第五章…「目を覚ます場所。【1】」


「…アダッ!」

 フィアを連れて寮に戻り、さっさと眠りについた。

 そしてその眠りから、俺を呼び起こしたのは、頭部への鈍い痛みだった。

 霞む視界に映るのは、見慣れた床、見慣れたテーブル、見慣れた壁…、見慣れた電波時計、そういったモノを1つ1つ数えていったらキリがない。

 一言で場所を言うなら、「俺の部屋」だ。

 ベッドから落ち、床に頭をぶつけた状態にある俺には、その見慣れた景色が逆さまに見えている。

「・・・あれ…」

 逆さに見えるのはただベッドから落ちただけ、なんの問題もない。


---[01]---


 問題なのはその場所だ。

 最初は寝ぼけているのかと思った。

 それとも別の夢を見ているのかとも…。

 長い長い夢だった。

 夢の中だというのに、実際にそれだけの時間、夢を見ていたという実感もある。

 だからなのか、寝る前の記憶ははっきりとしていない。

 しかし、俺だけでなくフェリスでいた時間を加えても、つい昨日の事だから忘れているという訳でもない。

 俺が眠りについた場所は、学校の医務室のベッドだった気がするのだが…。

 部屋の時計を弄った記憶はない、だが時間は半日以上経過して、次の日の朝になっている。


---[02]---


 眠っている間に運ばれたか?

 それとも、俺を起こさないように医務室を俺の部屋風に改装でもしたか?

 新手の海外張りのやり過ぎドッキリか?

「そんなバカな…」

 自分のあり得ない予想に自らツッコミを入れ、ため息をつきながら姿勢を正す。

「・・・」

 こう、ちゃんと頭を捻れば昨日の半日、何をしていたかが出てくるような…気がする。

 医務室でひと眠りしてから、適当に講義を聞き流し、帰りには久々に友人達と遊びに行った、そんな記憶が…ある。


---[03]---


「気持ちわりぃ」

 やった覚えのない事、そしてその記憶、正直不気味でしょうがない。

 軽い欠伸をしつつ、着替えようとベッドから立ち上がる。

 帰って来てそのままベッドインしたらしく、床には学校に行く時に持っていくカバンとその中身が散乱していた。

「うおっ!?」

 そして何を血迷ったのか、普通に立ち上がり、当然右足に力が入らずに、そのまま床へ倒れ込む。

「何やってんだ…」

 欠伸の次はため息だ。


---[04]---


 どうやら自分で思っている以上に、俺は学習能力が無いらしい。

 この失敗、下手したらあの夢を見る度にやる可能性もあるだろう。

 体の中に溜まった余計な感情を外へ叩きだす気持ちで、より深く、思いっきりため息をつく。

「夢と現実をごっちゃにするなよな」

 自分に言い聞かせ、今度は転ばない様にと片足で立つ。

 他愛のない事だ。

 これが現実、本当の姿、女であることは置いておいて、2本の足で立っているのは所詮夢の中の出来事でしかない。

「ふぅ…。よし」


---[05]---


 気持ちを入れ替えて大学に行く準備に入る。

 昨日着ていた服のままだったので軽くシャワーを浴びて新しい服へ。

 そして床に散らばった学習道具をカバンの中にしまっていく

 筆記用具にノート、それに参考書、財布に携帯。

 昨日持って出たモノの大半が散らばっている。

 一体どんな投げ方をすればこんなに散らばるのか、ハンマー投げのように回転して、その遠心力でも利用したか?

