第一章…「いらない世界。【1】」
事の始まりは日が落ちても残暑が残る金曜日の夜、いつものように夕食を食べ終わり、リビングでゴールデンタイムの適当なバラエティ番組を見ていた時だ。
遊ぼう遊ぼうと弟妹がじゃれついてくるのを、慣れた手つきであしらっていた時に母さんが切り出してきた。
「明日、あなたの誕生日よね?」
「そうだね。確か」
母さんも俺も、自分の誕生日を忘れていたわけではなく、会話の開始地点を作った言葉。
今からこの話題で話をしますという宣言だ。
「ちょうど土曜日だし、どこかに食べに行きましょうか? お祝いも兼ねて」
---[01]---
「なんでさ? 別にいつもみたいにケーキ買ってくるだけでいいよ」
「だめ。ただケーキを買ってくるだけじゃ、弟達に食べ尽くされるだけじゃない。それじゃ~、ただケーキを買ってきただけでお祝いにならないわ」
「別にそれでいいじゃん。誕生日って言ったって、ただ歳を取るだけだろ」
正直言えば、俺はお祝いをする事に関して、別に乗り気でないわけではなかった。
ただ歳を取る日とか、あの世への階段をまた1つ上がりましたとか、考え方はあれど誕生日自体は別にどうでもいい。
しかし自分のためにお祝い事をしてくれるというものは、その目的はどうであれ、正直な気持ちを言うなら嬉しい事だ。
だからやってくれると言うのなら、やる方に1票入れるが、ただ気持ちとは裏腹に気恥ずかしさが先に立って、じゃあやろうかという気持ちを表に出せない。
---[02]---
「普段の誕生日なら、ただ歳を重ねるだけかもしれないけれど、明日は20歳になる誕生日でしょ? 成人になる誕生日よ? 少年から青年になるのよ? お酒が呑めるようになる歳よ? いわば節目の誕生日。そん所そこらの誕生日とはわけが違うの」
訳が違うと言われても、こちらとしては訳がわからなくなってくる。
「お父さんもそう思うでしょ?」
今度は仲間を増やそうと、俺の横で酒を呑みながら一緒にテレビを見ていた父さんに話を投げる。
「夏喜もようやく酒が呑めるのかぁ。いいねぇ。俺と晩酌をしてくれる奴が増えるのは嬉しい限りだ。はっはっは」
「お父さんもこう言っているから明日の予定は決まりね!」
---[03]---
「いやいや! 今のでどうしてそうなるんだよ!」
今の父さんの言葉は、あくまで俺が20歳になる事に対しての感想であって、誕生日にお祝いをしようという母さんの提案に賛同したものではない。
母さんの言っている事を否定するのは簡単だが、それを止めさせる事は容易ではなかった。
我が家のイベント企画者である母さん、言われた日を空けていたら、雪国に連れて行かれ、南国に連れて行かれ、新幹線、電車に飛行機、高速バス、ありとあらゆる交通網を利用して連れ出される。
旅行以外にも、地域のボランティア活動から運動会、草野球、地元のイベント事も1年間でやるモノは既に制覇済みだ。
---[04]---
俺達に拒否権はない。
でも、そんなハチャメチャな母さんの行動を見るのが楽しみで、次に何をしでかすのかヒヤヒヤするものの、それに期待する自分もいた。
「おお。また「小春ちゃん」が何かやらかすのか? いいぞいいぞ!」
完全に酔いが回っている父さんは、やはり先ほど母さんからの提案なんぞ耳に入っていなかったようだ。
時間差で、母さんのお祝いの提案に賛同するように、両手を上げて賛成する。
小春ちゃんというのは母さんの愛称、といってもただ「ちゃん付け」をしただけだが。
「イベント!?」
「いべんと!?」
---[05]---
父さんの言葉に連動するかのように、今度は弟妹がうれしそうにはしゃぎながら、リビングを走り回る。
こういう時、賃貸マンションでなくて良かったと、何故か息子である俺がホッと胸をなでおろす。
「イベントー」
「いべんとー」
「さあ、「秋辰(あきたつ)」、「雪奈(ゆきな)」、明日の予定は埋まったわ。ちゃちゃっと寝支度をするわよ!」
秋辰は10歳の次男、雪奈はさらに5つ下の5歳。
「「え~…」」
---[06]---
母さんの言葉に返ってきたのは、いかにも嫌そうに拒否をする言葉だった。
