
それはこの夢がさっきと同じ場所だという事を意味している。
---[07]---
「え、ええ」
とりあえず俺は尻尾の観察をやめて、女の子の方に体を向ける。
金髪のショートで、後ろの首元の髪を1つにまとめた髪型、グレーの目、今の俺とは頭1つ分ぐらい低い身長、俺とは違って尻尾とかはなく、見た目は普通の人間の女の子だ。
白と黒を基調とした服で、つなぎのように上下が一体になっている、袖は半袖程に短く、丈はショートパンツ程の長さ、そんな服を着ている。
さっき俺に何かを投げつけてきた女性とも違う。
髪型も、身長も、何より小さい。
服装は似ているように見えるが、その女性自体がかなり崩した着方をしていたせいで一緒か判断できない。
---[08]---
完全な新キャラに、俺はどう反応していいかわからず困惑する。
「体の具合はいかかですか?」
「具合?」
俺は言われるがまま、体に異常がないかを見ていく。
腕や足を上げたり下げたり、上半身を捻って腰回りに違和感がないかを確認したり…。
そういえば、さっきの夢の時は水に浸かっていたから、当然裸だったわけだが今はワンピースのような白い服を着ている。
サイズは…、誰でも着られるようにしているのか結構ブカブカで、何より股付近がスースーするのは何も穿いていないからだろう。
尻尾を服のそれ用の穴から出すぐらいなら、下着でも穿かせておいてもくれてもいいだろうに。
---[09]---
いや、ここがどういう場所からわからないし、一応ここでは女である俺がそんな事を任せては貞操に関わるかもしれない、そう考えればこの状態でもいいかもしれないが、それ自体が考え過ぎな気もする。
「あの…」
「え? ああ、問題ない。後頭部のたんこぶを除けば、他は何ともないわ」
・・・。
「どうかしました?」
「いや、何でもない、何でもないわ。気にしないで」
体が女性なら声も高くなる。
そこまではいい。
---[10]---
でも何故だろうか。
いつも通りに喋っているつもりなのに、その口調はいつものそれとは違う。
「そうですか? じゃあここに座ってください」
そして差し出される木の椅子。
「え、ええ」
ここは現実ではなく、向寺夏喜という俺は存在しない、口調ぐらい変わるだろうさ。
疑問は残るが、とりあえず物事をポジティブに考えていこう。
俺は女の子の指示に従って椅子に座る。
---[11]---
「じゃあ、ちょっと失礼しますね」
そう言って、俺の後ろに回り込んだ女の子は、後頭部のたんこぶを触る。
「イタッ…」
「あ、ごめんなさい。でもちょっと我慢してください」
女の子は、布を桶の水で濡らしてから、たんこぶに押し当てる。
最初はひんやりとした気持ちよさが伝わり、その後にじわじわと布が当たっている部分が温かくなっていく。
「あれ…ない…、どこですか~?」
そこにたんこぶがある事を忘れそうになっている時、今度は後ろの方でごそごそと何かを探しているような音が聞こえてくる。
---[12]---
これは俺の予想でしかないが、この部屋は恐らくこの女の子の部屋ではない。
この場所がさっきの夢と同じ場所なら、この部屋の主はその時に出てきたあの女性の方だろう。
女の子が何かを探しているのなら、それだけでその探し物が見つからないのも、なんとなくわかる。
そもそもこの部屋の住人でなければ、探しモノなんてそうそう見つかるものじゃない。
理由はこの部屋が、超が付くほどに散らかっているからだ。
ゴミ屋敷ではなく、散らかった部屋だ。
そんな部屋でも人が通る場所はあるが…。
---[13]---
しかしその両サイドには、よくわからないものがいろいろと積みあがっている。
まぁ、積みあがっているといっても一番高いもので俺の腰ぐらいだが。
例えるなら散らかった体育倉庫のような部屋だ。
音の方向から言って、女の子が何かを捜索している場所にはテーブルがあったはず、そこには筆記用具やら、本やら、何かの器具やらが散乱していた気がする。