 そこがどうにも思い出せない。

 散らばったモノを拾っていく中で、ふとあるモノに目が持っていかれる。

 怪しさしかなかった婆さんからの贈り物、何かの原石、それがテーブルの足元近くに落ちていた。


---[06]---


「怪しいし、胡散臭い婆さんだったが、これのおかげであの夢が見れているのかな…」

 なんとなく落ちている石を拾い上げる。

 あの夢の世界だったら、魔力がどうとかで適当に思える理由でも納得されるかもしれないが、まぁ無いな。

 一種の催眠術とかそんな所か、これを選ぶ時も変なやり方だったし…、そっちの方が、現実味がある。

 催眠術に現実味があるってのも可笑しな話だが。

「何にしても、あの夢のきっかけはあの婆さんだろうなぁ。たぶん…」

 もう一度会えたらお礼の1つでもしたい所だ。


---[07]---


 今日、帰りに寄ってみるか…。

 拾い上げた石をテーブルに置き、身支度を再開した。


「という訳で…。新キャラ追加だ」

「野郎3人、女が1人」

「野郎はともかく、新しい女キャラには興味ある」

 現実で俺に残っているモノ。

 自分の命に家、そして金。

 そういった個人的なモノ以外に残ったモノが彼ら、言い換えれば人間関係と言った所か。


---[08]---


 それも何とか残っている関係ではある。

 しかし、今の所、離れていかない彼らには感謝しかない。

 まぁ同じ大学に通いはしても、受ける講義が違うから、会う機会があるのは食堂での食事タイムだけなんだが…。

「褐色肌か。あの属性には言葉にしにくい魅力がある」

「確かに! 元気そうとか、健康的とか」

「そうかい」

「にしても、連続して同じ夢を、しかも続きから見始めるってのも可笑しな話だ」

「そうだよなぁ。どんな確立だよ」

「俺も驚きだよ」


---[09]---


「俺も見たいねぇ。その夢」

「僕も見たい。そして女だったらなお良い。フィアちゃんの未発達のお胸様を、あ~でこ~でナニしたい…」

「お胸様って…。なんか変な宗教かなんかかよ」

「実際、夢とは思えないほどの現実感を与える夢、そんなものが見られて、なおかつ自分が女と来たら…。女子風呂に合法的に入れる訳で、ナニをするに決まっているだろ」

「そうそう。つか…、もう入ったのか?」

「・・・」

「その沈黙、イエスと受け取っていいのか?」


---[10]---


「マ・ジ・で!?」

 なんで2人して顔を近づけてくるのか…。

 もう肌寒い季節だっていうのに、別の意味でむさ苦しいというか、暑苦しいというか。

「第一、何があったってそれは夢だ」

「そうだよ。夢、夢だ。夢はそこでしかできない事が盛りだくさん。敵視してきている新キャラのイクシアと乳比べの1回や2回!」

「お前らが普段どういうゲームをやっているのか分かった気がするよ」

「そういや、この前、良さげな新作が出たんだ。主人公のクラス担任兼国語担当の女教師が良くてなぁ。スタイルが良くて、主人公との古典を交えてのプレイは必見だ」


---[11]---


「僕は主人公と同じ日に引っ越してきたヒロインの妹が…」

「もうその話は終わっていいよ」

 この話、きっと続けたら日が傾く。

「お前も、たまには1つのMMORPG以外に目を向けてみろ。案外悪くないぞ」

「そうそう。作業化したモノを延々とやるのもいいけど、たまには別のモノに目を向けて、新しい発見をするべき」

「言いたい事はわかるけど、それでなんでR指定のゲームを勧めてくるんだよ」

『そうよ。そういう趣味に夏喜を引き込もうとしないでよね』

 自分が言い終ると同時に、真後ろから聞こえる女の声に頭部に掛かる重さ…、人を肘置きか何かと勘違いしているんじゃないかと思える行為、それをやってくる人間を俺は1人知っている。


---[12]---


 俺に残った親族以外での人間関係で一番古い腐れ縁ともいえる人間だ。

「何を言うのかと思えば「おとなっしー」、我々は男ならば必然的に興味を持つモノを、疑似的に、合法に感応できる代物を夏喜に勧めているに過ぎない。何人にも咎められる事はしていない」

