第二章…「その知らぬ世界へ。【1】」
事故からどれだけの時間が経っただろうか。
しばらくは負の感情で涙を流す事が無いほどに、涙を枯らし尽くしていた。
それだけの時間はあった。
打撲とかならすぐに治ったけど、腕なり背骨なりの骨折は、治療に相当の時間が掛かった。
数週間は絶対安静、それが終わったら今度は動けなかった間に落ちてしまった筋力をまた付けるリハビリ。
そんなこんなで、我が家に戻るまでだいぶ掛かった。
「ただいま…」
俺は、返事が返ってこない事がわかっているのに、帰った時のあいさつをする。
---[01]---
家はある、保険等の金はある…、生きていくという1点だけを見れば、必要なモノは全て揃っている。
無理な運動をすれば体が悲鳴を上げるが、生活する分には問題ない、「右足が動かなくなった」、ただそれだけの事だ。
両手は動くし、視界も良好。
親戚の人達は不便だろと言って、自分たちの家に来ることを勧めてきたけれど、俺はその全てを拒絶した。
『これからは不便でも、自分でたくさんの事をできるようになっていかないと』
そう皆には言ったけど、正直なところは必要以上に接してきてほしくなかったからだ。
---[02]---
どいつもこいつも、哀れみの目で俺を見てくる。
悲惨な状況に置かれているのは、自分が一番よくわかっている。
そういう目で見られる度に、元凶の全てを思い出してしまう。
だから俺は不便でも、1人…我が家で生活する事を決めた。
知った家で、人が…いるはずの人がいないというのも、それはそれで事故を思い出すきっかけになるけど、でもこの家だけは、この家からは出て行く気にはなれなかったんだ。
単純に我が儘を言っているだけ…、あれはいらん、これはいらん、でもこれだけはいる…。
まるで子供だ。
---[03]---
秋辰や雪奈に対して、良き兄であろうと努力して、成人を迎えても、結局俺は子供らしい。
悲惨な事があったから、精神がすり減って気弱になっているだけだから、そんなものも言い訳だ。
この自分の状態に無理やり理由を付けているだけ。
事故後の処理はもう終わっている。
俺が入院している間に、親戚の人達が色々とやってくれたから…。
皆の葬式も終わっている。
俺への遺産相続等も入院中に終わらせてある。
後はこの家の中の整理…。
---[04]---
入院してからずっと、いるモノ、いらないモノを分別していった。
元々5人で住んでいた家、整理が終わった後は広いものだ。
5人から1人になって、広く感じていた家も、足の影響で移動範囲が狭まり、使わない部屋ができ…、気付けばただ広いだけで窮屈な空間になっていた。
それでも、不自由な体になってまでも大学に行く辺り、律儀なものだと自分を褒める事がある。
医者からは当然車椅子を進められたが、それだと車両系での移動が困難になる。
俺は大学までバス通学をしているから、それだとダメだ。
だから、動かない右足が地面にぶつかったり、地面を擦って進まない様に曲げた状態で固定し、松葉杖での移動ができるようにした。
---[05]---
膝から下が動きませんと言うのなら足を上げるだけでいいのに、付け根を含めて右足全部が動かないのは困ったものだ。
バスに乗り、多少歩いて大学に向かう。
もともと勉強は好きでもないが嫌いでもない、でも講義を受けている間はそれだけに集中できるから、今はむしろ好きな方だ。
親戚連中はいつまでも哀れみの目でこちらを見てくるけど、大学の同級生はまだマシだった
もちろん最初は励ましとか同情の言葉を掛けられたけど、あくまで他人、友人であってもその壁は越えられない。
その重い空気に自分から突っ込んで付き合いたがる連中はおらず、1週間もすれば事故前と大差ない会話の輪を広げた。
---[06]---
最近見た映画やドラマの話、新しく見つけた美味しいラーメン屋の話、ゲームの話をしたり、最近お気に入りのアイドルや女優を勧めきたりもした。
でも、それでも、事故のしがらみは、そんな数少ない心のよりどころにも隠れる事無く現れた。