あれでは見つかるものも見つかるまい。
「大丈夫?」
探しモノがなかなか見つからないようで、俺は女の子に問いかける。
「はい、大丈夫ですよ。ちょっと頭の押さえていてもらえます?」
俺の手を取って、たんこぶに当てていた布を押さえるように促される。
---[14]---
片手だけで、探すのが大変になった証拠だ。
「何か手伝おうか?」
「いえ、大丈夫です。ちょっと待っていてください」
そういって女の子はその場を離れる。
この部屋は長方形の形をしている。
その長方形を縦に置いた場合、俺が寝ていたベッドは下側にあり、この部屋にはまだベッドをいくつか置くだけの余裕はある、散らかっていなければ。
女の子はそんな長方形の部屋の上の方へ向かった。
「「エルン」さん。「パロトーネ」がどこにもないんですけど~。起きていますか~?」
---[15]---
そこには何かがいくつも積み重なっている場所があり、それは畳まれた布団を積み上げただけの山のようだ。
女の子はそれに話しかけた。
『…起きてない…です…』
そんなところに人がいるとは思えなかったが、どうやらいるようで女の子の言葉に、寝起きのかすれた声が返ってきた。
恐らく女性だ。
しかし、その女性が誰かは知らないけど、そんな言い訳聞いた事が無い、秋辰だってもう少しまともな言い訳をするぞ。
居留守を決め込んでいる時に、自分から返事をしてしまう程に滑稽だ。
---[16]---
「起きてなきゃ返事もできないじゃないですか」
『違います…。これは…、寝言…です…』
「そんな都合のいい寝言なんて言えるわけがないです。起きてください」
『・・・』
完全に沈黙した。
このまま黙っておけばと押し切れるとでも思っているのか、それとも次の言い訳を考えているのか…。
そんな状況に女の子はため息をつく。
それはそうだ。
目的はわからないけれど、目的の相手があんなくだらない抵抗をしてくれば、誰だって呆れるし、面倒だなと思うだろう。
---[17]---
「あなたがやらないからフィーがやっているのに。あまりわがままを言うようなら、「ゲイン」大隊長に報告しますよ?」
女の子は腰に手を当てて、母親が子供を叱るように言う。
そしてわずかな沈黙。
報告するというのが、エルンという女性に対してどれだけの決定打になるかはわからない。
でも、この状況でわざわざ言ったのなら、それだけの意味…力があるのだろう。
『・・・。わかったよ…、起きる…』
数秒間の沈黙が再び訪れ、その言葉が返ってくるのと同時に、布団の山の中腹から、にょきっと手が出てきた。
---[18]---
それに続いて、頭、上半身、腰と順番に布団の山から這い出て、そのまま地面に落ちる。
「・・・で、なんだっけ」
布団の山から出てきたのは女性、青みがかった黒髪のポニーテールで、女の子と同じ服を着ているようだが、かなり着崩れした状態だ。
「パロトーネが見当たらなくて」
「パロト~ネ~? ・・・、あ~」
大きく欠伸をしながら、女性は何かに気付いたようにポケットからチョークのような白い棒取り出す。
「作っといたはいいけど、睡魔に負けてそのまんま寝ちゃった…はい」
---[19]---
そう言って目を擦りながら女の子にパロトーネと呼ばれる棒を渡す。
「あ…」
完全に蚊帳の外だった俺だが、1つ分かった事がある。
女の子がエルンと呼び、布団の山から這い出て来た女性、それはまさしくこのたんこぶのできた原因の人、いわば犯人だ。
「ああ、君、起きたんだ。調子はどう? さっきは悪かったね」
「いえ、私もうるさかったので」
「そう?」
女性は近くにあった紙を取って、俺の前に椅子を置いて座る。
「まぁ頭も打ったし…、起きたとはいえ意識がちゃんとしているか…確認しよう」
---[20]---
「はい」
「君の名前は?」
「フェリス・リータです」
・・・。
なんだろうか、すごいデジャヴだ。
今、俺は何と言った?
