第一章…「いらない世界。【2】」
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凝り固まった体を解しながら、部屋を出る俺に連れて出てくる2人は、まるで親鴨に付いてくる子鴨そのものだ。
「遅いわよ!」
体が素直に食事を取れと空腹を訴えてきている中、朝食を食べようとリビングに来たわけだが、そこには仁王立ちをして満面の笑みを浮かべる母がいた。
母さんが遅いと言うので、俺は壁に掛けられて時計を見る。
時間が9時を回ったところで、確かに遅いと言ってしまえばそうなのかもしれないが、休日の朝という事を考慮すれば、別段遅いという程でもない様に思える。
むしろ驚く場所は俺自身の睡眠時間だ。
秋辰と雪奈を寝かしつけたのが21時頃だった事を考えると、1日24時間であるこの世界、睡眠だけで1日の半分を使った事になる。
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いくらなんでも寝過ぎというものだ。
「全身痛いし、寝疲れしたわ。母さんは朝から元気だな」
意識が覚醒したと言っても、この勢いに乗る程にはテンションが上がらない。
「元気なのは私の利点の1つだからね。じゃあ夏喜も起きた事だし、出発しましょうか」
「出発って…。朝飯ぐらい食わせてくれよ」
「そんなもの車の中で食べなさいな」
そう言って母さんは、テーブルの上に置かれた数個の弁当箱を俺に見せつけた。
大人用のモノが1つ、子供用が2つ。
どうやら母さんは本気で言っているらしい。
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「はぁ…。じゃあ着替えてくるからちょっと待っててくれ」
こうなっては俺に決定権は無いに等しい。
朝食ぐらいゆっくり食べたいとは思うが、別に車の中で食べても同じだというのは同意見だ。
それからは急ぐでもなく、母さんが決めた俺の誕生日を祝う会のスケジュール通りに事は進められた。
午前中は映画を見に行き、昼食、その後はアスレチックが多くある公園で秋辰と雪奈と遊んで…。
俺の誕生日会と言うよりも、弟妹の遊びに行きたいという鬱憤を晴らすためのイベントと言ってもいいかもしれない。
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しかし、もともと自分の誕生日というものに対して、そこまで思い入れも無かったためか、このイベント自体には不満はなかった。
秋辰と雪奈が事あるごとに何かをしでかしてくれるし、飽きる事は無い。
2人もいずれ大人になり、お転婆な姿を見られなくなると思うと寂しくはあるが、それ以上に楽しみだ。
何かをやらかす妹と弟がいて、その場を提供するがごとくイベントを催す母がいて、それに一緒に巻き込まれる父という仲間がいて、この家族っていう小さな俺の世界が無くならずにいつまでもあり続けてほしい。
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俺はそう思っていた。
幸せな1日を過ごし、その最後の締めで美味い夕食を食べに行く時、その事件は起きた。
目的地に向かって国道を走っていた時だ。
出発時は既に日が傾き、目的地に近づいた頃にはその日は沈んで、周囲を暗く所々にある街灯がより目立ち始めていた。
遊んで疲れている秋辰たちは、夕飯を食べる前に車の中で船をこぎ始めている。
秋辰に関しては寝相等の問題で邪魔だと言わんばかりに付けていたシートベルトを外す始末。
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3人座れる後部座席、真ん中に雪奈を座らせているため、自分がシートベルトをしている状態では、秋辰のシートベルトを付け直すのが難しい。
その時はいつもの癖で、俺は自分の付けていたシートベルトを外し、秋辰が外してしまっていたシートベルトを付け直した。
それが分岐点…。
シートベルトは、事故の時に搭乗者の身の安全を確保するモノだけれど、あの瞬間だけは、生きようとする人を死の世界へと連れていく鎖にも見えた。
その瞬間からは俺の意識はブツ切りで、周辺の灯りで星の見えない空、火のついた車、人の声、雪奈の鳴き声、全てが断片的だった。
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自分が何かしようとした事さえも朧気で、次に目を覚ました時、そこは白い壁に白い天上、すぐ隣にある窓の先は暗くて何も見えない、自分の腕には点滴の針が刺さり、骨折したであろう右腕には固定用のギブス、全身に包帯が巻かれて、状況が理解できない俺をさらに追い詰めた。
さっきまで、俺は父さんの運転する車の後部座席に座っていたのに、此処はどう見ても車の中じゃない。
さっきまで家族と一緒だったのに、この場には俺以外誰もいない。
体を動かそうとすれば節々が痛み顔を歪める羽目になる。
そんな時、この白い空間に入ってきたのは、白い服を着た中年の女性だ。
俺の顔を見るなり驚いた顔で部屋から出て行った。
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「や~や~、体の調子はどうだい?」
あの後、俺がどうにか動こうとしていた時に部屋に入ってきたのは、初老で中肉の男性、その後ろには先ほどの女性もいた。
「ちょうし…。わからない。ぜんしんが…すこしうごかすだけで…いたむし…、それに…。どんなにがんばっても…「みぎあし」が…「うごかない」…。ここは…どこですか…、とうさんは…、かあさんは…、あきたつは…。そうだ…。ゆきながないてた…。いたいって…、あついって…、ないてた…、いってやらないと…おれが…」
男性に質問された時、自分でも何を言っているのかわからなくなるほどに、無意識に言葉が流れ出てきた。
体の調子はどうか?
