42 二人の王子様

「真瑠璃……! 一体どうしたんだ! なぜ目覚めない!?」


「降霊の時ですら、真瑠璃ちゃんの心身には相当な負担がかかっていた。神を降臨させたということは、意識が相当深いところまで沈み込んでしまっているのかもしれないな。神を自分の肉体に降臨させるかんなぎは古代日本に存在していたけれど、その大きすぎる負担から、降臨後に昏睡状態となって目を覚まさなかった場合も多々あったと文献で読んだことがある」


「なんだって……っ! どうしたら真瑠璃の意識を引き上げることができるんだ!?」


「人の名はその人にかけられた一種の呪であり、その名を呼ぶことが呪術となるわけだが、真瑠璃ちゃんの意識を引き上げるにはもっと強い力が必要だということだろう。呪に強く念を込めるためには……」


「まさか、俺がいつも護符でやってるをやれと……?」


「そう。名を呼んで口づけることで、より強力に呪の効果を引き出すんだ」


「そっ、そんなこと、できるわけ──」


「欧理がやらないのなら、僕がやるよ? 真瑠璃ちゃんの意識が戻らないままだと困るしね。それに、今の僕は、欧理の犠牲を止め、阿祇波毘売を封印に導いてくれた勝利の女神が愛おしくてたまらないんだ。僕ならむしろ喜んで真瑠璃ちゃんにキ──」


「だああっ!! わかったよ!! 真瑠璃はバディの俺が呼び戻す!」


「ぷ……っ。じゃあ、仕方ないな。王子様の目覚めのキスは、今回は欧理に譲ることにするよ」


「馬鹿野郎ッ! これはキスなんかじゃねえっ!! 立派な呪術だ!!」


「はいはい」


「……ちょ、ちょっと、在人はあっちを向いててくれ」


「はいはい」




「…………。真瑠璃…………ありがとう」



 ***


「真瑠璃…………ありがとう」


 耳にあてた貝殻から聞こえる潮騒のように柔らかな声。


 微かなその音を私の耳が捉えた瞬間、暖かくて透明な南の海の底からざざっと引き上げられるような感覚が襲ってきて、目を開けた。


「欧理…………?」


 ぼんやりした視界に映るのは、潤んで揺れる、漆黒オニキスの瞳。


 ってか、顔、近っっっ!!?


「きゃ…………」


 混乱のあまり押しのけそうになったけど、「よかった……」と呟くハスキーボイスが涙に濡れていることに気づき、欧理の肩にかけた手を止めた。


 いつの間にか背中に回っていた欧理の手に支えられて起き上がり、自分がコンクリートの床の上に倒れていたことを知る。


「真瑠璃ちゃん、意識が戻ってよかった……!」


 意識が戻った……?

 そう言えば、欧理と一緒に大日如来に口密を捧げた瞬間に、全身が燃やされるような感覚が襲ったんだった。

 倒れていたということは、そこで意識を失ったということか。


 頭の中がクリアになるにつれ、私は自分達が大変な状況の真っ只中にいることを思い出し、慌てて立ち上がった。


「そうだ、阿祇波毘売はっ!? 天乙は倒したのっ!?」


 上空を見上げても、戦っていたはずのふたりの姿はない。

 欧理を見ると、床に座り込んだまま耳まで赤くしてそっぽを向いてるし、在人さんはほっとしたような微笑みを浮かべているし。


 一体何が起こったの!?


 状況がまったく把握できずにきょろきょろとしている私に在人さんが歩み寄り、神符を差し出した。

 見ると、折りたたまれた神符の表には、先日見た時にはなかった八咫烏やたがらすという御先神みさきしんの絵柄が浮かび上がっている。


「阿祇波毘売は、この中へとすでに封印したよ」


「えぇっ!? 封印!? 滅したんじゃないんですか!? じゃあ、天乙は!?」


「欧理と天乙との間で交わされた誓約は無効となり、天乙は六壬に戻ったんだ。全ては天照大神のお導きだよ。真瑠璃ちゃんは間違いなく僕たちの女神だった。本当にどうもありがとう」


 その間の記憶がまるっきり抜けている私としては、なぜ在人さんにお礼を言われているのか、さっぱり見当がつかない。

 それに、座り込んだままの欧理が、なぜこんなに顔を赤くしているのかということも。


 でも────


「本当に、あの阿祇波毘売を封印できたんですね? よかった……。欧理が天乙に取られなくて。欧理がここにいてくれて、本当によか……」


 言い終わらないうちに、あやつり人形の糸がぷつんと切れてしまったかのように、私はへたりこんでしまった。

 姿勢を保っていられなくて、そのまま床へと倒れ込む。


「真瑠璃ちゃん! 大丈夫!?」

「真瑠璃っ!!」


「ごめんなさ……。なんかちょっと、しんどくて……」


「無理もない。真瑠璃ちゃんは神を降臨させたんだから、心身ともに相当な負担がかかってるはずだよ。詳しい話は後でゆっくりすることにして、今はこのまま寝てしまうといいよ。陰陽寮にサポート要請を出しておいたから、鎮魂館うちまでは車で送ってもらえるだろうしね」


 駆け寄った在人さんは王子スマイルでそう言うと、膝をついて私をひょいっと抱き上げた!