右足が動かなくなったことで移動範囲は減り、遊びに誘われてもその問題で気を使わせるのが嫌で、断る事が多くなっていく。
学校内では話をしてもその場限りで終わってしまう、話題についていけない、話題に合わす事ができない、それだけで親族でもない友人達との関係を悪化させるのには十分だった。
完全に負のスパイラルの完成である。
---[07]---
あの事故はその時だけの出来事ではなく、完全に自分の道を決める分岐点になった。
暑かった日々も、もう日がくれれば肌寒い風が吹き始める季節だ。
『そこのお兄さん…、ちょっと寄ってかないかい?』
いつもの帰り道、バス停まで行く途中、裏路地に入る道の方から、やけに澄んだような老婆の声が、耳にはっきりと届いた。
俺は横の路地を見やる。
10メートル程路地を入った所に、小さな露店を開く老婆が居た。
一応周囲を見渡してみる。
---[08]---
しかし、老婆の位置から見える「お兄さん」と呼べるような相手は、俺しかいなかった。
「周りを見てどうしたんだい? あなただよ。他には誰も居やしない。さぁ、おいで…」
それに不気味とも思ったけれど、無意識に足がその老婆の方へと進んだ。
昔、秋辰が見ていたファンタジーなアニメで、こんな雰囲気の老婆が出てきた気がする。
いかにも怪しいって感じの老婆で、いくら呼び止めたからって近寄るなよと、アニメを見ながら思ったが、今まさに似たような状況に置かれて、そんな考えは馬鹿馬鹿しいとも思えた。
自分でもその理由はわからないけど。
---[09]---
見た目が怪しいからって拒絶していたら、店なんて入って行けないだろう。
店と言っても老婆のは、大きくないテーブルに黒い布を掛けただけで、お祭りの屋台のような一目で「屋台だ」となる事も無い質素なもので、傍から見れば老婆が休憩しているだけにも見える程だ。
「婆さん、何を売ってるんだ? 雑貨か?」
俺はそのテーブルの上に置かれた商品?を覗き込む。
人の形をした木製で手の平サイズの置物、何かの鉱石のような石の置物、指輪、数珠のブレスレット、置かれた品々はバリエーション豊かで、ある意味より取り見取りだ。
しかしどの商品にも値札と呼べるようなモノが無かった。
---[10]---
「私は何も売らない。「夢」を贈るだけじゃ」
「は?」
不思議そうに商品?を見ていた俺の質問に対しての老婆の回答は、その一言では意味を理解する事ができなかった。
「夢…じゃ」
明らかに理解できていない顔をした俺に、老婆はまた同じ事を口にする。
「夢?」
「私は客に夢を贈るのが仕事だ」
「なるほど…」
理解できたかと言えば、首を横に振るが、とりあえず相槌代わりに答える。
売るという事を贈ると表現しているのだと俺は解釈した
---[11]---
「それで、その夢とやらはいくらだ?」
現時点で夢も希望も無い俺だ。
この老婆が夢を贈ると自分で言っているのなら、軽い気分転換にその夢とやらを買うのも悪くはないだろう。
偶然呼び止められて、偶然それが雑貨屋?で、偶然その店が夢を贈る店だった、ただそれだけだ。
「値段、つまり対価は、その夢の大きさで変わり、それを払うかどうかはその人次第。贈る夢も、客が何を求めるか、それ次第で大小が変わる。お兄さんはどんな夢を求めるのかな」
「どんなって言われてもな」
---[12]---
その場の雰囲気…ノリで話を始めたつもりだから、そこから夢だのなんだのと言われても、そんなものがすぐに出てくるわけもない。
それにすぐ出てきたとしても、それを初対面の老婆に教えるのも気が引ける。
「すぐに出てこないかい? じゃあ、目を瞑って、今お兄さんが一番欲しているモノを頭の中に浮かべておくれ」
「なんで?」
「いいから、いいから、この世界には困った時の神頼みってことわざがあるじゃないか。それを実行するまでだよ」
「あ~、あれね」