迷う事無く「フェリス・リータ」とそう答えた。
恐らくこの場での俺の名前はそれなのだろ。
知らないはずの名前が、詰まる事無くスッと出てくるのは、何とも不思議な感覚だ。
それよりも、数か月前にやったような事をまたやることが、かなりデジャヴで、あまり良い気がしない。
---[21]---
「どうした? 何か問題でもあるかい? 自分の名前を言っただけで、なにをそんなに驚いたような顔をしている?」
「何でもありません」
「そうかい。ああ、そういえば自己紹介がまだだったか。先に名乗らせる形になって悪いねぇ。私の名前は「エルン・ファルガ」。この医療術室の長だ」
そう言ってエルンと名乗った女性は見せびらかすように両手を広げる。
名前は、後ろの女の子が呼んでいたからなんとなく察していたが、そんな事よりもこの散らかった部屋が医療室だという事に驚く。
「ここ、医療室だったんだ」
「医療術室な。医療室じゃない。あんな戦場で応急処置しかできないような連中と一緒にしないでほしいねぇ~。で、後ろの子が「フィア・マーセル」」
---[22]---
「よろしくです」
「ええ、こちらこそ」
エルンの紹介の後、後ろにいたフィアは俺の横に移動して、視線を合わせるように少し体を傾けてから、よろしくという言葉とともに軽く手を振ってきた。
エルンとは違う可愛らしい仕草に、思わず俺も言葉を返してしまう。
「エルンさん、そろそろいいですか?」
「ん? あ~、そうね。ちゃっちゃとやっちゃって~。私、今も睡魔と激戦中で目を開けてるのもきついから、早く終わらせてどうぞ」
もし、2度目があるなら、二度とここには治療に来たくないと思わずにいられない、そんな光景だ。
「もう…。じゃあやりますね」
---[23]---
「やるって何を?…」
自分の後頭部には大きなたんこぶ、それを治療するとでもいうのだろうか。
それか別の何かを?
とりあえず、何も知らずに体を任すのが今更だけど何か怖い。
「しっかり前を向いて、指一本動かさずにビシッと止まっておいた方がいいぞ~」
何をしようとしているのか、それを見ようと後ろを向こうとするも、エルンが制止してくる。
「な、なんで?」
「手元が狂うから。フィアはまだ半人前でね。動くと手元が狂ってひどい事になる」
---[24]---
「・・・」
そんな事をニヤニヤと笑いながら言われると怖い。
「ひどい言われよう。これでも頑張っているのですけど。あ、もう押さえなくてもいいですよ。両手は膝の上にでも置いておいてください。」
言われるがまま、布でたんこぶを押さえるのをやめる。
濡れてから外気に触れた事で、今まで温かささえ感じていたたんこぶがあるであろう場所、そこにスースーと少しの寒さを感じる中、背筋を伸ばし、足を揃え、膝付近に手を置く。
その様は、これから面接をする学生のようだ。
「くくくっ…」
俺の前で笑いを堪えているエルンがすごく腹立たしい。
余計な事を言われなければこんなに固まる事はなかったのに。
---[25]---
聞いたのは自分だけど。
「では…」
後ろで深呼吸をする音と共に、たんこぶ付近でほのかな温かさを感じるようになる。
それから数秒間、たんこぶ付近には何の接触もない。
心を決めて、さぁ来い…と意気込んだものの、そこから何もないと逆にいつ来るかわからず怖さが増していく。
せっかくの意気込みもなりを潜める形になってしまう。
「はい。終わりましたよ」
「ありがと」
次に聞こえてきたフィアの言葉に正直驚いた。
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