38 “闘・者” (闘う者)の戦術

「“闘・者ここ” の戦線に移動したことで、戦況は変わりそうか?」


 欧理の言葉に、式盤を操りだした在人さんが慎重に答える。


「そうだな……。依然として吉方なしだが、現在は北東と北西が小凶で一番マシな方位となっている。ただ、これに五行が絡むとなかなか難しい状況だ。この場所は植物園だけにもくの気が強い。北東を司る青龍は木神だから、彼を召喚すると木の気が強くなりすぎて木侮金もくぶごんとなり、賀茂さんの張ってくれた銀の結界の効力が弱くなる」


「つまりは阿祇波毘売からの雷の攻撃に耐性がなくなるってことか」


「そのとおり。しかも、もう一方の北西を司る天空は土神だ。青龍を呼ぶと木乗土もくじょうどとなり、天空の力が十分に出せないことになる」


「ならば、青龍を使わずに同じく北東を司る天将を使うのはどうだ?」


 欧理のその言葉に、在人さんの顔が一瞬にして強ばった。


天乙てんおつを……? 欧理、それはまずいだろう。お前の身が危うくなるぞ」


 天乙────

 それは確か、式盤を用いる占術、六壬神課りくじんしんかで召喚できる十二天将の主将。

 欧理が召喚するところを見たことはないけれど、陰陽五行の木火土金水もくかどごんすい相生そうしょう相剋そうこくを越えた位置に君臨する上神だから、五行的にはチートに近い能力を持っているはずだ。

 その天乙を召喚することが、なぜ欧理の身を危うくするんだろうか。


 眉根を寄せ、心配そうに見つめる在人さんの視線を、欧理は苦笑いでさらりと躱した。


「冗談だよ。天乙を呼ぶのはあくまで最終手段だ」


「最終手段だとしても、戦いをそこまで長引かせるつもりは僕はないよ。まずは天空で阿祇波毘売を攻める。奴が動くことで戦況はまた変わるはずだ。ちなみに、阿祇波毘売は五行の元素すべての怨術を使いこなす。こちらは土神の天空をまず据えて、相生、相剋、相侮、相乗の組み合わせを駆使して戦う必要がある」


 一旦言葉を区切った在人さんが、紅茶色の瞳を私に向けた。


「真瑠璃ちゃん、術の組み立ても術を繰り出すタイミングも、全て真瑠璃ちゃんの “眼” にかかってる。欧理のバディとして、これまで二人で築いてきたチームワークを信じて頑張ってほしいんだ」


 欧理とのチームワーク────


 私の頭の中で、この数ヶ月に欧理との間に起こった様々なあれこれが鮮明に浮かんできた。


 欧理を見つめる。

 前髪に隠れた漆黒の瞳が、私と同じ思いを閉じ込めているのが見てとれる。




 うん。

 そうだよね。




 私たちならできる!

“眼” と “心” をひとつに合わせて、阿祇波毘売に向かっていける!!




「わかってます! お二人の “眼” として、そして欧理のバディとして、私も力の限り戦います!」


 私の意気込みに、欧理が無言のまま頷いて同調した。


「頼もしい二人だ。さあ、一人で頑張ってくれてる賀茂さんにも申し訳ないし、戦闘再開といきますか」


 とびっきりの王子スマイルを浮かべた在人さんが、式盤を欧理の方に傾けて構えた。


 改めて破邪の九字を結んだ欧理が、“闘” の戦線を司る如意輪観音の真言を唱える。


「オン ハドマ シンダマニ ジバラ ウン」


 再び刀印をかざし、式盤に向かって召喚呪を詠唱。


「十二天将が一、天空に請う、遣清塵四散邪雲せいじんヲつかハシテじゃうんヲしさんセシメヨ、急急如律令!!」


 その刹那、式盤から突風が出てミニ嵐が沸き起こる。

 天に向かって凄まじい勢いで伸びていくと同時に渦の径がみるみる広がり、阿祇波毘売の黒煙に匹敵する大きさになった。


 天空の本体らしき嵐はその渦巻く体に銀色の小さな粒を巻き込み始め、キラキラと輝く砂嵐となって靖国神社の方角へと向かっていく。

 それから蠢く黒煙の中に突っ込むと、黒煙を巻き込んで回転の勢いを増した。


「天空が黒煙を巻き込みました!」


「オン ハドマ シンダマニ ジバラ ウン!」


 欧理と在人さんに戦況を報告すると、二人は如意輪観音の印を結び、口密くみつを捧げ続ける。


『うぬう、鼠のごとくちょろちょろと動き回りおって、小賢しき陰陽師め』


 阿祇波毘売の声が地を這う振動と共に伝わってくる。


 息を呑んで見つめ続けていると、散り散りになりかけた阿祇波毘売の煙が砂嵐の中心に集まり、真っ黒な塊となった。


「黒煙が砂嵐の中心で固まりました! 何かがくる──」


 そう告げた瞬間、黒い塊が爆発した。

 爆風で天空の方が霧散させられる。

 新たに湧いた煙の中から現れたのは────


「あれは……麒麟!?」


「麒麟だって!?」


「麒麟って、首の長いキリンじゃないよ!?」


「んなこたぁわかってる! 奴が聖獣に姿を変えたってことに驚いてんだよっ」


「真瑠璃ちゃん、麒麟の色は?」


 緊張感に欠けた欧理とのやり取りを在人さんに遮られ、慌てて答える。


「赤ですね。鱗がどす黒い赤で、角や牙、尾は真っ黒です!」


「赤い麒麟・炎駒えんくの闇堕ちを取り込んでいるのか……。炎駒は五行でに属する。あのまま攻めてこられると木の相生そうしょうとなって、この植物園ごと燃やされかねないな。欧理、水剋火すいこくかで玄武を使おう」