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そんなものは自分の体なのだからわかるさ。
原因はどうであれ、結果が今の俺の体だ。
右腕はガチガチに固められて動かせないし、右足に至っては何もされていないのに動かす事もできない。
だが、今の俺にはそんな事どうでもいい。
聞きたい事を、わからない事を…。
記憶の整理も、自分で考える事もせずに聞きたい事を全て吐き出して、突然現れた目の前の男性にぶちまけた。
教えてくれと、俺の調子なんかよりも、俺が知りたい事を教えてくれと…。
体の痛みなんてどうでもいい。
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痛いという体の警鐘を振り切って、いつの間にか俺は目の前に現れた男性に掴みかかっていた。
男性は驚いた表情を見せつつも、慌てる事無く冷静に対処していた。
「はいはい…。落ち着いてねぇ。でないと話もろくにできなくなっちゃうから。順番は大事だよ。順番は」
体を男性と後ろにいた女性に押さえつけられて、それでも無理して動かそうとするものだから、余計体に激しい痛みが走った。
その痛みをようやく頭が理解して、本能の赴くままに動いていた体を鎮める。
「落ち着いたかね?」
「・・・」
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何も言えない。
さっきまで本能の赴くままに感情をぶちまけていた状態と違って、改められて聞きたい事を聞こうとしても、何から聞けばいいかわからない。
「まぁ、そうだねぇ。君も混乱しているだろうし、さっきも言ったように順番にやっていこう。こちらから質問をしていくから、わかる範囲で答えてね」
「・・・はい」
男性は女性から、何か紙を受け取り、近くのパイプ椅子に座る。
「まずは、これ何本に見える?」
そう言って男性は左手で指を3本立てる。
「3本…」
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「ふむ、いいねぇ。ではまず、君の名前は?」「向寺…夏喜…」
「血液型は?」「O(オー)です…」
「君は社会人? それとも学生かな?」「…大学生です…」
「学年は?」「2年…」
「なるほど…。じゃぁ次ね。君の記憶に関してだ。夏喜君は、ここがどこで、なんでここにいるかわかるかな?」
そう言われて、改めて自分のいる部屋をゆっくりとできるだけ体が痛めない様に見渡す。
「病院…ですか…? いる理由は…わかりません…」
「そう。病院だ。じゃあここで目を覚ます前、その最後の記憶を教えてもらえるかな?」
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「最後…? ここじゃない…最後の…」
思い出そうとすると、逆に上手く思い出せない。
昨夜、眠りに落ちる瞬間に何をしていたか、思い出せと言われてもすぐに思い出せないのと同じようなぼんやりとした感覚。
見ていたはずの風景に濃い霧がかかったようにはっきりとしなかった。
そして思い出そうとする度に出てくるのは…、雪奈の顔だ。
転んで痛くて泣く顔、広い場所で迷子になって俺を呼んでいた時の顔。
そして次に出てくるのは、酔いつぶれてふらふらとしている父さんの姿、仕事で疲れてテレビを見ながら、うとうとと船をこぐ姿。
2人の思い出はもっと良い場面、幸せな場面も多いだろうに、今出てくるのはそんな場面ばかり。
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そんな場面が何度も何度も頭の中を過ぎる。
「焦ったりしなくてもいいよ。順番に、順番にだ。その瞬間じゃなくていい。記憶している範囲で最後の日に、何をしたか覚えている範囲で言ってごらん」
「母さんが…俺の誕生日だからって…外出しました」
「そうか。君は誕生日だったんだね。何歳になったのかな?」
「20…です」
「ふむ。じゃあ続きを教えてくれるかな?」
「はい…。外出して…、映画を見て…、それから公園で遊び…ました。その日の最後は美味しいご飯を食べようって…、母さんが予約した店に行こうとして…。それで…、それで…」
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上手く説明ができない。
頭の中に浮かぶモノを口で説明ができない。
車で走っていた、ただそれだけじゃなかったか?