「そうだよ。僕らは変なモノを「夏吉」に勧めてなんていない!」

「お前らの熱意は認めるよ。それに答えるかどうかは、気が向いた時にな」

「あ~…。夏喜も興味はあるんだ。私というモノがありながら、そっちも取るの? ちょっと欲張り過ぎじゃない?」

「何? おとなっしーと夏吉はそういう関係なのか?」

「おいおい…聞いてないぜ、ブラザー」

「いやいや、そんな簡単に信じるなよ」


---[13]---


「冗談に決まってるじゃない」

「「ですよねぇ~」」

 正面に座る友人2人はホッとした表情で肩を竦める。

 見事に同じ動きだ。

 俺達より、そっちの2人の方が仲の良い関係を築いているじゃないか。

 ちなみに夏吉というのは彼らの俺に対する愛称だ、まぁ使う時と使わない時、それはまちまちだが。

 おとなっしーこと本名「音無文音(おとなし・あやね)」、おそらく親族を除いて一番付き合いの長い相手、言い方を変えるなら幼馴染という奴だ。

 といっても、幼少期からの付き合いだったが、小学校の中盤辺りでどっかに引っ越して、再会したのはこの大学だから、俺はそう思ってても、はたから見れば全然そんな事は無いのかもしれないが。


---[14]---


 にもかかわらず一番付き合いが長いというのは、俺もなかなかに人との繋がりが少ないと言える。

「それで、なんの話してたの?」

「その話に行く前に俺の頭に手を置くのをやめろ」

「あ、ごめん」

 頭に掛かっていた重みが無くなり、それと同時に隣の椅子に文音が座る。

 茶髪ロングの髪をヘアクリップでひとまとめにした髪型、子供の頃からこれだから気付けた、文音のアイデンティティというやつだ。

「話に戻るぞ。夏吉が一昨日から見ている女になる夢の話な」

「女になって女の子と風呂に入る夢だ」


---[15]---


「その誤解を招くような言い方はやめろ」

「夏喜…、あなた…」

「しかし、入った…と明言はしていない。風呂の部分はそれでいいだろう。だが、さっきの話で、既に約1名の女性の裸体を見たと、夏吉自身が言っている」

「そうだぜ。エルンちゃんの豊満バストを拝見しやがって!」

「おいおいおい…」

「エルン…」

「それに話によれば、最終的に女の子の2人部屋、百合の花園でお泊り会ときた」

「夢であろうとなかろうと、それを見て、鮮明に、まるで昨日の事かのように思い出せる時点で、うらやましい以外の何物でもな~いっ!」

「少し落ち着けって」

「花園…」


---[16]---


 このままでは俺の評価が下がる。

 何からの評価かはわからん、これを聞いている人間、それをきっかけに噂が生まれ、尾ひれが付き、夢という言葉が抜けてしまったら酷い事になる。

 ここには俺達だけしか居ないわけではないし、ピークが過ぎて食堂の噂好きのおばちゃん達はゆっくりし始めるし、聞かれてはいけないと…これ以上この話を続けてはいけないと直感が告げている。