 ちょちょちょっ!!

 いきなりお姫様抱っこ!?


 恥ずかしすぎて顔から火が出そうだけれど、全身に力が入らない私はされるがままに在人さんの胸にもたれる体勢となる。

 くうっ、こんなことならやっぱり夏前のダイエットを頑張っておくんだった!!


「あっ、在人! 真瑠璃は意外と重いだろ? 運ぶの俺が変わろうか」


 飛んでいきそうな意識の中で、欧理がとてつもなく失礼なことを言っているのが聞こえてくる。

 けれど、今の私にはそれに反論する気力もない。

 ……そもそも、私を肩車をした欧理がそう言ってることに、反論の余地はないし……。


「このくらい全然平気だよ。それに、さっきの王子役は欧理に譲ったんだから、今度は僕の番だ」


「おっ、王子って何だよっ!! さっきのは呪術だって言ってんだろ!?」


「だって、僕は呪を込めた口づけが必要だとは言ったけど、口にする必要があるとは一言も言ってないよ?」


「な……っ!? 在人、謀ったな!? ていうか、俺が口づけるの、やっぱり見てたのかっ!!」


「見てなくたって、それだけ動揺してればどこに口づけたかはわかるさ」


 なんだか二人とも楽しそう。

 欧理と在人さんのこんなやり取りを聞けるようになったことが、今は本当に嬉しい。


 王子だの口づけだの、気になるワードが頭の中で踊りつつも、それらを押さえ込んでしまうくらいに眠気が襲ってきて、私は在人さんの歩みで生まれる揺れに身を預けて目を閉じた。


 ***


 その後私は丸一日爆睡し、さらに三日間、ベッドから起き上がれない日が続いた。


 御霊鬼たちが出現したあの日、陰陽師達の活躍によって、八体すべての御霊鬼が無事に神符に封印され、境界との境界となる所定の場所に神符ごと祀られることとなった。


 池袋のビル群の火災をはじめ、各地で御霊鬼による災害が発生したものの、不幸中の幸いというべきか、ケガ人が数十名出た程度で、死者は一人も出なかったというのは奇跡だと思う。


 それだけ陰陽師たちが活躍したということなんだけれど、当然その存在や御霊鬼のことが世間に公表されるはずはなく、あの日の警察の出動は、同時多発テロを想定した大規模な訓練であったと報じられた。


 起き上がれない三日間、私は眠りの合間に携帯をチェックしていたのだけれど、都内各地の異変はSNSで拡散されていて、やはりあれは警視庁の訓練なんかじゃなく、本当に同時多発テロが発生していたんじゃないかという噂でもちきりだった。

 けれども、マスコミには報道規制が敷かれているためその憶測が現実味を帯びて広がることはなく、ホットトピックの遷移が早いSNSでは、半月もすれば誰も騒がなくなるんじゃないかというのが在人さんの推測だった。


 ……と、まあ、そこまではいいんだけど……。


【これって絶対真瑠璃だよね!? どういうこと!?】


 私は目下、元同期で親友の若菜から送られてきたメッセージに頭を悩ませている。


 若菜からは、SNSで拡散していた画像のうちの一枚が送られてきているんだけど、その画像というのが、ゴスロリドレス姿でサンシャインシティのエスカレーターを駆け上がる私が写ったものなのだ。


 御霊鬼とのガチ対決のために本気のコスプレで臨んだ陰陽師集団の画像は大量に流出していて、今回の同時多発テロを仕掛けたグループと敵対し、警視庁と組んで戦った秘密組織だとまことしやかに噂されている。


 その正義のコスプレ集団の一メンバーとして、真っ黒なゴスロリドレスの私は “暗黒回帰のヴァルキュリア” なる二つ名をネット住民によって勝手につけられているのだ。


 その画像を見つけた若菜は、これが私であると確信を持って、怒涛のように詰問メッセージを送ってくる。


【真瑠璃が会社の復職を蹴ったのは、秘密組織に入るためだったってこと?】

【一緒に写ってるのは、前に会社に乗り込んできたイケメン弁護士のイケメンアシスタントだよね!? 真瑠璃とはどういう関係なの!?】

【実は池袋の火災では死者が出ていて、暗黒回帰のヴァルキュリアが甦らせたって聞いたけど本当なの!?】

【とにかく、今度会ったら全部話してもらうからね!!】


 うーん……。

 若菜にはなんて説明すればいいのやら。


 それを思うとまた頭が重たくなってきて、営業中のカフェのざわめきを遠くに聞きつつ、私は再び布団をかぶって眠ることに決め込んだのだった。



《第4章 『御霊鬼との決戦』おわり。エピローグへ続きます》


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