「わかった! 十二天将が一、玄武に請う、遣氷雪凍結火獣ひょうせつヲつかハシテかじゅうヲとうけつセシメヨ、急急如律令!」


 欧理の詠唱が聞こえたかのように、炎駒に姿を変えた阿祇波毘売が空を駆けてきた。


「猛スピードでこっちへ向かってくる!」


「欧理、玄武を北に置け! 天空は北西に呼び戻せ!」


 在人さんの指示に従い、式盤からのっそりと出てきた亀の姿の玄武と、炎駒を追う砂嵐の天空に欧理が刀印をかざして方角を示す。


 北の上空へと泳ぎ出た玄武が、向かいくる炎駒に氷の息を吐きかけた。

 前方から放たれる冷気に足を止める炎駒。

 すると、追いかけてきた天空が北西に回り込み、炎駒に向けて風を起こす。


 玄武の吐き出す氷の息が風と合わさり、ブリザードとなって炎駒を襲う。


「炎駒が姿を変えました! 燃え盛る炎そのものになって、氷を蒸発させてます!」


火侮水かぶすいか。欧理、もう一度白虎だ! 土生金どしょうごんで金の気を強めて金侮火ごんぶかへともっていけ!」


「天将三体同時召喚かよっ! 言うほど楽じゃねえんだぞ!」


 口を尖らせつつ、欧理は再び刀印を結んで白虎を召喚する。

 真夏でも汗をかくことなんてめったにない欧理なのに、その額に滲んでいた汗が今は玉となって頬をつたい、ぽたりぽたりと流れ落ちている。


 呪を唱えるとき以外は歯を食いしばって何かに耐えている表情で、とても苦しそう……。


「あのっ、天将を使うのって、そんなに大変なことなんですか?」


 在人さんに尋ねると、彼は私の心配を汲み取ってくれて、式占の手を止めてきちんと説明してくれた。


「欧理はね、神仏や十二天将と潜在意識を繋げることで、コンピュータで言うところのモデムのような存在になっているんだ。陰陽術を通して得た神仏の加護を、彼の中で六壬神課の十二天将が使える霊力に変えて送り出している。これができる陰陽師はごく僅かで、今の日本では祖父の資質を引き継いだ欧理にしかできないんじゃないかな」


 式紙を使った術や結界術、反閇へんばいと呼ばれる足踏みは陰陽師の呪術の基本らしいけれど、十二天将を駆使する欧理の戦い方が独特のものだったなんて今の今まで知らなかった。

 在人さんの解説はなおも続く。


「祖父の厳しい特訓に耐えた欧理は、天将のうちの一体を使う程度ならば大したダメージを受けない。ただ、複数の天将へと同時に霊力を送り出すとなると、彼自身に相当な負荷がかかるんだ」


「“眼” となるほかに、私がバディとして欧理のためにできることってないですか!?」


「じゃあ、僕が如意輪観音の真言を唱えるから、真瑠璃ちゃんは “者” を司る不動明王に口密を捧げて。交差する戦線の神仏の加護を強めて、欧理の気力の消費を最小限に抑えよう」


「わかりました!」


 不動明王の真言ならば、浄霊時の定番だから私にも唱えられる。


「ナウマク サンマンダ バザラ ダン カン! ナウマク サンマンダ……」


 繰り返し唱えながら首元を手繰り、カットソーの中から取り出した護符入れを握りしめた。

 この中には、今朝も欧理に口づけてもらった金剛地結地界護符と、今日の戦いの前に渡された不動護身結界の護符が折りたたまれて入っている。


 私は欧理に守られている。

 バディとして、私も欧理を守りたい。


 不動明王の加護を願いつつ戦況を見守っていると、玄武と阿祇波毘売が膠着する西側で、式盤から飛び出した白虎が銀色の嵐となっている天空を身に纏った。


以銀身鎮静邪炎ぎんしんヲもっテじゃえんヲちんせいセヨ、急急如律令!」


 欧理の請呪に応えた白虎が、天空に包まれたまま、牙をむいて阿祇波毘売に飛びかかった。


『ぐぬぅっ!!』


 白虎の纏う銀のつぶては玄武の放つ冷気と合わさり、炎に消されることなくむしろ炎を消していく。

 阿祇波毘売の炎の体のあちこちから、ジュッ! ジョワッ! と炎の消える音がする。

 阿祇波毘売の纏う炎が薄くなり、人の形をした核に白虎が噛みつき、女の顔が苦痛に歪むのが垣間見えた。


「攻撃が効いてるみたい! 炎の層が薄くなって、阿祇波毘売の本体が見えてきました! 苦しそうな顔をしてる!」


 私が実況すると、在人さんが真言を唱えつつ式盤を再び操り出した。

 有利に傾きつつある戦況の中で、改めて式占を立てるのだろう。


 私が再び不動明王の真言を唱え始めた時。




 ザッザッザッザッ……




 砂利を踏みしめる多くの足音が聞こえてきた。


 植物園は立入禁止になってるんじゃ……!?


 驚いて振り向くと、こちらへ向かって、黒装束の一団が迫ってくるのが見えた。

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