41 決着
『天乙……っ』
「アゲハちゃん、久しぶり! 安政の大獄後に、
敵対心を顕にする阿祇波毘売とは対照的に、天乙の方は女友達に話しかけているかのようにフレンドリーだ。
安政の大獄って、確か幕末に起こった大事件だったよね。
話しぶりから察するに、幕末の日本国内のゴタゴタにも御霊鬼が絡んでいて、その時の阿祇波毘売の封印には天乙が関わったようだ。
このふたり、一体何年来の因縁なんだろう。
『おぬしが出てくるとは都合良い。積年の怨みにいよいよ方をつける好機じゃ』
「妾の方はさしたる怨みがあるわけではないんじゃがの。他ならぬ欧理の頼みじゃ。此度は容赦なくそちを討たせてもらう」
そう言うが早いが、無邪気で優雅な振る舞いを一変させ、天乙が猛スピードで突っ込んでいった。
阿祇波毘売は間合を詰めさせまいとおびただしい数の矢を放つ。
炎の矢、氷の矢、鋼の矢、黄金の矢、雷の矢。
その全ては、天乙の纏う清く眩い霊気に触れた途端、霧のごとくに消えていく。
『ふんぬ!!』
阿祇波毘売の腕が幅広の刀剣に姿を変えて、横一閃に空を薙ぐ。
天乙の方はその軌道のはるか上に軽やかに跳躍し、振りかぶった両手にそれぞれ光でできた二刀の剣を出現させると、降りざまそれを振り落とす。
ざうっ、と音がして阿祇波毘売がぱっくりと割れるも、煙のような体はすぐにその断面を修復し──ようとして。
『ぎゃあああぁぁぁ』
その断面が白い煙に変質し、もうもうとした浄気が立ち昇った。
強い――――
これが五行を越えた上神の力なんだ。
天乙ならば、本当に阿祇波毘売を浄滅させることができるんじゃないか。
その展望が確信の色濃く染め上げられるにつれ、私の中に渦巻く重苦しい葛藤が胸を塞ぎ、息苦しいほどに広がっていく。
天乙が阿祇波毘売を滅したら、誓約呪の条件が達成される。
そうしたら欧理は……。
欧理は――――
「お願いだからもう一度考え直して!」
喉まで出かかったその言葉は、口を開けても声に出すことができなかった。
美空さんを失ったときの欧理の後悔、在人さんの悲しみ、二人の苦しみ。
それを誰かが繰り返さないために、欧理が決めた覚悟。
この三年間、心の内にずっと秘めていたその凄絶な思いは、苦しみを共に抱えてきた在人さんの懇願ですらはねのけた。
出会って数ヶ月の私が簡単に覆せるような脆いものじゃない。
ならば────
たとえ欧理と二度と会えなくなったとしても……。
それがこの身を切り裂くように辛いことでも……。
彼のバディとして、私は欧理の思いを尊重しよう――――
熱い涙が幾筋も頬をつたって止まらない。
それでもめいっぱいの笑顔を作り、私は空を見上げる欧理に話しかけた。
「ねえ、欧理。私に何か出来ることはない? バディとして、欧理と一緒に最後まで戦っていたいの」
天空、玄武、白虎を式盤に呼び戻し、ようやく呼吸の落ち着いてきた欧理が息をのんで私を見つめた。
前髪の奥から鋭く向ける
「ならば、俺と一緒に大日如来に
「わかった。それじゃ、大日如来の真言を教えて?」
「長いから、まずは心の中で何度も唱えて覚えろよ。オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラハリタヤ ウン」
繰り返し唱える欧理の横顔を目に焼き付けながら、心の中で彼の口密に合わせて練習を重ねる。
長くて言いにくい真言をようやく覚えた時には、私と欧理はどちらからともなく手をつないでいた。
「覚えたか」
「うん」
「じゃ、いくぞ」
阿祇波毘売の体を浄滅させていく天乙を見上げてふたり、息を吸う。
「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラハリタヤ ウン!」