いや違う…。
行った先で何かを食べたと言う記憶が、その記憶の先に存在しない。
車で移動していた。
だがその途中、弟のシートベルトを付け直してからの記憶が…。
映画とかで見るような、激しい爆発音に似た音が頭の中で響く…。
その瞬間の記憶は全てがコマ送りで、ブツブツと飛び飛びになって記憶自体を上手く再生できない。
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その後は…。
思い出されてくる記憶は断片的だ。
でもそのコマ切りにされた記憶と言う映像を思い出した時…ポロッと目から涙がこぼれた。
「車が…俺が…乗っていた車が…燃えて…た」
頭が整理しきれないのではなく、その事実を拒絶している。
それを肯定したくないと…。
「皆は…。どこ…ですか…。皆は…」
最初は数滴、その流れ出る涙は徐々に増える。
俺は男性にすがるように家族の行方を聞いた。
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何度も何度も…。
「夏喜君…ゆっくりだ…。ゆっくり…、君の置かれた状況はそう簡単に理解できるものではない。その話はまた明日にしよう。今日はゆっくりと眠りなさい」
男性は、自身の服を掴む俺の手を優しく解く。
そして、女性の方が優しく俺を横にして布団を掛ける。
「疲れたでしょ。ゆっくり休んでくださいね」
そう言って女性はポンポンと俺の胸の辺りを優しく叩く、それはまるでぐずる子供をあやす様に…。
外が明るくなってどれほど時間が経っただろうか…。
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あの男性、医師が部屋を出て行ってから頭の中で記憶を整理し、その度に涙が流れ、気が付けば眠りについていた。
目が覚めたのは、朝日が昇り始めた頃。
窓の外がどういう風になっているのかわかるようなった頃だ。
医師と話をしたのが何時なのかわからないから、自分がどれだけ眠っていたかはわからない。
起きてからは、延々と記憶の整理だ。
思い出せる部分を何度も何度も繰り返し見ては涙を流す。
それを頭では否定しては、その度に雪奈の泣き声がより鮮明に頭に響く。
まだ真意を確認していない、そう自分に言い聞かせても、何故か納得ができなかった。
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一人問答を繰り返しているうちに完全に日は上り、朝食の時間になり、簡単な体調の検査等もあったが、何が起きてもどうでもよかった。
「調子はどうかな。夏喜君」
軽くでも動けば体の節々が痛むため、この部屋を出て行く気にもなれない。
いつまでも出てこない答えに関して考えていると、昨日の医師の男性が部屋にやってきた。
「昨日と大差ない気がします」
「そうか」
それからは、検査、検査、検査…。
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自分の体が異常をきたしているのは明らかで、検査自体には何の抵抗も無い。
もとより、抵抗するつもりなど無いけれど、俺は言われるがまま、やられるがまま、医師の気が済むまで体を調べさせた。
そして全てがひと段落してから聞かされた話は、この状況が俺にとって地獄に居るのと同じだと釘を打つものだった。
事故…。
飲酒運転による、スピード違反、信号無視…。
衝撃による脳損傷による死亡に、破損した車両の炎上、それによる焼死…。
自分以外、事故に関係する人間の死亡…。
どこからツッコミを入れればいいのだろうか…、いや、そんな事をする意味は無い。
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医師以外に、警察の人が来たり、見知った親族が来たり、その誰もが話をしてくる。
聞かされた事故の事、渡された事故の詳細が書かれた紙、どれも真実だと言ってくるのだ。
間違った事は一切ない…、ツッコミを入れてその事を訂正する意味が無い…。
受け入れなければいけない現実を、嫌だ嘘だ…と突き返すぐらいしかできる事は無い…。
でもそれはただのその場しのぎだ。
1つ、2つと、いくつも自分の感情を誤魔化す言い訳を垂れる。
来る人にこの感情をぶつけても何もならない、じゃあ誰にぶつければいい。
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この地獄の釜で煮た怒りを…、事故の原因である奴はその時に死んだ。
その顔をぶん殴ってやりたい奴がもう既にいない。
どこにも吐き出せないこの感情を俺は抱えて、この先、生きていくのか…。
「この世界で生きていく価値なんて無い…」
このままじゃ、俺は自分の感情に殺されるかもしれない…。
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