「いやだ! もっと兄ちゃんと遊ぶ!」
「にぃにぃとあそぶ~!」
にぃにぃというのは、俺と秋辰、どちらかを呼ぶ時の言葉という訳ではなく、2人の兄を呼ぶ時に使う言葉だ。
時刻は20時を回っている。
いい加減に寝る準備をしなければ朝がきついし、大きくなれない。
さっさと寝ろという言葉には、俺も大いに賛同する。
「こら。明日の事が決まっちまったのは数歩譲ってOKとして、お前らの夜更かしをOKした覚えはないぞ~」
弟妹に、健やかに大きく成長してほしいと願う俺は、まだ遊びたいと言う希望を跳ね除けて、母さんと抵抗する盾に俺を使っている2人を、風呂場へと連行しようとする母さんへ引き渡す。
---[07]---
「裏切り者―」
「ものー」
何かあれば親を追う雛鳥のように、俺の後ろを付いてくる2人には申し訳ないが、ここは母親の犠牲になってもらう。
不満そうな顔で頬を膨らませてこちらを見てくる2人を、母さんは小脇に抱えて風呂場へと連れて行った。
「いやぁ~。賑やかなのはいいねぇ」
缶ビールとおつまみを交互に口に運びつつ、緩みきった顔をする父さん。
言いたい事はわかるものの、その表情を見ていると何か不安だ。
まるで、どこかの頭のネジが外れてしまっているかのようにも見える。
---[08]---
「フライングして呑んじゃう?」
ニタニタと笑う父さんは、自分の持っている缶ビールを俺の方にむけてくるが、当然いらないと俺は首を横に振った。
「そうかぁ~?」
残念そうにする父さん。
完全に酔いが回った人間のそれだ。
相手が誰であれ、呑ませようとする。
そもそも、自分も酒が弱いくせに、呑んでは酔い、そして絡んでくるから面倒臭い。
これでも酒を呑んでいなければ、生真面目で見た目からもこんなだらしない状態を想像すらできないのだが、理性を飛ばす酒の力は末恐ろしいものだ。
---[09]---
母さんが太陽なら、父さんは月と言った所。
明るい時間、皆をまとめ上げるのは母さんの役目。
暗い時間、誰も見ていない場所で皆を支えるのは父さんの役目、まさに大黒柱と言っていい。
じゃあ俺は…といえば何になるだろう。
バイトで娯楽に関しての資金は自分で稼いでいるが、それはあくまで自分のためにやっている事。
良い言い方をするなら、家計に影響を与えないように、自分の分は自分で確保している。
でも、自分が何か…に関しては、そういう話ではなく、家のために何をしているかといえば…だ。
---[10]---
「兄ちゃーん!」
「にぃーにぃー!」
考えるまでもない…か。
それはこいつらの世話だな…。
こいつらの兄だから、そういう理由も確かにありはするが、俺自身も好きでやっている部分はある。
「うぉい! やめろって!」
風呂から上がってきた2人が、若干濡れ気味の頭を俺の服へと押し付けてくる。
おかげで、着ていた服は上だけびしょ濡れだ。
夕食前に風呂に入って、後は寝るだけだったというのに、悪戯っ子のおかげで着替える羽目になった。
---[11]---
主にいたずらを仕掛けてくるのは弟の方、妹の方はそんな兄の行動を真似ているに過ぎない。
だが、真似ているに過ぎないにしても、真似ているのだから被害は2倍になっている事に変わりはない。
「兄ちゃん、頭やって~」
「やって~」
思わずため息を付く。
いつもの夜の光景だが、この溜息だけはどうも堪える事ができない。
待っていろと2人に言って、俺は風呂場の方へドライヤーとタオルを取りに行く。
途中で頭にタオルを被せ、寝間着姿の母さんがクスクスと笑っていたのがイラッとくる。
---[12]---
「いつもの事なのに油断したねぇ。夏喜」
「母さんもわかってるんだから、ちゃんと2人を止めればいいだろ」
「そんな事したらつまらないじゃない」
「そうですか…」
家の中に刺激を与える事、母さんが楽しんでやっている事の1つ。
なんでもかんでも、あれは駄目これは駄目と、やる前から子供を制止する事は教育上よくはない、やらずに後悔よりやって後悔…とはまた違うが、とにかくまずはやらせる、そしてやってはいけない事をやったら怒る。