「さあ目を瞑っておくれ。その間に品を動かしてあげよう。どれが当たっても問題ないからねぇ。受け取るかどうかはお兄さん次第さ。対価も気にしなくてもいい、学生からぼったくるような仕事はしないさね」
---[13]---
別にそんな事は気にしていなかった。
買わなければいけないという義務も、老婆が言っているように無いのだから。
家に急いで帰ったところで、生きる為の行動を取る以外にやる事も無い。
俺は老婆に言われるがまま目を閉じる。
夢を贈るっていうのも何か押しつけがましいと言うか、何故夢なのかという疑問も出てくる。
意味があって言っているのかどうかはわからないし、全ては買ってみればわかる事だ。
欲するモノ…、欲しいモノ…、俺が今一番求めている事は当然アレだ。
自分の体の自由を求めなくはないが、一番かと言われれば違う。
そして、友人達との友好でもない。
---[14]---
俺が真に望むモノのは、失った家族を返してほしいという事だけだ。
そんな事を望んだからといって、それが叶うはずもないわけだが。
こういうのは一種の願掛けみたいなものだろう、神社にお参りして願い事を言ったりするのと一緒。
この頭に浮かべている瞬間、何を思い浮かべるかなんて、その人間の自由だ。
叶う叶わないではなく、この老婆の言葉を信じたわけでもない。
俺は、俺が欲するモノを思い浮かべただけだ。
ガサガサと机の上に置かれた商品?を動かす音が微かに聞こえる。
「さあ準備はできた…。選びなさい…」
---[15]---
この状況、自分が子供で、場所が祭だったり娯楽施設だったりしたなら、胸躍る事だろう。
現実は無常だな。
「じゃあこれ…」
乗りかかった船だから、この老婆には最後まで付き合ってから、この場を去ろうと思う。
目を閉じた中で、そこに机があっただろうと適当に指差す。
そして目を開けた先にあったのは、手の平に軽く収まるサイズの半透明で薄い土色の石、覗き込むと薄らと自分の顔が映るがそれだけだ。
祭りでこういう原石とかを売っている店がたまにあるなと思うが、それは今関係ない。
---[16]---
とにかく、老婆が言っていた「夢を贈る」を表現するような事象とかは、この瞬間自分自身に起こる事はなく、この先起こりそうもない。
起きたら、それこそ夢の話だ。
「いくら?」
気に入ったわけじゃない。
ちょっとした興味本意、それにさっきも思ったが乗りかかった船、ここまで来たら、1つでも買って帰ってもいいかなと思った。
それで何千何万と取られては困るが、老婆は学生からぼるつもりは無いと言ったし、その辺は問題無いだろう。
「金銭ならいらないよ…」
「は?」
---[17]---
「言ったじゃないか、私は夢を贈るのが仕事だって。お兄さんが指を指したモノ、それがその贈り物だよ」
「へぇ~…」
随分と反応に困る事を言うものだ。
結局、ここは俺が思っているような店ではなかったわけだ。
「貰えるなら貰っておくけど、本当に金は払わなくていいの?」
「ああ、いいとも」
「そう…」
俺は自分で指差してしまった石を取る。
改めて手に取って見ても、何の変哲もない石にしか見えない。
---[18]---
「私はね、お兄さん。あんたが地獄にでもいるかのような、暗い、暗~い顔をしていたから呼び止めたんだよ。いかにも私が夢を贈るに相応しい奴だってね」
「そうかい」
嫌な見る目だ。
暗い顔をしていたという点は否定できない、むしろ的中としていると言っていいだろう。
俺としてはいつも通りの表情でいるつもりなのだが、いつの間にかその暗い表情が俺にとってのいつも通りになっているのかもしれない。
「じゃあお兄さん、あなたに良い夢が訪れるよう願っているよ」
そう言って老婆は口元を歪め、不器用にも程がある笑みを浮かべながら、俺にゆっくりと手を振った。
---[19]---
「・・・」
それが老婆にとっての精一杯の笑顔なら、ある意味哀れに思えてくるけれど、用はこれで済んだ訳で、俺は石を鞄にしまい、軽く会釈をして帰路に戻った。
「不気味な婆さんだったな」
本人の前では言えない事がポロっと出てくる。
