エピローグ二話

43 熊野古道にて

 御霊鬼との対決から十日が経ち、在人さんの式占ちょくせんで熊野古道の方角が大吉となった今日。

 カフェを明日まで臨時休業にして、私たちは凛子さんと共に阿祇波毘売の封印へと赴いた。


 飛行機と電車、そしてバスを乗り継いで、熊野那智大社から熊野本宮大社へと向かう中辺路なかへちを歩き、封印先の祠を目指す。


「山道が続くけど、真瑠璃ちゃんは平気? 体力的にきつかったらおんぶするから言ってね」

「ありがとうございます! 四日間もゴロゴロさせてもらったのでもう大丈夫です!」

「ゴロゴロしてた上にメシはもりもり食べていたからな。ダイエットのためにもしっかり歩いた方がいいだろ」

「欧理は黙ってなさいよ!」

「欧理君。そういうことばっかり言うと、真瑠璃ちゃんに嫌われちゃうわよ?」

「ぐ…………っ」


 いつもどおりのそんなやり取りをしながら、苔むした古道を奥へと進む。

 途中の分岐をけもの道のような小径に入ると、しばらくして足元を苔に覆われた古びた小さな祠があらわれた。


「これが、阿祇波毘売封印の祠です」


 在人さんがお祖父さんから受け継いだという南京錠の鍵を差し込んで祠の扉を開けると、がらんどうの中に古い神符が一枚置かれていた。


 計祝さんが置いたであろうその神符には、うっすらと八咫烏の絵の浮き出た跡が残っていて、ところどころ破けたそれはまるで阿祇波毘売の抜け殻のようだ。


 それを回収した在人さんが、八咫烏が鮮明に浮き上がった新しい神符を置く。


 阿祇波毘売との決戦後に意識をなくして眠りこけた私は、目を覚ましてから在人さんに阿祇波毘売の封印に至るまでの経緯を聞いた。


 人間にとって御霊鬼は害を与える存在だけれど、御霊鬼にとっても人間は害を与える存在であり、その反面、お互いが必要な存在でもある。

 そんな関係性から、人は彼らを霊鬼と、敬意を込めて呼ぶようになったのかもしれない。


「次が何十年後になるかはわからないけれど、現世うつしよで人が生きる以上、怨気をためた阿祇波毘売はまたいつか必ず現れる。それまでは奴が現世うつしよに災厄を与えないよう、念入りに封をしておこう」


 祠の扉を閉め、再び鍵をかけた在人さんがそう告げた。

 在人さんと欧理が印を結びながら不動明王の火界呪と大日如来の三昧耶会さんまやえ口密くみつを捧げ、阿祇波毘売封印の儀式は滞りなく終了した。


「さて、無事に封印が完了したし、宿に戻ろうか。明日は那智の滝へ美空の慰霊に行くのに、かなりの急勾配を歩くからね。今日の疲れは今日のうちに取っておかないと」


 在人さんの先導で来た道を引き返す。

 封印を終え、隣を歩く欧理の横顔にどこかほっとしたような表情が浮かんでいるのを見て、私は気になっていたことを思いきって尋ねることにした。


「あのさ……。欧理は、次の世代に自分たちのような悲しみや苦しみを味わせないために、自分の魂をかけてまで阿祇波毘売を滅しようとしていたじゃない。いくら御霊鬼が人間にとっても必要な存在であるとは言え、封印という形には納得できたの?」


 私が目覚めてからというもの、何となく欧理の態度がぎくしゃくしていたから込み入った話題は出しづらかったんだけれど、私が問うと彼は少しの沈黙の後に前を見つめたまま口を開いた。


「天乙を勝手に呼び戻された時は正直納得がいかなかった。だが、その後の天照大神の言葉を聞いて思ったんだ。御霊鬼と人間は表裏一体、陰と陽のバランスの上で成り立っている関係で、そのバランスを調整していくのが俺たち陰陽師たちの役割なんだって。それに、阿祇波毘売が次に出てくる時には、弓削家に対する逆恨みはなしで、正々堂々と勝負に出てくるだろうしな」


「へえ……。どうしてそんな風に思うの?」


「お前があの場にいたらきっと奴にこう言うだろう、って言葉をかけたから」


「私が阿祇波毘売にかけていたであろう言葉……」


 それを聞いて、頭の中にふっと浮かんだ阿祇波毘売へのメッセージ。

 でも、私はそれを敢えて欧理に確認する必要はないと思った。

 欧理なら、頭に浮かんだその言葉を、私の代わりに彼女にきっとかけてくれたはずだから。


 それよりも────


「もう一つ気になってることがあるんだけど……天照大神が降臨してる間、私、欧理に何かやらかした? ほら、巴御前や美空さんの降霊の時は義仲や在人さんと抱き合ってたし、こないだは目が覚めた時に欧理が近くにいたし。あの後から、何となく欧理に避けられてる気がするんだけど」