それが母さんの教育方針、その過程で起きる損害は二の次、被害はつまらない日常に対してのスパイスだ。
---[13]---
母さんから返ってくる言葉なんて百も承知だったし、こんな些細な所からでも会話ができるのは、家族間の関係が良好な証拠とも言えるだろう。
俺は弟にはタオルを、妹にはドライヤーを使って、その中途半端に濡れた髪を乾かしていく。
「雪奈はともかく、秋辰はいい加減自分でやれよ」
「え~、めんどっちぃもん」
「お前なぁ」
短髪の秋辰はタオルで十分、少し拭いてやればすぐに乾く、にも関わらず俺の服が濡れたのは、そもそもこいつが頭を拭いていなかった事の証明だ。
「にぃ、アツいー」
---[14]---
「おぅ、わりぃ」
短髪の秋辰とは対照的に、肩を超える程には長い髪の雪奈、まだ体も小さいから肩を超えると言っても大人のそれとは段違い、タオルでも十分だが、そこは丁寧にドライヤーで乾かす。
「ほれ、終わりだ」
髪を乾かし終わり、頭をポンッと叩く。
「わ~」
小さい体には有り余る元気。
たったの数分、されど数分、雪奈にとっては髪を乾かす間じっとしている事も苦行で、その反動は全て俺に返ってくる。
---[15]---
勢いよく後ろに回った雪奈は、片づけをする俺の背中にのしかかった。
「重たいぞ~」
「おもたいぞ~」
「退かないと怒るぞ」
「おこるぞ~」
お前は山彦か。
軽くため息を付きつつ、ドライヤーを横に置き、雪奈の腕を掴んでそのまま立ち上がる。
「きゃー」
当然身長差は大人と子供相応のものがある。
---[16]---
雪奈は俺の背中でぶら下がっている状態だ。
「やんちゃ娘はおやすみの時間だ」
「え~」
まだ寝たくないと往生際の悪い雪奈は、床に付かない宙ぶらりになっている足をバタバタと震わせる。
「無駄だ~。お前はもう捕まっている。往生際の悪い真似はよすんだなぁ!」
まだ遊んでいたいという妹の気持ちはよくわかる。
あまり覚えていないが、昔の俺もそうだっただろうし、つい数年前までは秋辰がこのポジションにいた。
だから少しでも、寝る直前までは遊んでいてあげようと、子供向け番組で出てきそうな悪役の台詞めいた事を言って、遊んでいる雰囲気だけは作っておく。
---[17]---
「ぐへへぇ。力を使えない雪奈はこのままおねんねじゃぁー」
「い~や~」
「堪忍せ~や~」
小さい体での抵抗空しく、楽々と寝室に連れてこられた雪奈は、ふて腐れて敷かれた布団に入り、カタツムリのように丸くなった。
秋辰も後を追うように部屋に入ってきて自分の布団へ入る。
「お前は素直に布団に入るんだ。」
おやすみの一言もないのは引っかかるが、風呂に入る前まではしゃいでいた割にはすんなりとしている。
「体をあっためてから、ひえてきてる時にねむくなるから、今がねるためのベストタイミングだよ、兄ちゃん」
---[18]---
その小さな口から出てきたその言葉には、ある意味感動すら覚える。
10歳という年頃的に、教わった事などを自分の知識として披露をしたいという気持ちがあるのだろう。
それにしてもその披露はませ過ぎだ。
それでも、そんな弟に、兄は若干の誇らしさを感じた。
「じゃあ灯り消すぞ?」
弟妹がしっかり布団に入った事を確認して、灯りを消そうと部屋の入り口へ行こうとした時、雪奈が盛り上がった布団から手だけを伸ばして俺のズボンを掴んだ。
「なんだ?」
俺としてはさっさとリビングに戻ってテレビの続きを見たいところなのだが。
あとドライヤーの片付け。
---[19]---
力技でどうにでもできる小さな手のはずなのに、そんな事できる訳がないと頭が警鐘を鳴らしている。
「ちっちゃいのつけて」
「小さいの? あ~。豆電球ね。付ける付ける、真っ暗にしないからさっさと寝ろ」
暗闇は子供にとっては恐怖だ。
何が出るかわからない場所でもある。
ベッドの下には化物が住んでいるといった類のモノだ。
大人になるにつれて、色々な経験をし、暗闇には幽霊とか化物なんてモノがいない事がわかる。
---[20]---