心と声を合わせて口密を捧げた瞬間、“臨” の戦線上に充満した霊気が、発火したかのように赤みを増した。
「きゃああぁぁぁっ」
「真瑠璃っ!!?」
体が燃え上がるような熱さと痛みがお腹の底から沸き上がり、私の全身を一気に支配した。
***
[……神仏の加護を受ける陰陽師たちよ。わたくしの
「な……っ」
「欧理っ! 真瑠璃ちゃんに何が起こった!?」
「真瑠璃の様子が変わったんだ! 天照大神を名乗っている……」
「天照大神だって!? 真瑠璃ちゃんの体に神が降臨したっていうのか!? まさか……」
[陰陽師たちよ。阿祇波毘売を滅することはなりません。わたくしが天乙を
「なぜだ!? 奴はこの
[天乙よ。今すぐに戦いをやめ、六壬に戻りなさい]
「あれ、その神気は天照さまかの。あなた様に命ぜられては、これ以上戦うわけにはいかぬのう。せっかく欧理を妾のものにできる、またとない好機じゃったのに……」
「あっ!? 天乙……っ」
「欧理、残念ながらこの誓約符は無効となった。またいつでも呼んでたもれ。アゲハちゃんもまたの。次は何百年後かわからぬがの」
『天照……。何故此度に限り、この諍いに介入するのじゃ』
[阿祇波毘売……いえ、
『ならば何故、我ら霊鬼の望みを阻む? この現世を、怨気の生まれぬ世に変えることを阻むのじゃ! 人間どもが現世に生を受ける限り、怨気はなくならぬ。善良で安らかな一生を終えた人間ですら、その魂には僅かな怨気や悔念にくすむ部分がある。それらを我が体に吸収し、死者の魂を浄めるのが我ら霊鬼の宿命なれど、永き時を経れば我らの体は怨気に膨れ、浄めきれずに常つ夜に行けぬ死霊怨霊が境界にあふれてくる。生者などおらぬ方が、新たな怨気が生まれることもなく天地が平穏に保たれるのじゃ』
[天地人の三才の
『さように説かれても、やはり人間ごときに封じられるでは、腹の虫がおさまらぬ。定めを負いしこの身に欠かせぬ糧であっても、限度を超えて食わせられれば苦痛以外の何ものでもない。やはりこの機に我ら霊鬼の意のままにできる国をば手に入れてみせる!』
[陰陽師よ! 阿祇波毘売が霊気を回復する前に封印を!]
「欧理っ、南に朱雀を置け。炎で阿祇波毘売を羽交い締めにするんだ!」
「わかった! 十二天将が一、朱雀に請う、
『うぎゃあああぁぁっ!!』
「在人っ、封印用の神符を!! ノウマク サラバタタギャテイビャク サラバボッケイビャク サラバタタラタ センダマカロシャダ ケンギャキギャキ サラバビギナン ウンタラタ カンマン! オン マカ キャロニキャ ソワカ! オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラハリタヤ ウン!」
『ううううぅぅぅ…………』
「ああ……っ! 見える……! 見えるぞ! 阿祇波毘売が!!」
『弓削の陰陽師め……。またしても我を封じ込めおって……! この怨み、必ず──』
「阿祇波毘売。潜在意識の底で眠る真瑠璃の代わりに、俺がお前に告げる。人間のために、怨気を喰らう
「真瑠璃ちゃんなら、確かにそう言いそうだな……。御霊鬼と人間はいわば相生。
『…………っ』
「…………」
「……ようやく神符に封じ込められたな」
[霊鬼たちは、現世と常つ夜をつなぐ境界を
「はい……」
「さあ、欧理。そろそろ真瑠璃ちゃんを呼び戻そう」
「そうだな。真瑠璃……。真瑠璃……!」
「…………真瑠璃ちゃん?」
「真瑠璃っ!! 真瑠璃っ!!」
「真瑠璃ちゃん!!」
「なぜだ!? 名を呼んでるのに、なぜ真瑠璃の意識が戻らないんだ!?」
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