 おずおずとそう切り出すと、欧理の顔が急激に真っ赤になった。


「あっ!? やっぱり私、欧理に何かして────」


「いやっ、何もされてないっ! ってか、むしろ俺の方がし……いやっ、何でもないっ! 真瑠璃の意識がなかなか戻らないから、俺は仕方なく呪術をかけただけであって……」


「呪術ってどんな?」


「聞いてくれるな」


「何よそれ!? 見たことのない呪術なら “浄霊ノート” にまとめておくんだから、何をしたのか詳しく教えてよ」


「馬鹿野郎ッッ!! そんなのに書かれるんじゃ、余計教えられるかよっ!!」


 もはや茹でたてのズワイガニを通り越し、茹でたての花咲ガニのごとく赤くなって怒り出す欧理。

 聞き出そうとしただけでそこまで怒るなんて、よっぽど大変な秘術でも使ったんだろうか。


 前を歩く在人さんと凛子さんがくすくす笑い合う声が聞こえてくる。


「それはそうと、御霊鬼のことも一段落したし、東京に戻ったら真瑠璃ちゃんの巫師シャーマンとしての資質についても詳しく分析してみないとね。降霊に続いてかんなぎまでやってのけるなんて、本当に驚きだもの」


 凛子さんの言葉に、在人さんが深く頷く。


「本当ですね。過去三回の真瑠璃ちゃんの降霊パターンを分析するに、欧理の呪術との掛け合わせが発現の条件となっているように思われます。その辺りが今後の浄霊に生かせるんじゃないかと、僕としても興味深いんですよね」


「……ってことは、私…………。このまま鎮魂館レクイエムにいてもいいんですか?」


 私の言葉に、三人がきょとんとした顔で立ち止まった。


「は? お前、何言ってるんだ?」

「どうしたの? 真瑠璃ちゃん」

「もしかして、欧理のバディが嫌になった?」

「俺が原因かよっ!?」


「いえ、そうじゃなくて」と、私は慌てて胸の前で両手を振る。


「在人さんも欧理も、もう不視の呪縛は解けたわけじゃないですか。“眼” としての役割が終わったんなら、私が鎮魂館レクイエムに残れる理由はなくなっちゃうのかなって思ってたから……」


 目を丸くして振り返った在人さんが紅茶色の澄んだ瞳を細め、完璧な王子スマイルを向けてくれた。


「僕と欧理が今さら真瑠璃ちゃんを手放すと思う?」


「えっ?」


「何度も言ったでしょ。真瑠璃ちゃんは僕たちの勝利の女神だって。僕たちが陰陽師として活動する限り、真瑠璃ちゃんには鎮魂館レクイエムメンバーとして浄霊に関わってもらわないとね」


「そうよ。御霊鬼の存在意義がはっきりしたことで、陰陽寮は今後の方針として、死霊や怨霊をこれまで以上に積極的に浄めることで御霊鬼たちの再出現時期を遅らせるつもりなの。弓削家への浄霊発注もぐっと増えるだろうし、在人さんと欧理君だけじゃとても手が回らないわ」


「カフェの厨房業務に関しては式鬼しきより使えないし、制服のゴスロリドレスも似合ってないけどな。……でも、今さらバディを下りられたら、何より俺が困る」


「みんな……っ」


 情けない声が漏れた私の頭上に在人さんの手が伸びてきて、手のひらを被せるようにぽんぽんと優しく叩いてくれる。


「そう言えば、真瑠璃ちゃんの制服、阿祇波毘売との対決の時に着ていたせいで、結構傷んでたよね。東京に戻ったら僕が新しい制服を見繕ってくるよ。あのドレスのままだと、そのうち “暗黒回帰のヴァルキュリア” がうちの店で働いてるって噂が出回りそうだし」


「在人さん、その二つ名知ってるんですか!?」


「在人、真瑠璃の制服なら今度は俺が見繕う。お前に任せたらまたトンデモセンスを発揮しそうだし」


「真瑠璃ちゃんが一層可愛らしく見えるドレスを探すから、楽しみに待っててね」


「おいっ、俺の話聞いてるか!?」


「ふふっ、美空も在人さんのマイペースぶりをたまにぼやいていたわ。そう言うところは相変わらずなのね」


 再び歩き出した私たちは、早くも初秋の空気が混じる現世と常つ夜との境界を、怨気を吹き飛ばす明るい笑い声を立てながら進んでいくのだった。




《最終話へと続きます》







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