しかし、そんな事は雪奈には関係ない事なのだろう。
「わかったよ。眠れるまで横に居てやるから、さっさと寝な」
それ聞いて、すぐに雪奈の手が俺のズボンから離れる。
予想通りの行動だ。
灯りを切り替えて、秋辰と雪奈、並べられたその布団の横に座る。
「これでいいか?」
「おてて、つないで~」
布団から出される小さな手を握る。
「ぼくも」
薄暗い中、妹に釣られ、秋辰も同じようにせがんでくる。
---[21]---
「はいはい」
呆れた様な表情になるも、俺は差し出された秋辰の手を取った。
薄暗い空間、座っているとはいえ眠気が増していくのを感じる。
両手は塞がり、音を立てる事ができず、何かを見るという事もできない、だから暇をつぶすためにいろんな事を考えた。
今さっきまで見ていたバラエティ番組の続きを予想したり、明日の連れ出されるであろう誕生日会がどうなるかを予想したり…、いつ2人が寝てくれるのかを考え、そして気が付けば俺の方も夢の世界へといざなわれていく…。
---[22]---
青い空…。
青い水辺…。
その上に建てられた石造りの建物達…。
透き通る水、水面から水底までは膝下までしかない。
それが辺り一面、見渡すかぎりに広がっている。
海ではない。
何故かそれだけはわかった。
俺は…、そこで1人静かに立つ。
少し冷たくも優しく体に当たる風に吹かれながら…。
流れる雲を眺めながら…。
---[23]---
『…ちゃ~ん!』
『…ちゃ~ん!』
最初は体を軽く揺すられていた。
『…きろーっ!』
『…きろーっ!』
だんだんと揺する力が強くなる。
そんな状態でも夢心地な時間は続いた。
瞼は重く、開く気配はないし、俺の体を揺する2つの力では、起こすと言うより赤子を眠りに誘う揺り籠の揺れと同じだ。
むしろ事態は悪化、起きる気配の無い俺に、2つの俺を起こそうとする力は、最終手段に打って出た。
---[24]---
『…ろーっ!』
『…ろーっ!』
ドサッ!
「ぶふぅっ!」
上半身を襲う衝撃。
夢心地の世界は一瞬にして壊れ去り、夢の世界にあった意識が、一瞬にして現実世界へと引き上げられた。
「ゲホッ…ゲホッ!」
引き上げられた意識が、今度は上げられ過ぎて昇天してしまうのではないかという錯覚すらも覚える。
---[25]---
許容を超え、一気に吐き出されたこと息で咳き込む俺の姿を、この状況を作った犯人たちは、やってしまったと顔に出しながらも楽しそうに眺めていた。
「…衝撃的な起こし方…どうも…。」
上半身にある圧迫感の原因を退けて、俺は体を起こす。
日は上り、部屋は証明がなくとも十分な程に明るくなっていた。
「おきたな!」
「なーっ!」
無理やりな意識の覚醒ではあったが、むしろそのおかげで完全に眠気が吹き飛んでいる。
両脇で、俺が起きた事を、自分の手柄だと言わんばかりに胸を張っている2人の声も、今度ははっきりと聞き取れた。
---[26]---
「おかげ様で起きてしまったよ…」
起きた事は良いとして、寝覚めは最悪と言っていいだろう。
上半身に残る僅かな痛み、おまけに床の上で寝ていたがために、背中全体にも痛みが鈍く残っている。
季節的には布団で寝なくても風邪を引く事は無い。
「・・・」
しかし、自分に掛けられていたタオルケットを見て思う…、これを掛けるくらいなら、起こしてくれた方がいいと。
秋辰と雪奈が眠りに落ちた時点で、俺のここでの役割は終わっている。
この2人に、タオルケットを掛けるような気遣いができるとも思えないし、母さんか父さんのどちらかが掛けてくれたのだろう。
---[27]---
「はぁ…。お前ら朝飯は?」
「まだ!」
「まだ~!」
とりあえず、寝落ちしていたのなら起こしてくれてもいいだろうだとか、今は考えてもしょうがない。
むしろ風邪を引かないようにと、タオルケットを掛けてくれた誰かに感謝をしなければ。
「じゃあさっさと飯を食うぞ。今日は穏やかな休日とは言えなさそうだからな。」
「は~い。」
「は~い。」
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