31 封呪と警告

 ケーブルカーの山頂駅を出て、ハイキング客で賑わうコースとは反対側の道を下って歩くと、木々の間からいかにも古刹といった雰囲気の寺院が見えてきた。


「あれが薬剛院やくごういんだよ。住職の慶胤けいいん和尚は祖父の友人なんだ。墓参りの前に挨拶していこう」


 境内に足を踏み入れ、砂利の敷かれた小路を奥へ進むと、本堂に負けず劣らず古びた庫裡くりが木々の緑に埋もれるようにたたずんでいた。


「こんにちは。弓削です」


 呼び鈴のない玄関の引き戸をガラリと開けて在人さんが名乗ると、ひんやりと薄暗い廊下の奥から「はいはい」と声が聞こえてきて、つるピカの坊主頭に作務衣姿の小さなおじいさんが出てきた。


「おお、在人に欧理か! よう来たよう来た。在人はまた背が伸びたんじゃないのか」


「祖父の命日にこちらに参ってからまだ一年も経ってませんよ。二十六ですし、さすがに成長は止まってます」


「そうじゃったかの。大きゅうなりすぎて、見上げるのも大変じゃ。その背丈、欧理にも少し分けてやれ」


「うるせーくそジジイ。恵んでもらわなくとも、俺だって人並み程度の身長はある」


 在人さんの苦笑いと欧理のふくれっ面を前にほっほっと嬉しそうに笑う和尚。

 三人のその空気からは、在人さんと欧理が小さい頃からこの和尚とよく知った間柄だったことがうかがえる。


 けれど、次の瞬間、目尻によった皺はそのままに、和尚はぽつりとこう呟いたのだ。


「そうか。いよいよ……じゃな」

「はい。いよいよ……です」


 その言葉に、在人さんも居住まいを正して和尚を見つめた。


「こんな山奥におっても、ここ最近は不穏な霊気を感じておった。我ら仏僧にできるのは、加持祈祷を行うことで現世の衆生しゅじょうを救うこと。災厄の根源を断つのは陰陽師をおいて他にはおらぬ。計祝の遺志と術を継ぐおぬしらにその大役を任せたぞ」


「任せとけ」


 たった一言、ぶっきらぼうに言い放つ欧理を頼もしげに見つめる和尚の目が、二人の後ろに立つ私を捉えた。


「して、あなたは?」


「はっ、初めまして! 桜 真瑠璃と申します。在人さんと欧理君のお手伝いをさせてもらってます」


 ぺこりとお辞儀して顔を上げると、和尚は目を細めてうんうんと頷く。


「そうですか、あなたが……。さすがは計祝、勝利の女神の出現まで言い当てておったとはのう」


「え? それってどういう──」


 私の疑問に答えることなく背中を向けると、和尚は「ちょっと待っておれ」と庫裡の奥へと引っ込んだ。

 三人で首を傾げながら立っていると、ほどなくして和尚は幾重にも折り畳まれた紙を手に戻ってきた。


「これはわしが計祝から生前に預かっておったものじゃ。御霊鬼との対決前、おぬしらがここを訪れた時に渡すようにと言付かっておった」


「この折り方は、封呪ふうじゅでしょうか……?」


 手渡された在人さんが、緊張の面持ちで紙を開く。

 見事な筆致で書かれたその言葉をしばし見つめた後、彼が声に出してそれを読み上げた。


「五芒星を以て守り、九字紋を以て討て────」


 欧理がつと顔を上げる。


「対御霊鬼の戦術か──」


「戦勝祈願の封呪をこの佳き日に開けたことにより、神仏の加護がさらに高まることであろう。計祝も浄土よりおぬしらの霊運を祈っておるはずじゃ。墓前にしっかり手を合わせていきなさい」


「はい」


 慶胤和尚のご好意で庫裡の和室をお借りできることになり、エアコンのきいた涼しい部屋で昼食をとることができた。

 多めに作ってきたからと和尚もお誘いして四人で賑やかにお弁当を囲む。

手作りのおかずとコンビニ惣菜が入り混じったちぐはぐなお弁当に和尚は首を傾げたけれど、欧理がぼやきながらその理由を話すと、和尚は「良きかな良きかな」と豪快に笑い飛ばしていた。


 その後、和尚に挨拶をしてから庫裡を出て、在人さんと欧理に続いて本堂の裏手に回った。

 常緑樹が濃い緑の葉で作る薄暗い日陰に小さなお堂があり、その脇に古いお墓が立っている。


「これは閻魔堂えんまどう。十二天の一天である焔摩天えんまてんと、その眷属である泰山府君たいざんふくんが祀られている。泰山府君は陰陽道の主祭神でもあるから、弓削家の墓地はその横に建てられているんだよ」


 在人さんの説明の後、閻魔堂に置かれた二体の彫像に参拝し、それからお墓の敷地へと入った。

 敷地内をお掃除して、古くて立派な墓石にお水をかけ、柑橘系っぽい爽やかな香りのするお線香を上げて手を合わせる。


(計祝さん、そして弓削家のご先祖さま……。欧理と在人さんに、どうか力をお貸しください)


 心の中でそう念じつつ顔を上げた時、不意に頭の中を誰かの声がよぎった。


「急ぎ怨呪おんじゅの結びを解け────」


「……えっ? 急にどうしたの?」


 聞こえた言葉をそのまま口に出すと、手を合わせていた在人さんが紅茶色の瞳を丸くして私を見た。


「今、確かに頭の中にそう告げる声が響いたんです」


 脳内に響いたその声は、エコーのかかった誰かの声のような、多くの人が合わせて唱えた声のような、なんとも形容しがたい不思議な音声だった。

 在人さんと欧理が首をひねりつつ顔を見合わせる。


「怨呪の結び……つまり、御霊鬼による結界がどこかに張られているということか? 結界が発現しているとしたら、それを察知した陰陽師から陰陽寮に報告が行くはずだが……」


「今のところ、凛子さんからそういう話は聞いていないね」


「あの、怨呪の結界って、複数のポイントに施されていたりするんですか?」


「広範囲に結界を張る場合は複数の地点に呪を付し、それを線で繋げて結界を張ったりもするけれど……。真瑠璃ちゃん、どうしてそんなことを聞くの?」


「さっきケーブルカーに乗っているときに感じたあの違和感、実は私、初めてじゃないんです。出雲から戻ってくる時に、飛行機の着陸直前にも感じたんです。もし、あの嫌な感覚が怨呪と関係しているのなら、複数の地点に呪が付されている可能性があるのかなって思って……」


「確かめに行くぞ!」


 私が説明を終わらないうちに、欧理がそう声を上げた。


「真瑠璃が聞いた声は、きっと常つ夜にいる御先祖達からの警告だ。時じくの香の木の実を食べた在人が眠っている間に、広範囲に怨呪結界を張られていた可能性がある。結界が作用する前に解かなければ、まずいことが起きるかもしれない」


「確かに、僕が眠っている間は欧理たちも不在にしていたし、都内にいる他の陰陽師達にも何かしらのトラブルが連発していたと聞いている。その隙をついて御霊鬼達が密かに怨呪結界を仕込んでいたとしたら、発現前の微量な霊気を今日の僕らのように誰も気に留めていなかった可能性があるな」


 そう推測した私たちは弓削家の墓前に深く一礼すると、ケーブルカーの線路に並行して山肌を這うハイキングコースを急いで駆け下りた。

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