それに、気が付けば額にはうっすらと汗が染み出ていた。
普段話をしないような種類の人と話をしたから、意味もなく緊張でもしたのだと思う。
あの老婆との対峙を除けばいつも通りの1日だったわけだが、今日はいつも以上に体が重い。
---[20]---
バスに揺られている間も、家に着いて何の意味もなく座ってテレビを見ている間も、体の節々が何かぎこちない。
「あ~…、だる…」
老婆から来るプレッシャーが頭では認識できなくても、体がヒシヒシと感じてでもいたのだろうか。
変に力が入って、無駄に疲労でも溜まったのだろうか。
「さっさと風呂入って寝た方がいいかな」
こうしてテレビを見ていても疲れが落ちる訳じゃない。
理由のわからない疲れなんて、原因を考えた所で無意味だ。
俺はテレビの電源を切って風呂場へと向かう。
---[21]---
退院してから家で生活すると決めてからすぐ、家中の壁に手すり棒が取り付けられた。
それはもうやり過ぎじゃないかと思える程、壁と言う壁、廊下の壁や階段の壁、自室の壁、壁があるならそこに手すり棒が必ず存在するレベルだ。
確かに足が片方動かないと言うのは、歩行に支障しかきたさない。
歩く事ができないから片足飛びになるし、階段なんて上り下りするのは一種のトレーニング化している。
なんて不自由なのだと、生活をしてみて、その事実に思い知らされた。
「はぁ…」
---[22]---
服を何とか脱いでから、体の汚れを洗い流して湯船に浸かる。
この瞬間だけは足の事を忘れてゆっくりできる時間だ。
動き回らない分、頭の中では色々な考えが廻る。
その日の出来事、その日に食べた料理の味、明日は何が起こるのだろうという妄想。
そこに暗い思い出は存在しない。
こうやって頭を回転させるの色々な事を考えるのは、ふと気の抜けた拍子にいらん事を思い出してしまうから…と言う理由もある。
誰も次に入浴する者はいないし、誰もそんな俺を止めない、長風呂し過ぎだと出るように催促する人も…。
---[23]---
そうやって、最近では気が付けば船をこぎ出して、そのまま眠ってしまう事も少なくない。
そこは改善しなければいけない事だと、眠って起きた後にいつも自分に言い聞かせるのだ。
案の定、数分が経った後、瞼が重くなり、意識が途切れ途切れになっていくのを感じた。
でも、今回はそうなってしまうのはよくないと、自分でそれを改善しなければと考えが頭に廻っていたから、すぐに風呂から出ようとする。
するのだが、何故だか体を動かす事ができなかった。
全身から力が抜けていく感覚。
---[24]---
頭では全力で動かそうとしているのに、体が動かない状態だ。
指1本とて動かす事ができない。
のぼせてでもいるのだろうか。
重たくなった瞼が瞬きをする度に、自分の見知った風呂場の光景が、全く知らない光景に変わり、また元に戻る。
霞んで見えるその見知らぬ光景は、俺のよく知るタイルの貼られた風呂ではない、石造りで、お湯が止めどなく出る石像があったり、とにかく俺はそれを知らない事がだけは言える。
「・・・」
とうとう瞼が閉じ、すべての力が抜けると感じた時、外から聞こえていた車が走る音が無くなった。
---[25]---
今まで感じていたお湯の温かさも、ゆったりと使用者をお風呂に浸からせるために作られた湯船の感覚も、船をこいでいた自分の頭の重さすらも感じる事ができなくなった。
瞼を閉じているから、自分がどういう状況なのかも確認できない。
「死」という単語が頭を過ぎる。
しかしそれをすぐに俺は否定する。
そもそも死んでしまったというのなら、今この状況を考えている俺と言う存在はなんだって言うのだ。
この状況は、そういう「夢」ではないかと俺は思う。
夢だというなら、夢の中で「これは夢だ」と結論付ける俺もどうなんだ…そう思っていた方が、俺としては楽だ。
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