 まぁ考えた所で意味もないし、栓もない話なのだが…。

 とりあえず、このままでは何かしらの影響が出かねない。

「・・・。いかんいかん。現実の話ではないとはいえ、この手の話はテンションが上がっていかん」


---[17]---


「それが身内のネタだと思うと、嫉妬の感情を抑えきれない」

「話を振ったのは俺だけど、勘弁してくれ」

「夏喜がずいぶんと楽しそうな事になっているのはわかった」

 楽しいというのには間違いはない、あの夢は実に良いものだ、ネタとしても申し分ないと言ってもいいだろう。

 同じ言葉の繰り返しになっている事はわかっているが、他にこの気持ちを表す言葉が見つからない。

 だがしかし、楽しいのは夢であって、この状況ではないぞ。

 確かにこんな話をすれば、こうなる事は目に見えていた事だ。

 そんな事が気にならなくなる程に、充実したモノを見れたという事だな。


---[18]---


 周りが見えていなかった。

「ふぅ。なら、しばしの賢者タイムといこうか。話題を変えよう」

「なんの話するよ」

「知らん」

「この話終わりなの? 興味あったのに。・・・。そう言えば、昨日3人で遊びに行ったのよね?」

「ああ言ったぞ。カラオケに行き、その後は居酒屋で夕食だ」

「まぁ居酒屋っていっても酒は呑まなかったけどね」

「・・・」


---[19]---


「いいなぁ。私もバイトが無ければ行けたのに」

「だがしかし、夏吉がいたにも関わらず、我ながら居酒屋を選択したのはバカだったと帰ってから猛反省した」

「いやはや、カラオケでテンションを上げ過ぎたせいで、流れが居酒屋という特に何も考えていない安易な選択だったね」

「・・・」

「私が居ればそんな選択には…」

「そうだな。俺達よりも食事処はおとなっしーの方が詳しいのは事実だ」

「もう、肝心な時にいないんだから」

「・・・」

「何よ。その私が悪いみたいな言い方」


---[20]---


「いやいや、悪いのはおとなっしーではなく、シフトの間の悪さだ」

「いっその事、おすすめポイントを一覧表にして書き出してほしいぐらい…、つか、さっきから黙りこくってどうしたよ、夏吉」

「・・・」

「体調でも悪くなった? 昨日、風邪気味だったんでしょ? バカ2人の瘴気で悪化しちゃったかな?」

「まるで俺達が害獣みたいな言い方だな。さすがに傷つくぞ」

「こっちだって無理に話をぶつけている訳じゃないのに。昨日と比べて元気そうだし、無理している感じだってしてないし」

「・・・。別に体調が悪い訳じゃないんだがな…」

 むしろ体の方は、昨日の不調が嘘のように絶好調だ。


---[21]---


「じゃあ瘴気で精神がやられちゃったのね」

 もちろんそれも違う。

 俺が言葉を失っている原因は、昨日あったらしいカラオケに飲み会、その2つのイベントについての事だ。

 俺にはそれに行った記憶が無い、正確には記憶はあるが覚えがない。

 だがまぁ、ここでこの話が出てきたのはある意味運が良かった…、いや悪いか。

 昨日の記憶が曖昧で、それが現実なのかどうかがわからない。

 もちろんその記憶が正しくなければ、俺が自分の部屋で寝ていた理由にならないわけだが。


---[22]---


 もし自分から話して、それが噛み合わなければ、自分の頭が疑われる。

「ならなんだ?」

「勘弁してくれと言っておいて、自分だけフィアちゃん達の事でも考えてたのか?」

「違う。断じて。なんでそうなんだよ」

「フィア…」

 せっかく話が反れたのに、自分がもたもたしていたせいで話が戻った…。

 このまま話が戻っても袋小路だな。

「疲れとかがあって昨日はヤバいぐらい爆睡したから、正直記憶が曖昧なんだよ。だからそっちの話についていけてないだけ。カラオケでロシアンたこ焼きとフライドポテトの争奪戦に、居酒屋ではお茶を飲みながら焼き鳥を頬張ってたんだっけか」


---[23]---


 適当な理由を付けて、覚えのない記憶をさりげなく聞いてみる。

 我ながら話という名の川の流れに一切逆らわない良い聞き方だ。

「ああ、間違っちゃいない」

「ちなみにロシアンたこ焼きに幸運を引き当てたのは~?」

「俺だ」

コクコク。

 俺の言葉を肯定するかのように、笑顔で首を縦に振る友人2人。

「・・・」

 その笑みにイラッと来たのは置いといて、今度は文音の方が電池の切れた人形のように黙り込んだ。


---[24]---


 なんだ?

 この空間には人をだんまりさせる空気でも流れてるのか?

「今度はおとなっしーが行動不能か?」

「夏吉といい、機能不全を起こしている人が多いねぇ」

「俺達は何かの機械か?」

 とりあえず、俺としてはこの覚えのない記憶が嘘ではないと、今の会話ではっきりしたようなモノだから、幾分か頭の中のモヤモヤが無くなった。

 だがまぁ、その記憶が気持ち悪く感じるのに変わりはない。

「野獣になるぐらいなら機械の方がマシ…」

「おぅ、行動再開だな」

「システム再起動だね」


---[25]---


「大丈夫か? 体調が悪いなら…」

「大丈夫。ちょっと考え事をね」

「考え事とな」

「僕たちの出番だ」

「なんでお前らそんなに生き生きしてんだよ」

「い~や~。今のテンションのあなた達と話すのは良くないって、私の直感が告げてる」

「「ひどい…」」

「ははは…」

 そのやり取りに思わず苦笑した。


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